孤児院と足長おじさん
孤児院の門をくぐった瞬間、子ども達の明るい声が響いていた。
狭い庭で元気に駆け回る小さな影たち。
粗末な服を着た子ども達だったが、その笑顔は何処までも無邪気だった。
そんな様子を静かに見つめるアルデールとエルヴィン。
王族である彼らが、この孤児院を訪れる事など、今まで一度もなかった。
このエリアは『貧困層』と呼ばれる民が住んでおり、王族はみだりに近付くべからず――
二人はそう『教育』されてきた。
しかしそれは、この国の内情を隠しているだけに他ならない。
「…知らなかったとは言え、此処までとはな」
アルデールの呟きに、エルヴィンはただ頷いた。
自分達の姿を目に留めた子ども達が、不思議そうな顔で此方を見ている。
先程まで賑やかだった空間も、一気にシン…と静寂が包み込んでいた。
…こういう時、自分の仏頂面が小さな子達を怖がらせているのだろうと言う事は、嫌でも理解出来た。
「こんにちは」
そんな子ども達を前に、エルヴィンが笑顔で挨拶をする。
「僕達はお城から来たんだけど…此処の偉い人に遭いたいんだ。お家に居るかな?」
「偉い人…?」
「おかーさんの事じゃない?」
「しっ! 駄目だよ、知らない人と喋っちゃ!」
子ども達は決して此方に近付こうとはしなかった。
見知らぬ人物に話しかけられたのだ。
余程警戒されているのだろう。
子ども達の反応も当然だった
「…もしかして、皇子様?」
そんな中、一人の女の子が声を掛けて来た。
「うん。そうだよ」
正しく言えば『丞相』なのだが、幼い子を相手にそれを説明するのは何とも難しい。
大きなスケッチブックを抱き抱えているその子は、エルヴィンの言葉に少しだけ嬉しそうに笑ったように見えた。
「えーっ、ホントのホントに皇子様ー!?」
「すごーい!」
エルヴィンが『皇子』だと解るや否や、子ども達の態度は一変した。
わいわいと一気に集まり出しては、アルデールとエルヴィンを取り囲む。
「お洋服がキラキラしてる!」
「剣だ! かっけー!」
「おい触るな」
「兄上。相手は子どもですから…」
「…剣に触れるな。怪我でもしたらどうする」
「そうだよー! フウマおにーちゃんも危ないって言ってたでしょー!」
『フウマ』と言う名に、アルデールとエルヴィンは互いに顔を見合わせた。
やはり、此処が――
「えっと…それで、偉い人は中に居るのかな?」
「うんっ。呼んできてあげる!」
「おかーさーん! 皇子様達が来たよー!」
子ども達が一軒の住宅へと足を不見れて行く。
程なくして、手を引かれる様にエプロンを来た妙齢の女性が現れた。
「こ、これは…国王様と丞相殿が、どうしてこのような場末の孤児院に?」
突然の来訪に、孤児院の母である彼女は驚きを隠せず、慌てて彼らを迎え入れた。
「事前にご連絡もせず、申し訳ありません」
「少し話をしに来ただけだ。立ち話もなんだ、中へ通してもらえるか?」
「え、えぇ。どうぞ…」
アルデールの静かな声に、マリアは戸惑いながらも頷く。
木造の建物はところどころ継ぎ接ぎされ、壁の一部は腐食している。
隙間風が入り込んでおり、涼を取るにも一台の扇風機の前を子ども達がこぞって陣取る姿が見える。
まだ暑さの続く気温の中では、雨風を凌ぐだけで厳しい環境だった。
更に床は軋み、家具も古く、生活の苦しさが滲み出ていた。
アルデールは部屋の中をゆっくりと見渡しながら、小さく息を吐く。
「…なるほどな」
「お恥ずかしい限りです…」
「此処に居る子どもの年齢層と数は?」
「下は2歳から上は15歳で…今は8人ほどがこの家で生活しております」
「8人?1」
「えぇ。6歳になる頃には、殆ど此処を出て行く事が多いです、その年頃になりますと、冒険者ギルドでの依頼を年齢制限を気にせず、請け負う事が出来るから――と」
冒険者ギルドで受けられるクエストには、時に職種や年齢制限など、ある一定の基準に達してなければならない場合もある。
特に幼い子供などはそれに当たり、魔物討伐に関して言えば、自己判断の出来ない年齢が、特に危険とされていた。
「…そうか」
「あぁ、私としたことが何もお出しせず…! 申し訳ありません。直ぐにお茶のご用意を致しますね。どうぞお座りになって下さい」
「いえ、お構いなく」
エルヴィンが深々と頭を下げる。
ぱたぱたと台所へと消えていく院母の姿。
そんな彼女の顔は、『聞いていた話』よりも酷く疲れているように見えた。
「すっげー…」
「皇子様って本当に居たんだぁ…」
「あんなにおっきなお城に住んでるんだから、もっと巨人を想像してた…」
「お前、あんな嘘を信じてたのかよー」
外で遊んでいた子ども達は、来訪者が王族の二人だと解るなり、興味津々に孤児院へと戻って来ていた。
数を数えるに、確かに8人の少年少女が此処で生活をしている様だ。
エルヴィンが子ども達に向かって軽く手を振れば、それに応える様に男の子がぶんぶんと手を振り返してくれる。
「粗茶でございますが、どうぞ」
「すみません」
程なくして、テーブルの上には温かいお茶と菓子が用意された。
「元気な子ども達ですね、兄上」
「そうだな」
「毎日賑やかで…やんちゃな子達ばかりです」
「あれくらいの年頃であれば、それが普通なのだろう」
「僕達も昔は泥んこになって、服を汚してましたね」
「…そうだったかな」
アルデールの言い方が、惚けたフリをしている事に、エルヴィンは小さく笑う。
「あの…それで、本日はどのようなご用件で?」
「孤児院の視察と、お届け物に上がりました」
「視察は解りますが…?」
不思議そうに首を傾げる院母。
直ぐに本題を切り出したい所だが、小さな子ども達が興味津々に此方を見ている姿に、エルヴィンは曖昧に笑う。
その意図を察したのか、院母は軽く頷いた。
「…マリア。ちょっとだけ、皆をお庭で見てて貰っていいかしら」
「あ、うん。皆、お外で遊ぼっか」
「マリアおねーちゃん、遊んでくれるの!?」
「わーい!」
マリアと呼ばれた少女は、子ども達の中では一番背が高く、最年長に当たる子どもなのだろう。
院母の言わんとする事を理解し、小さな子ども達に声を掛けて、家の外へと連れ出してくれた。
家の外では、子ども達の楽しそうな声が聞こえている。
子ども達が居なくなり、院母とアルデール、エルヴィンだけの空間は、何処か張り詰めた空気を徐々に帯びていた。
「エルヴィン」
「はい」
そんな中、エルヴィンが持っていた小さな革袋を、そっとテーブルの上に置いた。
「これを受け取ってほしい」
「…え?」
「『足長おじさん』からの最後の援助だ」
院母の表情が固まる。
袋を開けると、今まで見た事のないほどの大金がぎっしりと詰まっていた。
「こ、こんな大金…っ!? 今まで頂いた額の何倍にもなります…!」
「受け取れ」
「で、ですが、こんなに……」
院母は信じられないように手を震わせる。
しかし、アルデールの瞳は揺るがなかった。
「それだけではない。国の計らいで、孤児院の立て直しと資金の援助をする事に決めた」
「そ、そんな…! そこまでして頂く訳には…!」
「それが、足長おじさんの望みだからな」
アルデールの言葉に、院母は何も言えなくなる。
「足長おじさんは、もうこれ以上の援助をする事が出来ません」
エルヴィンの静かな声が室内に響く。
「…当然ですよね」
院母はぽつりと零した。
その声音には寂しさと、何処か諦めが混じっていた。
「足長おじさんには――あの子には、随分と苦労を掛けてきましたから」
あの子。
院母は確かにそう口にした。
「…彼が誰なのか、貴女は気づいていたのですか?」
エルヴィンの問いに、院母はゆっくりと頷いた。
「ええ…随分前から知っていました」
「なら、どうして今まで何も言わなかった?」
「…言えなかったのです」
彼女の声は沈み、眼からはじんわりと涙が滲む。
「あの子は…私達の為に必死に働いていました。無理をしてでも、お金を送ってくれました」
「彼が何をして資金源を調達していたのかは?」
「いいえ。どうやってお金を稼いでいるかまでは解りません…一度、それとなく口にしたのですが、はぐらかされるだけで」
「…」
「私が深く問い詰めてしまったら…もし、あの子が援助を止めてしまったら…そう思うと、怖かったのです。少なくとも、あの子のお陰で今日も生活出来ているのですから」
握りしめた拳が震える。
「でもあの子は、孤児院に帰ってくる度に笑っていました。此処に居る時だけは、誰よりも優しい顔をしていました」
「…」
「そんなあの子を、どうして私は…救ってあげられなかったのでしょう…」
涙が、静かに零れる。
アルデールは、そんな院母の姿をただじっと見つめていた。
「お前に責任はない」
「…」
「彼は、自らの意志で選んだ道を進んだ。その選択に後悔しているかどうかは、彼自身にしか解らない」
「…アルデール様」
「何だろうか」
「フウマに…あの子の身に、何か遭ったのですか?」
院母の問いかけに、アルデールは何かを言いかけ―ーそして閉口する。
「…彼にはもう会えない、とだけ言っておこう」
「そう、ですか…」
彼女もまた、小さく息を吐く。
「例え居なくなっても、あの子の存在はこれからも、この孤児院の子ども達の記憶に残るでしょう…」
「えぇ、その通りです」
アルデールは革袋を指し示しながら、ゆっくりと告げる。
「これは、彼が最後に残したものだ。決して無駄にするな」
「…はい」
院母は涙を拭いながら、深く頭を下げた。
「おかあさん…」
その声に、一人の女の子が居た事を漸く気付く。
大事そうにスケッチブックを抱えた子どもの小さな身体は、きゅっと縮こまってた。
「あなた…外に居たんじゃないの?」
「お絵かき、してたから…静かにしてたの…」
俯き加減にそう口にする女の子。
その表情から察するに、話の内容を耳にしていたのだろう。
「フウマおにーちゃんは…もう帰って来ないの?」
ぽろりと、一粒の涙が女の子の眼から零れた。
それは、彼女が心から慕っていた『家族』が居なくなってしまった事を、理解した言葉だった。
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