目の前にはギロチン、振り向けばイケメン
ズシリと剣の重みを感じ、グリップを握り直した。
一瞬、眩暈を感じた体がふらりと揺れたが、足を一歩引いて、立て直す。女ながらに鍛えぬいた体幹は安定している。
なぜ、今、思い出したのか。
ダラダラと額から汗が流れ落ちる。目の前にはギロチン、その横には見届け人として王族が数人と最高判事が一人。それを取り囲むかのように柵の向こうに集まった群衆。
これから大犯罪者、レオン・ダーウィンの死刑が執行される。
わたしはこの国の処刑執行に従事するスワトロ伯爵家の長女。16歳となったわたしの初仕事はレオン・ダーウィンの処刑の介添えだ。
なんと、受刑者の命を一瞬で奪い、彼らに苦痛を与えないための装置であるこのギロチン、性格の悪いこの国では、前回の執行からそのまま、刃の血を拭わないのだ。あえて錆びさせたその刃を受刑者の首に落としたところで、苦痛は与えても、死は遠い。そこで、頃合いをみて、処刑執行人であるわたしが、儀式用の重く装飾を施されたこの剣で、とどめを刺す、ということなのだ。
レオン・ダーウィンの名前が呼ばれ、被せられた黒いフードから零れ落ちる淡い金色の髪を見た瞬間、わたしは前世を思い出した。
かつて、ゲームの画面で見た、神々しいまでに美しいレオンが首を落とされる、そのスチルが脳内に浮かび、そのまま前世の記憶が怒涛の勢いで頭の中に流れ込んできた。日本という発展した国で過ごしていた頃の記憶の波が押し寄せる。最後は、わたしがその生で気に入っていたゲームの画面が次々と浮かんでは消えていき、この場とシンクロするように現実へと引き戻された。
ここは『血濡れの花』というゲームの世界。ミステリー仕立てのそのゲームはいくつもの分岐があり、今はゲームのクライマックス。レオンが死刑執行台に登るのは、バッドエンド、いや、複数あるバッドエンドの中でも最悪と言われたワーストエンドだ。
物語の序盤であれば、なにか打つ手もあっただろう。最悪、この国を捨てて、他国へ行くことさえできた。
なぜ、レオンの罪が確定し、その首を落とす、という段で思い出すのか。脳まで筋肉で出来ている、と言われているわたしだって、涙が出そうだ。
ゲームは、貴族の子息子女が通う学園である事件が起きるところから始まる。そこに留学生として在籍していたレオンは、様々な事件のヒントをくれるアドバイザー的な役割だ。その彼が犯人に仕立て上げられてしまうこのエンドは、すべての選択を誤らないとたどり着かないはずで、当然、真犯人は別にいる。
真犯人は、実は大帝国の皇子であるレオンの幼なじみだったのだ。唯一彼の身分を知っていた真犯人は、騒動の中、大帝国へ帰り、涙ながらにレオンの死を告げる。そうして、見せしめの様に大帝国に戦争を仕掛けられ陥落したこの国を、真犯人が若き王として治めることになるのだ。
若き王が治めることになったこの国は、選ばれた者だけが甘い汁をすする最低の君主制が始まる。生き残った王族は、殺されこそしないものの、死んだ方がマシだと思うような屈辱の日々が描かれる。
「レオン様」
思わず呟いたわたしの声に、彼はハッと顔を上げた。
「ローズ嬢」
小さな声でわたしを呼ぶ彼の声に、驚きが混じっている。
街の宿屋で出会った平民だと思っていた女が、処刑執行人の服を着て、剣を持っているとは、思わなかったことだろう。
この小さな邂逅は誰の目にも止まらず、最高判事が彼の罪状を告げる。
「ここにいるレオン・ダーウィンは王太子クリス殿下の婚約者であったトリドオル侯爵令嬢誘拐の罪、続けて」
「トリドオル侯爵令嬢は、誘拐されていません」
最高判事の言葉を遮ったわたしの発言に、周囲の注目が集まる。思わず告げた真実、ここで後戻りは出来ない。
「何を言っているんだ」
「誰か、彼女が誘拐されるところを、誘拐した犯人を見ましたか?」
「いや、だが、本人の証言と、一億ベルの要求がトリドオル侯爵家に届いている。それと同様の用紙が彼の所持品にもあった」
「一億ベルの請求書、だったはずです。その用紙は文具店で販売されている一般的な物。レオン・ダーウィンのみが入手できた特別な品ではなかったはずです。そして記載されていたのは、トリドオル侯爵令嬢が現金も持たずに高額な買い物をして、その代金を支払うまでは身柄を預かる、という内容。相手が闇商会であったため、警らが動いた段階で姿を消していますが。そして、トリドオル侯爵令嬢が入手したのは堕胎薬。すでに服用済みのため、商品は手元に残らず、証拠もない。狡猾な彼らは彼女に姿を見られていなかったため、貴族の令嬢を殺害して口封じをするより、証拠を残さず消えることを選んだのです。ちなみに、支払い用に準備していた指輪が服用後にイミテーションであったことが判明して、家に請求されることになりました。トリドオル侯爵令嬢の誘拐は、妊娠を隠し、堕胎薬を購入したことを隠すための、本人の自作自演だったのです」
堕胎薬という言葉に、王族として立ち会っていた王太子が青ざめる。この国の王族及び貴族は婚前交渉が推奨されていない上に、子は宝とされており、堕胎はもちろん避妊も認められていない。市場に出回ることのない避妊薬、堕胎薬は闇で非常に高値で取引されている。
「町医者を調べれば、身分を隠して受診したトリドオル侯爵令嬢の懐妊の診察結果が出てくるはずです」
「しかし、私は彼女とは……」
言葉を詰まらせた王太子はもちろん、婚約者に手を出していない。
異性交遊に興味津々だった彼女は、留学生のレオンであれば後腐れなく遊べると思い声を掛けたものの、身体の関係を持つどころか、軽蔑され、その腹いせに家に高額の請求書が届いた言い訳として、彼に誘拐されたが隙をみて逃げ出した、と嘘をついたのだ。ちなみに、彼女のベッドのお相手は護衛騎士の数人に、執事見習いなど複数いる。
本来はゲームの序盤でトリドオル侯爵令嬢の秘密が暴かれ、王太子は婚約破棄するはずだったのだ。しかし、今回はレオンの潔白が証明できないまま調査は長く続き、複数の罪を犯したとされる中に混ぜ込まれた。
動揺する王太子をよそに、最高判事は持っていた罪状の紙をめくる。
「ランドール伯爵令息の殺害容疑、これに関しては……」
「あくまでも、容疑、ですよね?」
最高判事は眉間に皺をよせながら、事件の詳細を読み上げる。
「三か月前、ランドール伯爵令息が行方をくらませた。最後の目撃情報はレオン・ダーウィンが休暇期間の定宿にしていた宿屋。次の生徒会長と言われるほど優秀で品行方正だった彼が家出をする理由もなく、懸命な捜索が行われたが、見つかったのは彼がその日着ていた衣服のみ。それも血がついた状態で宿屋のゴミ箱から発見された。同日、容疑者レオン・ダーウィンも血濡れで帰宅した、と証言が上がっている」
「凶器も遺体も、発見されていませんよね?」
この事件に関しては、レオン・ダーウィンが容疑者に浮上していたものの、決定的証拠がないため起訴されることはないと思っていたけれど。
「ランドール伯爵令息様は、生きておられます」
「まさか」
ランドール伯爵令息の幸せを願って口を噤んできたが、レオン・ダーウィンの命がかかっている今は、真実を告げなくてはなるまい。
「どこか遠い場所で、愛する方と、暮らしておられるはずです。ランドール伯爵令息様は、この国では認められない恋をしておられました。それを言い出すことが出来ず、しかし諦めることも出来ず、すべてを捨てて、愛に生きることを選んだのです」
彼が愛したのは親子ほど年の離れた男性であった。流れの傭兵として身を立てていたその男性は、レオン・ダーウィンと同じ宿に泊まっていた。レオン・ダーウィンと友人だったランドール伯爵令息はそこで彼に出会い、厳しく育てられたゆえか、逞しい包容力に夢中になったのだ。貴族である自分と異国の平民、しかも同性婚が認められていないこの国では、二人の愛は日の目を見ることはない。
そろそろ婚約者を決める、という段になって、ランドール伯爵令息はこの愛を捨てることは出来ない、と気付いたのだ。
友人であるレオン・ダーウィンは二人の逃避行を打ち明けられていたが、友情に厚い彼は、自分が疑われようと、これまで一言も漏らさなかったというのに、ここで打ち明けたわたしを許してくれるだろうか。しかし、わたしにも痛みを伴う告白であることを、理解してくれると嬉しいのだが。
「では、衣服に付着していた血痕のことはどう説明するつもりだ?」
「それは、調べてくださればわかるのですが、鹿の血でございます」
その場にいる者たちの頭の中は「?」だらけになっただろう。
「我がスワトロ伯爵家は国の定めた処刑の全てを引き受ける一族。毒も絞殺も剣も、すべてを習得いたします。しかし、生きた人間を殺めることは罪となりますので、獣を狩ってさばくことでこの腕を磨くのです。ランドール伯爵令息が消えた宿の食堂で提供されるジビエ料理の食材は、わたしが提供しておりました。その調理の際の血痕でございます」
そこの食堂で、わたしとレオン・ダーウィンは出会ったのだ。今では上手にさばくことができるようになったけれど、それでも時々失敗してしまう。あの日も、レオン・ダーウィンが友人であるランドール伯爵令息を連れて厨房に遊びに来たため妙に緊張してしまい、いつもならば難なく行える血抜きを失敗して、そこら中に血しぶきを上げてしまったのだ。
少しでも新鮮な物をと、あえて気絶させて仕留めた獲物が目を覚ましてしまい、暴れる鹿の腹に剣を突き立てて息の根を止めた。その血が、レオン・ダーウィンにもランドール伯爵令息にも降りかかったことによる、殺害容疑となってしまった。
彼らの衣服についた鹿の血が原因で捜査が混乱していることはわかっていた。けれど、自分が失敗して血の雨を降らせたことを打ち明けるのが恥ずかしくて黙っていたのだ。
幼い頃からスワトロ伯爵家の跡取りとして剣に体術に毒に、あらゆることを仕込まれてきたわたしが、見目麗しい男性に見られているからと手元を疎かにするなど、恥ずかしいではないか。
人手が足りない食堂の給仕を手伝っていたわたしと、時々食事に訪れていたレオン・ダーウィンは少しずつ言葉を交わすようになっていた。そして、わたしが獣をさばけると知った彼は面白がって店主の許可を得て厨房に見学にやって来たのだ。
鹿の血を浴びたわたしの真っ赤な髪を、薔薇のようだと言って、あれ以来、レオン・ダーウィンはわたしのことを「ローズ嬢」と呼んでくれる。
ゲーム上ではモブのわたしはここでは登場せず、ただのランドール伯爵令息の失踪事件だった。レオン・ダーウィンも容疑者になることはなく、失踪から四か月後に届くランドール伯爵令息からの手紙で真相が明かされ、この国の同性婚、結婚の身分差などが見直される動きが少しずつ出てくるはずであったのだが。
その後も最高判事が読み上げるテナンリーシング銀行襲撃事件、ワトフォード侯爵夫人強姦事件、無差別辻馬車破壊事件の真相を淡々と伝えていった。
いずれの事件も、よく調べれば彼の潔白は証明されただろうに。彼を有罪へと導いたのはゲームの強制力か、真犯人の巧みな工作故か。
「では、学園での連続殺人事件についても真相があるというのか?」
「もちろんです。レオン・ダーウィンは犯人ではありません」
ちらりと、王太子の陰に隠れるようにこちらを見ていたエマ姫を見る。
艶やかに輝く紅茶色の髪は腰まで長く、同じ色のまつ毛に縁どられた大きな瞳はサファイアのように煌めいている。陶器のような肌に、バラ色の頬、赤く染まった小さな唇。可愛らしく可憐なエマ姫は、つい先日、王の子であることが判明したばかり。
かつて国に訪れた旅芸人の踊り子に、王が手を出して生まれた子供がエマであった。自国に戻ってから妊娠が判明し出産したため、王はエマの存在を知らなかった。
エマの母が王から貰ったブローチを王太子に見せ、魔道具で血縁が証明できたことで、数日前に王の子と認められたのだ。
「殺害されたのはモンテカルラ伯爵令息様。彼はいずれ国の中枢を担う文官になると言われるほど優秀で、異性交遊には潔癖といえるほどでした。次にドリー侯爵令嬢様。彼女はアーネステ公爵令息様の婚約者でした。公爵令息様は優秀で公明、将来有望な方でしたが、愛する婚約者を亡くして、屋敷から出て来なくなってしまったとか。その次はサーモスタ子爵令息様。彼は学生の身でありながら領地で栽培している果樹に関しての論文が学会で評価されており、幼馴染の女性と婚約予定であったそうです」
殺された令息、令嬢のことは周知の事実であろう。
「彼ら、彼女らには共通点があります。いずれも本人、もしくはその婚約者が将来的に国を担うほど優秀な人材であったこと。加えて、エマ姫の好意を受け取らなかったこと、です」
突然、名を出されたエマ姫に注目が集まる。
彼女の母親は大帝国の出身であった。貴族の娘でありながら旅の踊り子として活躍していた彼女は、国に戻り、幼馴染の男と結婚。
その後生まれた娘が、自分とも夫とも似ておらず、異国の顔立ちをしていた。彼女が旅の途中で関係をもったのがこの国の王のみであることから、その時の子であることは瞭然。成り行きの子であり、遠く小さな国の王に未練などなかったため、エマはそのままその家で育つことになった。
エマの母親は、夫の子ではない娘を産んだことにより、婚家では肩身が狭かったため、レオンの妹が生まれた時に乳母として請われると、家を出られると喜んだ。一度は受け入れた夫も自分の子ではないエマを可愛がることはなく、これ幸いと妻に押し付けて、エマは母親と一緒に城に住みこむことになる。そこで、エマはレオンと幼馴染として親しくなっていく。
実家では誰からも愛情をかけられず、物心ついてからは使用人の子として城の片隅で育った。彼女の心は常に飢えて、自分でもわからぬ何かを、いつもギラギラと欲していた。
十三番目の皇子であるレオン・ダーウィンが見聞を広めるため身分を隠して留学することを知り、エマは自分の父親がいる国へ着いて来ることにしたのだった。
留学した先で、自分が生まれたことも知らない父親に愛される王太子を見て、憎しみが湧いてきた。学園で王太子に近付くと同時期に彼と良好な関係を築いている婚約者にも接近する。好奇心旺盛な彼女に、性に奔放な大帝国の話をしてやる。異性との楽しみを知らないなんて可哀そうだと囁き、その近くの者には、その女は淫乱で夜の相手を探していると教えてやった。
ランドール伯爵令息は異国から留学生としてやってきたレオンにも自分にも優しくしてくれた。彼もその気だろうと、レオンの宿に泊まりに来た彼のベッドに忍び込むも、ピクリとも反応しない。腹が立って屈強な傭兵くずれの男をけしかけてやると、なぜか二人はそのまま駆け落ちをしてしまう。
モンテカルラ伯爵令息、アーネステ公爵令息、サーモスタ子爵令息も、エマの誘いを冷たく断った。
美しく可憐な容姿のエマは、放っておいてもいつも男性に囲まれていた。可愛いと、美しいと褒めそやされてきたのに、本当に賢い男たちは、彼女に群がることはなかったのだ。
もちろん、優秀で見目も麗しいレオンもまた、エマを幼馴染として大事にはしてくれたが、それ以上の対象には見てくれなかった。
最初に王太子クリスの婚約者であったトリドオル侯爵令嬢がレオンに誘拐されたと虚言を放ったことで、エマは自分に振り向いてくれないレオンにすべての罪を押し付けることを思いついた。自国では皇妃を含め妻が七人もいる父である皇帝にも、もちろん側妃である母にも愛され、友人も多く、優秀だと皆に認められ、自分が望むまま供も護衛もつけずに留学することを許されるほど信頼されているレオン。
誰にも望まれずに産まれて、誰からも愛されることなく育ったエマの代わりに、この国での罪くらい、被ってくれてもいいだろう。
そう考えるようになったエマは、殺害現場にはそっとレオンに繋がる品を置いてきたり、目撃情報が出るように工作したりと、レオンに疑いの目が向くように仕向けた。太陽のように光を放っていた幼馴染の彼が、次第に光の当たらない月の裏側のように穴だらけになっていく様が面白かった。
異母兄である王太子が、エマを疑い始めたことに気が付き、母が持っていたこの国の王から貰ったというブローチを見せて、涙ながらに出生を語ってやる。最初は疑っていたが、血縁を調べられる魔道具でいとも簡単に王との親子関係は立証された。その時も、一緒に留学してきたレオンの身分はうまくはぐらかして、大帝国の王族だとは明かさない。
善良なこの国の王族は、エマを姫と認めて公表した。しかし、これで許すつもりはない。これまで生きて来た彼らの幸福分も、エマは手に入れるつもりだ。
エマは、隠しポケットから小ぶりなナイフを取り出し、振りかぶりもせずにこちらに放つ。手に持っていた剣でそれを弾くと「カン」と軽い音を立てて、床に転がった。
彼女が犯した数々の犯罪は、狡猾な性格と、母親譲りの運動神経の良さに支えられていた。母親が踊っていた旅芸人のところに遊びに行くときはついて行き、一緒に踊ったりナイフ投げを教えてもらったりして、柔軟な体としなやかな筋肉を手に入れた。
ゲームの中では、レオンのワーストエンドでしか出てこない処刑人一族の娘であるわたしのことなど、眼中になかっただろう。
「モブのくせに」
小さな声で呟き、仕留めそこなった気持ちをあっさり切り替えて、こてん、と可愛らしく小首を傾げた。
「この方、なにをおっしゃってるの?」
上目づかいで最近兄妹であることがわかったばかりの王太子を見上げる。
普通であれば、穢れた一族と言われるスワトロ伯爵家の娘の言葉など、聞き届けられないだろう。この国の処刑執行を一手に引き受けているスワトロ伯爵家は、表面上は伝統ある敬うべき貴族家であるが、実際は血で汚れた彼らは忌み嫌われている。
しかし、彼らの国への忠心を知っている王族は違った。その上、王太子はレオンの人となりも知っており、彼に集まる容疑に疑惑を持っていた。
王太子はとっさにエマの腕を掴むが、その腕を引いて、王太子に肘打ちを食らわせる。腹部への衝撃に蹲る彼を見もしないで、エマは走り出した。
エマはすでにこの国の王族専用の隠し通路さえ把握している。ゲームのラスト通りにこの国を支配するには至らなかったが、このまま国を逃げ出すことは容易であろう。
わたしがいなければ、だけど。
ダンっと地面を蹴って走り出す。あっという間にエマに追いつき、にやりと笑う。彼女の襟首を掴み、引き倒す。仰向けに倒れた彼女の太ももの横に、剣を突き立ててやる。シルク素材のスカートに剣が刺さり、身動き出来まい。
「逃げても無駄だ。処刑執行人であるわたしが地の果てまで追いかけて、その身を亡ぼしてやる」
どんな相手も、どんな状況でも処刑を執行するために、我がスワトロ伯爵家は特殊な訓練を受けている。各国の俊敏な密偵や、強靭な武将でさえこの手にかける可能性があるのだ、それを上回る力を身につけなければならない。
本来のワーストエンドでは、犯罪者に仕立て上げられたレオン・ダーウィンは国に連絡する時間も与えられず、異例の速さで処刑される。大帝国に戻ったエマが彼を愛していた皇帝へその無残な死を報告した。そして、自分がその国の王族の血を受け継いでいることを打ち明け、レオンの冤罪を晴らし、自身でこの国の責任を取らせてほしいことを涙ながらに語り、戦争に敗れたこの国を手に入れるのだ。
大帝国の王は、もちろんレオンを愛してはいたが、小国であるこの国が、大帝国の皇子をないがしろにしたことに対して、国として力の差を、大帝国を甘く見た結果を、近隣諸国に見せつける必要があった。
しかし現実では、エマは後ろで手を縛られ、捕縛された。彼女を前に、ゲームで知り得た連続殺人事件の殺害方法、アリバイ崩しを語ってやる。処刑執行人であるスワトロ伯爵家の者、というだけで、話をきいてくれるこの状況はありがたいが、こんな小娘の話を頭から信じて(いや、あとで裏付け捜査とかするんだろうけど)大丈夫か、国の行末に不安を覚える。
その後、エマは投獄された。彼女の罪はレオンに被せていた以外にも多くあり、すべてを裁くには長い時間を要することになるだろう。
わたしはその後、長い聞き取り調査に協力し、やっと解放されたのは日付の変わった翌日の昼前。空に昇った太陽の光が寝不足の目には眩しい。目を細めたその先には、シンプルな白いシャツに黒いスラックス姿のレオンが壁に寄りかかっていた。
「やあ、ローズ嬢?」
「レオン様、もう解放されたのですね」
明るい昼の石畳の路を、わたし達は二人で並んで歩き出す。
「実家に連絡がいったから、釈放まであっという間だった」
「容疑者の素性を調べもせずに犯罪を処すなど、この国の司法はお粗末にもほどがありますね」
今後は大帝国の手が入り、改善されていくのか、ゲームとは違った形で滅びていくのか。これから先の未来は、わたしにはわからない。
立ち止ったレオンが、わたしを見て、おどけたように笑う。
「まさかあなたが俺の無実を証言してくれるとは、思っていなかった」
「宿屋の食堂で数回、お会いしただけでしたものね」
裕福な平民が宿泊するような宿の下働きの娘が、貴族の、それも処刑執行を生業とする一族だとは思いもしなかっただろう。
「でも一つだけ、有罪の罪が残っています」
きょとんとする顔が可愛らしくて、思わず笑顔になってしまう。
「レオン様の罪は、わたしの心を奪ったことです」
なーんて、と言って軽く終わらせようとしたのだが、レオンは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「では、どうかその罪を償わせて?」
「……終身刑、ですよ?」
「望むところだ!!」
気がついたら、わたしはレオンの腕の中。鍛えたわたしの体を危なげなく支えるレオンに、胸が高鳴る。
そのまま我がスワトロ伯爵家へ結婚の許しをもらいに挨拶へ行ったのだった。
そこで初めて、お互いが一目惚れしていたことを知り、盛大に照れ合うことになる。
それから、一年後、我が家は一家揃って大帝国へと移住していた。
表向きは伝統ある家とされていたが、実際は汚れた一族として蔑まれていた我が家は、祖国に愛想が尽きていたのだ。毒や人体に詳しい我が一族は、医者となったり薬師となったり、軍に入隊したり、それぞれの分野で一流と認められた。
たくさんの罪を犯したエマは、王族となっていたこともあり、表向きは生涯幽閉とされた。しかし、実際は被害者家族から鞭や釘で制裁を加えられる日々だという。優秀な治癒師をつけて、死ぬことすら許されない、続く地獄は始まったばかりであろう。
わたしとレオンは、懲りずに護衛もお供もつけずに旅をしている。ゲームは終わったがその強制力が残っているのか、レオンが行く先々では事件や事故が起こりがちではあるが、記録用魔道具を常に携帯することで、疑いはすぐに晴れる。その上、転生チートか元来の才能と努力のおかげか、武力的には今のところわたしが最強そうなので安心だ。
「今日の夕飯は雉ですよ、レオン様」
「それは腕がなるな!」
各国の料理を食べ歩き、いつか二人でレストランを開くのが、今のわたし達の目標。まずは、お腹に宿った愛しい命を育むために、一度どこかに腰を据えようかと話しているところだ。
ゲームではワーストエンドだったけれど、わたし達のハッピーエンドは、これから先の現実の中。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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