内緒のお話
「チビ! ちゃんと拭いてから行け! 風邪ひくだろ!?」
そんな慌ただしいフウマの声が、隣の部屋からディーネの耳に飛び込んできた。
――お風呂の時間が終わったのですね。
そう理解した瞬間、元気よく部屋に戻って来るマオの姿が目に入る。
彼の小さな身体からは、まだホカホカと湯気が立ち上っていた。
そして、その頭の上にはお決まりのように、スライムがちょこんと乗っている。
しかし、少しぼんやりした表情で、顔や手足がほんのり赤みを帯びていた。
「スライムさん、のぼせてしまったのですか?」
「そうみたいだなっ」
「お水を飲んで、休ませましょうね」
『う~ん…』
ディーネは、心配そうにスライムを見つめた。
「マオさんも、風邪を引かないようにしてくださいね」
そう声をかけると、マオは『んー?』と気の抜けた声を出して、頭を軽く振る。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。オレは魔王だぞ?」
そう言いながら、ベッドの上にごろんと横になる。
その瞬間、スライムが『ぴゃっ!?』と小さく鳴きながら、彼の頭から転がり落ちた。
ディーネは思わずくすりと笑いながら、タオルを手に取る。
「ちゃんと拭かないと、本当に風邪をひいてしまいますよ」
「濡れたまんまじゃ駄目か?」
「勿論です」
優しく窘めながら、ディーネはマオの頭にそっとタオルを被せ、ぽんぽんと拭き始める。
「レンは?」
「ああ、まだお風呂ですよ」
ディーネが答えると、マオは『ふーん』と短く相槌を打った。
「寝るのは一緒でも、お風呂は別なんですね…」
「レンが嫌がるからなっ!」
「嫌がると言うか、恥ずかしがっているのかと…」
マオの中身が青年であることを知らなければ、何とも不思議な光景だった。
思い出すのは、継承式の夜。
あの夜、マオが青年の姿に戻った時の衝撃は、今でも忘れられない。
しかしあれ以来、彼が再びその姿になる気配はなかった。
今も、いつもの幼い姿のまま、ベッドの上にごろんと寝そべっている。
彼が魔王だと知らなければ、本当にただの子どもにしか見えない光景だった。
気が付けば、カタログを広げながら、夢中でページをめくるマオ。
その姿を、何ととなくディーネは見つめていた。
「…そんなに見つめて、何か用なのか?」
マオが不意にそう言った。
背を向けていた筈なのに、気配で察したのか、ディーネの視線に気付いたらしい。
「えっ、あ、すみません…! その、何を見ているのかな、と思って…」
慌てて視線を逸らしつつ、ちらりとマオの見ているカタログに目を向ける。
分厚い冊子には、数々の商品が並んでいるように見えた。
「ジェリーのカタログだぞっ」
「あぁ、ジェリーさんの…」
ジェリーのカタログ。
それは調度品や家具、装備品、アイテムに至るまで、ジェリー手作りの作品が並ぶ通信販売のカタログだ。
ディーネもジェリーの品々の評判は知っている。
レンの家にある調度品も、彼が作ったものだと聞いていた。
それらはどれも精巧で、美しく、実用的だった事を思い出す。
マオはカタログをめくりながら、楽しそうに装飾品のページを見つめている。
ベッドに寝そべり、足をぶらぶらと揺らしながら、時折『おぉ!』と声を上げたりする。
暫くそうしていたかと思うと、突然ぴょんっとベッドから飛び降り、ディーネの元へやってきた。
「なあなあっ。こういうのってどうだ?」
いきなりそう聞かれ、ディーネは戸惑う。
「どうだ、とは?」
マオが指し示すページには、装飾品やアクセサリーが並んでいた。
――指輪、ネックレス、ブレスレット、ピアス…身につけるものが主流のページだった。
確かに、彼が選ぶアクセサリーはどれも見た目は煌びやかだったが――
『悪魔のネックレス』
『血契の指輪』
『呪われし者の腕輪』
…物騒な名前のものばかりである。
「格好いいかっ!?」
「えっ?」
突然の問いに、ディーネは少し考え込む。
そして、マオが身につけると想定して答えた。
多少ゴツゴツしているものの、男の子はこういったアクセサリーに憧れる衣あるだろう。
「え、えぇ…マオさんがつけるのであれば、格好いいと思いますよ」
マオは満足げな顔をしつつ、また別のアクセサリーを指差す。
「じゃあ、これは?」
「素敵ですね」
「これは?」
「上品ですね」
「これはどうだっ!」
「シンプルで使いやすそうですね」
マオはカタログをめくりながら、次々とアクセサリーをディーネに見せていく。
その度に『かっこいいか?』と尋ね、ディーネも誠実に答えていった。
―ーマオさんって、アクセサリーに興味があったのかしら?
カタログを一緒に眺めながら、しかしマオの『格好いい基準』に、微妙なズレを感じ始めたディーネ。
普段の彼の性格からすると、あまり装飾品にこだわるタイプには見えない。
耳には確かにピアスを付けているが、装飾品と言えばそれくらいの物だ。
寧ろ普段着でさえ無頓着で、確か彼の来ている『お子様ジャージ』も、そのジェリーが仕立てたものだ。
「うーん…」
しかも、どうやらかなり真剣に選んでいるようだった。
そんなやり取りを繰り返していると、マオがふとこんな事を口にした。
「レンにも似合うか?」
ディーネは、一瞬目を瞬かせる。
「え?」
マオの物だと思って話を聞いていたが、もしかしてこれはレンの為に選んでいるのでは?
マオは楽しそうに、嬉しそうにカタログをめくっている。
その表情を見て、ディーネは確信した。
…贈り物なのですね。
子供ながらに、アクセサリーを送ろうとしているのだとしたら――何とも微笑ましい限りだった。
ただ、レンさんなら、きっとどれを選んでも似合います――とは言えなかった。
彼が選んでいたアクセサリー。
よく見ると、ただ名前が怖いだけではなく、その効果はまた恐ろしいものが多かった。
例えば『悪魔のネックレス』は、装備者の魔力を強化する代わりに、一時的に邪気を纏う効果がある。
『血契の指輪』は、装着者同士の生命力を共有するという、聞きようによってはロマンチックだが、実際は命のやり取りになりかねないもの。
『呪われし者の腕輪』に至っては、『死ぬまで外れない』 という、とんでもない仕様付きだった。
…これ、本当に贈り物としてどうなんですか?
ディーネは内心でツッコミを入れつつ、どうにかして軌道修正を図ることにした。
「マオさん…贈り物なら、もっとシンプルなアクセサリーがいいと思いますよ?」
「えっ? でも、これもアクセサリーだぞ?」
マオは不満そうに、またもや禍々しいペンダントを指差す。
「違いますっ。そうじゃないんです!」
ディーネは思わず力説した。
確かに、見た目だけならどれも美しく、装飾も細かい。
しかし、普通の人間――特にレンにとって、こういったアクセサリーは身に着けるだけで危険すぎる。
寧ろ、即刻投げ飛ばしてしてしまうかも知れない。
冷静に考えれば、これはマオの感性の違いなのだろう。
彼は魔王であり、普通の人間とは価値観が少しズレているのかも知れない。
「マオさんは、人間の装飾品を考えた事はありますか?」
「んー? なんか違うのか?」
ディーネは少し考えた後、できるだけ分かりやすく説明することにした。
「例えば…人間のアクセサリーは、身につけた時にお洒落に見えることが大切なんです。意味や効果も大事ですが、一番は『贈る相手に似合うかどうか』ですよね?」
マオはカタログをじっと見つめ、考え込む。
「でも、これもかっこいいぞ?」
そう言いながら指差したのは『呪われし指輪』
装着すると力が増すが、契約を果たすまで外れないという代物だった。
これ以上、訳の分からない『契約』を増やそうものなら、彼女は確実に破滅への一途を辿るに違いない。
ディーネは優しく微笑みながら、首を横に振った。
「マオさん、レンさんは苦しむ為に、アクセサリーを身につけるんじゃないですよね?」
「…!」
マオは目を丸くして、はっとした様子だった。
ディーネは続ける。
「レンさんに似合う物を、考えてみませんか?」
「じゃあ。ディーネも一緒に選んでくれっ!」
「えぇ。勿論です」
暫く悩んだ末、マオはカタログの中から、少しずつ候補を変えていった。
禍々しいものではなく、シンプルで上品なデザインの物に目を向け始めたのだ。
「なぁ、これとかどうだ? …いや、こっちのほうがレンに似合うか?」
「うーん…レンさんなら、もう少し華奢なデザインのほうが似合うかも?」
「そっか…じゃあ、こっちはどうだ?」
「それも素敵ですね!」
なかでも彼は、一つのペンダントに目を留めていた。
小さな石が嵌め込まれた、繊細なデザインのもの。
「綺麗な石ですね」
ディーネがそう言うと、マオは勢いよく続ける。
「じゃあ、これにする!」
そして、ひとしきり選んだ後、ふとディーネに向かって言った。
「レンには内緒だぞっ。吃驚させてやりたいんだっ!」
「サプライズですか?」
「そうだっ! 吃驚させたら、絶対喜ぶぞ!」
贈り物にはサプライズが一番喜ばしい――
それを何処で覚えたのだろうか。
しかし、マオのその純粋な気持ちを知ると、ディーネも自然と微笑んでしまう。
「それなら、わたしも秘密にしますね」
「ありがとなっ!」
マオの瞳は輝いていた。
そんなやりとりを繰り返しているうちに――
「あれ? 何見てるの?」
お風呂から上がってきたレンが、タオルで髪を拭きながら尋ねた。
「っ!? 内緒だぞっ!」
マオが慌ててカタログを閉じる。
「えぇ、内緒です」
ディーネも、悪戯っぽく微笑みながら口元に指を当てる。
「…???」
二人の様子を見たレンは、首を傾げるばかりだった。
ディーネはほっと胸を撫で下ろしながら、レンがこのプレゼントを受け取った時の反応を想像した。
きっと驚くだろうが、最終的には優しく微笑んでくれるだろう。
◆◇◆
ジェリーのアトリエには、金属の打ち鳴らされる音や、工具の微かな響きが絶え間なく続いていた。
部屋の片隅には、作りかけの武器や防具、試作品らしきアイテムが山のように積まれている。
ジェリーはその中心で、目の前の彫刻に集中している。
彼の細い手が、精緻な彫金の作業に没頭している様子は、まるで世界がその瞬間に止まったかのようだった。
まるで周囲の喧騒や音をすべて遮断しているかのように、彼はただその仕事に全てを捧げている。
その時、アトリエの扉が突然、豪快に開かれる。
バーン!!
「食事持って来たで、ジェリー!」
フーディーが元気よく叫びながら、大きな皿に山盛りの料理を抱えて部屋に入ってきた。
彼女の姿が目に入った瞬間、ジェリーはちらっと目を向けただけで作業を続けた。
普段ならフーディーの突発的な訪問に驚いたり、気を取られたりしていたが、作業に没頭中の今、彼女がどんな風に現れても、ジェリーの集中力は一切乱される事はなかった。
「ジェリー! 食事の時間やで! ほら冷めない内に食べや!」
フーディーは声を張り上げながら、ジェリーが作業に集中している事を理解していない様子で、皿を置く場所を探しながらアトリエ内を動き回った。
その料理の量は尋常ではない。
大きな肉の塊、色とりどりの野菜、濃いスープが何重にも重ねられていて、ジェリー一人ではとても食べきれないほどだ。
そんな空間の中、作業に没頭しているジェリーの手元に、ふわりと食事の香りが漂ってきた。
「…」
ジェリーはちらりとその山盛りの料理を見ただけで、再び作品に目を落とす。
彼にとって食事は後回しで、目の前の作品を完成させることが最も重要だった。
しかし、フーディーが黙っている筈もなく、料理をジェリーの作業机の横に置き、力強く声をかけてきた。
「今日はなぁ、珍しく巨大鳥の肉が手に入ったんやって! あとついでに巨大卵ももろうたから、でっかいオムレツに親子丼にカツ丼に――」
ジェリーは無言でその場から目を離さず、細かい作業を続ける。
フーディーがその姿を見ても尚、ペラペラと『本日のメニュー」を語る。
どれもこれも、美味しそうな料理名がジェリーの耳に入るが、それを彼女は自分が全て食べると思っているんだろうか。
「うちも此処で食べるし、えぇやんな?」
ついでにフーディーは、自分の食べる分を除けて、ジェリーの為に料理を並べていく。
因みにフーディーが8、ジェリーが2の割合だ。
フーディーに悪気は全くない。
しっかりと料理を準備していく姿に。ジェリーはふっと息を吐いた。
「…好きにしなよ」
ジェリーがついに口を開いた。
食事をとる気はないというものの、フーディーがいつも自分の為に食事を用意し、気を使っているのを理解していた。
だが、やはり今はまだ、その仕事を終わらせる必要がある。
「ジェリー! 一緒に食べよ!」
明るい声とともに、フーディーが近場の椅子を寄せて座る。
その椅子はまだ足の部分が不安定だったのだが、先程修理をした所だった。
彼女が座っている所を見るに、完璧に仕上がったらしい。
ジェリーは軽く視線を向けたが、手元の作業を止めることなく、淡々と答えた。
「食事なんていいよ…時間の無駄だし。面倒だし…」
「もー、またそんなこと言って! ほら、こっち来ぃ!」
フーディーは頬を膨らませながら、ジェリーの袖を引っ張る。
渋々ながら、ジェリーは工具を置き、椅子に腰を下ろした。
いつもながらに、フーディーの身勝手さには敵わない。
「はい、いただきます!」
「…いただきます」
フーディーはにっこりと笑いながら、嬉しそうに食事を頬張る。
その姿をぼんやり眺めながら、ジェリーはふと思う。
まるで吸い込まれるように、彼女の口へ納められていく料理の数々。
人間界で『食の道場破り』だなんて呼ばれてるらしいけど、彼女の胃袋は本当に宇宙そのものだと思う。
…彼女の異常な食欲だけは、見習えそうにない。
ピピピッ――
そのやり取りの中、アトリエの壁に掛けてあった通信機が、突然音を立てて鳴り出した。
そこら辺に放っておくと、作業に埋もれていつの間にか無くなってしまうからと、ジェリー自身がが打ち付けた物である。
フーディーがもぐもぐしながら、ジェリーに視線を向ける。
「鳴ってんで?」
「…いいよ出なくて。どうせマモンでしょ」
ジェリーは面倒くさそうに答え、呼び出し音を無視して小さく切り分けた肉を口にする。
それは慣れた音で、暫く無視していれば切れる事が解っていた。
が――
「魔王様からやって」
フーディーが画面を覗き込むと、そこには『魔王様』の文字が表示されていた。
「…魔王様?」
その瞬間、ジェリーの手が素早く動く。
迷うことなく通信機を魔法で引き寄せ、すぐに応答した。
「やあ魔王様。何か御用…?」
その声は何処か嬉しそうで、先ほどまでの無気力さとはまるで違っていた。
その様子を見たフーディーは、口元を抑えながらくすっと笑う。
「ジェリーは魔王様、好きやなぁ」
彼女のからかうような言葉に、ジェリーは少しだけむっとした表情を浮かべた。
お読み頂きありがとうございました。
ブクマやご感想等を頂けましたら、励みになります。




