懐かしい記憶
漆黒の鱗を持ち、艶やかに光る細長い尻尾を揺らしている。
黄金色をした二対の瞳がじっと此方を見据え、小さな翼が背中にちょこんと畳まれていた。
「…ト、トカゲ…?」
ディーネが目を丸くし、ぽつりと呟く。
「ちょっとやだっ!?」
リリィは素早く後ずさりし、スライムはぷるぷると震えてレンの影へ隠れる。
ウォルターですら、微妙に眉を顰めているではないか。
その反応に、小さな生き物はムスッとした表情になり、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
【…トカゲではない。我は崇高なるドラゴン種ぞ】
「ド、ドラゴン…?」
恐る恐る、レン達はその小さな生き物を改めて観察した。
特にレンにとって、ドラゴンとは書物や物語に出てくる、空想上の生き物でしかなかった。
しかし――目の前の黒い小さな存在は、確かに生きている。
四肢のバランス、鋭い爪、漆黒の鱗、僅かに覗く牙――
爬虫類というよりは【竜』に近い姿をしていた。
ただし――
「…意外と小さいんだね」
小さな姿を覗き込んだレンが、つい率直な感想を漏らす。
【小さいは余計だ!】
「顔が痛い!」
黒いドラゴンはまたもムスッとした顔のまま、尻尾をぴしっとその顔面に叩きつけた。
ご機嫌斜めなのが、明らかに伝わってくる。
その仕草が何処か可愛らしいのだが、今は痛みに耐えるので背一杯だった。
「お前が本体だったんだなっ」
痛みに蹲るレンの傍では、マオもまた興味津々にその小さなドラゴンを眺めていた。
「さっきまでの影の魔物は、幻だったのか?」
【そういう事だ。力を試す達の選別―-そして、お前達はそれを見事に突破した」
「…つまり、もう戦わなくていいと言う事だな」
ウォルターの言葉に、小さなドラゴンは頷く。
「契約の条件は『魔力を持つ者』だった」
ドラゴンは静かに告げる。
【子供や女、人間であろうが、魔物であろうが――【魔力を持つ者】ならば関係ない』
「…そんなの…最初から言ってよね…!」
レンがへたり込むように座り込む。
【しかし、貴様らが"選別"に値するかどうか、それを確かめる必要があった。そして、お前には『視る力』があった」
その言葉に、レンは息を呑む。
「この試練は、ただの力比べではない。『本質』を見抜く者こそ、真に魔法を扱う者だ」
「…本質…?」
ディーネが思わず呟く。
【我が本体だと言う事を見抜けぬ者は、永久に選別を突破出来ぬ】
「そ、それはどうも…?」
ドラゴンはレンを一瞥し、澄んだ黄金の瞳を向ける。
【―-我をこの地に縛り付けていた魔法陣は、元来、人間界と魔界を繋ぐ為のもの…だが、未熟な契約者が無理矢理、我を呼び寄せたが故に、不完全なものとなった。そして、ここに囚われたのだ」
「ずっとこの場所で…?」
ディーネが訝しげに尋ねると、トワは鼻を鳴らした。
「しかし、それも此度で役目を終えた。お前達が試練を乗り越えたからだ】
「試練…」
【この場に足を踏み入れた者は数多いたが、誰一人として真実を見抜く事は出来なかった】
ドラゴンはレンをじっと見据える。
【だが人の子よ。お前は気づいた…我が真の姿を。そしてお前達は、影ではなく本体へと攻撃を加えた】
「た、ただの偶然だけど…!」
【否。偶然ではない」
ドラゴンは否定するように首を振る。
「お前だからこそ此処まで辿り着き、人の子達が手を取り合い、試練を乗り越える事ができた。だからこそ――我は、漸く此処を去る事が出来るのだ。もう凄し楽しみに興じてたいものだが…我がこのような姿であるのが何とも口惜しい程よ】
黒いドラゴンは誇らしげに胸を張る。
――しかし、やっぱり小さい。
その誇らしげな姿さえ、小さくて少し滑稽に見えてしまうのだった。
それおくちに出そうものなら、またあの尻尾で叩かれるのが眼に見えているので、慌ててレンは笑いを堪える。
「つまり…本来のお前は、もっと大きくて強かったと言う事か?」
ウォルターが問いかけると、黒きドラゴンは不機嫌そうに尻尾を地面に叩きつけた。
【当然だ。我は本来、魔界を往来せし強大な力を持つ、高位のドラゴンぞ】
「ま、魔界の住人だったの…!?」
そう語る声には、かつての威厳を取り戻そうとするかのような響きがあった。
しかし、今の彼の姿は、せいぜい大きめのトカゲに毛が生えた程度の小さなドラゴン。
そのギャップに、ディーネやリリィは顔を見合わせる。
「でも、何でそんな小さくなっちゃったの?」
【…未熟な契約者の所為だ】
ドラゴンは不機嫌そうに答える。
その小さな体躯のすぐ下には、先程まで魔法陣が描かれていた。
「召喚術とは、本来非常に繊細なものだ。術式の一つでも間違えれば、召喚対象が本来の姿で現れる事はない。それに加え、契約者自身の魔力と知識が足りていなければ、召喚された存在は【不完全な形】で具現化する…】
「…って事は、貴方を召喚した一が未熟だったって事?」
レンの言葉に、ドラゴンは深く溜息を吐いた。
【その通りだ。我を召喚したのは魔法王国の者…だが、奴は未熟だった。術式はお粗末で魔力も足りず、知識も浅い。それでも何の因果か、召喚は成功してしまった】
「でも、成功したんじゃないか? なら、問題ないだろ?」
マオが気楽な調子で言うと、ドラゴンはジト目で睨みつけた。
【問題だらけだ。我は元々、魔界の空を自在に飛ぶ堂々たるドラゴンだった。それがどうだ? 今の我はこの有様だ…」
そう言って、自分の小さな前脚をちらりと見下ろす。
【この地に留まるだけでも肉体は消耗し、巨大な体躯は維持できず、小さな姿に留まるしかなくなった。それどころか、召喚と同時に封印まで掛けられ、力の十分の一にも満たぬ有様だ】
「…そりゃ、大変だな」
フウマは思わず、同情の言葉を漏らした。
しかし、その横で、マオは不意にくすっと笑う。
「オレと一緒だな!」
【…は?」
思わぬ言葉に、ドラゴンは怪訝な顔をした。
「オレもな、レンにテイムされちまって、魔王としての力が不完全な状態なんだよ」
そう言いながら、マオは拳を握る。
「オレの力は殆ど封じられたままだ。元々持ってた筈の魔力も、全然使えない」
【…ふん、なるほどな。道理で魔力の流れが不規則に感じる訳よ】
「だから、お前の話を聞いて、ちょっと親近感が湧いたんだっ」
マオはにかっと笑ってみせる。
「本来持ってる力が使えないのは悔しいし、歯がゆいよな。でも、ま、こうして何とか生きてるし…今はそれでいいんじゃねぇの?」
【…ふむ】
ドラゴンは暫し沈黙した後、ふっと鼻を鳴らした。
【…奇妙な奴だな。魔王ともあろう者が、力を奪われたというのに、それを楽しむような事を言うとは】
「どうせならこの状況を活かすしかないだろ? 悩んだって、すぐに力が戻る訳じゃないしな。その分人間界でたらふく美味いモンは食えるし、楽しみは尽きないぞっ!」
マオの言葉に、ドラゴンは目を細める。
【…ふっ。まあ、悪くはない考え方だな】
それは、少しだけドラゴンの心を軽くする言葉だった。
小さな黒きドラゴンは、鋭い爪を地面につけながら、じっとマオを見上げていた。
赤い瞳が怪しく光り、何かを探るように、じり……と距離を詰める。
「何だ?」
マオが問いかけると、ドラゴンはふいに鼻先を近づけ、マオの匂いを嗅ぐようにスンスンと鼻を鳴らした。
その様子を見たレンは目を丸くするが、マオは微動だにせず、ドラゴンの動きを観察していた。
【…懐かしい匂いだ】
ドラゴンは低く呟いた。
【そうか、あの時の小僧が、当代の魔王になったのだな】
その言葉に、一瞬場が静まる。
「…懐かしい?」
マオは眉を顰め、不思議そうな表情を浮かべる。
ドラゴンはゆっくりと瞳を閉じ、そして記憶に残る思い出を探るように語った。
【…遥か昔、魔王の名を冠する者がいた。悪名高く、悪逆非道を繰り返す残忍な魔王――それこそが、我の知る『魔王』よ】
その言葉に、皆が息を呑んだ。
【その魔王を倒すべく、立ち上がったか人間達が居た。あの者達がその後、どうなったかは解らぬが…姿は違えど魂は同じ、確かに感じるぞ…あの頃と同じ匂いを…】
まるで、時を超えて再会したかのように、ドラゴンは静かに呟いたのだった。
「…? 何の話だよ?」
しかしマオは。怪訝そうな顔をしたまま、ドラゴンを見つめる。
ドラゴンは目を細め、再び鼻を鳴らした。
この話が、一体何を示しているのか、それは誰にも解らなかった。
【…あの時の小僧が、今の魔王だというのなら――何も知らぬのも道理、か】
「?」
【どうやら我の勘違いだった様だ。今のそなたとは、似ても似つかぬ存在だ】
長きに渡る束縛の記憶を懐かしむように、彼はゆっくりと過去を振り返っていた。
人間界と魔界を繋ぐ門を開き、数多の冒険者を魔界へと導いてきた日々。
かつて訪れた、一人の若き冒険者とその仲間達の姿。
そして、不完全な召喚によって、この洞窟へと囚われた苦しみの日々――。
全てが遠い記憶のように、彼の中を駆け巡る。
だが――
その記憶は、やがて霧が晴れるように消えていき、意識は次第に『今』へと引き戻されていった。
小さなラゴンはゆっくりと目を開く。
黄金の瞳が、レン達を見つめた。
【…今、封印の時を経て、我が役目はついに終わりを迎えた】
静寂を切り裂くように、低く響く声が洞窟内に広がる。
その声には、解放された者の安堵と、それでもなお、己の宿命を背負い続ける者の誇りが宿っていた。
【感謝しよう、人の子らよ】
その言葉を聞いて、レン達は顔を見合わせた。
「貴方の名前は?」
沈黙を破ったのは、レンだった。
ドラゴンは、レンの問いかけにゆっくりと首を傾げる。
【人間が、我の名を知ってどうする】
低く、静かな問いが返ってくる。
だが、レンは肩を竦めてあっさりと答えた。
「呼び方が解らなきゃ、貴方をどう呼んでいいか解らないでしょ? ドラゴンさんじゃあれだし」
すると、マオがにっと笑い、何処か楽しげに言う。
「魔界の住人なら、また会う時もあるだろうしなっ!」
その言葉に、ドラゴンは少し驚いたように目を細めた。
【…不思議なものだ。またしてもあの時と同じ事を、そなた自身がが口にするとは】
「だから、そう言うのよく解んねぇって!」
――姿形が変われども、やはりその魂は同じ――か。
ドラゴンといえば、恐れられる存在である。
人間達は忌避するか、あるいは利用しようとする事が殆どだ。
だが、この人間と小さな子どもは、まるで普通に『仲間』にでもなるかのように、何の躊躇もなく話しかけてくる。
それが奇妙であり、しかし其処か懐かしい気もした。
【…我が名は――」
ドラゴンはゆっくりと名乗った。
【我が名は、トワイライト・ドラゴンだ】
静かに告げられたその名は、闇と黄昏をまといながら、洞窟の空気に溶け込んでいった。
レン達の前で、小さな黒き竜――トワイライト・ドラゴンは、ゆっくりと翼を広げた。
その身体を覆う漆黒の鱗は、闇そのもののように揺らめき、洞窟内の淡い光を吸い込むかのように鈍く輝いていた。
そう言うと、ドラゴンの小さな身体がじわりと闇に包まれ始めた。
黒い霧のようなものが鱗の隙間から立ち昇り、まるで彼自身が闇に溶け込んでいくようだった。
「――待って!」
レンが思わず手を伸ばした。
「何処に行くの!? このまま消えちゃうの!?」
【…案ずるな】
トワイライト・ドラゴンは静かに答えた。
その声は、これまでの威厳ある調子とは違い、何処か穏やかだった。
【魔法陣が我をこの場に縛り付けていた。しかし、それが意味を失った今、此処に留まる理由はない】
レンは何か言いたげだったが、トワの身体が次第に淡い光と黒い霧に包まれていくのを見て、口を噤んだ。
【――お前たちならば、あの娘の願いも…】
しかし、その言葉の続きを聞く間もなく、トワの姿は霧と共に掻き消えた。
「き、消えた…?」
リリィが呆然と呟く。
「本当に…何処かへ行っちゃったの?」
「契約者の元に還ったんだろう」
マオが腕を組みながら、ぽつりと答える。
「あいつが言ってたじゃないか。魔法陣があいつを此処に縛り付けていたんなら、もう此処にいる理由はないからな」
「…あの娘の願い、か」
ウォルターは、最後にドラゴンが残した言葉を思い返しながら、静かに呟いた。
「誰の事なのでしょう?」
ドラゴンが何を伝えたかったのか、その真意はまだ解らない。
しかし、確かなのは、彼が彼なりに何かを託したという事だ。
「…考えてても仕方ないな」
トワイライト・ドラゴンがその場から消え去り、静寂が訪れる。
洞窟の最深部に広がる空間には、魔法陣の残骸と、戦いの余韻だけが残っていた。
「ねぇ。足音がするよ」
レンは一息吐く間もなく、背後から聞こえてくる賑やかな足音に気付く。
ザッ…ザッ…
複数の足音が響き、低い声で交わされる会話が洞窟の中に広がった。
「ついに最深部か…!」
「けど、変だな…威圧感があった筈なのに…」
「まさか、もう誰かが?」
そして、薄暗い通路の向こうから、数十人ほどの冒険者達が現れる。
様々な装備に身を包んだ彼らは、一様に警戒した表情を浮かべている。
彼らは、この洞窟を共に攻略しに来たパーティー達だ。
「…!」
そしてレン達を見るなり、冒険者は驚いたように足を止めた。
「おい、此処には何がいた? 巣窟の主は何処に行った?」
「ドラゴンの咆哮が聞こえたが…まさか、もう倒したのか?」
「他の場所は全部空振りだったんだ。もしかして此処が…?」
矢継ぎ早に質問が飛び交う。
それも当然だろう。
最深部と思しき場所には、明らかに強大な魔物が潜んでいる筈だった。
それなのに、其処にいたのはレンたち数名のみ。
しかも、戦闘の痕跡こそあれど、あの小さなドラゴンの姿は何処にもない。
「…まぁ、なんというか…」
レンが答えようとした時、更に奥からまた別の一団が姿を現した。
それは――
「お、おいおい…」
「とんでもねぇもんを見ちまったぜ…」
「ち、小さい…けど…いや、アレは絶対に…」
まるで夢でも見ていたかのように、支離滅裂な言葉を繰り返す男たち。
先程から様子がおかしいこの一団こそ、盗賊団・『影爪団』のパーティーだった。
彼らはレン達のすぐ後をつけており、戦いの一部始終を影から見守っていたらしい。
しかし、彼らの話は断片的で、要領を得ない。
「ドラゴンだった…確かにドラゴンだった…!」
「けど…おかしい、何故あんなに小さかった…?」
「いや、でも威圧感は凄かったし…絶対、ただのトカゲじゃねぇ…」
「あんな小さな体で、なんであんなに偉そうなんだ…?」
それぞれが口々に話すが、完全にパニック状態だった。
中でも、盗賊団のボスらしき男は、必死に取り乱すまいと冷静を装っていたが、若干顔色が悪い。
「お前達も見ていたのか」
ウォルターが彼らに視線を向けると、盗賊団のボスは渋々といった様子で頷いた。
「…まぁな。俺達は、後ろから様子を見てた。が…正直、未だに信じられねぇ。俺はこれまで、強大な魔物をいくつも見てきたが……アイツは…」
言葉を探すように、ボスは腕を組んだ。
「久しぶりに、心の底からヤバいって思ったぜ…」
それを聞いた他の冒険者たちが、より一層ざわつく。
「やっぱり、本当にドラゴンがいたのか?」
「でも、それなら…何故、姿がない?」
「討伐したんじゃないのか?」
疑問が次々と飛び交い、状況の共有を求める視線がレンたちに集中する。
だが――
この場所で長々と話し込むのは、得策ではない。
最深部といえども、いつ別の魔物が襲ってくるか解らない。
ウォルターが一歩前へ出て、静かに言った。
「――詳しい事は此処を出てから話そう」
その一言に、冒険者たちは一斉に頷く。
此処は、どうにも気味が悪い。
ドラゴンの咆哮が響き渡ったばかりの場所であり、得体の知れない力の余韻が残っている。
これ以上、長居する理由はなかった。
「…そうだな」
「此処で話すより、外に出てからのほうがいい」
「さっさと出ようぜ、こんなところ、もうウンザリだ」
そうして、一同は総出で洞窟の出口へと向かい始める。
だが、レンは歩きながら、先ほどのトワの最後の言葉を思い返していた。
【――お前達ならば、あの娘の願いも……】
あの言葉が何を意味していたのか。
トワイライト・ドラゴンが消え去る間際に、何故あのような言葉を残したのか。
――考えても、すぐには答えは出ない。
だが、それが近いうちに関係してくる事は、レンの胸の奥で確信に変わりつつあった。
黒きドラゴンとの出会いは、短いものだった。
しかし、それは確かに意味のある邂逅だった――
「マオ」
「うん?」
ウォルターが、見事な宙返りで着地するマオに声を掛ける。
「お前、何故戦わない?」
「オレは戦えないんだよ」
マオは短く答えた。
「らしくねぇな。『魔王』が戦えないなんて、冗談キツいぜ?」
「そう言われてもな。戦えないもんは戦えないんだ」
「何か理由があるのか?」
その問いかけに、マオは少しだけ困った表情を見せる。
そして視線は、後方に控えるレンへと僅かに向けられた。
「…戦う度にレンが苦しむ。だから、オレは戦えないんだ」
低く呟いたマオの言葉に、レンがハッと顔を上げた。
「え…?」
「レンは気づいてないけどな」
マオは溜息混じりに笑う。
「オレが戦って魔力を解放する度に、お前は知らず知らずの内に、それを補おうとしてるんだよ。頭痛や眩暈の原因はそう言った理由もある」
「何だって?」
「で、でも…このペンダントがあれば大丈夫なんじゃ?」
そう口にするものの、レンは思い返す。
確かに、最近ずっと戦闘の後に強い疲労感を覚えていた。
だが、それは自分が『眼の力』の所為で、戦闘に慣れていないからだと思っていた。
マオが魔力を使う度に、彼の魔力がテイマーである自分に、少なからず影響を及ぼしていたのだ。
「ジェリーが言ってただろ? ペンダントの力は万能じゃない」
「…つまり『魔王様の施し』ってのは、レンの力を強化するだけじゃないと言う事か」
ウォルターが静かに呟くのに対し、マオははっきりと頷く。
レン達は肩で息をしながら、今の戦いを振り返る。
魔物の『綻び』を見抜き、それを攻撃することで選別を突破出来た。
だが、その戦いにマオは加わらなかった。
彼は戦える力を持ちながら、敢えて一歩引いていたのだ。
それを見ていたウォルターが、低く呟く。
「強い力には、それなりに代償が伴うと言う事か…」
彼の言葉に、レンは小さく息を呑む。
「だからお前は、戦わないんじゃなく、戦えないのだな」
ウォルターはじっとマオを見つめる。
「マオ、お前の力がどれほどのものかは知らないが…もし、お前が戦えば、レンの身体に異変が起こるんだろう?」
その言葉に、マオは何も言えなかった。
彼は何も否定せず、ただ静かに俯いた。
「やっぱり、そういう事か…」
ウォルターがため息混じりに言う。
マオは決して、臆病でも薄情な訳でもない。
それどころか、今までの旅の中で、彼がどれほどの力を持っているかは、何度も目の当たりにしてきた。
それなのに―― 彼は戦おうとしない。
否、戦えないのだ。
「ごめんマオちゃん…私がもっと、マオちゃんの力に耐えられれば…」
レンは拳を握りしめながら、小さく呟く。
「私が…もっと強ければ…」
彼女は、自分の未熟さを噛みしめていた。
マオは戦えるのに、満足に戦わせられない。
それが、何よりも悔しかった。
だが――そんなレンを、マオはそっと覗き込むと、ふわりと微笑んだ。
「気にするな」
彼の笑顔は何処までも優しくて、何処までも暖かかった。
「大丈夫だ、レン。オレは…これでいいんだ」
「でも…」
「レンが気にする事じゃない。それに…オレは、レンが無事でいる事の方が大事だっ」
マオの言葉に、レンは何も言えなくなる。
彼は、自分の事よりもレンの事を優先していた。
それが、どれほど強い意志によるものか――レンには痛いほど伝わっていた。
だからこそ、レンは歯を食いしばる。
マオちゃんが子どもの姿になったのは、私の所為で。
その力を制限させているのもまた、私だ。
彼がまた元の『魔王』に戻れる日が、本当に訪れるのだろうか。
彼が何も気にせず、その力を存分に振るえるように――
自分は、もっと強くならなければならないのは確かだった。
お読み頂きありがとうございました。
ブクマやご感想等を頂けましたら、励みになります。




