F級テイマー、ダンジョンに挑む②
夜空に満月が浮かび、その光は静かに森を照らしていた。
レンとスライムは、泉探索の合間に休息をとる為、森の中の少し開けた場所でテントを張る事にした。
初めての野営だ。
「テントを出してくれる?」
『わかったー!』
ワンタッチで設営されるテントは、ぱちんと留め具を外すだけで、本当にすぐ大きなテントになった。
『旅立ちの泉』この森の中にあるらしく、スライム達からは少し前に盛大な見送りを受けた所だ。
人によっては一日、二日かかると言うこのクエスト。
長丁場を見越して、道具や食材を用意しておいてよかったと思う。
あとは調理器具を出して、食材を用意して。
そうだ、焚火を用意しないと。
確かテレビで、落ちている彼はや小枝なんかが着火しやすいって見た事がある。
…あれ?
「…火って、どうやって起こすんだろ」
キャンプは小学校以来で、初心者も初心者。
そうであっても、火を起こすやり方は、文明の利器さえあればどうにでもなる。
ライターやマッチだってそのうちの一つだ。
しかし、レンの買い揃えたキャンプ道具の中には、それらしい物が見当たらない。
更に言えば、くしゃくしゃのメモに挙げた、買い物リストの中にもなかった。
まさかと思うが、忘れている――?
焚火を燃やせず、火の通った食事も用意出来ない今、レンはズーンと気持ちを落ち込ませた。
今日はカレーでも作りたい、キャンプと言えばカレーだ!
そう意気込んで選んだ肉も野菜も、結局使う事がなかった。
唯一の救いは、スライムの『異空間収納』が何処へ行ったのか解らないだけでなく、品質を保ってくれている事だけだ。
すっぴんボアを討伐して、毛皮や牙、肉なんか換金する。
集めて貰った時に気付いたのだが、時間が経ってもその品質は変わりないらしい。
スライムの体内は、時間でも止まっているかのように肉はカチコチの冷凍なままだった。
そうなると、痛みが早い肉なんかでも、安心して持ち運べる。
その性能を十分に発揮出来ても、一番重要な『火』と言う存在を、レンはすっかり失念していた。
「さくさくさくさくさく…」
だから今夜は、非常食用の乾パンをやけ食いのように口にしている。
当たり前のようにある物が、いざ必要になると使えないなんて事は、よくある話。
火起こしなんてキャンプでもやった事がないし、スマホで調べようにも重電が切れて使い物にならない。
スライムにやり方を問うても、解らないと返って来るし火のスキルとやらもない。
その為、本日の夕食はこのカンパンと、お食事処で持ち運びポットにテイクアウトしたコーヒーのみだ。
『サクサクいってるー。葉っぱ―?』
「違う。カンパン。食べる?」
『食べる―』
せめてライターとか、着火剤なんかの用意をするべきだった。
一応、またテレビの様に『切り揉み式』での点火を頑張ったけれど、煙すら出ず断念した。
摩擦の熱で、ただただ手が熱く痛いだけだった。
「葉っぱの方が、おいしいね-」
「葉っぱも味気ないと思うけど…」
せめてスライムには、野菜を切ってサラダにしてあげよう。
レンは頑張って手料理を振る舞う事にした。
切って盛り付けるだけだが。
しかしただ切るだけでも、もっちゃもっちゃと一生懸命に頬張る姿に、レンの荒んだ心は癒される。
あぁ、可愛い…
火はないけれど、電気で点灯するランタンのお陰で、灯りの心配はなかった。
パッと点く明るいライトとも、それだけで何だかほっとする。
懸念があるとすれば、お風呂に入れない事だ。
野営をしていると、そう言った事に直面する事だってあるのだと、割り切るしかない。
――仕方がない、今日は我慢する事にしよう
「よく考えれば、夜になってから行動するのは非常に危険なんじゃ?」
明かりがあれば大丈夫だと思っていた。
しかし、予想に反して森の中は本当に暗く、街中で見る街灯の安心感もない。
ライトは足元をしっかりと照らしてくれるものの、その先は深い闇が広がっていた。
何が飛び出してくるかも解らない。
何処かに大穴や崖があったりしないとも限らない状況で、無暗に動くのは得策ではないだろう。
こんな森の中で迷子になれば、元も子もない。
この世界に来てから、何度も感じた帰郷への思い。
こうして静かな場所に居ると、ついぐるぐると思考を巡らせてしまう。
彼方の世界で、友人達はまだ自分の死を悼んでくれているのかな…
それとも自分の事なんてさっぱり忘れて、またいつもの日常に戻っているのかな。
どちらにしても、皆が元気に生きていてくれればそれでよかった。
例え、忘れられていたとしても…それでいい。
「…ぐすっ」
鼻の奥がツンと痛くなる。
寂しい、辛い。
どうしてこんな事になったのか。
車になんか轢かれなければよかった。
レシートなんか拾いに行かなければよかった。
そうすれば、またいつもの多忙で社畜な日々で居られた。
この世界が嫌と言う訳ではない。
街の住人はいい人だし、最近は顔見知りだって少しずつ増えている。
ただ、何も知らない事が多すぎて、混乱しているだけだ。
まだまだ、この世界で生きるのには頭も体も、心だって順応しきっていない。
何度も、何度も、元の世界の事を私は思い出している。
「帰りたいな…」
『レン…?』
やがてジワリと、眼には涙が浮かんだ。
今まで強がっていたんだと、自分でも解った。
帰りたい、戻りたいと、そう思う事は何度もあった。
それでも一人ではないと感じるのは、傍にスライムが居てくれるからだ。
此方をじっと見つめる小さな瞳が、僅かに揺れているのが解る。
「何で…そんな顔してるの」
『レンが、いっぱい、いっぱい泣いてるから』
「泣いてないよ」
『レンが悲しいと、ボクも悲しくてぎゅってなっちゃう…』
それは同じだ。
スライムに、そんな顔をさせたい訳じゃなかった。
ただ、傍で笑ってくれればそれでよかった。
スライムが笑えば、私も嬉しいから。
『…ボク、泉を探してくる―!』
「えっ…」
突然、自らそんな事を言い出したスライム
まさかそんな風に言い出すとは思わなかった
『レンは此処で待ってて―』
こんな暗闇の中を行動するのは、スライムにとっては酷じゃないか。
レンだって、出来る事なら森の中は動き回りたくはない。
道は危険だし、危険な魔物や動物がいるかも知れない。
でも、泉を見つけなければ、クエストは終わらない。
勿論、テントで朝を待ってから、また探すと追う手もある。
しかしそれは、まだ冒険者としても未熟な自分にとって、そう簡単に出来る事ではない。
魔物が飛び出してくる危険性がある中で。無事に朝を迎えられる自信はまだなかった。
「やめよう。危ないよ」
『だいじょうぶー!』
「森には怖い魔物だって出るかも知れないんだよ?」
『かくれんぼするからだいじょうぶー!』
そう制止したが、スライムにはやる気しか見られない。
何を言っても聞く耳は持たないのか、この子は…
『早く泉を見つけて、ベッドでねよー!』
「しょうがないな…」
ついには此方が折れて、泉探索にスキルを使う事になった。
【■スキル『分裂』及び『偵察』を使用します。▼】
「それじゃ気をつけてね。お互いの位置を把握しながら動くんだよ。泉を見つけたら戻って来てね」
『はーい!』
50匹のスライムが索敵に動き出すと、その姿は直ぐに闇夜に紛れて見えなくなった。
この前はまともな指示が出来ずに散々だったが、今回はちゃんと言い聞かせられたと思う。
無事に見つけられるといい――
そう願いながら、レンはスライム達を見送った。
ざわり…
その時木々が葉を揺らし、大きくガサガサと音を立てた。
音に反応して、レンは一瞬だが身を強張らせるものの、音の正体はただの風。
「吃驚した…っ」
しかし、何か魔物が現れるんじゃないかと思うと、一瞬たりとも気は抜けない。
そうだ、スライムが居ないんだ。
魔物が出たら、私が自分で自分の身を守らなくてはならない。
幽霊が出る事を抜きにしても、こんな場所で一人ぽつんと待ちぼうけなのは、ちょっと怖かったりもする。
せめて一匹だけでも、護衛兼話し相手として、傍に置いておけばよかった。
そんな事を思いながら、レンは震える手で飲みかけのコーヒーを口にし、スライム達の帰還を待ち続けた。
◇◆◇
『レンー。あったよー」
コーヒーが完全に冷めた頃、スライムが報告に戻って来た。
時間は掛かったが、何とか泉を見つける事が出来たらしい。
待っていると思った場所に自分が居ない為か、スライムは少し不安そうにあたりをを見渡している。
『レン、どこー?』
「あぁ、ごめん。ここだよ」
その間、レンは恐怖から逃げるように、テントの中に避難していた。
外で待っていたのだが、次第に夜風が体に当たって寒気がしたので避難したまでである。
『レンもかくれんぼしてたのー?』
「そ、そうだよ」
決して『恐い』とかそう言うんじゃない、そう言うんじゃないんだよっ。
『ボク、ちゃんと見つけた。泉があったよ!』
「ほ、本当に?」
『うんっ』
急いでテントをスライムの中に収納すると、ランタンを手にレンはスライムと共に森の奥へ進んだ。
森を進んで行くと微かに視界が霞んできた。
視界が白くぼやけている事に気付く
肌に感じる空気は冷たく、それでいて湿り気がある。
これは、霧――?
行く手を塞ぐようにして身を包むその霧は、進んでも進んでも、一向に晴れる気配がない。
ランタンは夜露に濡れ、ぽたりと地面に、静かな水滴を垂らした。
この地域は比較的暖かい気候で、昼のみならず夜も蒸し暑さを感じる。
だが、それもいつもとは異なり、今は何だか肌寒く感じた。
肌寒いと言えば、さっきもそうだ。
蒸し暑いくらいにむわっとした熱気だったのに、いつのまにかテントに籠ってしまっていた。
単に森の中での体感温度が低くなっただけなのか。
それとも、この先に居るであろう敵との対面を前に、自分が緊張しているだけなのか。
どっちとも取れる状況だった。
「…っ」
身震いする身体を抱き締めるようにして、レンは両腕を軽くさする。
早くこの霧を抜けたい。
暗闇の中、視界を阻む霧を払いながら、ランタンの光がスライムを追い続ける。
それが、自分にとっての唯一の道標だった。
『あ、レンー』
程なくして、別の方向からスライムの声が聞こえて来た。
顔を上げると、灯りの更に先に、分裂したままの小さなスライムが、ちょこんと草葉の陰に隠れている。
この子が、泉を見つけた見張り役らしい。
『この先だよー』
言われた先に目をやれば、木々の間に仄かに光る何かが目に留まる。
「何だろう…?」
その光に惹かれるように足を進めると、スライムも足元で跳ねながらついて来る。
木々の隙間から見えたのは、小さな泉だった。
泉は月光を受け、まるで銀色の鏡のように静かに光っていた。
澄んだ水面には、揺れる事無く月が映り込み、その光が泉全体を淡く照らしている。
周囲には、青白い光を放つ小さな花々が咲き乱れ、夜の静寂の中で、風に揺れて微かに香っていた。
「綺麗…」
そんな光景に目を奪われて、思わず足を止めた。
静寂の中、泉の水が囁くように音を立てるだけで、周囲には他の音は聞こえない。
まるでこの場所が、別の世界に在るかのような、静かで幻想的な空気が漂っていた。
『綺麗だねーっ』
スライムは、眼を輝かせながら泉の傍まで飛び跳ねて行った。
キラキラとした水面をじっと見つめ、同じように体も淡い光に包まれている。
スライムはまるでその光を吸い込むようにして、泉の近くで動かずにじっととしていた。
「スライム…此処、本当に不思議な場所だね」
スライムの隣に膝をつくと、そっと手を泉の水に差し入れた。
冷たい――だが、嫌な冷たさではない。
掌に触れる水は柔らかく、指先からじんわりと広がる心地よい感覚があった。
まるでこの水が、月の光そのものを映しているかのようだ。
スライムは、此方の顔を見上げた後、少しだけ泉の水に顔を近付け、そっと飲む仕草をした。
すると、彼の体が一瞬だけ光を強め、まるでこの泉が力を与えたかのように感じられた。
『■スライムのHPが全回復した!▼』
この泉の水には、癒しの効果があるらしい。
「何だか…此処に居るだけで、心が落ち着くね」
レンはそう言って優しく微笑みながら、スライムの頭を撫でた。
『旅立ちの泉』と呼ばれるその場所は、数多くの冒険者が最初に通るダンジョン。
この場所で、冒険者は冒険の疲れを癒したのだろう。
こんな素晴らしい景色を見られるなら、何処まででも行ってみたい――
そんな未知なる冒険へ、冒険者は胸を躍らせたに違いない。
かく言う私も、この穏やかな時間の流れに、心に渦巻いていた嫌な考えが、スッと消えて行くように感じられた
。
月明かりが一人と一匹を包み込み、その瞬間だけ世界から切り離された静寂の中に居た。
何も言わなくても、お互いの存在を感じ、共にいるだけで心が満たされる場所――
それが、この泉だった。
その夜は、再びテントを泉の傍に立てて、静かに夜を明かした。
この場所なら、魔物も入って来ない。
そんな確信めいた予感が自分の中にはあった。
◇◆◇
「ようこそ冒険者よ! 此処では初心者ダンジョンに挑戦して貰うぞ!」
「相変わらず、同じ事しか言わねーのな」
お決まりの台詞でダンジョンを護る門番は、随分と長い間、この場所に立っている。
今は若々しい姿ではあるが、当の本人は随分と前にその生涯を終えた。
『老衰』だった。
人間は魔物と違って寿命が短い。
しかし男は最後まで、この場所を護る門番として、老体に鞭を打って職務を全うした。
男の子孫は、代々門番としての責務を全うする家系に在る。
「街でも見たな、こう言う奴――…」
同じようにして門番を務める、当代の子孫を思い返した。
死して尚もこの場に立ち続けるなんて、本当に門番の鑑だと思う。
此処を通る冒険者に同じ事を言うんだろうが、しかしそれを『魔王』に言ってどうするんだ。
――ここから、冒険の第一歩が始まるんだ…!
そう言ったのは誰だったか。
――置いてくよー?
風に乗って聞こえて来る声。
何処か懐かしいような、『誰か』の声が耳元で囁いた気がした。
聞こえたのは、未来に対する希望。
一人の人間が、今まさに旅立ちを決意する。
そんな瞬間を想像し、魔王の胸の中で何かが微かに揺れ動いた気がした。
「…何だ、今のは?」
今のは、何だ。
誰の記憶だ…
記憶?
…どうしてそんな事を思ったんだ。
『まってー!』
『はーやーくー!』
「…あの声か」
遠くで、小さなスライム達が駆け回っている姿が見える。
きっと、彼らの声が聞こえて来ただけだろう――…
お読み頂きありがとうございました。




