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F級テイマー、小石のロマンを知る



クエストから戻ったレンは、冒険者ギルドの受付嬢に事の顛末を説明した。

彼女は当然驚いて此方の心配してきたが『特に何も』と、笑って返事を返した。


…何もない訳がなかった。


それでもあの時起こった出来事を、レンは話す気にはなれない。




すると、噂を聞きつけたのか、何とウォルターが宿屋にまで駆けつけてくれた

レンが『初心者狩り』の被害に遭った事で、ウォルターはとても心配した様子だった




「災難だったな…傷は大丈夫なのか?」


「うん。病院――治癒院って言うのかな? 其処でヒーラーさんが回復してくれたから。斬られた痕も残ってないよ」




初めて『回復魔法』という者を目にしたが、見る見る内に傷が回復していく様は、本当に驚かされた。

ただ、流れた血は元には戻らないので、暫くは安静にしつつも、鉄分の多い野菜や果物なんかを摂取するように言われた。


貧血は怖い。

それは女の目線で見て、十分解るつもりだ。




「スライムも治して貰って、元気になったみたい」

「あぁ、そのようだな」


『元気―!』




部屋中をあちこちピョンピョンと跳ねまわる姿は、まさに元気そのものだ。

『あれから』はや三日ほど経過し、漸く私も心を落ち着けるくらいに、余裕を持つ事が出来ていた。


本当に怖かった。


『初心者狩り』に襲われた事もだが――…



…あの時の事を思い出すせば、今でも身体が震える。




「すまない。せめて俺が一緒について行くべきだった」




まるで自分に非がある様に、彼は深く頭を下げる。

彼が悪い理由なんてどこにもない。

全ては私自身が軽率にパーティを選んだ結果、招いた出来事なのだ。


あいつらの言う通り、ちょっとした『お勉強』が出来てよかったと思えばいい。




「もうこうして動けるし、ウォルターが気にする事ないって」

「しかし…」

「そんなに謝るなら、今日のお昼はウォルターに奢って貰おうか?『快気祝い』として」

「む…構わない」




いいのか。


適当に行ってみたつもりだが、それがまかり通るとは思わなかった。

実直過ぎて、思わず笑いがこみ上げてしまう。


それを見てか、ウォルターも漸く笑ってくれた。




「次に誰かとパーティを組むのであれば、俺を呼んでくれ。タンクが空いていればだが」

「えぇ、そうするわ」





一日のルーティンは、まず『小石拾い』のクエストから始まる。

其処から薬草や山菜なんかの採取クエストもこなし、襲い掛かる魔物の討伐などをこなして、お昼を食べに街へ戻る。


午後は散歩がてら道具屋を覗き、スライムの金平糖アイテムなんかを買い揃えた。

街はまだまだ知らない場所が多く、行った事のない場所もある。



その内探検でもしようかと思った所、ある日の事。


日課となる『小石拾い』のクエストに、ちょっとした変化があった。




「レンさん宛てに、クエストが発注されてますよ」

「え?」




突然、受付嬢からそんな事を言われた。

クエストの中には誰もが受けられるものから、特定の人物に当てた『限定条件』のついたクエストがあると言う。




「『いつも小石拾いをしてくれる冒険者へ』だそうですが、おそらくこれはレンさんの事かと…職業もテイマーとだけありますし」


「なるほど?」




この街でテイマーと言えば、おそらく、知る限りでは私だけなのだろう。

其処に『小石拾い』とくれば、もう確定だった。


依頼内容はと言えば、『拾った小石を自宅まで持って来て欲しい』との事だ。

いつもはギルドの受付で小石を受け渡し、それで報酬を受け取る。

だが、今日に限っては受け渡し場所を『自宅』に指定して来た。


普段と違う内容ではあるが、受け渡し場所が変わっただけで、やる事はとりあえずいつもと同じである。




「じゃあ、それを請けます」

「はい。場所はマップでご確認下さいね」




受け渡し場所が自宅と言う事は、私は依頼主に会う事になるんだろうか。

通常であれば、冒険者ギルドと依頼主の間でやり取りは行われる。


依頼主とは、一体どんな人なんだろう。



そんな事を考えながら、レンはスライムと共に、いつもと同じ小石拾いを始めた。





◇◆◇





「あんたか、毎日小石を拾って来る馬鹿な変わり者は」




指定された住宅街に向かうと、出て来た依頼主にいきなりそんな事を言われるとは思わなかった。

変わり者はともかくとして、ちょっと酷いんじゃないか?。




「あ、あの…?」

「いや、よく来た。上がって行け」

「はい…」




依頼主は、70代くらいの老齢な男だった。

不躾な物言いから一変して、彼は私を家の中に招き入れてくれた。


自宅と聞いていたが、中は石膏や陶芸なんかと言った、職人部屋の様に見える。

そう言えばこの依頼主は、着物のような作業着を着ていたし、お茶を出された際に見た手は乾いた土がこびり付いていた。

彼は、此処で何かを造る職人なのだろうか。




「職人さんに見えますが、一体何を?」

「此処で石を削ったり、土を焼いたりして作品にしている」

「芸術家さんなんですね」

「其処まで大層なもんじゃない…ただの老いぼれた職人だ」




そう言って、男はほんの少しだけ寂しそうな顔を見せる。




「其処に在る石膏は、まだ作成途中だ。触るなよ」

「き、気を付けます」

「もう少しで完成する――少し待っていてくれんか」




カンカンと小さなトンカチが、平べったい彫刻刀のような道具の柄を叩いた。

すると、硬い石膏の一部が簡単に削げ落ちて行く。




「凄い、繊細ですね…?」


「石は丁寧に扱わんとすぐ割れるからな。新しかろうが古かろうが同じ。どんな大きな石膏も、一点を集中して力を加えれば、ヒビが出来る。そうして、いつしか割れる」




石膏は一見すると固いが、職人の手掛かれば、まるで柔らかな素材の様にさえ見えて来る。

そんな細かい作業がずっと続いていたが、レンはそれをずっと見ていられるほど、眼を奪われていたように思う。



職人さんって、凄いな…!





ふと、削りかけの石膏を眺めると、その傍に在る写真立てが見えた。


職人の男と、同じくらいの妙齢の女性--奥さんだろうか。

とても優しい笑顔だ。




「それで、小石は拾ってきてくれたか」

「あっ、はい。何処に置きましょう?」

「其処に作業スペースがある。空いている木箱があるから、其処に入れて欲しい」

「解りました」




言われるがままに、木箱を手に取ると、スライムが『んべー」と大量の小石を吐き出した。

ジャラジャラと音を立てて1000個の小石が収まると、男はそれを確認したように頷いた。




「ご苦労」

「はい。…あの、この石ってお仕事にでも使ってるんですか?」

「何?」

「あっ…えぇと、すみません。つい気になったっもので」




このクエストを依頼する人は、一体どんな人なんだろう?

どうしてこの小石が必要なんだろうと、常日頃気になっていた。


勿論依頼主には守秘義務があるし、クエストを管理するギルド側にも同じ事。




「考え方も変わり者なのか?」

「はは…すみません」




それを自ら直接聞くのは、マナー違反だと慌てて頭を下げた。




「…ワシが小石を集めているのは趣味だ。別に仕事で必要と言う訳ではない。他にも石膏や土を使う事だってあるしな」




趣味。


そう答えた彼の自宅には、様々な石が飾られている事に気がついた。

それも全て加工品と言う訳ではなく、本当にその辺に落ちているようなただの石。




「自然に出来た石が好きでな。川で流れて削られたり、山を転げたりと、石にもいろんな顔がある」





中でも小石には『ロマン』があるらしく、同じように見えるが一つ一つ、顔が違う――と、彼は何処か楽しそうに笑う。

ほんの少しだけ笑っているような、そんな気さえした。




「以前は自分でも拾っていたんだが、年々足腰が弱くなり、筋力も衰えてきた。拾うのに屈むものやっとだ」

「それは、大変ですね…」

「だから、こんな小遣い稼ぎのクエストを、毎日やってくれるのはあんたぐらいじゃ…ありがとうよ」




依頼主にも色んな人が居て、色んな想いがある。

その人の為に、クエストを行う事が何かの助けになるのなら、レンはこれからも喜んで引き受けようと思った。




「しかし、毎日1000個集めて来る冒険者が居るとは思わなんだ。…次からは、もう少し数を少なくして構わんぞ」


「や、やっぱり多すぎましたかね…」

「他の冒険者だと、せいぜい10個か20個。多くて1スタック程度だ」




やはり、1000個は多すぎた様だ。




「しかし、個数の指定をしていなかったワシにも非があるのでな。次からは此方も気を付ける様にしよう」




そんな会話をして、私はお茶をご馳走になった。




「しかし、魔物を連れていると耳にしたが、本当にテイマーだとはな」

「テイマーをご存じなんですか?」

「昔、一度だけこの街に立ち寄った冒険者を見た事がある。随分と昔の話だ」

「そうなんですね」





昔と言っても、本当にこの人が若い時に見たらしい。

それでも、テイマーがこの世界に存在している事が判明した。




「彼女と直接話した事はなかったが、あの優しい瞳は今でも覚えている」

「彼女--女性ですか?」

「そうだな。丁度、お前さんくらいの年齢だった」



【■『伝説のテイマー』についての情報を手に入れました。▼」




目の前に現れたログウィンドウ。

どうやら『伝説のテイマー』の項目がマニュアルに追加されたらしい。




「…伝説のテイマー?」

「おお、良く知っておるな。まさにそれが彼女じゃ」


『レン、レン!』




其処で、スライムがはっとした様に言った。




『ボク知ってる!『伝説のテイマー』は、『伝説のスライム』と一緒に旅をしていたんだ!」


「えっ…」

「どうした?」

「いえ。それでその『伝説のテイマー』と言うのは、今何処に?」

「さあな。それからの足取りはワシも知らんよ。ただ何処かのパーティに属していた。旅をしていたのかも知れん」




旅をしていれば、スライムの憧れる『伝説のスライム」にだって、いつか会う事がある知れない。

それを聞くと、スライムは急にキラキラと眼を輝かせた。




『レン、旅をしようよ!」

「旅って何処に?」

『行き先なんて何処へでも、だよ!』




今は小さな情報だけど、根気よく集めてみるしかない。

そうすれば、彼の憧れる『伝説のスライム』にも、何か解るかも知れない。

眼を輝かせるスライムを見て、レンはそう思った。






◇◆◇





「よぉ」




クエストを完了して宿屋に戻ると、部屋には魔王が居た。

『あの時』の事がなかったかのように、彼はまたふらりと現れた。

優しく微笑む姿に、レンはちょっとだけ驚いた。


だが、あの時のような恐怖を今は感じられない――



その事にほっと息を吐きながら、改めて助けてくれた事へのお礼を忘れていた事を思い出した。




「この前は、助けてくれてありがとう」

「この前?」

「ほら、ダンジョンで――」

「殺した奴の事なんて覚えてない」




そう言った魔王は、スライムを抱き抱えた。

普段の目線よりも高い位置に掲げられたスライムは、いつも通りに魔王に遊んで貰っている。




「余程楽しかった相手じゃない限り、顔だって覚えてねぇよ」




戦いを『楽しむ』と言うなんて、魔王らしいと思った。

昨日も勇者パーティーとやらが魔王城までやって来たが、自分が出る間もなく配下によって倒されたらしい。

相変わらず退屈と暇を持て余し、今日も今日とて此処に遊びに来た。

そう言う訳だ。



少なくとも、魔王城に乗り込んで来る冒険者達は、未だ『楽しい」と言う括りには入らないようだ。




「勇者パーティなのに、勝てないんだ」

「勇者を名乗る奴はその辺にゴロゴロいるからな。そこら辺のガキだって勇者だぞ?」




いっぱい居るのか、勇者。




「そう言えば…魔王様は、伝説のテイマーを知ってる?」

「伝説のテイマー?」

「スライムがね、伝説のスライムの様になりたいって言うんだけど、それがどう言うものなのか解らなくて…」




もし会う事が出来たのなら、その極意(?)みたいなものを伝授して欲しいと思う。

そしてあわよくば、自分にテイマーの手解きをして貰いたい。

伝説とはいかずとも、それなりにテイマーらしく戦えるようになりたいと。そう思った。


テイマーに関して言うとなれば、どれだけマニュアルを探しても、出て来るのは経った一文。



【■テイマー。魔物と心を通わせる凄い事が出来る。委細不明」



そんなもん解ってんだよ!と、マニュアル画面をパンチしたが、生憎するりと拳はウィンドウをすり抜けてしまった。

【テイマー・メモ」ですら『何処かのパーティで旅をしていた」なんて記載されている。


恐らくこれは、小石拾いのおじいさんからの情報が反映されたものだろう。





「…伝説のテイマー…」





そう呟いた魔王様は、一瞬動きを止めた。

彼の瞳が何処か遠くを見つめたまま、しばらく沈黙が流れる。


何処か引っ掛かる名前なのだろうか、彼は僅かに首を傾げた




「その名前…何処かで聞いたような気がする…」

「そっか。魔王様でも知らない事あるんだね」

「…いや、知っている、ような気がする…」




何とも歯切れの悪い様子に、レンは少し驚いた。

彼の声には、微かな苦悩が滲んでいたからだ。




「強かったなら、きっと覚えてるんだろうけど…?」

「…どう、だろうな」




じゃあ、記憶に残るほどの人--と言う訳ではなかったのか。

魔王様が『覚えていない」と言うのなら、きっとそうなのだろう。




「まあいいや。また情報でも集める事にするよ…ん?」




『■『魔王』のロックが一部解除されました。▼』



『■魔王『SSS』Lv.???』




…SSS?


しかもレベルが見えないってどう言う事。




「え、何?」




急に現れたログウィンドウに困惑する。

今までは、彼の姿を見ても『ステータス』なんて表示されなかった。

彼が『魔王』だと知った時も、どれほどの強さの持ち主なのかを見てみたのだが、ログウィンドウにエラーが表示された事がある。


やはり魔王様だから…?

と、不可解な出来事に、その時は無理矢理納得する他なかった。




それが今、どう言う訳か一部ではあるが、制限が解除されている。

全く以て意味が解らない、このシステム!




「魔王様のステータス。殆ど『???」ばかりで見えないんだけど…」

「…魔王だからな!」




はっとして、それからいつもの調子を取り戻した魔王様。

やがて彼はは、えへんと胸を張って言った。



しかしながら、ふと思った事がある。


魔王様も、一応は『魔族の王」だ。

であれば、スライム同様にテイムする事も可能な訳で――




「よし…」




そして『出来ない』と解っていても、『やってしまう』のが人の性である。


私は『テイム」のスキルを発動し、魔王様に向かって手を伸ばした。

その手から光が発せられ、魔王様の周りを包み込もうとする。







「--私は あなたを テイムする」




――が、その瞬間、光がパチンと音を立てて消えてしまった。




「…え?」




眼をぱちくりさせ、ながら、自分の手を見つめた。

もう一度試みようとしたが、結果は同じ。


魔王様は其処に居るだけで、何もなかったかのような顔をしている。



すっぴんボアの時と同じく、テイムの成功率はダダ下がりーー寧ろ最初から『0%』だった。




「0%って…まさか、テイム出来ない…?」




その時。




「…ぷっ…ははっ! お前…まさか、本気でオレをテイムしようとしてるのか?」



魔王が肩を震わせ、突然堪え切れずに声を出して笑い始めた

レンはその反応に驚き、顔をが熱く熱を持っているのを自覚しながらも言い返す




「だ、だって…テイム出来るかもしれないじゃない! 試してみないと解らないでしょ!」


「ぶっ!! あぁ、腹が痛い…っ。マジか、お前…! 魔王をテイムって…!」


『ぷぷーっ!』




反論するものの、魔王は笑いを留める事が出来ないようで、更に噴き出してしまった。

スライムもスライムで、彼が笑っている姿に何だかニコニコしている。


君は私の味方じゃないのかな?




「F級テイマーが、SSS級をテイム出来る訳ねーだろっ、ぷぷっ…!!」




腹がよじれる程に、涙が溢れている。

こんなに笑う彼は、初めてだった。




【■警告! 貴女は馬鹿ですか? 現在のランクでは、テイム出来ません!▼】




システムにも言われてしまった、もう恥ずかしい…




「お前…オレが誰だか解っているんだろう? レベル差がありすぎるんだ。テイムなんて無理に決まっている」

「い、いつか凄いテイマーになって、絶対にテイムしてやるもん…っ」

「絶対なんて出来もしない事を…」




彼は漸く笑いを収め、肩を軽く竦めた。

その瞳には、楽し気な輝きが宿っている。



だが――と、魔王様は続けた。




「お前のその無茶なところ、嫌いじゃない。殺しにかかるような人間を信じすぎるところもな」


「…や、やっぱり覚えてるんじゃない。あいつらの事」




魔王は、その言葉にまた微笑みを浮かべ、優しい眼でレンを見つめた。




「だが、覚えておけ。オレは魔王だ。お前の力でオレをテイムするには、まだまだ遠い道のりだぞっ」




彼の声は優しげだが、何処か誇り高い響きがあった。


カミサマもそうだったけれど、彼も同じーー金色の髪をしている。




「太陽みたいね」

「…は?」

「あ、髪が金色だから。キラキラしてて」




それに笑った時の感じなんか、とてもよく似ている気がした。




…あのカミサマの方が、タチが悪い感じはしたけれど。







◇◆◇





夜の静寂が広がる中、魔王様は一人目を閉じ、深い眠りにつこうとしていた。

次の瞬間、胸の奥に重くのしかかる不安が、再び蘇って来る。



断片的な記憶。

まるで敗れた絵の様に時折彼の脳裏に浮かんでは消える。

霧のように薄く、ぼんやりとした記憶が頭を掠める。





目の前には、誰かが立っている。


長い髪が買えに揺れ、その瞳は深い悲しみが矢負っている。



――『彼女』は、それでも優しく微笑んでいる。


彼女の顔ははっきりと見えないが、何処かか懐かしさを感じる。

その微笑みに心が震えるが、何故かその正体が思い出せない。




「…お前は…誰だ…?」




思わず魔王はそう呟くが、返事はない。

ただ、その笑顔だけが心に深く刻まれて行く。


次の瞬間、冷たい剣が振り下ろされる感覚があった。

紅い血が飛び散る――



誰の血なのか、何が起こったのか解らない。

ただ、その瞬間の感覚が、彼を苦しめる。


息が詰まり、胸が痛む。







剣を持った誰かが居た。

それが誰かまでは解らなかった。


ただ、何か大切なものを失ってしまった事だけは、強く感じていた。

けれど、それが何であるのか、何処かの記憶が抜け落ちているようで、其処に手を伸ばしても掴めない。


答えが見えない焦燥感が、自分を更に追い詰めるのが解った。



優しい笑顔。

だが、その背後に、何処か悲しげな瞳が宿る彼女の姿が見えた。

その瞬間、魔王ははっとして目を覚ました。


冷汗が額を流れ、呼吸が荒い。

彼は暫く何も言えず、ただ月明かりに照らされた天井を見ていた。




「…何だ、今の夢は…」




夢…



…本当に夢なのか?



誰かの夢。誰かの記憶。

それが自分の物ではないと思ったのは、あの剣の持ち主が『人間」だったからだ



自分じゃない、自分は魔王だから――



断片的な記憶のようなものは、決して繋がらないパズルのように自分を苦しめていた。


心の奥底に封印された何かが、彼を呼び覚まそうとしているかのように。




『むにゃむにゃ…』




隣では、小さなスライムが寝息を立てている。

隣のベッドでは、そのテイマーたるレンが、深い眠りについていた。




『い、いつか凄いテイマーになって、絶対にテイムしてやるもん…っ』




そう意気込んで見せた彼女を思い出すと、自分がまた微笑んでいた事に気が付いた。



夢の出来事を忘れさせるくらいに。



魔王の心の中では、密かに温かい『何か』を感じ始めていたのかも知れない。






ーーもう一度願うなら。



貴方と共に旅がしたい。



だから私は、あなたを、テイムする。



そう、誓ったんだ…




お読み頂きありがとうございました。

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