曇天消え失せ、晴れ間覗く
玉座の間には、荘厳な静けさが漂っていた。
国王は背筋を伸ばし、王冠を手に取り、重さを感じるようにゆっくりと目を閉じた。
年老いた彼の顔には深いしわが刻まれ、その目には長い治世を乗り越えてきた証が浮かんでいる。
「ワシに残された時間は僅かだ」
その言葉が広間に響いた瞬間、周囲の家臣たちは息を呑んだ。
国王は続けた。
「この国には新たな時代が必要だ。ワシの役目は終わった。あとは、我が息子達の手に委ねよう」
アルデールとエルヴィンは、国王の言葉を真剣に受け止めた。
特にアルデールは、玉座を引き継ぐ責任の重さを痛感しながらも、それに立ち向かう決意を固めていた。
その夜、国王は玉座の間を離れ、王宮の奥にある小さな部屋に足を運んだ。
其処には、亡き妻、アルデールとエルヴィンの母である王妃の肖像画が飾られていた。
蝋燭の柔らかな光が肖像画を照らし、優雅で慈愛に満ちた王妃の姿を浮かび上がらせる。
国王はその前に立ち尽くし、しばらく何も言わなかった。
「お前の息子は強い」
漸く呟いた声には、僅かな震えが混じっていた。
「アルデールは、ワシ以上の王となるだろう。あの子は…誇り高い息子だ」
肖像画に向かい、彼は静かに頭を下げた。
翌朝、アルデールとエルヴィンは広間に呼ばれた。
そこにはすでに退位の準備が進められた玉座があった。
国王は二人に目を向けると、穏やかな笑みを浮かべた。
「アルデール、エルヴィン。この国は剣の力だけでは守れないし、知恵だけでも進めない。お前達二人が力を合わせなければ、真の平和は訪れないのだ」
事件が収束し、式典も終わった後、国王はアルデールとエルヴィンを前に告げる。
そして国王は、アルデールを王位継承者に指名する一方で、エルヴィンには宰相の役割を与える事を宣言した。
「エルヴィン、お前の知恵と魔法の力はこの国の宝だ。お前の導きがあってこそ、アルデールの王としての力が真価を発揮する」
「兄上を全力で支え、この国を守る事を誓います」
エルヴィンは真摯に頷き、力強く言葉を返した。
「お前達がこれからの国を導くのだ。互いに助け合い、争いを超えて、国を守れ」
そう力強く説く国王の言葉に、二人の皇子は深く頷く。
「お前達はこの国の未来だ。民の声を聞き、正義をもって治めよ。そして、失敗を恐れるな」
アルデールは父の言葉を心に刻み、深く頭を下げた。
「父上のような王になる事を誓います」
アルデールは、剣士としての生き方を貫いてきたが、政治的な手腕には自信がない。
一方で、弟であるエルヴィンの知恵や魔法の才能を尊敬しつつも、これまでの対立構造がその思いを素直に伝える事を妨げていた。
エルヴィンは、兄の強さと民からの支持を羨ましく感じながらも、自分の方が国を良い方向に導けるという思いを抱いていた。
だが、その野心が兄に対する劣等感と反発心を生み、兄弟の間には深い溝が存在していた――と言うのが、民衆の当初の見解である。
しかし――
「俺の剣だけでは、この国を支えるのは無理だ。だから、お前の力を貸してくれ」
「兄上が…嬉しいです。僕で役に立つなら、全力を尽くします」
アルデールが手を差し出すと、エルヴィンがそれを握り締める。
兄弟は向き合い、互いに手を取り合った瞬間。
その姿に、国王は満足げに微笑んだ。
観衆はその姿に感動し、拍手と歓声が大広間を満たした。
継承式は、二人の兄弟の手を取り合う姿で幕を閉じる。
この瞬間を境に、剣と魔法が調和し、剣の王国は新たな時代へと歩み始める。
第一皇子・アルデールは無事に王位継承式を終え、王国の次期国王としての立場を確立した。
継承式から数日後、玉座の間では正式に退位式が行われた。
アルデールは新王としての第一歩を踏み出し、エルヴィンはその傍らで補佐役としての役割を果たし始めた。
城の外では、二人の皇子の結束を喜ぶ声が国中に広がり、連日祝賀の祭りが続いた。
ディーネはその光景を窓越しに見つめながら呟いた。
「この国はきっと、彼らの手で素晴らしい未来を迎えますね」
ウォルターが頷きながら付け加える。
「だが、道は平坦ではないだろう。それでも…あの二人ならやっていけるさ」
こうして、アルデールとエルヴィンの新たな時代が始まった。
国は困難を乗り越えながらも、希望の光に満ちた未来への第一歩を踏み出していく。
継承式で起きた刺客の襲撃事件は、太后の陰謀だった。
アルデールは刺客の刃をかわしながらもエルヴィンの身を守り、一方、エルヴィンは魔法で兄の盾となる場面を作り出した。
この協力は偶然の産物だったが、二人はお互いに助け合えると言う可能性を、城の者達は垣間見ていた。
「皇子様方の方は、これで安心ですね」
ほっとした様子で息を吐くディーネ。
しかし、その表情はずっと晴れないままだと言う事に、ウォルターは気付いていた。
城の外は連日賑やかな祭りで沸き返っていたが、城内は落ち着かない空気が続いていた。
継承式の混乱を経て国王の退位が進む中、新たな秩序が築かれつつあった。
そんな中―-レンは依然として眠り続けていた。
『ディーネちゃん。レンは、いつになったら目を覚ますの…?』
「スライムさん…」
スライムは、ベッドの脇で目覚めないレンを。心配そうに見つめていた。
その小さな声には、焦りが混じっていた。
今にも泣き出しそうな表情で、レンを見つめている。
「きっと直ぐに目を覚ましますよっ」
「…それ、昨日も聞いた…」
「えっと…お腹! そう、お腹は空いてませんか!? 昨日も食べていなかったですよねっ」
「レンが起きるまで、食べないもん…っ」
だが、ディーネがスライムに食事を勧めても、ぷいっと顔を背けるばかりだった。
「まだ目を覚まさないのか…」
ウォルターもまた、レンの部屋を訪れては、彼女の無事を祈るように立ち尽くしていた。
「何だか、E級の昇級クエストの思い出すな」
「えぇ…あの時も、レンさんは何日も目を覚まさなかったですね…」
二人は、以前行った昇級クエストの記憶を呼び起こしていた。
その時も、レンは倒れて目覚めないまま、周囲を不安にさせた事があった。
今回もそうだ。
身体のあちこちには、刃物で切り刻まれたような跡があった。
疲弊し、雨や泥に塗れたその姿は、満身創痍だっただろう。
彼女が誰と戦ったのかはーー何となく察しが付く。
フウマもまた、同じような状態で発見されたのだから――
ーーコンコン
やがて部屋の扉がノックされ、国王となったアルデールとその弟エルヴィンが姿を現した。
ディーネとウォルターが立ち上がると、アルデールは軽く手を挙げて制した。
「構わない。様子を見に来ただけだ」
アルデールは眠るレンに視線を落とし、暫く静かに佇んでいた。
「剣の王国が封鎖していた区域が解放された。これで君達は、次の目的地に進める」
ウォルターが口を開いた。
「それは有り難い話です。しかし…レンが目覚めない限り、どうにも動けません」
アルデールは一瞬だけ溜息を吐き、柔らかい声で言った。
「好きなだけ此処にいるといい。この国に貢献してくれた礼だ」
その言葉にディーネは目を丸くした。
アルデールの優しさを感じる瞬間は珍しかった。
「ありがとうございます。助かります」
「お礼を言うのは此方の方です。この国に尽力して頂き、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げるエルヴィンに、ウォルターは首を振った。
ウォルターは腕を組みながら首を振った。
「我々はただ、やるべき事をしただけです」
ディーネも静かに微笑みながら言う。
「私達がした事より、これからお二人がこの国をどう導くかが大事ですから」
「アルデール王、エルヴィン様。遅ればせながら、此度の戴冠おめでとうございます」
「ありがとう。…継承式で死者が出なかったのは、本当に幸運だった」
「えぇ、そうですね。あれだけ人が居たのに」
継承式に参列していたのは、国内外から招待された要人や来賓も居たが、あの騒ぎの中で逃げ出す者や、逃げ遅れた者など様々だ。
しかし、負傷者はあれど。神官達や癒師の懸命な治癒により、大事には至らなかった。
「操っていた魔物の件は?」
「太后の話では、魔物の気配が完全に消え去っているそうだ」
「お話し出来るほどまでに、回復したのですね」
「あぁ…本当に憑き物が落ちた様だった」
アルデールは小さく頷く。
彼は、続いて太后と元国王の現状について語り始めた。
「あの日以来、太后はまるで別人のようだ。穏やかで、大人しい。」
「母上の優しい表情を見るのは久しぶりでした。…昔の母に戻ったみたいで、正直ほっとしています」
太后の変化に、エルヴィンは胸を撫で下ろしているようだったが、アルデールは眉間に少し皺を寄せた。
「だが、城内ではまだ彼女を不安視する声がある。何もなければよいのだが…」
継承氏から退位式へと移行し、その間は城内も慌ただしかった。
皆、顔には出さないが、これからどうなるのかを憂いているのは確かだろう。
「太后様はどうなるのでしょう?」
ディーネが不安そうに問いかけた。
アルデールは少し考え込み、静かに答える。
「…父上が、余生を何処か静かな場所で心穏やかに隠居生活を送りたい、と言っていてな。その場所に太后も連れて行くつもりらしい」
エルヴィンがその言葉を補足する。
「空気の澄んだ場所であれば、母上の身体も、そして心も安定するだろう、というお考えのようです」
ディーネは安堵の表情を浮かべつつも、まだ心に引っかかるものがある様子だった。
「それなら、良いのですけど…」
「何にしても、今すぐという訳ではない。暫くは太后の療養が優先だ。あの日から、彼女は随分と変わったが、まだ完全に安心出来る状態ではない」
エルヴィンも頷きながら付け加える。
「母上が元通りになる事を願っています。だからこそ、暫くはそっと見守るつもりです」
その言葉に、ディーネも漸く納得したように頷いた。
「そうですね…太后様も、穏やかに過ごせる場所で癒されると良いのですが」
アルデールはその言葉に、僅かに微笑みを浮かべた。
「彼女を見送るのも、父上を支えるのも、今の俺達兄弟の役目だと思っている。安心してくれ」
「…アルデール王。フウマの方は、どうなりましたか?」
ウォルターが静かに問いかける。
話題がフウマに移ると、アルデールの顔に一瞬だけ影が差した。
「あの男は今、地下牢に投獄されている。大人しくしているが、何も話さないのが現状だ」
「フウマさんに会う事は出来ませんかっ?」
ディーネは心配そうにアルデールに尋ねるが、彼はすぐに首を横に振る。
それを見て、ウォルターが眉を顰める。
「…本当に暗殺者だったのですか?」
アルデールは冷淡な口調で返した。
「継承式で剣を向け、太后の手先となった。それは事実だ」
ディーネが慎重に問いかけた。
「フ、フウマさんの処遇はどうなるのですか?」
「それは――…」
アルデールが一瞬だが口籠る。
その隣では、エルヴィンが重い表情で、視線を下に落としていた。
「…フウマさんが行ったのは、国に対する反逆と同等の罪になります」
「そ、それでは…っ」
アルデールは頷き、冷静に答えた。
「よって…処刑だ。だが、公にはせず秘密裏に行う。公開処刑でもしようものなら、更なる混乱を招くからな」
その言葉にウォルターは難色を示した。
「アルデール王。やはり、彼が本当に暗殺者だったのか、俺は信じられません」
ウォルターは視線を落とし、拳を握り締める。
「確かに剣を向けたのは事実だが、俺たちと過ごしたフウマは、ただの少年だった。あどけない16歳の顔をした…俺達の仲間だ」
アルデールは無言のまま、ウォルターを見つめた。
彼の気持ちは痛い程、アルデールにはよく解っていた。
だが、フウマの所業を許してしまう事は、到底出来なかった。
「…仕事があるので、此処で失礼する」
部屋を去る直前、アルデールはもう一度レンの寝顔を見つめ、小さく呟いた。
「彼女が目覚めたら、また礼を言いに来る」
エルヴィンも一礼し、二人は静かに部屋を後にした。
その背中を見送りながら、ディーネは小さく呟く
「どうしたらいいのでしょう…」
その問いに答える者は誰もいなかった。
城外では、アルデールの王位継承を祝う祭りが連日続いていた。
人々は二人の皇子の和解を喜び、この国の未来に希望を抱いていた。
「城では何か騒動があったようだが、一体何が遭ったのだろう?」
「さあな。だが、皇子様方が協力し、事態を収められたそうだぞ」
「何て素敵…! まるで昔に戻られた様だわ!」
街の人々は口々にそう言いながら、これからの平穏を祈っていた。
継承式の混乱とその後の一連の事件は、アルデールの指導力によって一応の収束を迎えたものの、まだ幾つかの謎と不安を残したままであった。
しかし、それでも人々は新たな時代の幕開けを歓迎し、未来へ向けて進んでいった。
お読み頂きありがとうございました。
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