F級テイマー、僧侶の叫びを聞く
ぺたっと何かが顔に張り付いたような感覚に、うっすらと眼を開ける。
視界一杯に広がる何かに、これは何なのかーーと、レンは考えていた。
『おーきーてー』
「…スライムか」
顔の直ぐ傍で、スライムの声がした。
私の顔に張り付いていたのはスライムの体。
どうやら私を起こしてくれたらしい。
スライムの行動は、レンが余りにも起きない時の手段だ。
いつまでも寝ていた私を心配し、しかし寝かせてあげたいと言う優しい気持ちがぶつかって、ズルズルと時間だけが経過。
それならいっそ、もう起こしてくれていいと言ったら、毎朝こうして起こしてくれるようになった。
一種の目覚まし時計…いや、目覚ましスライムである。
――有り難いけど、やっぱり吃驚するな。
気怠い体をゆっくりと起こしても、まだ頭がぼーっとしている。
「朝…?」
『おなかすいたねー』
「そうだね」
朝に強い訳ではない。
どちらかと言うと、弱い。
欠伸を噛み殺し、乱れた髪を手櫛で整えると、テントの外へ出た。
昇ったばかりの太陽が、徐々に木々の隙間から日光を照らし、眩しさに目を細める。
朝の森はとても静かで、澄んだ空気を肺一杯に吸い込むと、清々しい気分だった。
野営で迎える朝も悪くはない。
そう思うくらいに、昨夜は静かで、ぐっすり眠れていたと思う。
魔物や動物の襲撃があった様子もない。
「おはよう、レン」
「おはよう。昨夜はお疲れ様」
「あぁ」
それもウォルターが、見張りをしてくれたおかげである。
「ディーネは?」
「まだ寝てるんだろう。先に飯の準備をしておくから、顔を洗ってくるといい」
「えぇ。そうする」
そう言えば、少し離れた場所で小川が流れていた。
其処で顔を洗う事にしよう、きっと目も覚める筈だ。
細く流れる小川の水で、バシャバシャと顔を数回洗った。
冷たい水が顔を軽く刺激すると、あっという間に眠気が吹き飛んだ。
今日も頑張ろう。
山を一つ越えた先に、目的のダンジョンはある。
正直、山登りは大変そうだが、泣き言は言ってられなかった。
唯一の救いは、この身体が若く、体力がある事だろうか。
昔の自分だったら、山登りどころか、毎朝のお通勤ラッシュでもうくたくたになる。
「おっ、おはようございます、レンさん…!」
その時、後ろからディーネの声がした。
彼女も起きてきたようで、慌てた様子で頭を下げる。
「ディーネ、おは、よう…」
「すみませんっ。わたし、朝寝坊したみたいで…!」
朝寝坊なんて言う時間帯ではないと思うから、其処は心配しなくていい。
寧ろ心配するのは、ディーネのぴょんとあちこちに跳ねた寝ぐせの方だった。
「寝ぐせ…ついてるよ?」
「ああああっ!? やだ、わたしったら、もうっ…!」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、彼女は慌てた様子で髪を整えた。
「い、いつもはちゃんとしてるんですよっ。今日はおばあちゃんが居ないから、それで…っ」
「おばあちゃんに手伝って貰ってるんだね、身支度」
ディーネの髪は長く、二つに分けて括っている。
昨日はきちんと出来ていた印象だが、今日はそれが雑に結ばれ、見た目のバランスも悪い。
「うう…そうなんです…っ。実は髪も、ろくに一人で結べなくて…」
「それは…大変ね」
その理由を聞けば、答えは納得だった。
もしかして…ちょっと不器用な子?
・
レンの隣で同じように顔を洗う彼女は、水面に映る自分の姿に困ったように眉を顰めている。
髪の結びをやり直そうとしているんだろう。
するすると髪紐を解くと、ふわりと柔らかな髪が肩を撫でた。
「…髪、良かったらやろうか?」
「えっ」
「私でよければ、だけど」
「いいんですかっ。お願いします!」
ぱぁっと表情を明るくした彼女は、笑顔で私に背を向けた。
二本の髪紐を渡され、手櫛で少し流れを整える。
今此処に、櫛やブラシなんかがあれば、もっと綺麗に整える事が出来ただろう。
こう言うところもまた、準備不足だと思った。
私も髪は肩まであるのだが、彼女の様に括れるほどではなく、ギリギリで結べるくらい。
せいぜい、きちんとやってハーフアップが限界だろう。
髪を伸ばしていた時期もあったが、美容院に行く暇がなく、手入れを怠る事が多かったので、思い切って切ってしまった。
「うふふ…」
「え、何?」
「何だかレンさんがお母さんみたいだなって…」
「…お姉さんじゃなくて?」
ディーネは私よりも背が低い。
彼女の方が年下なのは間違いないが、詳しい年齢なんかは知らなかった。
女の子に年齢を聞くのは――とも思ったけれど、別に女同士だからいいか。
「えぇと。ディーネは今、幾つ?」
「14歳です」
「14…」
見た目年齢的には18歳だが、実際の所は35歳。
彼女の様に年頃の娘を持っている年齢でも、まあ、おかしくはないが…私は子持ちでもなければ、ディーネのお母さんでもない。
「若いなぁ」
「レ、レンさんも若いじゃないですかっ」
「いや、14歳に言われてもね?」
そうか、ディーネには私がお姉さんではなく、お母さんに見えるのか…
何だかショックだ。
それって私が老けてるって言いたいんだよね?
「わたし、両親が居ないんです。生まれてすぐ、おばあちゃんに育てられたので…だから、お母さんが居たら、こんな感じなのかなって」
「…」
つい、髪を結う手が止まった。
彼女のそんな境遇を聞くと、怒るに怒れなくなってしまったな…
「す、すみません。お母さんなんて失礼ですよねっ」
「いや…お母さんでもいいよ、うん」
「そうですか…よかった、ふふっ」
髪紐を使って結わえるのには、ちょっと苦労した。
次にやってあげる機会があれば、もう少し上手く出来る様に頑張ろうと思う。
「ありがとうございます、レンさん!」
しかしディーネは、均等に分けられた二つの髪を、嬉しそうに撫でて笑った。
その笑顔を見るだけで、私は何も要らなかった。
…完全にお母さん目線だな、これ。
ウォルターの元に戻ると、ディーネの髪を見て、彼は少しだけほっとしたように言った。
「あれが女のお洒落なのかと、疑ってしまった」
「そんな訳ないでしょう」
「お、お見苦しい所をお見せしました…っ」
いやーーと、彼は少しだけ笑うと、朝食にパンを焼き、コーヒーまでつけてくれた。
スライムには、食べられそうな葉っぱを調達してくれている。
森には毒気のある植物もある為、知らずに食べてしまうと危険らしい。
スライムは葉っぱであれば、何でも食べてしまいそうだ。
そう言うところも私は少し、勉強すべきだろう。
『んまっ。んまっ』
「飯を食べたら、早速出立するぞ」
「解りました」
「山を越えるには、どれくらいかかるの?」
「順当に行けば、昼頃だろうな」
ダンジョンまでの道のりですら、ランクアップへの試練なのではないかと思うくらい、山道は険しかった。
上からの落石に注意しつつ進み、途中で魔物と遭遇すれば戦闘開始。
道幅が狭く、下が崖だったときは、落ちそうになるのを必死に堪えた。
心臓に悪い、そう思う。
ただ歩くだけと思っていた道のりも、常に危険と隣り合わせな状況だった。
「大丈夫か?」
「大丈夫…じゃないかも」
「わたしも…」
「では、少しこの先で休もう」
ウォルターはこまめに休息を採って、私やディーネが無理のないよう、ペースを合わせてくれた。
F級の二人がこんなに疲れているのに、C級の彼は平然としている。
これもまた、経験値の差なのだろう。
「E級になるのも、楽じゃないんですね…やっぱり…!」
そんなちょっとした弱音を吐いて、ディーネは笑う。
幾ら適正レベルでクリアは出来ますと言われても、その道程がこんなにもきついとは思わなかった。
魔物との戦闘よりも、己の体力のなさが悔やまれる。
誰だ、若返ったから楽勝だ何で言ったの…
…其処まで言ってないか
「ウォルター、あとどのくらい?」
「まだ、もう少し先だな」
「そっか」
太陽は既に真上を通り越している。
お昼前には着くと踏んでいたが、予定よりも大分遅れてしまっているらしい。
しかし、時間が限られている訳でもないと、彼は言った。
「ゆっくり休憩をとってから進めばいい」
「そうする…」
「丁度いい。此処で軽く腹ごしらえをしておこう」
つい数時間前に、焼いたパンとコーヒーを口にしたつもりだが、度重なる戦闘と異動で、お腹は割と空いていた。
カロリーが消費されるのはいい事だが、しっかり食べないと身が持たないと言う事を、レンはこのクエストを通じて理解した。
食べられる時に食べておく、と言うのは何処でも同じだ。
お昼を食べて、また歩き出し、戦闘を繰り返す。
そうして進んで行くと、ウォルターがおちらを振り返った。
「見えて来たぞ。あの塔がダンジョンだ」
「あれは…塔?」
遠くからでは山や木々に遮られていたが、それを越えた先に、突如として姿を現した巨大な塔。
ダンジョンと言えば、洞窟や塔を想像するが、実際に見るのはこれが初めてだ。
近付いて上を見上げると、遠目から見ていた姿よりも大きく聳え立っているように見える。
圧倒的な存在感に、私は思わず息を呑んでいた。
私は、漸くダンジョンの入り口に立っただけだ。
まだまだ、何も始まっちゃいない。
「突入するが、準備はいいか?」
「うんっ」
「はい!」
それぞれが意気込みを見せると、ウォルターは大きく頷いた。
「見た目は大きいが、中はそれほど広くはない。ゆっくりと進んで行こう」
塔の入り口に立つと、扉は自然と開かれた。
内部は昼間でも薄暗かったが、塔の来訪者を知ったかのように、ぽつぽつと灯りが灯って行く。
装飾代に飾られた蝋燭があちこちで点灯する様子が、塔の上へ、上へと続いて行く。
目的である報酬の宝箱は、塔の最上部にあるらしい。
「…おかしいな?」
塔の内部を歩いて居た時だった。
辺りを見渡し、魔物の攻撃を一手に引き受けていたウォルターが、戦闘を終え、大剣を鞘に納めながら呟く。
その疑問を含んだ声が耳に届いて、私は声を掛けた。
「ウォルター、どうしたの?」
「いや…気のせいかと思ったんだが」
そう前置きをして、彼は此方を振り返る。
「妙に敵が強い気がする…お前達はどうだ?」
「え?」
「このダンジョンはF級の魔物が出るくらいだ。勿論、出てくる魔物の姿は以前と変わりない…が、強くなっているとは思う」
そんな風に言うウォルターは、少し難色を示した様に眉を顰めた。
「魔物も成長はするからな。それくらいの違和感かも知れんが…」
「ダンジョン内の敵は、少し強いとも聞きますが、そう言う訳では…?」
「解らん…一先ず魔物の攻撃には、十分注意した方がいいだろう」
「ウォルターは大丈夫なの?」
「これくらい、何て事はないさ」
このダンジョン攻略は、適正 Lv.15
私達のパーティは、その適正レベルを下回る事はない。
同じようなレベル帯であれば、多少の苦労はあっても、攻略が難しいなんて事はないだろう。
しかし、ウォルターの言う通り、このダンジョンは何だか敵が強い気がする…
敵を倒す事で得られる経験値が、いつまでも同じように入る続けるのも疑問だった。
適正レベルまでくれば、得られる経験値は徐々に減少していくのが普通なのに。
当たり前の様に塔の内部を徘徊する魔物は、『E級』とステータスに表示されている。
身を隠し、一先ず敵をやり過ごす事にした
塔の魔物はどれも見た事がなく、意思疎通を試みようにも、ノイズが掛かったように声はなかなか聞こえない。
E級だとレンのランクが低い事もあって、意思疎通どころかテイムすら難しいのかも知れない。
幾らテイマーと言えど、ランクが低く、実力もないならば、全ての魔物に万人受けする筈もなかった。
「やはり塔の魔物が強くなっている。この強さ、Fじゃなく寧ろEだぞ…」
「冒険者ギルドが、クエストを間違えたんでしょうか?」
「いや、場所は確かに此処だ。何度も来ている」
「じゃあ、どうして?」
「解らない」
意気揚々と足を踏み入れたまではよかったが、直ぐにその判断が甘かった事に気付いた。
強すぎるんだ。
現れる魔物たちの攻撃に苦戦する事も、何度もあった。
その度に、ディーネの回復スキルが飛んで来る。
この中で、一番消耗しているのは彼女だろう。
変だと思った段階で引き返せばよかった――と、後悔しても遅かった。
もう塔を半分ほど過ぎたあたりまで攻略しており、引き返すにも躊躇われた。
途中、安全な場所を確保して休憩を挟んだが、ディーネの顔色は優れない。
「私の『素早さ』上げて、と…攻撃力も上げておこう」
幾度かのレベルアップを行い、貯まっていたPPを振り分ける。
私も攻撃に参加するのであれば、素早さの他に攻撃力の向上も検討した結果だった。
『■攻撃力が上がりました。素早さが上がりました。▼』
そのログを確認すると、疲れたように座り込むディーネに声を掛ける。
「ディーネ、大丈夫?」
「は、はい」
「すまない。こんな筈ではなかったのだが…」
「いいえっ。これから先も強い魔物に出会うんです。これくらい攻略出来ないとですからっ」
此処まで来たが、やはり引き返すべきか…
そんな自問自答を繰り返し、誰もが沈黙をする。
「だ、大丈夫ですっ。進みましょう? 私も攻撃しますし、回復も頑張りますからっ」
彼女が無理に気を張って、笑っているのが解った。
かと言って、やめろとも言えなかった。
「いや、君は回復にMPを回してくれればいい。敵は俺が引き受けるし、レンも居る」
『ボクも居るよー!』
「スライムも居るって」
『あぁ、そうだな」
一応、念の為――と、私はウォルターに聞いてみた。
「此処で引き返したとして、また街に戻って準備して此処に来るのよね?」
「そうなる、な。回復のポーションやなんかはもうすぐ尽きる。準備を整えてまた再挑戦だ」
「私はそれでも構わないけど…」
「い、いやですっ」
「ディーネ?」
声を震わせ、ディーネが叫んだ。
私もウォルターも、彼女が見せる泣き顔に、一瞬だが戸惑っていた。
「やっと、此処まで来たんです…レベルを上げる為にクエストを何回もやって、何階も失敗して。わたし、トロくさいヒーラーだから。他の人にも迷惑を掛けて、呆れられて…だから、此処でちゃんとクリアしたいんですっ」
「いいか? 諦める訳じゃない。体勢を立て直そうと言っているだけだ」
「わ、我儘だって解ってます…! 頑張りますっ」
ぐっとロッドを握り締めるその手は、戦闘による傷痕でいっぱいだった。
自分の傷を治すのも後回しにして、彼女は懸命にレンやウォルターに回復を掛けてくれていた。
その事を、レンはこの時初めて知った。
そんな彼女の努力を、想いを、無駄には出来ない。
「…私も、クリアしたいな」
「レン?」
「一応レベルは上がってるし、このまま進めない事もないんでしょう?」
「だが…」
「こんなにディーネがやる気なんだもの」
「レンさん…っ」
彼女の手をそっと手に取ると、その眼からは涙がポロポロと溢れ出ていた。
『んべー』
「薬草…?」
『あげるー』
ディーネの傷を見て、スライムが薬草を吐き出した。
「使って、だって」
「えっ!? そんな、大切な回復アイテムなのにっ」
「いや、使っておけ。とにかく無理はするな」
「わ、解りました」
休息と戦闘を繰り返し、私達は先へ進む事を決めた。
ディーネもだが、敵の攻撃を一心に受けるウォルターもまた、次第に疲労の色が見えていた。
いくらタンクでも、連続しての戦闘には疲労が溜まるし、体力は削られる。
しかし彼は、それでも前に立ってくれている。
体力も気力も限界に近づいて来ていたが、皆で励まし合った。
お読み頂きありがとうございました。




