村人達の違和感
「朝になったら村が消えるぅ!? 馬鹿言っちゃいけねぇよ!」
酒場の片隅で、レンは目の前の男の言葉に驚いた。
男は酔っぱらっており、彼女の話をまるで冗談のように笑い飛ばす。
「お嬢ちゃん。酔っぱらってんのか? その歳でもう酒がいけクチか!」
「でも、私達は…」
「酔ってんのはお前だ、馬鹿」
「痛っ!」
もう一人の村人が、酔っ払いの背中をバシッと叩く。
「すまんね、こいつ酒癖が悪いんだ。」
「い、いえ…!」
吃驚した顔のディーネが、そっと後ずさる。
14歳の少女に、早くも後ろ暗い大人の世界を見させてしまったようだ。
「しかし、村が消えるねぇ…?」
「はっ! 面白い冗談だな!」
「冗談じゃなくてですね…」
「勇者様が魔物を退治してくれて、村が盛り上がってるところで、変な事言うもんじゃねぇぜっ」
「は、はぁ…」
寧ろ、私達の方がおかしいような扱いをされてしまった。
「信じて貰えなさそうですね…」
「そうだね。酔っ払い相手に効けるのも、これくらいかな」
レンとディーネは、場の空気に馴染むよう努めながらも、違和感を拭えなかった。
彼らは『村が消える』ことを知らない。
夜になれば村は現れ、朝になれば消える。
その事実に、村人達は一切気付いていないようだった。
一方、その横でマオとスライムは、もりもりと食事をしていた。
スライムは目の前のサラダを、ぱくりと放り込む。
おくちいっぱいに頬張る姿は何とも可愛いのだが、すぐに『んー?』と顔を顰めた。
『まおー様…何かこの葉っぱ、味がしないね?」
「ホントか?」
「ぜーんぜん、美味しくないっ!」
「まさか。旨いんだぞ、それ」
焼きたてのパンを頬張るマオは、さも当然のようにぞう言った。
「野菜はこの村で採れたての新鮮だし、ドレッシングはこの村の特産品を使ってるからな。ほら、さっぱりしててコクもあって…あぁ、仄かに甘みもある。いい酸味だ」
スライムはマオをじーっと見つめた。
「まおー様…食べてもないのに、何でそんな事知ってるの?」
「…ん?」
マオはきょとんとした。
どうして、こんなにもはっきり味が解るのか?
口に運んでもいないのに、まるで食べたことがあるかのように、鮮明にその味を説明出来た。
不思議に思いながらも、マオは気にせずパンを口に放り込む。
だが、その美味しさに感動するような顔はしていなかった。
「このパンも、小麦のいい匂いが全然しないな…」
マオは食べる手をを止めた。
『まお―様?』
「いや…なんでもない。」
その違和感の正体が何なのか、マオは自分でも理解出来ていなかった。
村人達の話は続いていた。
レンはその話をじっと聞いていた。
男達が語る例の『伝説のパーティー』に関する話が、次第に明らかになっていく。
村人の一人が、グラスを軽く置きながら言った。
「その勇者一行には、魔法剣士の青年が居てね」
「魔法剣士?」
レンはその言葉に反応した。
「ああ。凄く格好いい青年だった。剣術と魔法を使いこなす、まさに戦いの天才だったよ」
その村人は、何処か懐かしそうにその話をしていた。
「それだけじゃない。僧侶の少女はまたとても美しく、優れた癒しの力を持っていたんだ」
「お前、あの子の気をひこうとして笑われてたよな」
「う、うるせっ!」
ディーネの目が一瞬大きく開いた。
「僧侶?」
「うん。怪我をしても、何度でも癒してくれてさ、村の人々にその力を分けてくれたんだ。村人達はその恩恵を受けて、本当に感謝してた」
「凄い…!」
ディーネは感心したように言った。
同じ僧侶として、自分もそんな風になれたらどんなにいい事か。
「それから、大剣使いだ。あの男はまさに戦士の姿だった」
「大剣使い?」
「そうだ。背中に巨大な剣を背負って、まるで一人で敵軍を倒すかのような、圧倒的な強さを持っていた。腕っぷしも強かったし、頼りになる奴だった」
「まるで、ウォルターさんみたいですねっ」
「そうだね」
彼がこの話を聞けば、照れたように笑うだろう。
そんな彼が今、この場に居ないのが少し残念だ。
「そして、最後に――スライムを連れていた女性だ」
その言葉を聞いた瞬間、レンの心臓が跳ねた。
『スライムっ!?』
話を聞きつけてか、ぴょんっとレンの肩に飛び乗るスライム。
しかし、男達はその小さな姿に驚く様子を微塵も見せず、話を続けた。
「スライムですか?」
「そうだよ。普通のスライムじゃなかった。まさか人間と一緒に戦うなんて、思いもしなかったよ!」
「スライムを連れた女性って…」
「わ、私じゃないよ?」
ディーネがレンを見るが、それは自分ではないと首を横に振る。
彼女もそれを理解しているのか、頷く。
「そ、そうですよね。レンさんがテイマーになったのだって、最近の事ですし…」
『そのスライムって、もしかして『伝説のスライム』の事かなぁ?」
「どうなんだろう…」
しかし、スライムを連れていたって言うのなら。
その女性こそが『伝説のテイマー』なのではないか。
レンの脳裏に一つの記憶が蘇る。
あの夢の中で見た、冒険者達。
「『伝説』って、一体何をしたのかな?」
その時、ディーネがぽつりと言った。
「…そのパーティが、魔王を討伐したんです」
レンは少しだけ驚いた顔をした。
「魔王?」
「はい。伝説のパーティは魔王を討伐したと。それ以来、ずっと語り継いでいるんですよ」
「魔王を倒した…」
レンはその言葉に重みを感じた。
その伝説のパーティが、夢で見た人物たちと少しだけ重なる事に気づいた。
その瞬間、胸が締めつけられるような感覚に襲われる。
「マオちゃん、負けちゃったんだ…?」
「あぁ、いえ…マオさんは、伝説のパーティを見た事がないと仰っていました。恐らく彼らが倒した後に、今の『魔王』になったのかと」
目の前に村人が居るので、ひそひそと人目を気にしながらディーネはそう言った。
そして、当の本人は我関せずとパンを頬張っている。
ディーネすら、気にも留めていない様だ。
「それが本当なら…」
レンの顔が一瞬暗くなる。
「本当に伝説のパーティーが、此処に?」
「伝説ぅ? はっ! そりゃあいい!」
すると、村人の一人が豪快に笑い出す。
「あの冒険者達は、そりゃあ強かったが、魔王を倒せるほどの冒険者には見えねぇなあ!」
「でも、さっきは『勇者様』って――…」
「この村を救ってくれた恩人なんだ。そう呼んだとしてもおかしくないだろっ?」
「まぁ、確かに強いし凄かったよ。あれが伝説になってもおかしくないくらいの活躍をしたからな」
村人は続ける。
「でも、俺達にとっては普通の冒険者パーティだったんだよ。勇者も、僧侶も、スライムのテイマーも。皆、この村に来た時はただの旅人にしか見えなかったんだから」
その言葉に、レンとディーネは顔を見合わせた。
「どういう事でしょう…?」
「何か、まるで話が嚙み合わないような…」
『伝説のパーティ』
その実態は村人達にとって、ただの通りすがりの冒険者だったのだ。
レン達にとっての伝説が、他の人々には過去の話に過ぎないという事実。
「それでも、村人たちが今でも語り継いでいるということは、やっぱりすごいことだったんですね。」
ディーネが呟くと、村人はまた楽しそうに笑った。
「確かに強かったよ! おかげで昨日から祝杯さ! 村を救ったんだからな!」
「…昨日?」
レンはその言葉に、何かが心に引っかかっていた。
◇◆◇
―ーカランカラン
道具屋の木製の扉を押し開けると、鈴の音が鳴った。
店内は古めかしいが、商品は整然と並べられ、そこそこ繁盛しているように見える。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥にいた道具屋の男が、笑顔でそう言った。
フウマは店内を見回す。
武具やポーション、旅人向けの保存食など、冒険者が求める基本的な品揃えは揃っていた。
…とりあえず、それなりの店ではある。
「ちょっとさ、話を聞きたいんだけど」
フウマがカウンターに肘をつくと、道具屋の男はゆっくりと頷いた。
「勇者様とその仲間達はこの村に訪れ、村を襲っていた魔物を討伐してくれたのです」
…唐突だな。
質問するよりも先に、男は饒舌に語り出した。
「勇者様と大剣使いは、まるで兄弟のように仲が良く、互いに信頼し合っていました」
「へぇ、そうなのか」
「はい、とても頼れる仲間だったそうです」
「…」
フウマは、わざと黙ってみる。
すると、道具屋の男は、同じ言葉を繰り返した。
「勇者様と大剣使いは、まるで兄弟のように仲が良く、互いに信頼し合っていました」
…おかしい。
「それで?」
フウマが促すと、男はまた同じ言葉を繰り返した。
「勇者様と大剣使いは、まるで兄弟のように――」
「…ちょっと待てよ」
フウマは片手を上げ、男の言葉を制した。
「それ、さっきも聞いたぞ?」
道具屋の男は微動だにしない。
「この村の事を聞きたいんだ」
を変えなければ、答えは変わらない。
フウマはそう直感した。
「ここは、静かで平和な村です。冒険者の皆さんも、よく立ち寄りますよ」
「…へぇ」
フウマはわざと間を置き、言葉を選びながら、更に問いかけた。
「じゃあさ、最近の天気は?」
「ここは、静かで平和な村です。冒険者の皆さんも、よく立ち寄りますよ」
「…」
フウマの目が細くなる。
やっぱりだ。
「じゃあ、俺の事を覚えてるか?」
「ここは、静かで平和な村です。冒険者の皆さんも、よく立ち寄りますよ」
ピクリ、とフウマの指が動いた。
…こいつ、俺の事すら認識していない。
フウマは昨日、この道具屋で薬草を買った。
しかし翌日、その忽然と薬草は消えてしまっていた。
確かに代金を支払い、布袋に収めた筈だった。
まるで機械のように、定型文を繰り返す男。
道具屋だけじゃなかった。
村人の誰もが、レン達の事を『初めて会った』かのように扱う。
その上、この道具屋の男は、明らかに『決められたこと』以外は喋れない。
此処にいるのは、まるで機械のようだ。
フウマの背筋に、じわりと冷たい汗が滲んだ。
「…なあ、おっさん」
フウマは少し身を乗り出し、道具屋の男をじっと見つめる。
「お前の『昨日』って、どんなだった?」
道具屋の男は、ピタリと動きを止めた。
まるで、その問いかけに対応する言葉が、用意されていないかのように。
「……ここは、静かで平和な村です。冒険者の皆さんも、よく立ち寄りますよ」
やはり、答えは変わらない。
フウマは、背筋がぞわっとするのを感じた。
「…邪魔したな」
そう言い残し、フウマは道具屋を後にした。
外に出ると、夜の冷たい風が肌を撫でる。
「…これは、相当ヤバいな」
村人は、確かに『生きている』ように見える。
だが、そこで暮らす人々は、まるで『作られた人形』のようだった。
フウマは、道具屋の男の無機質な声を思い出しながら、拳を握りしめた。
この村…一体、何が起こってやがる…?
そして、ウォルターの居る宿屋へと、急いで向かった。
「おおっ! 昨日に引き続き、旅のお客さんとは珍しい!」
ウォルターにとって、この宿屋を訪れるのは二度目だった。
だが、宿屋の主人は昨日と全く同じように彼を迎え入れた。
「ささ、部屋は好きに使ってくれ! どうせ客は君達だけなんだ!」
気さくな笑顔と、温かいもてなし。
奥からは女将が顔を出し、『ほらほら、ちゃんとお部屋の準備をしておくんだよ』と主人に小言を言う。
―ー全てが、昨日と同じだった。
ウォルターは目を細めながら、その様子を観察していた。
昨日と寸分違わぬ光景。
昨日と変わらぬ声のトーン。
まるで、自分たちと会うのが初めてかのような振る舞い。
「…なあ、親父さん」
「おう? なんだい?」
「昨日、この村を救ったという冒険者の話を、聞かせてくれないか?」
宿の主人は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに朗らかに笑った。
「おっ、あの冒険者たちの噂を聞きつけて来たのかい? そりゃいいとも! 聞いて驚くなよ!」
そこから始まるのは、昨日と同じ話だった。
村を襲っていた魔物を、訪れた冒険者達が退治し、村は救われた。
テイマーがスライムを連れていて、魔法剣士がいて、僧侶がいて——そして、大剣を振るう剣士がいた。
「この大剣と同じ剣を持っていたそうだな」
「その事を知ってるなんて、あんたも情報通だなぁっ!?」
「その大剣使いの名前を知りたい」
そうウォルターが尋ねると、宿の主人は『うーん』と顎をさすった。
「どんな名前だったか…聞いたような気がするしが…すまんねぇ、どうにも思い出せんのさ」
「ディオ…そんな名前ではなかったか?」
ウォルターが試しにそう言ってみると、宿の主人はまたしても『うーん』と首を傾げる。
「…さあ、どうだったかなぁ?」
考え込むそぶりは見せるものの、その記憶には靄がかかったように曖昧だった。
本当に忘れているのか。
それとも知らないのか。
ウォルターには、まだその判断材料が少なかった。
「…どうして、その名前を?」
「!」
ウォルターが宿の主人の様子を観察していると、背後から、不意に声が掛かった。
驚いて振り返ると、其処には青年が立っていた。
いつの間に――?
声を掛けられるまで、気配を全く感じなかった。
「…」
青年は、まじまじとウォルターの顔を見つめていた。
その目には、ほんの僅かだが驚きと興味が滲んでいるように見えた。
「お前…」
ウォルターが、何かを問おうとしたその時――
「いらっしゃい! 此処は宿屋だよ!」
宿の主人が、声高らかにそう口にした。
「いらっしゃい! 此処は宿屋だよ!」
…まただ。
「あぁ、よくある事なんです。お気になさらず」
「今日も、だな」
「…えぇ」
『また』この主人は『壊れた』のか…
繰り返し同じ言葉を口にする主人に、ウォルターは違和感しかなかった。
やがて、青年は一瞬間を置いた後、静かに微笑んだ。
「…それでは。今夜は、ゆっくりお休み下さい」
それだけを言い残し、彼はくるりと背を向け、宿の外へと消えていった。
昨日と全く同じ流れ。
まるで、何度も繰り返される演劇のようだ。
「なあ、おっさん」
「フウマ」
其処へ、フウマが戻ってきた。
「道具屋でも同じだったぜ」
「…何?」
「昨日と、話してる内容が寸分違わねえ。まるで、決められたセリフでも言ってるみたいにな」
その言葉に、ウォルターは眉を潜めた。
やはり——何かがおかしい。
「…どういう事だ」
それを考えるウォルターの胸に、じわりと不穏な感覚が広がっていく。
お読み頂きありがとうございました。
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