影を生きる者へ
厳かな空気の中、王であるアルデールが静かに玉座に座っていた。
彼の前には、旅立ちを前に最後の挨拶へ訪れた、レン達の姿。
玉座の間には、騎士や衛兵達、そしてシリウスの姿もあった。
その場の雰囲気は厳粛で、まるで儀式のような静けさに包まれている。
継承式の騒動から、ようやく落ち着きを取り戻した剣の王国だが、旅立つ者を見送る空気は何処か名残惜しいものだった。
アルデールが、穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「貴方達には、本当に世話になった」
優しい笑みを浮かべるアルデール。
初めて会った時は、つんけんとしてとっつくにくそうな印象だったが、今ではその表情に笑みが零れす余裕がある。
その隣では、満面の笑みを見せるエルヴィンが居て、二人を見ていると『兄弟』なんだな――なんて、ウォルターはふと思ったりした
「本来の目的地は『魔法王国』だったな」
アルデールの言葉に、ウォルターが頷く。
「えぇ。相変わらず関所は閉ざされてるようなので、開通された別ルートを通る事になりそうです」
「普通のルートより遠回りだけどね。地図は用意してあるよ!」
レンが微笑みながら、手にした地図を掲げる。
「其方のルートは少し険しい道のりになるでしょう。くれぐれもお気をつけて」
『だいじょうぶ! 皆がいれば、きっと平気!』
エルヴィンが心配そうに言うと、スライムがぴょんと跳ねた。
「それから――レンたちの旅路に、一人同行させたい者がいる」
「同行者、ですか?」
突然の申し出に、レン達は驚いた。
「…カゲ」
アルデールが手を軽く振ると、静かに扉が開かれた。
そして、黒い影が音もなく歩み出る。
それは、全身黒づくめのシノビ装束に身を包んだ男。
顔も覆面で覆われ、素性を隠している。
「カゲ…?」
聞いたことのない名前だった。
ディーネやウォルターも、困惑した表情を浮かべる。
更に言えば、周囲に居るシリウスや衛兵、騎士達も互いに顔を見合わせ、不思議そうにしていた。
「この男がカゲだ」
「…カゲ、ですか? しかし、アルデール様。私はそのような人物を存じ上げませんが…?」
アルデールは静かに頷いた。
「表舞台に出る事のない男だ。シリウスが知らないのも無理はない」
シリウスとアルデールのやり取りが行われる中、カゲと呼ばれた人物は一切の言葉を喋る様子はなかった。
いきなり度に同行させると言う話に、ウォルターは僅かに難色を示す。
どう言う意図があって、彼はそんな事を言い出したのか?
自分達の旅に、その人物が必要とでも言うのだろうか…
「カゲさん…どなたなのでしょう?」
「さあ…」
レンとディーネも、互いに顔を見合わせては、首を捻るだけだった。
「戦いのポテンシャルは高く、とても腕が立つ。きっと貴方達の助けになる筈だ」
「…えぇ。その様ですね」
ウォルターは、緊張した面持ちで静かに頷いた。
『カゲ』から感じる『強さ』の様なものが、彼には感じられるのかも知れない。
「カゲ。お前の働きに期待している」
「…御意」
レンの心がざわついた。
彼の気配。
そして、この『オーラ』―-レンはよく知っていた。
『カゲ』の身に纏うオーラは、まるで自由気ままな風そのもの。
何処へでも行けるし、何処にでも潜める。
気配を消せば完全な無風になり、気配を放てば疾風となる。
彼がそこにいるのに、風と一体化して存在感が薄くなる瞬間すらある。
気まぐれで自由、でも時には強く吹き抜ける。
彼の心情に呼応するように、その風は優しくもなれば、激しくもなる。
まさしく――『フウマ』を彷彿とさせた。
だが、それはあり得ない。
『彼』は処刑された筈だった。
「…そんな筈、ない」
しかし、レンの心は否定出来なかった。
目の前にいる『カゲ』と呼ばれた男は、フウマにとても…とてもよく似ている。。
「フ、フウマおに――!」
スライムが、純粋な瞳で彼を見つめ、思わず声を上げそうになった。
しかし、マオが素早くスライムの口を覆う。
「しーっ」
小さく囁くマオに、スライムはぱちくりと目を瞬かせる。
レンも思わず口を開きかけたが、同じくはっと息を呑んで思い留まった。
ウォルターも、瞬時に理解した。
彼は「カゲ」と呼ばれた男をじっと見つめた後、視線をアルデールに向ける。
何かを問いたげなウォルターは、アルデールへ眼を向ける。
しかし彼は、微動だにせず表情を崩さなかった。
周囲にはシリウスや騎士たちがいる。
下手に動けば、事態がこじれるかも知れない――
そんな状況を、アルデールも理解しているのだろう。
そして、その意図を明確に悟ったのは、エルヴィンだった。
彼は静かに、口元に人差し指を立てる。
「…しー」
その顔は、何処か子どもの様な悪戯顔だ
「(此処は…黙っておくのが得策なのだろう)」
かくしてレン達は、正式にカゲを仲間として迎える事となった。
「シリウス」
「はっ。…王国騎士団、敬礼!」
シリウスの号令が響く。
その声に、騎士達は一斉に剣を構え、敬意を表す動作を取る。
剣を胸の前に掲げ、旅立つ者の無事を祈る為の儀式。
それは王国の伝統であり、王が自ら見送る者に対する最大の敬意だった。
「…皆の旅路に、剣の王国の加護があらん事を――」
その言葉と共に、騎士達が剣を振り下ろした。
鋭い金属音が響き渡る。
レン達は静かに頷き、玉座の間を後にした。
「…早めに街の外に出よう。確認がしたい」
ウォルターの言葉に、レンとディーネは頷いた。
少しばかり足早になりながら、レン達は街の外へと向かう。
その間、カゲは一言たりとも言葉を発する事はなかった。
途中、小さな子供の様な声に、其方を見たような気がしたが…
影は立ち止まる事無く、大人しくレン達の後に続いていた。
ビセクトブルクの街並みを抜け、街の外へ出る
ウォルターの判断で、人目を避けられる場所へと、向かう事になったのだ。
レンは最後に一度だけ振り返った。
そこには、賑やかに活気づく剣の王国の城下町があった。
人々は王の即位後も変わらず、日々の生活を営んでいる。
あの町の人々の明日も、よりよいものになっていっく事だろう。
『カゲ』は、黒い忍び装束に身を包み、顔を覆い隠したその男。
言葉少なに、ただ黙ってレン達の後をついてくる。
剣の王国を離れ、暫く道なりを進んだ後、ウォルターが立ち止まる。
「…よし、此処なら人目を気にせず話せるだろう」
周囲にはただ風が吹き抜けるばかりで、街の喧騒も遠くなっていた。
「カゲ…と言ったな。少し話さないか」
「…」
カゲはまたも静かに頷く。
レン達は、それぞれが岩場に腰を下ろし、一息吐く。
「お前は、本当に俺達に同行するのか?」
カゲは、一瞬だけウォルターを見た。
そして、静かに頷く。
「王の命令だ」
「…本当に、それだけか?」
カゲは答えない。
だが、彼の瞳の奥には、確かな決意が宿っているような気がする。
『フウマおにーちゃん…?』
カゲは一瞬だけ、驚いたようにスライムを見つめた。
しかし、すぐに目を伏せる。
「…俺はカゲだ」
『嘘だよっ』
「…」
「スライム。どうしてそう思うの?」
『だって、フウマおにーちゃんとおんなじニオイだもん!』
スライムは、カゲがフウマであると断言していた。
レンも同じ判断だ。
カゲはフウマなのではないか。
しかし、処刑されたと聞いていたのに、どうして…?
すると、ウォルターがガシガシと頭を掻いたかと思うと、静かに口を開いた。
「アルデール王の計らいか…やってくれるな」
「え?」
「どういう事ですか、ウォルターさん?」
「…フウマの処刑は、アルデール王の嘘だ」
――え?
「本当は、フウマを処刑するつもりはない。秘密裏に逃がす予定だったのだろう」
「逃がすのなら、どうして今、此処に…?」
「それが、彼なりの『逃がし方』だったのかも知れない」
国王となった彼は、表立って反逆者を『逃がす』と言う道は選べなかった。
王族に剣を向けた者の末路は、処刑である。
それは、前国王までの代で取り決めた法令だ。
身分によっては国外追放もあり得るが、フウマの様な一般市民は極刑を免れないだろう。
しかし、アルデールやエルヴィンの考えは違った。
「その代わり、彼は『カゲ』と名乗り、表の世界ではその存在を消す事になる」
「…つまり?」
「王国の法に従い、正式にはフウマが死んだ事にする。しかし、実際には裏でアルデール王を支える影として生きる事になるんだ」
理由こそあれど、極刑をするべきではない。
更生するチャンスを与えられない国の在り方に、二人は幼い頃から『何か違う』と感じていた。
だからこそ、アルデールは『別の道』を選んだ。
『カゲ』と言う人物として、名を変え、姿を変えさせた。
フウマを生かす為に。
「ただな。逃がすだけなら、俺達の旅に同行させる必要はなかった筈だが…」
皆の視線が、自然とカゲに集められる。
そんな中、カゲは――小さく息を吐いた。
「…お前達について行きたいと、そう望んだだけだ」
低く、落ち着いた声。
フウマの時とは違う、カゲとしての静かな響き。
しかし――
その声は、レン達にとって間違いなく『フウマ』のものだった。
「フウマ…っ」
「よかった…本当に…っ! 生きてて…っ」
今にも泣きそうな表情で、ディーネが震える。
カゲはそんな彼女をちらりと一瞥しただけで、まただんまりとしてしまった。
アルデールとエルヴィンが、フウマに新しい生を与えた。
処刑される筈だったフウマを『カゲ』という新たな存在として生かす。
そして、『影』として王を護る立場を与える。
それが――アルデールとエルヴィンの出した答えだった。
レンの胸が熱くなる。
それは、フウマが再び仲間として迎えられると言う意味だ。
レン達は、お互いに顔を見合わせ、深く頷いた。
「よかったね、マオちゃん!」
「これからよろしくな、フウマ!」
「…カゲ」
「お前が"カゲ"でも、俺はお前を『フウマ』としか呼ばないぞ。」
マオが柔らかく笑いながら言うと、カゲの目元が僅かに反応を見せる。
「…勝手にしろ」
その返事は少し不機嫌そうだった。
だが、その覆面に隠された口元が少し…ほんの少しだけ。
笑っているように見えたのは、レンの気の所為ではなかったと思いたい。
『フウマおにーちゃんと、また一緒に旅が出来るのっ!? やったー!』
スライムが嬉しそうに跳ねる。
そんなスライム同様に、ディーネ、ウォルター。そしてレンは温かく迎え入れた。
カゲ。
もといフウマは、静かに思いを巡らせていた。
処刑された話をでっち上げたのはアルデールの判断。
王として、新たな時代を切り開く為に、影も必要だって。
だから俺は、その影になる事を決めた。
だが、それは正しいのか?
こんな俺が、再び彼らと一緒にいていいのか?
孤児院の為に手を汚し、人の命を奪って来た自分。
許されるべきではないその記憶が、数々が胸をよぎる。
俺の罪は許されない。
だが、アルデールが示した道が、今の自分にとって唯一の救いでもある事を知っていた。
『お前も俺も、太后に翻弄された同士だ』
アルデールの言葉がフウマの心に響き、その言葉を胸に誓う。
『自分の過ちを背負い、死ぬまであんたを守る事を誓うよ』
彼はその決意を新たにした。
レンや他の仲間達に対しても、フウマは感謝と謝罪の気持ちを抱き、過去の自分と向き合いながら新たな道を歩み始める。
彼の暗殺者としての過去は決して消えることはないが、仲間としての新しい道がフウマを。
――カゲを救い、彼の心に希望を与えてくれる。
カゲは、少しだけ間を置いて静かに頷いた。
「…よろしく頼む」
レン達と共に戦い、過去の影を背負いながらも、新しい自分を見つけていく事だろう。
そして、旅路は続いていく――
風が吹き抜ける山岳地帯で。
影の名を持つ少年は。
再び、彼らの仲間としての道を歩み始めた。
ーー再び集いしこの時に、感謝を――
『――とある男の最後の手記より 抜粋』
お読み頂きありがとうございました。
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