眼の力
魔法使いの身体がびくりと震えた。
仲間達は既に倒れ、こと切れている。
残されたのは、ただ一人だけだった
「…う、嘘でしょ…?」
彼女の声はか細く、何処かまだ、現実を受け入れきれていないようだった。
しかし、森の番人は容赦しない。
ズズズ……
闇のような気配が渦巻き、番人の巨大な影が彼女を覆う。
その眼光が、彼女を標的として捉えた瞬間――
『――ォォォッ!!!!』
轟く咆哮。
地が揺れ、森の生き物たちが一斉にざわめく。
「や、やだ…待って…!!」
魔法使いは尻もちをつきながら、後ずさる。
そのスタッフは杖を握るものの、恐怖で魔法の詠唱すら出来ない。
――助けて。
誰か、助けて。
彼女の心が叫に。
だが、かつて仲間だった者達は欲に溺れ、森を冒涜した報いを受けた。
そして、彼女もまた、その仲間として見なされていた。
あの冒険者達は、森から出られない腹いせに、必要以上にブラックウルフを狩った。
牙や毛皮を剥ぎ、弱き魔物たちまでも傷つけた。
その報復として、森の怒りは彼らを葬ったのだ。
そして今、番人は魔法使いへと狙いを定めた。
「ま、待って! あたしは…何も…何もしてない…っ!」
魔法使いは膝をつき、震えながらかぶりを振る。
確かに彼女は、不必要な狩りをする事はなかった。
倒した魔物の毛皮も牙も奪わず、ただ仕事として戦っていただけだ。
それでも──
「あいつらと一緒にいたってだけで、あたしも同罪ってわけ……?」
彼女の声には、怒りと悲しみが入り混じっていた。
自分は何もしていないと。
こんな仕打ちは理不尽だと。
だが――
番人の目は、彼女の言葉を待つことなく、ただ冷たく光る。
ズ……ズズ……
影が膨れ上がるように形を変え、無数のブラックウルフが姿を現す。
彼女を取り囲み、牙を剥いた。
「ひっ…!!」
目の前の闇が、牙を剥いて迫る。
彼女は目を閉じた。
そして――
「違う! 俺達に戦う意思はない!」
だが、フウマの言葉も虚しく、森の怒りは収まらない。
目の前の巨大な影──森の番人は、静かに魔法使いへと歩みを進めていた。
その動きには迷いがない。
魔法使いは震えたまま、一歩も動けない。
いや――動けなかった。
恐怖が体を縛りつけ、まるで人形のように立ち尽くすしかなかった。
そんな彼女の前に、小さな後姿が佇む。
「この人間は、悪い奴じゃない」
マオが――番人に訴えかけていた。
「マオちゃんっ…!?」
「お前の怒りはもっともだが…どうだ? 少し、話し合いの余地はないか?」
彼はしっかりと森の番人を見上げ、静かに語り掛ける。
「確かに、魔法で燃やしたのは事実だ。森を焼き、仲間を焼き、お前の仲間がそれで命を落としたのも――解ってる」
それでも。
「こいつは、必要以上に狩る事をしなかった。毛皮を剥ぐ事もなかった。ただ、あの馬鹿共に巻き込まれたんだ」
マオは肩を竦めて、おどけたように笑う。
「それにさ…こいつ、道に迷って泣くくらいの奴なんだぞ?」
一瞬、魔法使いがびくっと反応した。
「そ、そんな事…!!」
「嘘じゃないだろ?」
マオはニヤリと笑いながら言う。
こんな状況で、こんな軽口を叩けるのはマオくらいだった。
レンもフウマも、ディーネもスライムも――誰一人、口を挟めない。
ただ、緊迫した空気の中で、マオと番人の対話を見守る事しか出来なかった。
だが――森が再び唸る。
番人は、なおもその巨大な体を揺らしながら、静かに首を横に振った。
「……いくらそなたの頼みでも」
低く、地の底から響くような声が、マオに告げる。
「こればかりは許せん」
ズズ……と影が広がる。
魔法使いの足元が、黒い闇に呑まれ始めた。
「ひっ…!」
「…そうか」
ぱちん、とマオの指先が音を弾く。
魔法使いを飲み込まんとしていた黒い闇が、一瞬だけ――弾かれるようにその場から退いた。
マオは小さく溜息を吐き、森の番人を見上げた。
その目はいつになく真剣で、けれど何処か寂しげだった。
「…解ってたけどな」
静かに呟いたマオの声が、森のざわめきに溶ける。
彼の言葉は、其処までだった。
その前に、フウマがすっと立ち塞がる。
「だったら、俺達だって魔物を狩ったんだぜ?」
余裕ぶった口調でそう言うものの、その表情にはまるで余裕がなかった。
彼は分かっている。
今、魔法使いを見捨てる選択肢などない事を。
レンがダガーを握り締める。
フウマがクナイを構え、ディーネは震えながらも防護呪文を唱えようとしている。
全員が、魔法使いを助ける為に。
森の番人の影が揺らめき、その足元から新たな闇が生まれる。
影がうごめき、其処からブラックウルフが次々と生み出されていった。
生み出されたブラックウルフは、まるで闇そのものだった。
漆黒の毛皮を持ち、瞳は血のように赤い。
影から影へと流れるように動き、霧のように形を変える。
レン達は、闇の中で完全に囲まれていた。
「…これは、やばいな」
フウマがポツリと呟いた。
逃げ場はない。
四方を囲まれたレン達は、ダガーを、クナイを、ロッドを、それぞれが構える。
「やるしかない…!」
レンが叫ぶと同時に、影の群れが襲いかかってきた。
月明かりすら届かないほどの、深い闇が広がっていた。
夜風が葉を揺らし、ざわざわとした音が響く。
辺りを照らすのmディーネのロッドによる光だけが、頼りだった。
だが、それよりも不気味だったのは、周囲に感じる複数の視線と、得体の知れない気配である。
あの冒険者達も、見えない敵に苦戦を強いられていた。
「何処から…?」
レンが警戒しながら呟く。ディーネとフウマも武器を構えていたが、目に見えない敵を相手にするのは容易ではない。
「チッ、まるで幽霊でも相手にしてるみたいだな…!」
フウマが舌打ちしながら、周囲を見渡す。
しかし、気配を感じるのに敵の姿が全く見えない。
何処kにいるのか、何処から攻撃されるのか、まるで見当がつかないまま。
「っ!!」
鋭い爪が闇の中から飛び出し、フウマの腕を掠めた。
「くそっ! 何処にいる!?」
焦りが募る。
レンも必死で目を凝らすが、視界は暗闇に閉ざされていた。
「これじゃ、逃げる事も出来ません…!」
ディーネが声を震わせる。
敵の姿が見えないまま、四方八方から攻撃され続ける。
せめて姿が見えれば――!
誰もがそう考えていた。
その時、ディーネが意を決したようにロッドを掲げる。
「光よ…!」
眩い光が周囲を照らし、一瞬だけ敵の影が見えた。
だが、次の瞬間、光が強くなると同時に、闇も更に濃くなる。
まるで影が深まるように、敵の姿は再び消えてしまった。
「ダメ…強い光を当てても、影が濃くなるだけ…!」
『ボ、ボクのぷちっとふぁいあで…!』
「待て! むやみに撃つな、俺たちまで巻き込まれるぞ!」
フウマが制止する。
広範囲に炎を飛ばせば、敵をあぶり出せるかもしれないが、自分達まで炎の影響を受ける危険がある。
それにこれ以上、森の番人の『怒り』を買う訳には居なかった。
どうすれば…
どうすれば、敵を見つける事が出来る?
レンは考える。
無策に武器を振り回せば、余計な労力を強いられるだけだ。
闇に紛れているから解らないのであって、姿さえ見えればきっと自分達でも敵に攻撃は当てる事は、きっと可能だろうう
「…?」
目を凝らすと、預かに赤黒いオーラのようなものが揺らめいていた。
「フウマ…」
「あん? 何だよ」
「あ、いや…そうじゃなくて…」
まるで、フウマの時と一緒だった。
『怒り』の感情が、まるでオーラとなって激しく波打っているのが解る。
それらは闇の中で、確かに『ブラックウルフ』を形どって見える…そんな気がした。
…見える?
いや、確かに見えている。
敵の輪郭が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
「…もしかして、これ…眼の力…?」
レンの目には、敵を覆うオーラが映っていた。
他の皆には見えない。
しかし、レンだけは敵の存在をはっきりと認識できている。
「…っ!」
頭痛と眩暈が襲ってくる。
それでも、このままでは皆が倒される。
レンは思い切って叫んだ。
「フウマ! 右斜め前、低い位置に一体!」
「…其処か!」
フウマがクナイを投げる。
刃が闇の中に消えたかと思うと、直後に鋭い悲鳴が響いた。
「当たった…!?」
敵が避ける前に攻撃は当たった。
敵はそれほど素早くはないようだ。
「ディーネっ。すぐ足元に居る! 矢を撃って!」
「は、はいっ!!」
レンの叫びに、ディーネは『浄化の矢』を引き絞った。
彼女の声がなければ、あと数センチの所まで敵は、確かに潜んでいた。
「レン、お前…!?」
「フウマっ! また来てる! 今度は左上っ!」
すかさずフウマがクナイを投げ飛ばす。
闇の中で、確かにブラックウルフの悲痛な叫びに、彼は確かな手ごたえを感じていた。
「やっぱり、見えてるんだな! レン、この調子でどんどん指示をくれ!」
「解った…!」
レンは痛みを堪えながら、次々と敵の位置を伝える。
フウマのクナイが的確に突き刺さり、ディーネが浄化の矢を放つ。
時にスライムも指示に従い、森を傷つけないよう、炎の玉をピンポイントで命中させた。
次々と闇の中の魔物が倒れていく。
しかし――
「…っ、く…!」
頭が痛い。
視界が揺れる。
レンはふらつき、地面に膝を突いた。
「レン、大丈夫か!?」
「まだ…まだ、やれる…!」
此処で気を失う訳には行かない。
まだ森の『怒り』は収まっていないから。
だが、果たして――このまま戦い続けたとして、その『怒り』は収まってくれるのだろうか?
その時だった。
ぎゅっ――
マオがレンの手を握った。「
小さく、けれど温かい手。
その瞬間、不思議と痛みが和らいでいく。
眩暈も、ほんの少しだけ軽くなった。
「マオちゃ…?」
「…お前が倒れたら、俺達は勝てない。だから、最後まで立っていろ」
マオの声は冷静だったが、その手は確かに力強く握られていた。
その温もりが、レンの背中を押す。
私を――助けてくれる。
「…うん!」
再び立ち上がり、レンは最後の敵の位置を見極める。
「フウマ、最後の一匹……其処!」
「任せろ!」
フウマが跳躍し、クナイを深く突き立てる。
「――よし!」
影が揺らぎ、最後の魔物が絶命した。
静寂が訪れる。
「…終わった?」
ディーネが小さく息を吐く。
フウマも肩を落としながら、クナイを戻した。
「終わったな…いや、マジでヤバかったぞ。」
レンはぐったりと座り込みながら、マオの手を見つめた。
「マオちゃん…ありがとう」
「気にするな。よく頑張ったな、レン!」
マオはにぱっと笑って見せる。
その手はまだレンの手を握っていた。
『―-オオオオ!!!』
「くそっ。これじゃキリがない…!」
足元に響く低いうなり声。
重くのしかかる威圧感。
倒しても倒しても、次々と生み出されて行くブラックウルフ達。
視線の先に聳え立つのは、禍々しい気配を纏う巨大な魔物――
逃げ場はない。
戦うしかない。
しかし、相手の格が違いすぎる。
「どうする…どうすればいいんだ…!」
フウマが歯を食いしばりながら呟く。
「…あ…あ…!」
ディーネの手が震えていた。
スライムも不安そうにレンに寄り添う。
レンはダガーを握り締めるが、その手には汗が滲んでおり、恐怖と絶望がじわじわと胸を侵食していく。
突如として、空から影が落ちてきた。
ドォォォン!!
地響きを立て、地面に大きな穴が穿たれる。
土煙がもうもうと舞い上がり、その向こうから現れたのは
「ふぅ…また変なところに飛ばされたね、僕…」
何処か気怠気な男――ジェリーだった。
お読み頂きありがとうございました。
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