再誕
身体が酷く寒さを感じる。
身体中の力が抜け落ちたかのように、レンの身体はピクリとも動かない。
いつか見た、自分の『最期』の瞬間。
それを二度も追体験するなんて、想いもしなかった。
ーー死が、直ぐ傍にまで迫っている事を悟った。
「…ま、お…さま…」
か細い声は、彼に聞こえているかどうか、解らなかった。
魔王様は答えず、私をじっと見下ろす。
眼が霞み、ぼんやりとしか見えない――だが、彼の表情はまだ解る距離だ。
魔王の紅い瞳は無機質で、哀しみも怒りですらもない。
其処には、何の感情も籠っていなかった。
『楽しそうだなっ!』なんて笑う、子供の様な無邪気さの欠片もない。
ただただ、無表情にレンを見下ろしているだけだった。
ズシン…!
大きな音がした。
激しい振動と揺れが、石畳の床を通して身体中に伝わって行く。
片足の砕けた敵――センジュは、もう片方の足を軸にし、無数の剣を支えにして、今まさに立ち上がろうとしていた。
『…コ、ココ…コロス…ニンゲン、…ス、スベテ…』
「人間の武器を手にした魔物、か」
僅かに振り返る魔王
「一体、どれだけの人間の血肉を喰らった?」
センジュの手に握られている数々の武器は、かつて冒険者だった者達の所有物。
人間を手に掛け、喰らい、武器を得る度に、センジュはどんどん強くなっていた。
『…コロス、…コロス…スベテ…!』
魔王はセンジュの前に立つと、その姿勢には微塵の恐れも見えなかった。
周囲の空気が張り詰め、無数の剣が次々と、魔王に向かって襲い掛かる。
だが、彼はその攻撃をまるで遊びの様に、軽々と避けていた。
剣が風を切って空中を舞う中、彼は涼しい顔で一歩ずつ進んで行く。
剣の雨が四方八方から襲い掛かる度に、彼の動きはまるで風の様に軽やかだった。
彼の眼には、迫りくる無数の剣も、ただの『障害物』に過ぎないように映っているかのようだ。
どれほど強力な一撃であろうと、魔王には全く届かなかった。
「こんなものか?」
口元に薄い笑みを浮かべる。
まるでセンジュの猛攻を楽しむかのように、わざと一歩ずつその威圧的な攻撃の中を歩んで行く。
「ウゴ、…グガアアア!!」
その動きに焦りを見せたのか、センジュは更に猛攻を仕掛けて来る。
数十本もの剣が一斉に魔王を狙い、嵐の様に襲い掛かる。
しかし、その攻撃もまた、全く無意味だった。
彼は瞬時に身を翻し、次の瞬間にはその剣の中をすり抜ける様にして、更に近付いていた。
「…仲間、じゃ…ないの…? げほっ…っ」
レンは痛みに苦しみながら、懸命に呼吸を整えていた。
魔王様を相手に、センジュが攻撃を仕掛けている。
その光景を目の当たりにし、頭は酷く混乱していた。
「レ、レンさん…っ。だ、大丈夫ですか!!」
その時、戦いの最中にディーネが駆け寄って来た。
「ディー。ネ…?」
「回復しますっ!! 喋らないで下さいっ!!!」
回復を懸命にかける、彼女の声。
眼には涙が溜まっていた。
「… ど、して…ウォ、ル…ターは…?」
「『自分は大丈夫だから』って!!! だからお願いです、もう喋らないで…っ!!!」
ディーネの悲痛な叫び声を聞いた。
温かい蒼色の光が、レンの身体を包み込むのが解った。
「ふん。哀れだな…」
魔王様の眼は冷たく光っていた。
センジュは、攻撃の手を止める事無く、ひたすら彼を殺そうとしている。
それが、魔王である彼に対する敬意すらも、失っている事を示していた。
「理性を失い、狩るべき敵をを誤った…本当に哀れな魔物だ」
魔王の声は冷ややかで、その言葉は千手に届いているかどうかさえ解らない。
センジュは、最早目の前に立つ『魔王』を、認識していないかのようだった。
その無数の腕が乱れ、次々と剣を振り下ろす様子は、狂気に駆られた存在そのものだった。
「我を忘れ、ただ本能に従って斬る事しか出来ない――か」
魔王は小さく嘆息を漏らし、振り返りもせずに手を軽く上げた。
その瞬間、空間が歪み、センジュの攻撃は、その流れに合わせて止まるように見えた。
しかし、それは錯覚ではない。
魔王の圧倒的な魔力の前に、センジュの猛攻すら無意味となり、彼の前ではただの無力なもがき過ぎなかった。
「忘れたか? お前が誰に刃を向けているのか…」
その言葉に反応する様に、センジュの動きが一瞬止まった。
手にした無数の剣を掲げたまま、まるで彼の存在を今になって認識したかのように、僅かに後退する気配を見せる。
『…グ、ガガ…ウゴ…コロ、ス…ニン、ゲン…コロス、コロス…!!』
だが、次の瞬間、再び狂ったように剣を振り回し始めた。
その動きはさらに荒々しく、最早理性の欠片もない。
「…なら、終わらせてやる」
魔王は、センジュが完全に本能だけで動いている事を理解し、その存在を哀れむ様に呟いた。
ゆっくりと手を伸ばし、何かを掴むかのように空中で指を曲げた。
すると、周囲の空気が震え、センジュの無数の腕が一斉に固まった。
彼の魔力が周囲に満ちると、センジュの手から剣が一本、また一本と、宙に浮かんで離されて行く。
やがて全ての剣が離れた。
――刃の矛先が、全て『センジュ』に向いている。
そして静かに彼が伸ばしていた手を、ぐっと握りしめる。
その瞬間―-
センジュの全身には、無数の剣が突き刺さっていた。
『ギャアアアアアアア!!!』
センジュの体は、ありとあらゆる方向から貫いた剣によってひび割れる。
まるで、志半ばで地に伏した、かつて冒険者だった者達の怨念。
嘆きが、魂が籠められた、恨みの一撃の様だった。
センジュの手は、まるで人形の糸が切れたかのように垂れ下がり、その巨体が、手が、膝が、足が、顔が、崩れ始める――
『――マ、…マオウ、サマ…!!』
「…やはり、哀れだな。最期の最期に思い出すとは」
魔王は冷たくそう言うと、振り返る事なく立ち去った。
◇◆◇
「魔王…だと…っ?」
ウォルターは、深い傷を負いながらもその場に座り込み、息も荒くその光景を見つめていた。
突然現れたセンジュ。
そして謎の男の姿に、困惑した。
『魔王様』と呼ばれていたその男は、強大な魔力を持っていると、その強さを肌でひしひしと感じた。
手が震え、大剣を持つ事すらままならないと気付いたのは、センジュが消滅をした後の事。
…何処かで、見た事がある。
『魔王』と言う訳ではない。
もっと別の、何処かで…
俺は、あの男を見た事がある。
ふと、記憶の片隅に残る『姿』
しかし、直ぐにはそれを思い出す事が出来なかった。
「レンさんっ!!」
「…っ。レン…ッ」
ディーネの叫び声が聞こえた。
まだだ、まだ終わっていない…
センジュを倒しても、全てが終わった訳じゃなかった。
ウォルターは身体中の痛みを押しながら、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。
この戦いで、レンが負傷した。
血が沢山流れている。
己のスキルを駆使しても、完全に護れた訳ではなかった。
非常に危険な状態だと言う事は、誰の眼から見ても明らかだった。
ディーネの『F級スキル』では買い括量は愚か、速度も追いつかないだろう。
彼女の命を繋ぎ止める事は、まず難しい。
一刻も早く、街に戻って治癒院へ駈け込むべきだ。
だが、そんな時間に余裕はない。
どうやって?
この状態で誰が運べるんだ?
ディーネ一人がレンを支え、あの道を街まで戻るのは、絶対に不可能だった。
かと言って、自分の身体も満足には動かせない。
せいぜい、失った体力の自然回復に努め、出血を抑える事に集中するしか出来なかった。
「…きこ、えるか…フィオナ…」
懐に入れていた『通信機』を起動し、語り掛ける。
『―-ウォルター? 貴方、今何処に…」
相手が直ぐに応答したのを確認し、ほっと安堵の息を漏らした。
「…頼む…直ぐに、応援を…」
其処まで言い残して、手からするりと通信機が零れ落ちる。
ぐらりと頭が揺れた…酷い倦怠感だった。
「く…そ…っ」
そのまま、抗えない痛みに目を閉じるしかなかった。
――だが、『あいつ』なら直ぐに来てくれる。
そうウォルターは信じていた。
◇◆◇
「レンさんっ! どうして…っ、回復してるのに…っ!!」
ディーネもまた焦っていた。
目の前で彼女が倒れている。
懸命に『回復』を施しても、傷が治らない。
血は流れ続け、彼女の顔が、ますます青白くなっていく。
ウォルターさんも、レンさんも、酷い傷を受けてしまった。
わたしの回復や補助がもっとレベル高ければ、きっとこんな風にはならなかったかも知れない。
二人が安心して、戦いに臨めたかも知れない。
わたしが、おばあちゃんのようなヒーラーだったら、よかったのに…っ
願った所で、彼女の傷が塞がる筈はなかった。
『お守り』として持っていたペンダントは、あくまで術者を護るアイテムだ。
その『癒しの力』を彼女に使う事は、到底不可能だった。
だから、わたしが頑張らないといけない。
私が、やらなきゃいけない…のに…
「うっ…うっ…ヒール…っ。お願い…ヒールっ!!」
それなのに、想いとは裏腹に、わたしのMPはどんどん消費していく一方で。
そしてついには、それも枯渇してしまった。
「レンさん…っ」
こんなところ、来て貰うべきじゃなかった。
まさか、こんな事になるなんて思わなかったから…
彼女に結わえて貰った髪が、大きく揺れる。
優しい人だった。
お母さんみたいだって言ったら、困った顔をされて慌てた。
始めて、わたしを『頼りにしてる』と言ってくれた人だった。
それが、とても嬉しかった。
まだ短い間だけど、出会えて本当に良かったと思っている。
それなのに、彼女の命を終わりにしたくはなかった。
「どうしたらいいの、…おばあちゃん…っ」
泣き叫んでも、誰も助けてくれない――
◇◆◇
ディーネの回復が、徐々に消えて行くのが解った。
どう足掻いても治せないと、悟ったのかも知れない。
懸命に治療を施してくれた彼女に、せめて『ありがとう』と声を掛けたかったが…その体力すら自分位は残ってない様だ。
彼女のお陰で、死に瀕していた命が、ほんの少しだけ延びただけ。
だが、センジュが倒されるのを見届ける事が出来たのは、良かったと思う。
…これで、『皆は』街に戻れる。
そう、安堵したからだ。
ひゅー、ひゅー、と口から洩れる呼吸。
肺は正常に機能していなかった。
あとどれくらい、私は意識を保っていられるだろうか…
眼を閉じれば、もう二度と眼が開いてくれないような、そんな気さえした。
「…はっ…はぁっ…」
「お前は、此処で死ぬのか?」
もう一度、魔王様が質問を投げかける。
「…っ」
死にたい訳じゃない。
寧ろ、生きていたい…
でも、こんな傷でどうしろと言うのか。
身体から抜け落ちる血が、どんどん抜けて行くの。
私は、此処で、死ぬ――
願えば、それは誰かが叶えてくれるのか。
願えば、私はまた、何処かの異世界に転生する事が出来るのか。
そんな事、カミサマにしか、解らないのに…
その瞬間、眼からは涙が溢れた。
「…く…ない…っ」
絞り出した言葉は掠れて、音になっていたかも解らない。
「何だ」
「…しに、たく…な、い…っ!」
けれど、魔王様の耳には確かに届いている…
そう、思いたかった。
「―-…そうか」
小さく呟いた魔王様は、何故か悲しい顔をしていた。
『お前は、オレを殺してくれるか…?』
あの日、夕暮れに見たのと同じだった。
どうしてそんな顔をするのか、私には解らない。
その瞳に隠された悲しみに、理由を知るのは、余りにも時間が足りなかった。
「どけ」
「ひっ…」
ディーネを見下ろす彼の眼が、とても冷たかった。
萎縮し、ガタガタと震える彼女は、一歩だけその身を引いた。
魔王様は無言で膝元に屈み、私の顎に手を当てて、軽く顔を上げさせた。
自身で噛んだであろう唇からは、彼の瞳と同じ紅い血が流れた。
「…ま、お…さま…」
「黙っていろ」
魔王様の言葉が鋭く響く。
「――絶望なんて、してたまるか」
その言葉を聞いた瞬間、静かに唇へ、魔王様は自らの唇を重ねた。
…力の抜けた自分には、逃げる事も、それを拒む事も出来なかった。
瞳が交差する瞬間が、とてもゆっくりに思えた。
冷たさと同時に、温かい『何か』が自分の中に流れ込んで来るのを、私はぼんやりとした頭で感じ取っていた。
「…は…っ」
息が、ますます苦しくなって行く。
空気を求めて身を捩ろうにも、それは逃げられよう、絡めて、捉えて、離さなかった。
鉄の味が口内に広がり、それが熱を持ったように熱く、鼓動が早くなる。
驚きに目を見開いた時には、思わず魔王の『血』を飲み込んでいた。
まるで身体全体に流れ込む炎のような感覚が襲い、喉を通って全身を駆け巡って行く。
壊れかけた命が、少しずつ繋ぎ止めて行くようにさえ感じられた。
傷がゆっくりと塞がり、割れた骨も、切れた筋肉も――
少しずつ、少しずつだが、確実に安定していった。
まるで時間を巻き戻すかのように、全てが戻って行く。
急激な身体の変化に、私の意識はついぞ意識を手放していた。
「死ぬな」
そう言ったのは誰だったか。
スライムに出会った。
ぷにぷに、もちもち、可愛い子だった。
初めてクエストをこなした。
あの時の喜びは忘れない。
ウォルターに出会った。
優しくて頼りがいのある人だった。
魔王様の眼に哀しみを見た。
次に聞かれたら、どう答えるのが正解なのだろう。
初心者狩りに遭った。
魔王様が助けてくれた…ありがとうと言えなくてごめん。
ディーネに出会った。
おばあちゃん想いの、心優しい少女だった。
異世界に来て、いろんな出来事を経験した。
想い出が、走馬灯が、駆け巡っていく。
『いつか必ず、また貴方の元に還るから』
『その時は、貴方をテイムしてもいいかしら…?』
…誰かの声を聞いた。
もう一度、生まれ変われるなら。
もう一度、貴方と共に旅がしたいーー
だから。
「わたしは あなたを テイムする…」
第1章 再誕 ~完~
この度は『〇〇テイマー冒険記 ~最弱と最強のトリニティ~』をお読み頂きありがとうございます。
今回を持ちまして、第1章 再誕 篇 が完結致しました。
読者の皆様、そして執筆を支えてくれた方々には、心から感謝しています。
この物語は主人公・レンが、スライム、魔王、そして人間の仲間達との絆を描いたストーリーになっております。
旅を通じて仲間との関係を築き、それぞれが抱える『テーマ』に向き合い、成長して行く姿を描きたい思い、この作品を作り始めました
登場人物についてや世界設定等、まだ曖昧な部分はありますが、物語を書き進めながら徐々に固めております。
拙い文章の作品ではありますが、旅路の中でレン達が成長して行く物語を、少しでも感じて頂けたら嬉しいです。
今後も引き続き物語は進みますので、どうぞ応援のほどよろしくお願い致します。
このお話を読んだ感想もお待ちしております。
第2章も是非、お楽しみ下さい!
紫燐




