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紅の悪女は幕引きを望み、翠の皇子は幕開けを願う〜邪仙女麗麗世直奇譚〜  作者: 安崎依代
麗麗

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6/7


 ──一体どうなっている!?


『執務室』と呼ばれている別棟に向かって駆けながら、黒雲(こくうん)は内心で絶叫していた。


 何もかもがうまく進んでいたはずだ。今日だって旨味がありそうなカモが飛び込んできたところだった。


 何の問題もなかった。全ては()()()()の指示の通り。


 若い娘を連れてきて、あの御方から与えられた耳飾りを付けさせれば、どれだけ抵抗していた娘でもあっさり()()わ《・》()()()となった。


 唯一煩わしい点を挙げるとすれば、身代わりがひと月程度しか使い物にならないことだが、それだって布施を納めきれなくなった人間に『最高の布施』として自身の娘や自分自身を差し出させれば十分に賄うことができた。次の身代わりだって、あの釉釉(ゆうゆう)という娘に目をつけていたところだった。


 全ては上手く行っていたはず。


 だというのに。だというのに。


 ──一体何が起きたというんだ!?


 身代わり人形を作り上げるための耳飾りから、突如反応が消えた。同時に敷地が結界で封鎖され、外へ出ることができなくなっている。誰かが黒雲達の企みに気付き、征伐を開始したとしか思えない。


 誰か。


 そんなの、あのカモ二人に決まっている。


 ──ただの世間知らずな金持ち女とその従者じゃなかったのか……!?


 どのみち、あの御方から下賜された耳飾りが使い物にならなくなった時点で、この計画は頓挫している。


 誰がどうやって黒雲の計画に気付いたのか、その誰かは何者なのかなど、今はどうでもいい。稼ぎをどれだけ抱えて逃げ出せるか。黒雲が気にすべきはそれだけだ。それ以外のことを考えていられる猶予はない。


 黒雲はギリッと奥歯を噛み締めると、別棟の中に飛び込んだ。


『信者』達から巻き上げた金は、全てここに保管されている。この集団に術師は黒雲一人だけだ。(つたな)い結界術しか扱えない、術師と名乗るのも(はばか)られるような腕前の黒雲だが、田舎の愚鈍な(ただ)(びと)の目を誤魔化すことくらいは黒雲にもできる。


 黒雲は自分専用の建物の中に飛び込むと、金目の物が保管されている部屋へ一目散に駆け抜けた。


 新興術師宗派の本拠地として使われている母屋とは違い、こちらは窓が多く、造りもこじんまりとしていて外から差し込む光も多い。さすがに金目の物を積んだ主寝室は窓に布を垂らして人目を遮っているが、建物の中を進む程度ならば、闇に目が慣れていることもあり灯りも必要ではなかった。


 ──主寝室には地下へ抜ける脱出路がある……!


 結界が作用を及ぼすのは地上だけだ。さすがに踏み込んできた(やから)も、秘密の地下通路があることまでは想定していないはず。稼いだ金を抱えられるだけ抱えて、その地下通路から逃げ出せばいい。


 この集団の真実を知っているのは黒雲だけで、後は適当に儲け話をチラつかせて集めたチンピラばかりだ。黒雲さえ逃げ出してしまえば、真相を知られることもない。


 逃げる参段が整ったことに、黒雲は面紗の下でニイッと口角を吊り上げる。同時に足は主寝室の扉の前で止まっていた。伸ばされた腕は躊躇(ためら)うことなく扉を押し開く。


 その瞬間、黒雲の頬をフワリと夜風が撫でた。その中に微かな蘭香を嗅ぎ取った黒雲は、扉を押し開いた体勢のまま凍り付いたように固まる。


「あら、遅かったじゃない」


 部屋の奥に鎮座する牀榻(しょうとう)に、女が一人腰掛けていた。


 美しい女だった。


 差し込む月光をキラキラと弾く黒絹の髪は、左右の横髪をこめかみの上で団子状にまとめた他は流し髪のままにされていた。暗色の外套は背中側へ払われ、その下に着付けられた紅の襦裙が惜しげもなくさらされている。


 組まれた足も、傍らに置いた麻袋の中に詰め込まれた銭貨と戯れる指先も、仕草自体は行儀が悪いはずなのに、まるで仙女がそこにいるかのような気品が女からは漂っていた。そうでありながら黒雲に向けられた顔には、(さげす)みと冷たさがありありと見える禍々しい笑みが浮かんでいる。


 仙女のようでありながら、女はあまりにも毒々しかった。


 紅を引き連れたその女は、ぼぅっと赤い燐光を纏った瞳を黒雲に向け、その整った白い顔に深く深く嘲笑を()く。そんな彼女に追笑するかのように、彼女の首元を彩る紅の絹布が微かに揺れた。


「私の名前で商売をしているようだったから、上納金を受け取りに来てあげたんだけども」


 ヒュッと、喉の奥から勝手に息が漏れた。体はとっさに逃げを打つが、一歩も足が下がらないうちに黒雲の体はその場に雁字搦めにされる。理由(わけ)が分からず左右に視線を走らせれば、先程まで銭貨と戯れていたはずである女の指が自分に向けられていることに気付いた。


「これっぽっちしか稼げていないなんて、話にならないわ」


 女は心底つまらなさそうに言い放つと、クイッと指先を曲げた。その小さな動きひとつで、雁字搦めにされた黒雲の体は己の意思に反してヨタヨタと部屋の中を進んでいく。さらに女が小さく手を振るった瞬間、バタンッと背後で扉がしまった。カチャリと小さく鳴った音は、鍵が閉まった音なのだろうか。


「私はね、この程度の端金(はしたがね)に興味はないの」


 女の腕が、不意に麻袋を薙ぎ倒す。


 庶民ならば向こう数年、一族郎党が揃って遊んで暮らしていけるだろう額の金をつまらなさそうに床にぶちまけた女は、酷く冷めた目を黒雲に据えた。チリンチリンッと銭が甲高い音を立てる中、部屋の中心まで進まされた黒雲は、さらに頭上から加えられた見えない力によってその場に膝をつかされる。


「私の名を語って、こんなにつまらない商売をするなんて。……お前、覚悟はできているんでしょうね?」


 もはや名乗られなくても、女が何者であるかなど明白だった。


『紅の邪仙女』


 黒雲が仕立て上げていた偽者などとは格が違う。


 彼女は、本物だ。


「お……俺は悪くない……っ! 悪くないんだ……っ!!」


 体の自由は奪われているが、幸い口を利くことはできた。全身をガタガタ震わせながら、黒雲は必死に(なさ)けを()う。


「俺はっ、ある人に頼まれてやっていただけで……っ!! だからこれはっ! おっ、俺がやったことじゃっ!!」

(うるさ)いわね、耳障りよ」


 女は伸ばした指先をヒュッと軽く振り下ろした。そのわずかな動きだけで、黒雲は床に(ひざまず)いた状態からさらに上体を床に叩きつけられる。


「一々(わめ)くな。私の質問にだけ答えなさい。お前をどうするかは、私の気が済んでから、私が勝手に決めることよ」


 痛みと恐怖で全身がバラバラになりそうな中、黒雲は唯一自由に動かせる目を必死に上げて女を見遣る。


 まるで牀榻は玉座のようだった。ならば夜目にも鮮やかな紅の衣を引き連れてそこに座す女は、黄泉を統べる女帝か。


「答えろ。お前にこの(たくら)みを命じたのは誰?」


 もはや黒雲に選択の自由はない。


 黒雲は震える唇を必死に開くと、己が知っている全てを洗いざらい口にした。


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