E級テイマー、強欲の悪魔と出会う
レン達は、夜の宿屋で寛いでいた。
部屋の窓からは、穏やかな月明かり―ー今夜は三日月が差し込んでいた。
静かな時間が流れる中、突然ドアがノックされる音が響く。
―ーコンコンコン
誰かが来た。
それが宿屋の者ではない事は、何となく解った。
階下から、看板嬢の話し声が『聞こえる』からだ。
彼女が楽しそうに談笑する様子が眼に浮かぶ一方で、今、部屋の前に居る人物は一体誰なのかと眉を顰める。
それがウォルターやディーネと言った、知り合いの足音ではない事は何となくだが『解った』。
「誰か来たよー。出ないのー?」
不思議そうな顔でスライムが言う。
その様子に、彼が特に警戒する雰囲気はなかった。
「う、うん。そうだね」
考えすぎかもしれない…と、レンはドアを開ける。
其処には、黒い短髪に鋭い瞳を持つ男が立っていた。
彼は礼儀正しく一礼する――やはり知らない男の人だった。
「初めまして。マモンと申します。魔王様の配下です」
「…はいっ!?」
いきなりそんな事を宣うものだから、レンの口からは素っ頓狂な声が飛び出てしまった。
マモン…魔王の配下…?
よく見ると、男の耳は尖っている。
この世界に『エルフ』なんて言う種族が居るのかは解らないが、少なくとも『人間』ではないと言う事は窺い知れる。
彼は『魔王』の『配下』だから。
しかし彼は、此方の様子など構いもせず、更に言葉を続けた。
「此方に我が主がいらっしゃると存じますが――…」
マモンと名乗る男は冷静に見えたが、部屋の奥に目を向けた瞬間、彼の表情は一変した。
ベッドの上にちょこんと座っている、小さくなった魔王様。
――マオちゃんを見た瞬間、その表情は驚愕に固まった。
「あ。あぁぁ…っ!」
まるで、力が抜けたかのように膝からガクンと折れ、頭に手を当てながら項垂れていた。
「ど、どうして、ですか…っ」
茫然と呟く姿には、先程までの冷静さの欠片もない。
その声は震えており、目元には微かに、涙が浮かんでいるのが見て取れる。
眼差しは、彼に対する深い忠誠心と心配の色を物語っていた。
「どうして…魔王様がこのような姿に…!」
マモンは辛そうな表情を浮かべ、小さな魔王様に向かって震えた声で尋ねた。
「ようっ。マモン! 久しぶりだな!」
対して小さな魔王は、軽く手を上げるなりにぱっと笑った。
二人のこの温度差よ。
「おいたわしや魔王様…! 何故このような姿になってしまわれたのですか…! 愛らしい瞳にぷにぷにほっぺ! これではまるで子ども! もしかしなくても、あぁっ、子ども…! 俺は悲しいです…!」
「暑苦しいぞ? マモン」
そう嘆きながらも、しっかりと頬ずりをしている男、マモン―ー
その表情は、嘆きと言うよりも恍惚に近い何かがあった。
魔王はさもそれがいつもの事の様な、なんて事無い表情で素直な気持ちを口にした。
そんな様子を眺め、レンが少しだけ『いいな…』と羨望の眼差しで見ていたのは内緒である。
「それよりマモン、何しに来たんだ? お前が人間界に来るなんて珍しい」
人間界。
その言い方に首を傾げるものの、レンはその様子を静かに見守る。
暫く幸せなひと時を過ごしていた彼だったが、やがてはっとした様に魔王を見つめた。
「そうでした。俺としたことがーー」
咳払いし、彼はきりっと真面目な顔をして口を開く。
「魔王様、単刀直入に言います。今すぐ城へお戻りください」
「いやだぞ?」
「な、何故っ!?」
まさか断られると予想していなかったのか、マモンは酷く動揺した様子を見せた。
「お、お戻りください。城には山の様に書類が積まれ、貴方様を待っていますっ」
「だからいやだぞ。書類仕事なんて退屈だ。マモンが代わりにやってくれよ」
「その山の様な仕事を俺は既に四つ分はこなしたんですがね?」
「だから退屈なんだって。強い冒険者も全然来やしないし」
魔王はそう言いながら、椅子に座って小さな足をぷらぷらと揺らす。
しかし、一度断られたとてマモンは諦めなかった。
「我儘をっ! 配下である我々が、そう易々と冒険者を通すとお思いですか? 第一、城を出る事を許可した覚えはありませんよっ。いつの間にか居なくなるし!」
「勝手に抜けだしたらお前、怒るだろ? それにちゃんと書置きはしたぞ?」
「『ちょっと遊びに行ってくる! by 魔王』って何ですかっ! 仕事を放り出して!」
「書類仕事めんどくせー」
「その面倒な仕事が、さも同然の様に俺に回って来てるんですが」
「マモン、宜しくなー」
「ぐっ…」
圧倒的な力を持つ魔王様。
だが、目の前に居るのはまるで本当の子どもの様である。
可愛い…には違いない。
彼の心が大きく揺さぶられ、同時に打ちひしがれつつもマモンは拳を固く握り締めた。
「どうして魔王様がこんな駄々っ子に…見た目だけではなく、心も子どもになられたのですか」
…多分、小さくなっても何も変わってない。
少なくとも、レンが知る限りの『魔王』とはこんな感じだった。
だが、その彼も幼い口調を本来の『魔王』へと変えて行く。
笑顔だった表情が一変し、すぅっと紅い眼が細められる。
「帰らないぞ」
「魔王様っ!?」
「オレはレンと血分けをした」
「ち、血分け…ですって…!?」
その瞬間、マモンは頭を強く叩かれたような、酷いショックを受けていた。
大きく見開かれた眼は、動揺の余りか酷く揺れている。
「レンと言うのは、この人間の女の事、ですか…?」
「そうだ」
「な、な、な…何と言う事を…っ!」
魔王が小さくなっている事以上の衝撃に、マモンはその場で卒倒しそうになる気持ちを、しかしぐっと堪えた。
レンがセンジュの攻撃でその命を失いかけた時、魔王の『血分け』によって救われた。
身体の中に魔王の血が流れた事は、はっきりと感じられた。
彼の血が、私の深い傷を癒してくれた。
治癒院で目が覚めた時に朧気だった記憶も。
彼の唇の感触も…
今ではちゃんと思い出す事が出来る。
「何故!? どうしてそんな事したのですかっ! この女は『人間』なのですよっ!?」
マモンは、酷く動揺した様子で声を荒げた。
その異様なまで詰め寄るような彼の気迫に、レンは思わず圧倒された。
ただ『血を分け与えた』だけ、と言う意味合いだけでは終わらない様子が、其処にはある様に思えた。
「あの…血分けって、そんなにヤバい事なの?」
話を遮っていい物か迷ったが、レンはおずおずと聞いてみる。
マモンの厳しくも鋭い瞳が此方に向けられ、一瞬肩が震えた。
瞳の奥には酷く恨み、憎む感情がありありと浮かんでいる。
「えぇ『ヤバい』ですよ。ニンゲンが魔王様の力を手にするなど、言語道断!」
「力? 私が与えられたのは彼の血だけで…」
「ある日突然、何か優れた部分があると気付いた事は?」
「えっ…と…」
急な問いかけだった。
レンは眉を顰めて考えてみるものの、自分にはこれと言って優れた部分があるとは思えない。
「五感の内、何かが優れていると感じた事は?」
しかし、それが『五感』の中に限られる話であるのなら。
…一つだけある。
「…耳?」
レンがぽつりと呟けばマモンは目を細め、スッと何処かを指差した。
その方向には大きな窓があり、窓の外は夜の街並みが広がっている。
まだ眠る事のないその街は、ぽつぽつと街灯によって、街全体が温かな光に包みこまれているようだった。
「この方向に何が聞こえますか?」
「何って…」
「よく集中し、耳を澄ませてみて下さい」
耳を、澄ませるーー?
意識的に耳をそばだてたその瞬間、レンの耳にあらゆる音が洪水の様に流れ込んで来た。
宿屋の眼下を歩く足音、遠くで誰かが囁いているような声。
窓の外を通る風の音さえも――全てが異様に鮮明で、まるで目の前に起こっているかのようにクリアに聞こえる。
同じように事が、治癒院でも感じた事があった。
聞こえる筈のない位置にある、小川のせせらぎや草木の揺れる音。
スライムの笑い声だって確かにあの時、聞こえていたんだ。
「何…これ?」
レンは驚きと戸惑いに目を見開いた。
普段なら気にも留めないような音が、今はまるで、自分の感覚が鋭くなっているかのように感じた。
五感の一つ、聴覚だけではあるが、確かにいつもと何かが違う。
いや、本当は気付いていた。
その理由が何なのかまでは解らなかったのだ。
「ど、どうして…?」
「魔王様が血分けをしたからです」
「血分け…?」
「それが一時的なものか、それとも永久的なのか解りませんがね。何せ前例がない――魔王が人間に血を分け与えるなど…っ」
「い、要らないです。この力…」
レンの口からは、思わずそんな事を口走っていた。
「…はい?」
マモンが聞き返す。
「だから、要らないです…」
「魔王様が直々に分け与えた血を、貴女は『要らない』…と?」
「だ、だって…っ。こんな風に聞こえるようになっても…怖いだけでっ!」
身体の傷が治っただけではなく、聴覚までもが鋭くなるなんて『異常』である。
レンは、自分の身に起こる急な変化に、戸惑いを隠せなかった。
「最低ですね」
一切の感情を捨てたような無表情な顔で、マモンは言った。
このマモンと言う男はレンに対して、『憎悪』ような感情を抱いている。
冷たい眼をした彼を見た瞬間、またしても背筋が凍るのが解った。
「魔王様は何故、こんな馬鹿げた考えの人間をお救いになったのか…理解に苦しみます」
「マモン」
魔王が、静かに声を掛けた。
彼がマモンを見る眼は、その言葉を咎めているようだった。
「はいはい…」
「ご。ごめ、んなさい…マオちゃ…魔王様…っ」
レンの眼からは思わず涙が零れたが、魔王は何も言わなかった。
マモンの言う通りだと、レンは自分を『最低』だと感じていた。
其処に在る彼の『優しさ』を、私は蔑ろにしようとしたのだ。
「では、血分けの件はもう終わったものとして考えます。見たところ、この人間は助かったのでしょう? ならばもう、魔王様が此処に居る理由はない筈です、帰りましょう」
「オレはレンにテイムされた」
「は…っ!? 今、何と…!?」
「オレはレンに――」
「あああああっ!!! それ以上は仰らなくて結構ですっ! 俺の耳がおかしくなったと思ったのですが、聞き間違いではなかった…!!」
それ以上は聞きたくないとマモンは両耳を塞ぎ、必死に頭を振った。
「血分けのみならず、テイムされた…!? 貴方は魔王様ですよ、魔王様っ!」
「何度も言わずとも解っている。されたんだから仕方がない。オレの所為でもあるしな」
「仕方がないで済ませないで下さいっ!!」
苦悶の表情を浮かべ、マモンは『うー』だとか『あー』だとかを唸り、頭を抱えている。
いい加減、こいつも堪忍袋の緒が切れてしまうんじゃないかと。魔王は心配した。
「ただテイムされただけで、何故このような姿に…? それに姿だけでなく、魔王様のお力もまるで感じられなくなっている…」
その内『しかし…』や『だが…』なんて考えこむ様子も見られ、本当に百面相をしている。
それもちょっと面白いので、魔王はそのまま見ている事にした。
やがて何かに気付いた様に、マモンははっとした。
「其処の人間!」
「は、はいっ!?」
「テイマーランクは何ですか!? 勿論『S』ですよねっ!?」
「い、Eです…」
「E…っ!? ふ、ふふふ…驚きません…もう驚きませんとも…っ」
「いや、驚いてるじゃねーか」
マモンの身体はその場に膝を突き、口からはまるで魂が抜けようである。
同じ事を思っても、その言葉は今、魔王にしか言えなかった。
「通りで、魔王様がこの姿な筈です…その分だと、満足な魔力も蓄えられてないのではないですか?」
「その通りだな」
マモンは深くい溜息を吐く。
もう何を聞いても驚かないと言っていた彼だが、頭痛の悩みは絶えない様だ。
「はぁ…魔王様がテイムされたなんて、城の者が知ったら卒倒しますよ…」
「城の様子はどうだ?」
「魔王様が居なくなってから、毎日が殺し合いの連続ですよ。勇者パーティにやられるどころか、同族で殺し合うなんて馬鹿げています」
「そうか。やっぱり荒れるだろうなって思ってた!」
そして、いつのまにか『子ども』のように明るい口調で魔王は頷く。
その表情は、何処か嬉しそうに笑っているようにレンには見えた。
「今頃、魔王の座争いでもしてんだろ。オレはこんなだし」
「え。魔王の座って…マオちゃんが魔王なんでしょ?」
「マオちゃん…!?!?」
「レンがそう呼んでくれたんだ! 可愛いだろっ!?」
「えぇ、えぇ、そうですね…っ!」
とびっきりの笑顔で、魔王は笑う。
喜んでいいのか悲しんでいいのか、マモンの感情はもうぐちゃぐちゃである。
「はぁああああ…」
やがて、深い深い溜息を彼は吐いた。
全身に漂う哀愁、そして脱力感をひしひしと感じる。
マモンはふぅ、と息を整えて言った。
「人間!」
「は、はいっ!?」
キッと此方を向く顔が、それはもうとても怖かった。
「責任以て、魔王様を元の姿に戻しなさいっ!」
「えっ。戻すってどうやって…?」
「その『E』を『SSS』にしなさい!」
「いや、ランクはSまでで…」
「其処を何とかするのがテイマーでしょうっ!? 魔王様に見合う実力のテイマーでなければ、俺は許しませんっ!!」
何か怒られた。
許さないとどうなるかまでは考えたくもないし、知りたくもない。
しかし、此処で頷かなければ、マモンは結局、レンを許さないのだろうと思った。
「一先ず、魔王様は貴女の元にお預けします」
「おっ。戻らなくていいんだなっ?」
「そんな姿の魔王様を城に連れ戻す事は出来ません。はぁ…ホントに、次から次へと厄介事が…」
マモンの気苦労は絶えないらしい。
しかし、その元凶を作る一端を担った魔王はベッドから降りると、『ぽむっ』と膝をつくマモンの肩に手を置いた。
「頼りにしてるぞ、マモンっ」
「ま、魔王様…っ!」
自分が敬愛する魔王からそんな風に言われては、素直に喜ぶしかなかった。
血分けの件も、テイムされた件も、不本意ながら受け入れるしかない。
そして今日の所は、引き下がる他ないとマモンは思った。
「あぁ…魔王様のお召し物も、また考えなければですねぇ。お子様ジャージも可愛いんですが」
「これ、気に入ってるからなっ!」
「至極光栄です…!」
ぶわっと泣き出すマモンに、マオちゃんの服は全て彼が見立てている事実をレンは知った。
「人間に化ける為?」
「いいえ。馬鹿な魔王様だと悟られないように」
「一応聞くけど、貴方達の魔王なんだよね???」
―ー〇月×日 晴れ
今日から日記をつけるようにと、マモンが言った。
『俺も書くからお前も書け』なんて言ったら
『俺と交換日記ですか…!?』なんて言い出した。
なんだそれ、旨いのか?
氏名:レン・アマガミ
性別;女
年齢:18歳
職業:テイマー(F級→E級)Lv.15
スキル:テイム…魔物を手懐ける
パッシブ:『魔王の施し』…聴覚の上昇(常時)
『装備』
武器;ダガー
服:旅人の服
足:ブーツ
他;マント
『スライム』
種族:スライム(F→E)Lv.15
スキル:おくちてっぽう…おくちから何か出て攻撃する。(水・小石)
異空間収納…何処に繋がってるかスライムも解らない。
分裂…スライムを分裂させる。数は増えるが能力が僅かに落ちて行く。(上限数50匹)
偵察…スライムに情報収集をさせる
パッシブ:夢見る子供…『伝説のスライム』を夢見る無垢な心の持ち主。効果はなし。
『マオちゃん』
種族:魔王様(SSS→F)Lv.???
スキル:空間転移・攻撃魔法
パッシブ:封印されし魔王…『全ての能力低下・制限がかかる呪いが掛けられている』
お読み頂きありがとうございました。
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