魔法王国からの報せ
剣の王国の城のバルコニー。
天候は珍しく快晴で、彼らがこの国を出発するにはいい日だと、エルヴィンは微笑む。
「…行ってしまわれましたね、兄上。」
エルヴィンの穏やかな声が、静寂を破った。
陽の光が優しく差し込む中、アルデールとエルヴィンが並んで立っていた。
「あぁ…」
アルデールは低く呟きながら、バルコニーの手すりに寄りかかる。
ふと気配に振り返ると、其処には旅立った筈の小さな子供。
いや、子どもと言うには名ばかりだ。
その規格外なその強さを、今となっては肌で感じる事が出来た。
「…フウマの処刑を、虚偽の報告としてオレ達に伝えたな?」
その子ども――マオの声には、明らかな不信感が込められていた。
彼はアルデール、そしてエルヴィンの両者が、何かを隠しているのを感じ取っている。
そして、その眼はしっかりとアルデールを見つめ、答えを待っていた。
「何の事だ、魔王?」
アルデールは平然とした表情を浮かべ、マオの疑念を軽くいなす。
その姿に、マオはむっと眉を顰めた。
エルヴィンが横で黙っているのも、事態が更に複雑である事を示している。
だが――
「お前、案外嘘が下手だな?」
マオその一言が、場の空気を微かに震わせた。
「そんなに警戒すんなって」
彼は本当に楽しそうに言った。
真剣な顔を見せるアルデールに対して、マオの軽い態度は、まるで遊びのように感じられる。
「『処刑』が嘘だって事くらい、俺には分かる。レン達は騙せても、オレを騙そうだなんて百年早いぞ」
「その嘘が、どれほど重要だったかを理解しているのか?」
「勿論。おかげでフウマは助かった―ーだろ?」
マオだけは、アルデールが嘘を吐いている事に気づいていた。
アルデールの目をじっと見つめ、微かに笑みを浮かべる。
「ああ、言わなくても分かっているさ。フウマを助けたくても、そう簡単にあいつを救う訳にはいかないんだろ?」
その言葉に、アルデールの顔が一瞬、硬直する。
その言葉に動揺し、エルヴィンもまた、少しの間言葉を失った。
「…もしお前たちが、フウマを仲間と思わないと言うならば…彼はこの王国を孤独に離れるだけだった」
「兄上は、レンさん達の反応を見ていたんだ。フウマさんを再び、仲間に迎える意思があるのかどうか」
「だから、嘘をついたのか」
「…間違いではない」
視線を逸らし、アルデールはそう口にする。
するとマオは、ぱっと表情を明るくさせて喜んで見せた。
「いい奴だな、お前!」
「魔王にいい奴などと、言われたくはない」
「でも、案外直ぐに顔に出るな」
「ならば…今、俺が胃様に対し、何を考えているのかも解るか?」
「あぁ。オレを心底嫌っている顔だ」
アルデールの眉が、僅かに顰められる。
エルヴィンが横から一歩踏み出し、アルデールの表情に気を使いながらも、言葉投げかける。
「マオさん…君が魔王だなんて、僕はまだ信じられません」
マオはふっと笑って、今度はエルヴィンに目を向ける。
「俺は魔王だぞ。元だけどな。これを言ったらマモンの奴、すっごく怒るんだ!」
アルデールがまたも眉を顰める。
その言葉を、アルデールは無視する訳にはいかない。
元とは言え、魔王は魔王。
そして、彼が言う様に――
魔王の存在が失脚している今、魔界の統率は乱れている。
そう考えていいのだろうか。
しかし――…
彼は目を見開き、唇を噛んだ。
「…俺は悪魔だの魔物だの、構っている暇はない。今はこの国の在り方をどう変えていくかで、手いっぱいなのだ」
「そんな事言われなくても、お前達がオレを――オレ達の世界をどうにかしようと考えてるなんて、これっぽっちも思っちゃいねぇよ」
「人の言葉を簡単に信じやすいのだな、魔王は」
マオはその言葉を軽く受け流し、もう一度にこやかな笑みを浮かべた。
「心配すんなって! オレは、お前達を傷つける気はない。ただまぁ…他の奴らがどう出るかまでは、オレも責任は持てないけどなっ」
「無責任だな」
「そう言うなよ。魔界は魔界で色々大変なんだとさ」
本当に無責任だった。
自分の世界で起きている事を、まさに他人事の様に語らう小さな魔王。
「まぁ、結局争いに持ち込めば、何がどうなるか解ったもんじゃない。フーディーが護りたかったように、美味い飯が食えなくなる世界になる事だって、起こり得るんだ。オレははそんなの絶対に嫌だぞ」
「お前は…」
アルデールとエルヴィンは、暫くの間、無言で互いに目を合わせていた。
「だから、気にすんなよ。俺は今後どうなるかを、ただ見守るだけだ。…オレはまだ、人間と決着をつけたくないんだよ」
その言葉を、誰もが胸に刻みながら。
「まあ、そんなに怒るなよ。お前、親しみを込めて『マオちゃん』って呼んでもいいんだぞ?」
アルデールはその提案に、少しの間言葉を詰まらせる。
だが、すぐに冷静さを取り戻し、低く、毅然とした声で返答する。
「遠慮しておこう」
その声には一切の温かみも、冗談の響きもなかった。
アルデールの意識の中では、マオを仲間として受け入れる事など、到底無理だという強い決意が込められていた。
「つまんねー奴。…あ、それはそうと――その『手紙』は早く開けてやった方がいいぜ?」
「手紙…?」
「何故、それを…」
「じゃあまたなっ!」
マオの足元に、淡い光の魔法陣が展開される。
ふわりとその光の中に包まれたかと思うと、彼の姿は忽然と消え去ってしまった。
「…消えた」
「空間転移、ですね…もうこの国を出てしまったようです。」
彼の微弱な魔力は、エルヴィンでさえも既に遠くに感じられた。
「…それで、彼の言う『手紙』とはなんです?」
「…魔法王国からだ。今更になって手紙を送ってくるとはな」
彼の手元には、一通の手紙。
封筒には――『魔法王国』の紋章が刻まれている。
この手紙は、継承式が終わった今になって届いたものだった。
本来なら継承式前に届くべき手紙が、今更になって送られてきた。
それが単なる手違いなのか、それとも意図的な遅れなのか――。
アルデールは封を開けると、指先で紙の端をなぞりながら、静かに読み解いていく。
「それで…手紙には何と?」
「ただの『欠席』通知だが…それにしては…何かがおかしい」
彼の胸の奥に広がるのは、説明のつかない違和感。
だが、何が問題なのかまでは掴めない。
「おかしい、ですか…?」
「見てみるといい。ただの欠席通知にしては、何かが引っかかる。何故が、お前に見せなくてはと思ってな…」
「では、失礼して――」
アルデールは無言で手紙を差し出す。
兄の様子を見て、エルヴィンが手を差し出した。
エルヴィンはそれを慎重に受け取り、ゆっくりと目を通した。
そして――
彼の表情が、はっきりと変わる。
「…これは『SOS』です」
エルヴィンは手紙を持つ手に力を込めらた。
「この手紙、魔法が使える者だけが解読出来る『隠し文字』が施されています」
アルデールが眉を顰めた。
「隠し文字…? そんなものがあったのか」
「ええ」
エルヴィンが軽く手を翳すと、手紙の文字が一瞬揺らぎ、別の文字列が浮かび上がった。
淡い青白い魔力の光が、紙の上にひそやかに踊る。
そこに刻まれていたのは、短く、しかし明確な一言だった。
「魔法王国より、我が国に緊急の知らせあり」
「…緊急の知らせ?」
アルデールが復唱すると、エルヴィンは小さく頷いた。
「継承式出血への手紙は、全て母上に直接届けられるべきでした。しかし、この手紙は違う。手書きされた宛名こそ兄上にですが、本来の宛名は――僕です」
「お前に?」
エルヴィンの表情が険しくなる。
「手紙は、魔法の心得がある者にしか、この暗号は読めないようにしている」
「今、このメッセージが理解出来るのは――」
「――母上か、僕だけです。そして手紙の主は、兄上が僕にこの手紙を見せるように、魔法を使ってまで誘導している」
空気が一瞬、冷たく張り詰める。
自分がまんまと手紙の主に、行動を操られていた事は、もう二の次だった。
「…となると、継承式に魔法王国が来なかったのも、ただの欠席―-ではなかった、と言う事か」
「おそらく、何か事情があったのでしょう」
「何が起こっている…?」
アルデールの瞳が鋭く光る。
剣の王国と魔法王国は、本来親交の深い関係だった。
魔法王国が太后の故郷と言う事もあり、先代の王は外交関係を太后に一任していた。
魔法王国との交渉、条約、関係の維持――全てが太后の手によって行われていた。
しかし――
「最近、魔法王国とは一切連絡が取れていない」
だが、ここ最近、魔法王国と剣の王国の間の外交は完全に停止していた。
それが、異変の兆候だった。
剣の王国だけではない。
どの国も、魔法王国から関与するのを避けているような状況が続いていた。
まるで、魔法王国だけが世界から切り離されたかのように。
アルデールは手紙の封を指でなぞった。
「魔法王国は、太后の故郷だ。」
「……兄上。今の僕には、魔法王国で何が起こっているのか、全く把握出来ません」
彼は自分なりに、母が築いた関係を引き継いでいる。
しかし、彼女が失脚し、政権が変わった今、魔法王国との関係もまた不透明になっていた。
エルヴィンは唇を引き結びながら、続ける。
「手紙を送ってきたということは、何かを伝えたいのかも知れませんが…」
「それが『真実』とは限らない」
「悪戯で助けを求めるなど、ありますか?」
エルヴィンが冷静に指摘するも、不安がない訳ではない。
確かに、魔法王国の言葉が信用に足るものかどうかも解らない。
剣の王国が関与すべきかどうかすら、慎重に判断しなければならない状況だった。
「……今、俺たちが出来る事は限られている」
アルデールは言い切った。
今の状況では、剣の王国から魔法王国に使者を送る事すら、下手をすれば外交問題になりかねない。
「しかし、レンたちは違う」
アルデールは、遠くの闇の中へと目を向けた。
彼らは、『個人』として旅をしている。
そして、彼らが向かう先は、魔法王国。
「もし、彼らが魔法王国で何かを見つける事が出来れば――」
「…少しは、我々の判断材料になるかもしれませんね」
エルヴィンが小さく微笑む。
「だからこそ、カゲを同行させた」
アルデールは手すりに手を置き、静かに言った。
カゲは剣の王国の者としてではなく、"影"として動ける存在。
表立って派遣した使者ではなく、影から情報を集める者として適している。
「カゲは、おそらく何らかの情報を持ち帰るだろう」
レン達との旅は、魔法王国の異変を知る唯一の鍵になる。
そう確信しての事だ。
エルヴィンが頷く。
「それが、我々の期待するものだと、いいのですが」
「そうだな。しかし何故、この手紙は継承式の後に届いた? 緊急を要するのであれば、もっと早くに届いてもよいものを…」
アルデールの疑問に、エルヴィンは思案する。
「単なる手違い、もしくは配達人の失態の可能性もあります」
「そんな偶然があるだろうか」
アルデールの勘が、違和感を告げている。
何かが――この手紙の『遅れ』には、理由がある。
「誰かが意図的に、この手紙の到着を遅らせたのではないか?」
もし、魔法王国が助けを求めているのだとしたら――
それを妨害する者がいたのではないか。
エルヴィンは手紙をじっと見つめた。
「この手紙は、僕達に向けられた『声なき叫び』なのかも知れません」
「…魔法王国について、深く調べる必要があるな」
アルデールは深く息を吐き、バルコニーの向こうを見やる。
魔法王国で何が起こっているのか。
それを知る術は、今のところない。
ただ一つ、確かなことがある。
「…今は、レン達の旅路を信じるしかないか。」
アルデールは静かに呟く。
エルヴィンも頷く。
「彼らが魔法王国で何を見つけてくるのか…それが、今後の全てを決めるでしょう」
全ての鍵はレン達が握っている。
風が静かに吹き抜けるバルコニーで、
二人の王族は、遠く旅立った冒険者の行く末を案じていた。
「彼らの旅路に、幸あらん事を」
レンたちが向かう魔法王国には、どんな真実が待ち受けているのか。
アルデールとエルヴィンは、それを知る術を持たなかった。
ただ、彼らの帰還を信じ、待つのみだった。
その手に、魔法王国からのSOSを握りしめながら――
お読み頂きありがとうございました。
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