C級大剣使い、ギルドマスターへ報告する
騒がしい――
そう思うのは、耳につく『音』が原因だった。
小鳥達がが囀る声がする。
それが一羽ならまだしも、二羽、三羽…親鳥を含めたら六羽も声が聞こえて来る。
意外と同じようで、一羽一羽も声質が違うんだな。
次に聞こえたのは、多くの人の声。
ガヤガヤと色んな声が混じり、まるでその場所は居酒屋の様に騒がしい。
飲んだくれでも居るんだろうか…と思うくらいに騒ぐ声に、思わず眉を顰める。
次に聞こえたのは、誰かの足音。
ゆっくりと歩くヒールの音もすれば、タッタッタと軽快なリズムで走ったりと。
人によって、そして履いている靴によって、その音は様々だった。
何処かでは、すっぴんボアがブモブモと鳴いている。
傍に流れる小川はサラサラと流れ、清らかなせせらぎを感じた。
木々の擦れる音。
その向こうには、小さなスライム達がピョンピョン、ピョンピョン。
草の葉を飛び跳ねては、今日も楽しそうに草原を駆け回っている。
きっとまた、新しい『冒険者』の訪れを期待したに違いない。
彼らの嬉しそうな声が、とてもよく聞こえた。
…音が、良く聞こえる――?
そう感じるのは、どうしてだろう。
聞こえるもの全てが、まるで自分の直ぐ傍に在るかのように、鮮明に音を拾う事が出来る。
そんなに私、耳が良かったっけ…
ふっと意識が戻って来るような、そんな感覚を覚えながら目を覚ました時、視界に飛び込んで来たのは白い天井。
宿屋ではない。
そう感じるのは、ふわりと鼻についた匂いが原因だった。
消毒液の様なツンとした匂いが、何処からか風に乗って流れて来ている。
その風に揺られて、白いレースカーテンがふわりと揺れていた。
「…病院?」
眠りから覚めたばかりの声は、水分が失われているのか掠れている。
それと同時に、ふと見上げる視界の端で、何かが動いた様な気配がした。
「…?」
ふと横を見ると、ベッドの傍に小さな子どもが座っている。
その子は、眼を閉じてスライムを抱き締めながら、私の傍で静かに眠っていた。
「誰…?」
その子供を見つめ、不思議な感覚に襲われた。
見知らぬ子どもの筈なのに、何処かで見た事がある様なーーそんな気がした。
特にその服装が、記憶に引っ掛かっていた。
碧のジャージを肩に掛け、黒いタンクトップにサンダルと言うスタイルは、あの魔王様とそっくりだった。
そっくりと言うよりも、まるで魔王様と同じ格好をしている。
魔王様は大人なのだが、彼が子供になったらこんな感じなのかな…
と、未だぼんやりする頭で、レンはそう考えていた。
「まさか、ね…」
軽く頭を振り、まさか彼がこんな子供になるはずが無いと思い直した。
だがその瞬間、子どもが眼を開け、此方に向かって無邪気な声で話しかけて来た。
「やっと目が覚めたんだな、レン」
その声は幼いが、何処か懐かしさを感じさせる響きがあった。
『ふぁ…っ』
すると、ぱちっとスライムの眼が覚めた。
『レン…!?』
彼は暫くの間、私と顔を見つめ合ったかと思うと、突然ぷるぷると体を震わせた。
「…スライム…?」
名を声に出せば、小さな眼からは涙が一杯に溢れる。
ボロボロと真っ白なシーツに染みを作っていた。
『うっ…うぅっ…よかったぁ…!』
『よかった』とは、一体どう言う事なのか。
顔を見た瞬間に泣かれるなんて思わなかったので、レンは少し戸惑ってしまう。
どれだけこの子は泣き虫なんだろうか。
安心させるようにして手を伸ばせば、腕には何か細い管の様なものがついていると、其処で漸く気付いた。
「何これ、点滴…?」
尿院で見るような医療器具がが、自分の腕にしっかりと固定されている。
その管の先を眼で追っていけば、予想通り点滴袋が機器ぶら下がっていた。
ぽた、ぽた、と一定の間隔で落ちて行くのを見て、私は漸く自分が何処に居るのかを知る。
―ー此処、治癒院…?
此処が街だとして、医療器具を虎使っているのは『治癒院』だけ。
『初心者狩り』に遭った時、私は此処で治療のお世話になったのだが、訪れたのはたった一回きり。
それ故に、直ぐには場所の把握が出来ないでいた。
病や傷を負った冒険者がお世話になる施設だと、私の頭は認識している。
だが、自分が此処に居ると言う事は、何かしらの理由で運ばれたーーと言う事なのか。
―ーぷにっ。
何かが、頬に触れた。
優しく、時に強く、ぐりぐりと、執拗に突いて来る。
突いているのは、先程見た子供だった。
「あの、痛いんだけど…?」
「起きたかっ?」
「起きてるってば…ボク、何処の子?」
レンがそう言うと、彼は何処かほっとした様子を見せた。
『うわあああんっ!!!』
「耳が痛い…」
泣き虫スライムが、体を摺り寄せて大泣きした。
耳元でそうも泣かれても、今は困惑した顔をする事しか出来ない。
その時、パタパタと部屋の外から誰かが近づく音が聞こえてきた。
その足音に反応すると、扉が開いて誰かが入って来る。
「どうしたんですか、スライムさんっ!? 騒いで無理にレンさんを起こしては駄目と、あれほど―ー…」
聞こえてきた声には覚えがあった。
やがて近付いて来る『彼女』の姿が、視界に入って来る。
其処に居たのは、僧侶の少女――ディーネだった。
「レンさん…!?」
ディーネは口元を両手で、スライム同様にポロポロと涙を流し始める。
時々漏れる嗚咽にも似た声は、彼女が必至に声を押し殺している事を示していた。
この短時間で誰かの涙を見るのは、二回目である。
「ディーネ、此処は…」
「治癒院ですっ! レンさん…目が覚めたんですね…っ。お身体は大丈夫ですかっ!?」
「身体…? あいたたた…」
言われて、ゆっくりと体を起こそうとすれば、腰や背中が酷く痛い。
「お、起きられるんですかっ!?」
「え? うん…身体は痛いけどね。寝すぎたって言うくらいに、凝り固まってる感じ、かな…?」
多少の倦怠感があるくらいで、動けないと言うほどではなかった。
筋肉を解すように、肩やそして首をぐるりと回せば、身体の骨がポキリと音を鳴らす。
「そんな…」
私の様子を見て、ディーネは信じられないと言った顔をしていた。
だがすぐに、彼女ははっとしたように、扉へと走り出す。
「そ、そうだっ。わたし、人を呼んできます!」
「えっ、ディーネ?」
バタバタと部屋の外を駆けて行く足音に、誰かが『お静かに!』なんて咎める声がした。
◇◆◇
『執務室』と書かれた扉の前に立つ。
既にこの時点でもう億劫だと、ウォルターは静かに息を吐いた。
扉の向こうでは『彼女』が自分の報告を待っている。
報告を上げなければ、後々面倒だと言う事は、彼自身がとてもよく理解していた。
ーーコンコン、コン
少しだけ不規則な叩き方で、扉をノックする。
すると直ぐに『入れ』と中から声がした。
ウォルターは、重い足取りで彼女の執務室に入る。
報告する内容は重要だが、頭の中にはまだ、整理しきれない事実が渦巻いていた。
執務室には、分厚い木の机と整理された地図や書類が、所狭しと並べられている。
壁面には重厚な本棚があり、其処には各地から得た情報や、所属しているギルド『クロス・クラウン』の歴史なんかが詰まっていた。
「報告を聞こうか」
机の向こう側で、紅い煙管を咥えた彼女――フィオナは、堂々とした声でそう言った。
フィオナの鋭い眼差しが、既にウォルターの心の奥底を見透かしているようだった。
「それで?」
フィオナが静かに口を開く。
「漸くお前の傷が治ったんだ。センジュと遭遇したって話、ちゃんと聞かせて貰おうか」
「あぁ…」
ウォルターは頷く。
彼女が『報告』を今日まで待っていたのは、自分が深い傷を負っていたからだと言う事を知っていた。
そんな状態で報告なんて出来る筈もないと言うのが、普通の人間の考えだが、フィオナは違う。
ボロボロになって運ばれた自分の元に駆け付けた彼女が、開口一番に言った言葉。
―-それは心配ではなく、『報告』と言う名の無慈悲だった。
正直、自身で延命にスキルを施していなければ、命の危険すら感じる状態だったのに、こいつは…
報告よりも先にするべきことはあるだろう――
流石に癒師の彼も『治療が済んでから』と言う理由で、面会を拒絶する対応を取ってくれた。
そうまでしなければ、彼女は執拗に報告をせがんで来るからだ。
とは言え、フィオナが其処まで報告を望むのには訳がある。
「――センジュは手強かった。無数の剣を操るその姿は、まるで狂気の権化だった。だが…何とか、倒せたんだ」
フィオナはウォルターの様子を観察しながらも、問い掛ける。
「それだけ? 他に何か隠してるでしょう」
ウォルターの手が一瞬固まり、無意識に拳を握り締める。
その質問は予想していたが、何をどう伝えるべきかまだ解らない。
「いや、隠してる訳じゃない。ただ…」
そう言って言葉を濁しながら、視線を彼女から外した。
「俺達を助けてくれた存在があって、だな…」
「助けてくれた? それは誰なんだ。お前が其処まで言い淀むとは、相当の事だろう…まさか報告書に在る『スライム』だとか言わないだろうな?」
彼女への報告は、ウォルターが自ら報告するよりも早く書類として纏め上げられている。
それは、彼からの要請を受けたフィオナが送り込んだ、応援部隊からによるものだ
ダンジョン攻略に踏み入れた、ウォルター達を救うべく辿り着いた、彼らが見たあの日の記録である。
「…」
「ウォルター? まさかそんな馬鹿な話が―ー」
「いや、スライムじゃない」
「では誰だ」
フィオナは、彼の様子を観察しながらも問い掛ける。
「あの時その場に居たのは、お前とF級の冒険者が二人。スライムが一匹と、それから―ー子どもだけ」
トンと、彼女の細い指先が報告書を叩く。
其処には、彼女の言う通り『子ども』と言う存在があった。
ウォルターの喉が詰まる。
「…自分が見た光景が夢か幻か、それとも現実か、俺も未だに解らない」
「だから、誰だったのかと聞いている!」
「…魔王だ」
絞り出すように言葉が出た。
だが、直ぐに続ける事が出来ない。
自分自身から発せられたその言葉が、何か恐ろしく重いものに感じられたからだ。
「魔王…?」
フィオナが低い声で呟く。
「冗談を言ってるのか? どうしてお前の前に、そんな存在が現れる?」
「俺にも解らない!」
「ウォルター…?」
フィオナは一瞬、何かを考える様に黙り込んだ。
だが、その間も彼女の眼はウォルターから離れず、次の言葉を待っている。
ウォルターは少し声を荒げたが、直ぐに落ち着きを取り戻し、深呼吸をした。
「ただ、信じたくないんだ。信じられないんだよ。どうして魔王が俺達を…いや、彼女を助ける理由ががあるんだ? そんなことあり得ないだろ?」
「待て。今『助ける』と…そう言ったのか?」
「そうだ」
「…今度は目を逸らさないんだな。言いにくい事は直ぐに逸らす癖に」
長い付き合いだからこそ、彼女にはそれが『本当』だと解ったようだった。
「魔王が人間を助けるなんて事、聞いた事がない」
「だが実際に、それが俺の目の前で起こった事だ」
「貴方が夢を見ていた、と言う可能性は?」
「同じ夢を、ディーネも見ていたと言いたいのか?」
「そのディーネって子は知らないわ。何が遭ったのかを聞いても、ボロボロに泣いてて話にならなかったから」
その冷たい物言いに、ウォルターは顔を顰める。
「…少しは気持ちを汲んでやれ。目の前で人が死にかけてたんだぞ」
「そうらしいわね。でも、実際に死にかけてたのは貴方の方…そうよね、ウォルター?」
「魔王が彼女の傷を癒した、…と思う」
「あり得ない、あり得ないわ…だって魔王なのよっ?」
深い溜息を吐いて、フィオナは頭を振る。
一旦気を落ち着かせようと煙管を口にし、煙を吸い込んだ。
彼女は少し間沈黙を保ち、遠い眼をしている。
「魔王がセンジュを倒してテイマーの少女を救った。そうだな?」
「…」
「ウォルター?」
「あ、あぁ…そうだ」
ウォルターの様子に何か違和感を感じたが、それを口にする事はなかった。
一方でウォルターの脳裏には、魔王がセンジュを倒した瞬間を目撃した、あの日の記憶が蘇っていた。
センジュの剣の雨を余裕で躱す魔王。
その後にレンを救ったシーンが、脳裏に焼き付いている。
「そのレンと言う冒険者が、例の『テイマー』なの?」
「そうだ」
「では、その魔王を彼女がテイムした…なんて事は?」
「それこそ『あり得ない』だろう。彼女はF級だぞ」
「えぇ、そうね。となると『何故、魔王がF級のテイマーを助けたか?』に疑問は尽きる…魔王はその後、どうしたんだ?」」
するとウォルターの表情は硬く、眉間に皺を寄せて考え込んでいる様だった。
そう言う時は大抵、また余計な事を考えていると、昔からの幼馴染である彼女は知っている。
「魔王は、小さな子どもになった」
「…は? 小さな子ども? 」
フィオナは眉を顰めてから、ゆっくりと眼を細めて報告書を見る。
報告書には、確かに『子ども』と書かれていた。
「まさか、この子どもが『そう』だと言いたいのか」
「…あぁ」
「魔王がセンジュを倒し、テイマーを助け、子どもになった…? 馬鹿馬鹿しいっ。それこそ『あり得ない』だ!」
「しかし、こんな与太話をお前は、信じてくれるんだろう…フィオナ」
ウォルターが囁くように言うと、フィオナは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「…っ。お前が信じられない事を、アタシに押し付けるな。見た事が現実なら、それを受け入れるしかない」
ウォルターは拳を固く握りしめたまま、しかし、フィオナの言葉に頷く事が出来なかった。
目の前で起きた事、それを信じる事が、彼の心を揺るがしていた。
その時、執務室の外から騒がしい声が聞こえて来た。
ウォルターはその声に耳を傾け、直ぐに誰叫んでいるか理解した。
「ディーネ…?」
『ウォルターさんっ! 何処ですか、ウォルターさんっ!』
『困りますっ。隊長は今、会議中で――』
『離して下さいっ! ウォルターさんに会わせて…っ!!』
その声に混じって、誰かが彼女を制止しているのも聞こえる。
「どうやら、何か遭った様だな」
「あぁ」
執務室の扉を開けると、少し離れた所で、ディーネが強引に抑え込まれている様子が見えた。
「どうした?」
「す、すみません隊長! すぐに追い出します!」
「ウォルターさんっ!」
フィオナが一瞬、困惑したような視線をウォルターに送る。
そして彼は小さく溜息を吐き、落ち着いた声で言った。
「止めなくていい。離してやれ」
「は…? わ、解りましたっ」
拘束が解かれると、ディーネは涙ぐんだ目で駆け寄って来た。
彼女は明らかに混乱しており、何か大きなニュースを伝えようと、息を切らせていた。
「ウォルターさん! あのっ、あのっ…!」
「落ち着いて話せ。どうしたんだ?」
涙が零れて頬が伝う。
その姿に、『あの日』同じように泣いている――と、ウォルターは思った。
「レンさん…レンさんが…目を覚ましたんです…っ!」
彼女は泣きじゃくり名がその一言を絞り出すと、両手で顔を覆った。
ウォルターはその言葉に目を見開き、フィオナもまた意外そうな表情を浮かべた。
「目を覚ました…本当か?」
ウォルターが静かに声を掛ける。
ディーネは大きく頷き、何度も涙を涙を拭いた。
「はい…でも、急いで来て下さい。彼女の様子が変なんです…!」
「解った、行こう」
ウォルターは、直ぐに行動に移ろうと、ディーネに向かって声を掛けた。
お読み頂きありがとうございました。




