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異世界転生者、始まりを語る

薄暗く鬱蒼とした森。

空を見上げても、太陽の光は生い茂る葉によって見え隠れしていた。

じんわりとした汗が、首筋を伝って気持ち悪い。


昨夜はお風呂に入っていなかった――

そんな事を思い、一日分の汗が此処で発汗されるかのように、じんわりと白のブラウスを湿らせる。


体感にして、10分、20分…いやそれ以上だろうか。

足の疲れと全身の気怠さ、そして襲う空腹

お風呂どころか夕食すら食べていないと、今更ながらに思い出した。


ポケットには、仕事中の眠気覚ましにと忍ばせていた、ブラックキャンディの包み紙。

ブラックな企業に勤めるブラックな労働をしている自分には、ぴったりの名称だ。

―ーなんて自虐ネタを言っていたのも、新入社員だった最初の内。


今では仕事のお供として、そして現在の自分に欠かせない存在だった。

それももう先程、最後の一つを食べ切ってしまった所である。




「あっつ…」




何度口にしたかも解らないこの言葉。

それ故に、着ていたスーツのジャケットは早々に脱いでしまった。

持っていたスマホは、既に充電切れ。

前日、寝る前に充電器に差しておかなかったのが要因だと、己の体たらくが悔やまれる。


腕時計もつけておらず、今が何時なのかも解らないので、自分がどれだけこの場所を彷徨っていたのかも解らない。

とりあえず、口の中から飴が二つ分無くなるくらい、自分はこの森を彷徨い歩いて居た。



…そもそも何でこんな事に?



そうして、朧気に自分の記憶を辿って行く。



どうして此処に居るんだっけ?

どうして歩いて居るんだっけ。



どうして…?




様々な疑問が浮かぶ中で、私――『天神アマガミ レン』は少し前の記憶を遡っていた――







◇◆◇





「はぁ…やっと着いた」




たった今、本日の最終電車から降りた。

身体中が悲鳴を上げ、顔は既にうつらうつらと夢見心地。

何度車内で転寝し、隣の人の肩に凭れかかった事だろう。


溜息一つで、今日一日の疲れが吹き飛ぶなんて思っていなかった。

寧ろ此処から家まで、まだ少しの距離を歩かなければならないから大変だ。


残業を終えて、地元駅に着いた頃にはもう0時。

同じように終電で駅を降りた人は、皆が皆、疲れた顔をしてそれぞれの家路に帰って行く。


…私もあんな顔をしているんだろうか。本日もご苦労様です!




「って、私もか…」




そんな事を呟き、レンはまた何度目かの溜息を吐いた。



毎日、毎日、同じような日々の繰り返し。

レンは社会人としては会社に勤め、働いてるOLだ。

労働に見合った賃金が要求されている――筈なのだが、どう言う訳か、私の会社は俗に言う『ブラック』


始業時間よりも、一時間前には必ず出社しているのが暗黙のルールで、勿論定時には上がれない。

残業は毎日させられる。

次々に舞い込んで来る案件、終わらない仕事。

休日出勤だって普通にある。

休みがまるまる潰れるのだから、デートだってロクに出来ない。

そんな忙しい生活だから、彼氏の一人も満足に続いた事がなかった。



私の輝かしい青春と甘酸っぱい恋愛を返して欲しい。

そしてその分の給料は、残業代共々出る事はなかった。


これがブラックと言わず、何て言うんだ?

恐ろしい事に、この事を誰も社長に直談判しないのもブラックたる所以。



そんな風に文句を垂れるも、危ない橋はレンだって渡らない。

クビが飛ぶのが恐いからだ。

だから今日もこうして大人しく、従順に、社畜として一日を終わらせる。


今の会社に新入社員として入社し、もう十年以上は経った。

中学や高校の同級生とは年月を重ねるにつれ、それぞれの家庭があり、仕事があり何かと忙しい。

今ではその殆どが疎遠になってしまっている。


最後に連絡があったのも、数年前の同窓会の案内が郵便で届いたくらいだ。

その同窓会も、私は連日の残業により行く事が出来なかった。

『同窓会があるんです』って言っても、上司は『それで? 仕事は終わったのか』と、解ってくれなかった。


畜生、あのハゲ!



そんな辛い日々だが、大学時代に出会った女友達三人とは、社会人になった今も交流がある。

勉強の出来た彼女達は、卒業してから医者、弁護士、CAと言ったバリバリのキャリアウーマン。

対して私は、ただのOLである。

四人の中で、自分が一番平々凡々だと思っているし、信じて疑わない。


そして幸運にも(?)、彼女達は皆、結婚よりも仕事優先で、自分の人生を謳歌しているようだった。

皆、決してモテない訳ではない。

美人で気立てが良く、料理もそこそこ上手くて流行に敏感な女子達。

いい奥さんになれる器だって、同性の自分からも本当に思う…見た目はね。



女は強く生きるのがいいと言う考えな彼女達は、結婚なんてどうでもよくなって来たとか。

皆で集まれる数少ないお茶会で、いつだったそんな話題を口にしていた。

結婚なんてどうでもいいと宣う彼女達には悪いが、私は笑い飛ばしつつも内心で焦っていた。


何せ出会いがない。

職場に同僚の男性が居ても、既にコブ付きもしくは既婚者。

流石に焦っていても、人の家庭を壊してまで幸せを手にはしたくない。


高収入でもなければ美人でもない自分は、彼女達とは根底から既にもう違う。

だから、マッチングアプリで婚活をしているのは皆には内緒だ。


男運がなく、過去に付き合っていた男性も居なくはないが―ー結論的に言えば全員破局。


浮気、不倫、ヒモ男、ニートと言った、尽く駄目男に私は引っ掛かる運命らしい。

そう言う男性を、無意識の内に選んでいた自分にも、思うところはあるだろうけど。


幸いだったのは、どの男にもお金を渡すと言ったムーブがなかった事だろうか。

勿論借金もない。

財布の紐はきっちり締めるの大事!


ちなみに結婚まで行きそうになった事もあるが、それが実は結婚詐欺だったと言うエピソードもある。

とにかく私は男運が悪い、絶望するほどに。



――とまあ、誰かに言いたくなるような愚痴を挟んでいる間にも、近所のコンビニに到着した。


この街に引っ越してから、よくお世話になっている某有名チェーン店である




「しゃせー」




深夜のコンビニによく居る気怠そうな店員の声を聞きながら、カゴを手に取る。


お昼から何も食べていない為、常に腹ペコ状態。

当然夕食もまだだ。


家に帰ってメイクを落とし、お風呂に入って寝る。

ただそれだけの行動も、空腹と疲れが襲い掛かっては、満足に動く事も出来ない。

深夜に洗濯機は回せないし、朝はバタバタで洗濯物は溜まる一方。

炊事も洗濯もする暇がないから、部屋の中はぐちゃぐちゃで誰も呼べないと言う有様だ。


だが、朝早くに起きて動けばいいなんて朝活じみた事を、私は絶対にしない。

朝はアラームが鳴る時間ギリギリまで寝たいし、何なら朝ごはんだって抜いて出社をしている。

完全にダメ人間で、且つ不健康なスタイルだ。

将来の為に生活習慣の改善をすべきだ…とは思うけど、気が進まない。


睡眠不足でお肌のハリもなく、荒れているし水分不足。

明らかに疲れは溜まっていると言うのに、年に一回の健康診断では、何故か健康そのもの異常なし!


おかしい…ブラックなのに!

さてはあの病院、グルだな!!




「…あ、新作のデザート出てる」




独り言を呟きながら、それを手に取る・

コンビニスイーツは当たりハズレがあるけれど、このコンビニは格別に美味しかった。


あとは軽くつまめるおつまみとお酒は――明日も仕事だからやめておく?

いやでも、今日は理不尽な怒られ方したしなぁ…買うか!

呑もう、明日も仕事だけどっ!




「880円になりまーす。ありがとやしたぁー」




彼の接客態度の文句を言いたくなる気持ちはあったが、此方としてはこれ以上の余計な労力を使いたくはない。

それに変に揉めて帰宅時間が遅くなるのも嫌だ。

タダでさえ少ない睡眠時間が、ますます削られてしまうではないか。




「色々と高くなったなー」




レシートを眺めつつ、以前よりも物価が値上げをしたと感じる。


原材料だのなんだの、物価高の煽りをバンバン受けているコンビニスイーツ。

これ以上スイーツが高くなったら、週に一回の楽しみが減ってしまう。

その分賃金が上がってくれてもいいのだが、こちとら生憎のブラック企業。

更に世の中は不景気である。


うちの会社がある事で誰かの役に立っている事は確かで、助けになっている事も…まあ解る。

でも、働いても働いても、報われる事がないのが労働者。


生活をする為にはお金が必要で、お金の為には働かなくちゃいけない。

会社の小さな歯車の一つとして、私はただ其処に居る。

自分の代わりは誰だって居るんだ。


それなら自分が居ても居なくても同じなのでは――?




「…あっ」




ぼーっとしていた所為か、手にしていたレシートがはためき、風に攫われた。


幸い、道路の真ん中にそれは留まってくれたのだが、いつまた同じように風が吹くか解らない。

髪を浚う程の強風に、春一番はまだ先だろう…と、肩を竦めた。

自分が落とした物なのでそのまま放置する事はせず、私はのんびりとそのレシートに取りに足を踏み出した。




…そして此処が、道路のど真ん中だと言うのを失念していた。




――パッパー!




周囲を明るく照らす車のライト。

そして煩いくらいのクラクションの音が激しく耳を打つ。

それが此方に向かっているのだと気付いても、もう遅い。



車は、もう既にすぐ近くまで迫っていた。





―ードンッ!!







そうして、私は車に轢かれた。



…まあ、よくある話だ。


いや、よくあっても困るけど。





「…がはっ」




コンクリートに全身を強く打ち付ける。

その衝撃は、轢かれた瞬間の何倍以上も痛みが感じられた。



酷い耳鳴り。

頭を鈍器で殴られたように鋭い痛みが激しく襲った。


一瞬、自分を轢いた車が停車をしたのが見えたが、直ぐにまた走り去っていくの見て絶望した。




畜生、轢き逃げか…!



コンビニの中から人が出て来る。

事故だ何だと騒いでいる姿は解ったが、耳鳴りが酷くてよく解らない。


次第に視界の端に見えて来た『赤黒い液体』

その鉄臭さに、私はただ表情を歪めていた。




まだまだやりたい事があった。

仕事が山積みで終わっていない。

死ぬなら後任に引継ぎをしないと…請け負ったプロジェクトを丸投げなんて出来ない。



それに仕事だけじゃない。

録画したドラマやバラエティを一気見しなきゃいけないし、美味しい物を食べに行こうって友人達と約束したばかり。

死ぬなら家を掃除してからだし、過去の黒歴史たるなんやかんやを色々と処分すべきだ。

実家に置いておくのが恐くて、つい持って来てしまった過去の産物・黒歴史の山々。



もっと遊んでおけばよかった。

最近出来ていなかったけど、積みゲーだって山ほどある。

纏まった仕事が終わったらやりたいと思っていた。

それなのに、次から次へと仕事が舞い込んで、そんな余裕もなかった。







…あぁ、此処で死ぬのか。


私の人生って、後悔ばかりだな。




生まれ変わるなら、また人間になって、今度はのびのびとスローライフがしたい。

仕事も、上司からのパワハラも、悩みの一つだって、一切考えることなく自由に日々を過ごしたい。


よくある異世界転生ものだったら、のんびりと過ごせそうだ。



なんて、願うならタダである。







あとは、そうだな…




もう一度。




もう一度やり直せるなら。





今度こそ幸せになれますように―ー





今まで頑張って来たんだ。



一つくらいは…許してくれてもいいでしょう?







お読み頂きありがとうございました。

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