C級昇級クエストへの挑戦
街から離れた場所には、鬱蒼と広がる森が少し遠くに見えている。
その森に続く街道を歩くレン、ディーネ、フウマ、スライム、そしてマオ。
彼女達はC級昇級クエストを受ける達、緊張した面持ちで其処に居た。
「ふぅ…やっぱり緊張するなぁ」
レンが小さく息を吐きながら、握りしめた剣の柄をぎゅっと握り直す。
試験やテストを目前に控えたような、言いようのない緊張感。
「肩の力抜けよ、レン。ガチガチになってたら戦えるもんも戦えなくなるぜ?」
フウマはそんな彼女の肩を軽く叩き、気楽に行こうぜと笑ってみせた。
「そ、そうだよね…!」
レンは深呼吸をして、緊張をほぐそうとする。
「ウォルターさんも『気を張らずに頑張れ』と仰って下さいましたが…うう…っ」
ディーネが少し寂しそうに呟く。
今、この場にウォルターの姿はない。
彼は既に昇級クエストを終えており、参加資格がなかった。
レン達を笑顔で見送ってくれたのが、つい先ほどの事である。
「応援してるって言ってただろ。それに、本人もいろいろ準備があるらしいしな」
「うん、そうだね。それにクリアしないとウォルターに追いつけないしし、やるしかないか…!」
レンも小さく頷きながら、森へと続く街道へと足を踏み入れた。
街道沿いは海に面した深い青が広がり、太陽の光を反射して煌めいている。
潮風が吹き、微かに塩の香りが漂っていた。
しかし、そんな穏やかな光景とは裏腹に、徐々に近づいて行く森は、まるで異質な存在のようだった。
「…ねぇ、本当に此処なの?」
レンは不安げに、フウマの顔を覗き込む。
「ああ、間違いねぇよ。此処がクエストの指定された場所だ」
フウマは地図を確認しながら頷いた。
森の周囲には簡素な柵が建てられていたが、その多くは何者かに噛み契られたように壊れていた。
まるで獣の鋭い牙が突き立ったかのような跡が残っている。
レンはそれをじっと見つめながら眉を顰めた。
「何だか、不気味な場所ですね」
ディーネもレンの隣で身を竦めている。
森の周辺は何処か霧がかった様に、所々が白っぽく見えている。
何処かひんやりとした雰囲気に、ディーネは少しだけ身震いをした。
「まぁ、海沿いの森ってのは湿気が多いし、霧が出やすいからな。それに――見ろよ」
フウマが森の方を指さすと、遠くの樹々の間からギャアギャアと野鳥が飛び立っていくのが見えた。
「余り、居心地の良い場所ではなさそうだね…」
レンもまた、不安げに呟いた。
「…どうやら先客みたいだぜ?」
「え?」
そんな時、森の入り口で別のパーティーと遭遇した。
レン達の前には、立派な装備に身を包んだ冒険者達が揃っていた。
鎧や武器には高級な細工が施され、見るからに高価そうで強そうだ。
彼らの装備を見た瞬間、フウマは目を細めて口笛を吹いた。
「…へぇ、あれはいい装備だな。かなりの性能だぜ」
「凄い。見ただけで解るの?」
「これでも盗賊だぜ? 目利きの腕には自信がある」
そんな話をしていると、パーティーの一人が気付いた様に此方を見た。
「あんたらも昇級クエストか?」
「あぁ、そうだ」
冒険者達は、お互いがC級昇級クエストを受けに来た事を知ると、ふん、と鼻で笑った。
「へぇ? こんな奴らも同じクエストかよ」
「なぁ、これって先に討伐した方がクリアなんだよな?」
「そうそう。こいつらが後から来ても、もうクエスト達成済みだったら意味ないしなぁ」
彼らはレンたちを値踏みするように見つめ、やれやれと肩を竦める。
「…そうなの?」
「まあな。先にクリア出来なきゃクエストは失敗だ」
「えっ。そうなんですか…!?」
レンとディーネは戸惑い、フウマは腕を組んで彼らを睨んだ。
「昇級クエストはな、早い者勝ちなんだよ。先にクリアしたほうが昇級出来るって訳だ」
「そんな事も知らなかったのか?」
彼らはそんな風に鼻で笑う。
今まではクエストを受注した段階で、そのクエストは自分達だけのものだと思っていた。
しかし昇級クエストは、その時その時でクエスト内容が異なり、こうして他のパーティーと勝ち合う事も少なくはないらしい。
寧ろ、今までレン達が行って来た昇級クエストは、たまたま他のパーティーとは出会わなかったのが、幸いだったようだ。
「そ、それなら…一緒に討伐しませんか?」
ディーネが恐る恐る提案する。
しかし、彼らは顔を見合わせたものの、誰一人として首を縦に振らなかった。
「おいおい、冗談だろ? こんな貧相な装備の奴らと一緒になんて、足手まといにしかならねぇよ」
「まったく。弱そうな連中と組むメリットが、何処にあるっていうのさ」
レンは自分の装備を見下ろした。
確かに、自分の装備も旅に向けて新調したばかりだったが、あの冒険者達に比べれば貧相に見える。
何となく気後れしてしまった。
「彼らに取られる前に、早く行こう」
「えぇ、そうね」
彼らはクスクスと笑いながら、森の中へと進んでいく。
「足手まといは要らない。あたし達が先にクリアするわ」
そう言い残し、彼らは森の中へと姿を消した。
「…何か、感じ悪いですね」
ディーネが苦笑する。
確かに、とフウマも肩を竦めている。
「あんな奴らと一緒にやるのは、俺はごめんだね」
「凄い装備の人達だったなぁ…よく解んないけど、なんか強そう」
「そうかぁ? 金に物を言わせてるだけじゃねぇか」
レンは、自分のダガーを見つめながら小さく息を吐いた。
せっかく新調した装備だったが、あの冒険者達に比べれば確かに見劣りする。
溜息しか出なかった。
『ボク、レンの装備好きだよー? だって可愛いもんっ』
「はは…ありがとう、スライム」
すると、ディーネが優しく微笑みながら言った。
「わたし達は私たちで頑張りましょう!」
「そうだね」
レンも微笑み、ディーネと向かい合う。
装備だけで全てが決まるとは、思いたくなかった。
「結局、早い者勝ちってことか」
フウマはニヤリと笑うと、そっと口布を引き上げる。
クナイの柄を握る動作は静かだが、二つの鋭い眼光が彼を『仕事』の顔つきに差せる。
『フウマ』から『カゲ』へ。
それは、彼なりの戦闘スタイルだった。
「だったら、俺達が先にクリアしちまおうぜ」
潮風が吹き抜け、遠くで波の音が聞こえる。
彼らは改めて気を引き締め、海の見える森の奥へと足を踏み入れた。
森の中に足を踏み入れた瞬間、ざわ……と木々がざわめいた。
「っ……!」
レンは思わず足を止め、辺りを見回した。
「どうした?」
「な、何課今…森が、動いたみたいな…」
「…タダの風の音だろ?」
フウマが辺りを見渡し、特に気にした様子もなく言い放つ。
確かに風が木々を揺らす音は聞こえる。
しかし、今感じた不気味な雰囲気は、本当にただの風のせいなのだろうか――?
その時だった。
「…あ、あれ?」
ディーネの困惑した声が響く。
レンがディーネの視線を追うと、驚愕の光景が目に飛び込んできた。
「入り口が…ありません…っ」
先ほどまで開けた道が見えていた筈の入り口が、完全に塞がれていた。
いや、それどころか、そこにはただの木々が生い茂り、まるで最初から道などなかったかのようになっていた。
「何これ…?」
「たった今、入ってきたばかりでしたよね?」
「なるほどね…」
フウマは少し考え込んだ後、ぽつりと呟いた。
「これは、そういう仕掛けってわけか」
「仕掛け…?」
ディーネが不安げに問う。
「ああ。クエストを達成しない限り、この森からは出られない――って事だろうな」
「えぇっ!?」
レンとディーネは顔を見合わせ、驚愕する。
レンは唾を飲み込みながら、冒険者ギルドにあった、クエストの内容を思い返す。
【指定された魔物を討伐せよ――討伐数は20体】
簡単な内容のようでいて、意外と厄介な条件だった。
森の広さも解らなければ、標的の魔物が何処にいるのかも解らない。
しかも、この森には標的以外の魔物も多数生息しているとの事だった。
「…とにかく、探すしかないね」
レンは意を決して前を向く。
「えぇ。でもどうやって?」
ディーネが辺りを見回しながら首を傾げた。
「手分けして探した方が早いかな?」
「えっ…この森の中を、一人でですか…!?」
「いや、それはダメだ」
フウマが即座に否定する。
「此処がどんな森かも解らないのに、単独行動なんて危険すぎる。固まって動くぞ」
「そ、そうですね! その方がいいと思いますっ」
ディーネも納得したように頷いた。
その時、遠くから金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。
「…戦ってる?」
「さっきの連中だろうな」
フウマが冷静に言う。
音は森の奥から響いてくるが、何処からなのかははっきりしない。
ただ、時折聞こえる歓声から、どうやら順調に標的を討伐しているようだった。
「俺達も急がないとな…!」
フウマの言葉に、レンとディーネも焦燥感を覚えた。
「いた!」
森の中を歩くレン達が、漸く一体の魔物を見つけたのは、森に入って三十分が経とうとしていた頃だった。
それは漆黒の毛並みを持つ狼の魔物――ブラックウルフ。
それが、今回の昇級クエストの討伐対象となっている。
「…単体だけど、油断は禁物だ」
警戒する様に、フウマが小声で呟く。
「群れを呼ばれると厄介だぞ」
「う、うん…っ」
レンがダガーを構える。
仲間を呼ばれる前に、此方としては直ぐにブラックウルフを仕留める必要がある。
「俺がまずクナイを投げる。そうしたら戦闘開始だ」
フウマは小声で言いながら、静かに腰のクナイを抜き取った。
その指先は一切の迷いなく、しっかりと獲物を捉えている。
「わ、わたしは直ぐに防護壁を張りますね」
ディーネの声が少し緊張を帯びていたが、その瞳には確固たる意志が宿っていた。
回復役の彼女が倒れてしまえば、レン達の戦力は一気に落ちてしまう。
だからこそ、彼女の防御を固めることが、最初の戦闘での最優先事項だった。
「私とスライムで、ディーネの前に出るね」
レンが小さく頷きながら、そっとダガーを握り直す。
『ボク、ディーネちゃんを護るよっ!』
スライムがぷるんっと弾みながら、前へ進み出た。
その声は可愛らしいが、その中にはしっかりとした決意が感じられる。
「ありがとうございます、レンさん、スライムさんっ」
ディーネが微笑みながら、両手でロッドをしっかりと握り締める。
彼女の持つtロッドの先に魔力が集まり、淡い光が宿った。
――準備完了。
「…行くぞ」
フウマは深く息を吸い込み、一瞬で空気を研ぎ澄ませる。
まるで周囲の時間が止まったかのような静寂の中、彼は無駄なく、正確にクナイを構えた。
シュバッ──!
闇を切り裂くように、クナイが一直線に飛んだ。
「グゥアァッ!!」
乾いた音と共に、ブラックウルフの左肩にクナイが突き刺さる。
傷口から鮮血が弾け、痛みに悲鳴を上げたブラックウルフは、その瞬間、完全に敵意を向けた。
その瞳には怒りと警戒が宿り、獣の本能が目覚める。
鋭い耳がピクリと動き、琥珀色の瞳がギラリと光た。
獲物を狙うような低い唸り声が、喉の奥で響いていた。
――牙を剥き、飛び掛かってくる。
「バリアよ、護って!」
ディーネの詠唱が完了すると同時に、薄く淡い光の膜がレンとスライム、そして自身の周囲に展開された。
これで少しの攻撃なら耐えられる筈。
「行くよ!」
レンが剣を構え、スライムと共にブラックウルフの進行を阻むように前へ出る。
『ボクが先に行くねっ!』
スライムがびよんっと跳ねて、レンの前に出る。
おくちを大きく開けると、其処から盾を吐き出した。
弾力のある体と盾の防御力を活かして、ブラックウルフの突進を受け止める。
衝撃によりスライムの体が一瞬潰れるように変形するが、次の瞬間には元の丸みを取り戻し、勢いを吸収したまま弾き飛ばす。
「グルルッ…!」
ブラックウルフは後ろ足で踏ん張りながらも、バランスを崩しそうになった。
その隙を逃さず、レンが間合いを詰める。
「はっ!!」
ダガーが横薙ぎに振られ、狙うはブラックウルフの脇腹。
手応えありだ――!
しかし、ブラックウルフも素早く後方へ飛び退き、致命傷にはならなかった。
「やっぱり速い…!」
レンが舌打ちをするが、その間にもブラックウルフは鋭い爪を振りかぶり、カウンターを仕掛けてくる。
「ディーネ!」
「浄化の矢!」
レンの呼びかけに反応し、ディーネがすぐさま攻撃魔法を発動。
一本の光の矢が、真っすぐにブラックウルフの頭上へと降り注ぎ、敵のカウンターの威力を削ぐ。
更に、敵の爪で完全に防ぎきれなかったレンの腕の傷が、瞬く間に塞がっていく。
ディーネの回復への対応に、レンはぱっと笑顔を見せた。
「ナイスフォロー!」
「まだまだいきますよ!」
一方、フウマは既に、次の一手を仕掛ける準備を整えていた。
「レン、次の一撃で終わらせるぞ!」
「うんっ! …スライム!」
レンが頷くと、フウマが再びクナイを投げる。
しかし今回は狙いが違った。
シュッ──!
ブラックウルフの目の前の地面にクナイが突き刺さる。
その瞬間、狼が一瞬視線を逸らした。
その隙を突くように――
スライムがブラックウルフの前に躍り出た。
「今だよっ!」
『ぷちっとふぁいあ!』
小さな火球がブラックウルフに命中し、黒い毛並みを焦がす。
「グゥアァァッ!!」
熱さに悶え苦しむ姿に止めを刺すように、フウマが素早く接近。
そのクナイが深々と喉元に食い込み、ブラックウルフは悲鳴を上げながら倒れ込んだ。
そして、そのまま動かなくなる。
「やった…!」
静寂が戻る。
息を整えながら、レン達は戦いの余韻に浸った。
「皆さん、大丈夫ですか?」
ディーネが心配そうに見回すが、大きな怪我をしている者はいない。
全員が無事に戦いを終えた事に、彼女はホッと胸を撫で下ろす。
『わーい、やったぁっ!』
スライムが、とても嬉しそうにその場で跳ねている。
『ボク、レン達の役に立てたかなっ?』
「勿論だよ。スライムが居なかったら、この戦いはもっと苦戦してた」
『えへへ…!』
レンが微笑みながらスライムの体をポンポンと軽く叩く。
スライムは嬉しそうにぷるぷると弾んだ。
「意外とそこまで強くはなかったな」
フウマが軽く肩を竦めた。
「とんでもなく強かったら、どうしようかと思ったよ…」
「えぇ、本当に…」
レンとディーネはほっと息を吐いた。
きっと一人だったら、満足に戦う事すら出来なかったかも知れない。
皆で挑んだ結果、楽に倒せたのだと言えるだろう。
「お前ら、D級冒険者なんだからもう少し自信持てよ」
「でも、フウマさんが居てくれて本当に良かったです」
「よし、次のブラックウルフを探そう」
フウマの言葉に、全員が頷く。
――最初の一体を仕留めたレン達は、次なる獲物を求めて再び森の奥へと進んでいった。
しかし、問題はここからだった。
お読み頂きありがとうございました。
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