E級テイマー、家を買う
「――モデルルームのご案内は以上となります。お疲れ様でした!」
朗らかな笑顔でお辞儀をするコンシェルジュ。
レン達はシーサイドハウスのロビーに戻ると、休憩を兼ねて待合いのソファに腰を下ろした。
「はー…」
深く息を吐く。
まるで夢の様なひと時だった――と、数々のハウス。
取り分け『ロイヤル・ハウス』を思い返した。
あんな素敵な家に住めるもんなら住んでみたい。
そう頭では考えたものの、いざ現実を見れば第一に金銭問題が浮上する。
圧倒的に資金が足りなかった。
幾らそこに居る三人が『住もう!』だの『契約書!』だの騒いでいても、お金がない事には始まらない。
掃除の面倒くささには多少目を瞑ったとしても、住みたいと言う願望だけじゃやっていけないし、何なら腹も膨れない。
「レンっ。契約書貰ったぞっ! 書こう!」
「早くない?」
まだ何の問題も解決していないのに、もう書類にサインさせる気なのか、この魔王様!
彼はロイヤル・ハウスを見て『これなら城と比べても悪くないかも知れない』なんて宣った。
本当に彼がお城に住んでるとして、あんな風に豪華絢爛な家具に囲まれて生活していたんだろうか。
あくまであれはモデルルームで、実際に住むとなれば調度品なんかのグレードがダウンしてもおかしくないと言うのに、今からわくわくが止まらないと言ったご様子。
よくよく考えれば、家を購入した後は家具や家電だって揃えなくてはならないし、やる事がいっぱい、お金もいっぱいだ!
別に今、無理して家を購入する必要もないし、これまで通り宿屋に宿泊すれば、直ぐにお食事処に降りられて簡単に食べられる。
「今日は見学だけにしよう? 今すぐ決めなきゃって事でもないしさ」
「やだ。ロイヤルがいい」
「そんな我儘な…」
「魔王様がこう仰ってるのです。ロイヤル・ハウスになさい」
「そんなお金、何処にあるって言うの。せいぜいベーシックでしょ」
値段と、広さと、掃除の面倒さ。
これらを考慮すると、せいぜい自分達に合うのは『ベーシック』か、よくて『スタンダード』くらいだ。
しかしマモンはそれが許せないようだった。
「大切な魔王様をあんな狭い空間に閉じ込めるだと? そんなの言語道断です!」
「閉じ込めるなんて言ってないでしょうが…」
「閉じ込めて、自分だけを見る様に調教するおつもりですか? それもありですが、いやしかし…」
この人、今賛同しかけたぞ、おい?
マモンは声を荒げて猛反対した。
魔王様を尊敬し、崇拝しているマモンにとって、ロイヤルでない家など到底受け入れられるものではなかった。
「まあまあ。賑やかですこと」
其処へ笑顔のコンシェルジュがやって来て、ガラステーブルの上にお茶とジュースを用意してくれた。
魔王や巣雷雨にはお菓子を添えてくれて、何とも至れり尽くせりである。
「す、すみません。煩くして…!」
「いいえ。どうぞお時間の許す限り、ごゆっくりお悩み下さい」
普通なら『家に持ち帰って考えて下さいね』くらい言うものだが、コンシェルジュ自身もこのやり取りはもう他のお客様で見慣れている。
何ならさっさと決めて成約して欲しいとも思っている。
「悩むも何も、ロイヤル・ハウス一択です。それ以外は許しません」
「何でマモンさんの許しが必要なんだろう…」
困った顔を見せれば、スライムがぽよんっとテーブルの上に乗り、マモンを見上げた。
『ワンルームも小さくてかわいいよ? まおー様も小さいしぴったり!』
「それだとスライムは満足に分裂が出来ませんし、家の中で走り回れませんよ?」
『えー。それはやだなぁ…』
レンは擁護するスライムに感動したのだが、直ぐにマモンの言葉に言い負かされた。
自分のテイマーよりも分裂が優先なのか、この子。
それと家の中は走り回るもんじゃない。
少しだけ肩を竦め、レンは溜息交じりにスライムを見た。
スライムは、レン以上に困惑した表情だった。
「家の中で分裂するつもりだったの、スライム?」
『だってまおー様と遊ぶもん! 晴れの日も雨の日も!』
晴れの日は外で遊んで?
雨の人は家で大人しくしてて?
「ロイヤルが最適です! このくらいの広さと豪華さがないと、魔王様には相応しくはない!」
そう言って、最も高価な物件を私の顔に押し付けて来るマモン。
そのまま文字通り、パンフレットを押し付けて来る。
正直言って前が見えないし、息苦しい。
あと痛い、痛いよ?
華やかなロイヤル・ハウスの豪華さが頭の中に残りつつも、レンは深い溜息を吐いた。
目の前で繰り広げられているのは、まさに激闘の討論会である。
「ロイヤル・ハウスに住みましょう!」
マモンが再度言い張る。
力強い意志を込めた瞳が、レンを見つめていた。
どうして彼がこんなにも必死なんだろうか。
魔王様の為とは言え、忠誠心がヤバすぎる…とレンは苦笑する。
「ボク、ロイヤル・ハウスに住めばもっと強くなれるかも!」
スライムが彼の隣でピョンピョンと賛成の意を示し、無邪気な顔でレンに訴えかけている。
確かにこんな豪邸に住んだら、何かしら強化されそうな気もしなくはない。
『強くなれる』と言うのはハートか?
こっちのメンタルは既にボロボロだよ?
このままでは、本当に契約をしなければならないのだろうか。
確かに家はあった方がいいし、ロイヤル・ハウスは中でも一番素敵だった。
それは本当に解っている。
でも、やっぱりお金だ。
全てはお金である。
どれだけ騒がれても、買えないものは買えないのだ。
皆の言い分も解らない事もないが、現実を見て欲しいと、レンは誰よりも冷静に話し始める。
「あのね。どの家に住むにしても、お金が必要だって事は解ってる?」
「解ってるぞ?」
「えぇ、勿論です」
『ピカピカした奴だよねっ』
「そう。私は毎日小石拾いをしてるか、すっぴんボアの討伐をするくらいで、まとまったお金がないんだよ」
レンは当然の如く『お金が足りない』事を伝えるが、彼らの捉え方は三者三様だった。
魔王は『それで?』と首を傾げているし、マモンは『知ってますよ』とお茶を啜る。
スライムに至っては『そうなんだー?』と解ってるのか解ってないのか。
「では働きなさい。魔王様の為に、馬車馬の如く」
「えぇ…住むのが何年後になると思ってるの? しかもローンじゃなくて一括払いみたいだし」
パンフレットには、お支払いは『現金で即金のみ』とある。
この世界にコード決済なるものがあるかは知らないが、少なくとも今は現金が重要視されている。
しかも即金ときたもんだ。
「ローン…と言うものが解りかねますが、こういうものはポンッと出せるくらいの財力がなければ、住む価値がないと言う事でしょう」
「じゃあ、住む価値がないのでいいですぅ」
マモンにそう言われれば、自分はそれまでだった。
己の身の丈に合った生活水準であるべきである。
無理をしてはいけない。
例え魔王やスライムが、ソファの上をジタバタしようとも、可愛いからと言って頷いてはいけない…
「住みてーなぁ、ロイヤルー」
『ロイヤル―! 住もうー?』
「だから石拾いを6666日やったら買えるって」
「他にも出来る事はあるでしょう?」
「やだよ。恐いもん」
「あぁもうっ、この駄目人間が!」
石集めのクエストを6666日か…
考えただけで早くも気が遠くなりそうだ。
そんな事ををするくらいなら、もっと報酬の良い仕事を選びなさいなんてマモンは言う。
クエストなんてホント、私にはその日暮らしの賃金さえ賄えばいいと思ってるくらいだ。
「金があればいいのか?」
ふと、魔王が小首を傾げた。
その純粋でありながらも、圧倒的な魔王の威厳が漂う質問に、レンは暫く返答に迷った。
「…え、まあ…そうだけど」
少し悩んだレンは渋々頷く。
そう、お金さえあれば問題は解決する、筈――…
魔王は『そうか』と彼は小さな身体で両腕を組み、何かを思案している。
まさか本当に,
石拾いで稼ぐつもりなんだろうか。
やがてその眼が、マモンを見上げた。
その眼はキラキラとしていて、ひょっとしなくてもそれは『おねだり』である。
「マモン。オレ、ロイヤルに住みたい…」
「解りました」
マモンはすぐさま即答――そして、静かに立ち上がった。
「なら俺が出します」
先程までの熱い討論から一変し、彼はいつもの落ち着いた声でそう言った。
マモンはポケットから小さな袋を取り出して見せる。
ジャラジャラと、金属の様なものが擦れあう音がした――それは金貨だった。
「は…? な、何言ってるの?」
レンが驚きの声を上げると、マモンは得意げな顔で言葉を続ける。
「全ては魔王様が快適に過ごす為。魔王様が望むなら、どんな金額だって惜しみません」
その表情はいつもの冷静さがあり、決して勢いだけで口にしている訳ではない。
そしてその言葉には、彼の深い忠誠心が満ちていた。
「…強欲の悪魔って、お金の管理がしっかりしてるんじゃなかった?」
齧った程度の知識ではあるが、レンはそのようなイメージで記憶している。
レンがそう問いかけると、マモンは余裕の笑みを浮かべた。
「それは勿論。俺は強欲を司る悪魔ですから。しかし魔王様の為ならば話は別だ。俺はどんな事でも厭いませんよ」
驚きの眼で、レンは思わずマモンの顔を見た。
彼が『魔王様』に対して強く深い忠誠心を抱いているのは解っていたが、こうもあっさりと豪語する姿に驚きを隠せなかった。
魔王が絡むと、マモンは『強欲』でさえも『欲望』に買えてしまうのか…
「…マモンさん、そんな大金を使って大丈夫なの?」
レンが最後の抵抗を試みると、マモンはにっこりと笑った。
「えぇ、勿論です。ただし―ー」
しかし次の瞬間、マモンの表情が微妙に変わり、すぅっと氷の様に冷ややかな瞳がレンを見た。
「…ただし、これは『貸し』です。あくまで俺が出すと言うだけで『あげる』とは一言も言っていません」
そう言うとマモンは何処からともなく、つらつらと文字が書き込まれた、一枚の書類を取り出した。
「此処にサインして貰いましょうか」
「け、契約書…? まさか魂を刈り取るとか…!」
「誰が貴女の魂なんて要りますか」
ぼうっと彼の手の上に浮かび上がるそれは、ゆっくりとレンの手元へと降りて来る。
書類は、何処からどう見ても『契約書』と書かれ、其処には細かい字でぎっしりと条件並んでいた。
レンは驚きと疑念を抱きながら、その書類をじっくりと眼で追う。
其処に書かれていた内容は、想像を超える厳しさだった。
最初に数行には『お金を貸す事』に関する一般的な文面が並んでいるものの、次第にその内容がエスカレートしていく。
あと文章が長い
正直言って、内容が頭に入って来ない
やがてレンは、縋るような眼でマモンを見上げた
「何ですか?」
「せ、説明を…!」
「人間は愚かな生き物な上、字も読めないんですか?」
「細かすぎて頭が追い付かないんだよ…っ。こう言うのって説明の義務だとか、そう言うのありますよねっ!」
「はぁ…」
テーブルの上に借用書を投げるのを見て、マモンは小さく溜息を吐いた。
「――返済期限は厳守。遅延や滞納は一切認めず。もしも逃げようものなら、俺は世界の果てまで追いかけます。例えあの世に逃げたとしても…追いかける」
「何それ怖い」
マモンが指で、トントンと借用書の中の一節を指し示す。
「そして、最も大事なのは此処です」
マモンが特に強調した部分に、レンの眼が留まる。
「今後一切、魔王様に接触しない、干渉しない。そして魔王様に関わる一切の事を、強欲の悪魔であるマモン―ー俺に委ねる事。魔王様の全てを管理する権利を俺に譲渡する事を誓約せよ」
「は…?」
レンは眉を顰めながら、その契約書をを見て思わず声を出した。
その文面には、まさに彼の『私情』が詰まった要求が並んでいた。
これは最早、お金の貸し借りを超えた『悪魔の契約書』そのものだ。
レンは内心で『この人、やっぱり悪魔だったか』と、改めて思い知らされる。
「…これ、ちょっと私情が過ぎるんじゃない?」
呆れた声でそう言ったが、マモンは動じない。
「当然でしょう。魔王様の為ならばこの程度は安い物です」
「いや、でも一応私、テイマーだし。マオちゃんが居なくなったら面倒な事になるよ…? 最悪、あのギルドに殺されそう」
「マモンー。退屈は嫌だけど、面倒になるのはもっと嫌だっ!」
「…では、此方の条件については、少し緩和する事に致しましょう」
ほっと安堵したが、それでもマモンの私情を挟んだ契約内容である事には、変わりない。
「それで? こんなにも魔王様が望まれていると言うのに、貴女はまさか断るつもりで?」
冷静な表情のまま、マモンはレンの眼をじっと見つめる。
その瞳には、魔王への絶対的な忠誠と、レンに対する鋭い敵視の糸が込められている。
レンの眼がちらっと魔王を見たが、彼はコクコクとジュースを口にしていた。
話し合いはもう、マモンに全て任せていると言った様子だった。
「…くそぅ。どうしていつもこうなんだ」
溜息を吐き、スライムが期待に満ちた目を此方に見上げているのを感じながら、レンは意を決して契約書にサインする手を伸ばした。
やがて『ロイヤル・ハウス』の契約書にもサインを書くと、コンシェルジュは満面の笑みを讃えた。
…もう、どうにでもなれっ!!
〇月×日 晴れ
レンがロイヤル・ハウスを買った!
城に在るオレの部屋と同じくらいの広さだっ。
一人だと持て余していた空間も、人数が増えればとっても楽しい!
あと、マモンがオレの隣に自分の部屋を与えろって言い出して、レンが困ってた。
お読み頂きありがとうございました。




