参
──というか、珀鳳山の祠堂に行くってことは、目下最大の敵となりうる御師様の所に私達の方から突撃することになるって、翠熙はちゃんと分かってるのかしら?
ここまでの来し方を思い返した麗麗は、額に片手を添えたまま重く溜め息をついた。
孤児であった麗麗にとっても、幼くして王宮を追われた翠熙にとっても、『実家』と呼べるような場所は珀鳳山祝家をおいて他にない。
婚姻の契りをそこで交わしたいと願う翠熙の気持ちは分かる。麗麗だってこれが平和な婚姻であれば、父とも仰いだ己の師に祝福してもらいたいと思ったことだろう。
しかし、しかしだ。
──今の私が反魂法で蘇らされた僵屍であるってことを除いたとしても、合わせる顔なんてどこにもないのよねぇー!
何せ麗麗は、師と翠熙の制止を振り切って珀鳳山を飛び出した不良弟子である。
かつての麗麗は、翠熙を押しのけて次期掌門の座に一番近い一番弟子と目されていた。自分を拾い上げてくれた師が、厳しく指導に当たりながらも、己を実の娘のごとく可愛がってくれていたことも知っている。
だからこそ、珀鳳山を飛び出した時から、二度と師とは顔を合わせないと誓っていた。
珀鳳山が被る被害を懸念した師は、大々的に麗麗の破門を公言している。
それでも麗麗の勝手な行動のせいで、長年積み上げてきた珀鳳山の名声は一度地に落ちた。たとえ師が麗麗の行動理由を察していて、翠熙の活躍が麗麗の悪行を相殺してなお余りあるほど世間に轟いたといえども、どう考えても麗麗が珀鳳山に踏み入るのは厚かましいにも程がある。
──とはいえ、それを今の翠熙に真正面から言ってみたところで、翠熙は『ならば山ごと焼き払うまで』って言いかねないからなぁ……
麗麗は手の間からチラリと翠熙を見上げる。相変わらず麗麗しか見ていない翠熙は、表情を変えないまま心配そうな眼差しを麗麗に注ぎ続けていた。そろそろ表情を正すか、何か言い訳を口にするかしないと、問答無用で宿の寝台に押し込められかねない。
──色事が伴う冗談って、あんた一番嫌いなものだったじゃない。それなのになーんで私が目覚めてからは、その辺りを積極的に口にするようになっちゃったかなー?
まぁ、冗談ではなく半ば本気というか、『それくらいのことを仕出かしてでも麗麗を自分の元に縫い留めてみせる』という翠熙の決意の表れなのだろうが。
「その『紅の邪仙女』、実は死んでなかったらしいのよ!」
そんなことを思った瞬間、何やら不穏な言葉が飯店の隅から聞こえてきた。
思わず麗麗はビクリと肩を跳ね上げてから恐る恐る声の方を振り返った。その間にも先程『紅の邪仙女』の逸話を語っていた語り部と同じ声音は言葉を続けている。
「生き延びて、今も潜伏先で密やかに邪術を振るっているんですって!」
「えー? でも『紅の邪仙女』は無事に討伐されたからこそ、その話は『めでたし、めでたし』で終わってるわけでしょ?」
「それは表向きに流れてる話ってだけよ!」
声を辿って麗麗が視線を向けた先にいたのは、二人組の若い娘だった。おそらくこの町の住人なのだろう。少し近所に用事を片付けに出たついでにここで息抜きを、という雰囲気だった。
「ほら、最近町の外れに人が集まるようになったでしょう? その集まりが、実は紅麗麗様を長とする新しい術師宗派の拠点らしいの!」
──初耳なんですが?
何せその紅麗麗は、自分を反魂させた執着系皇子と一緒に死出の旅……もとい挙式のための珍道中を繰り広げている最中だ。こんな場所で人を集めるような真似をしている暇はない。
とはいえ、目覚めてから麗麗がこの手の話題を耳にするのは今が初めてではなかった。
──『紅の邪仙女』の存在がそれだけ強烈で、人を引き付ける種になるってことよね。
生前の麗麗は、あらゆる悪事の情報が自分の下に集まるよう、なるべく悪目立ちするように行動していた。その企みが思いの外成功していたのだと、死後になって知るとは思っていなかったし、ここまでの弊害が出ることを望んでいたわけではないのだが。
流れ聞こえてくる噂に曰く。
自分は紅麗麗の弟子である。
自分は落ち延びた紅麗麗の使者である。
自分は紅麗麗の幽鬼を使役する者である。
我こそは紅麗麗その人である。
麗麗が蘇って数ヶ月。この手の話題はもはや数えるのも面倒なくらいに聞いてきた。
そしてその類の話を聞く時は、大抵面倒事も一緒に発生しているものである。
「金子を持ってお伺いすれば、どんな相談事も解決してくれるし、ありがたいお告げももらえるんですって!」
──ほら来た。
一度翠熙の方へ向き直り、娘二人組の話を背中で聞いていた麗麗は、きな臭くなってきた話にわずかに目をすがめた。『紅の邪仙女』の話題は見過ごせないのか、翠熙もさり気なく二人の様子を窺っているのが分かる。
「えぇ? 何それ、胡散臭すぎない?」
「そんなことないよ! 私、実際に行ってきたの! ほら、楓郎のことで……」
「えっ!? もしかして釉釉につれなかった楓郎の態度が最近変わったのって……!」
「そうなのよー! 祈祷をお願いしたら、次の日からすぐに効果が出たの!」
──これは……危ないな。
麗麗は翠熙と顔を合わせると、視線がしっかり絡んでから瞳の動きだけで娘達を示した。しばらくジッと感情がかき消えた目を麗麗に据えた翠熙は『やはりか』とも『仕方がないな』とも言える感情をにじませ、小さく溜め息をつく。
──何よ。私が撒いた種は私が回収しなきゃでしょ?
旅に出てからこういった類の話には何度も行きあった。その度に麗麗が取る行動は決まっている。
『翠熙の了承は取れた』と判断した麗麗は、軽やかに席を立つとスッと娘達の席へ近付いた。麗麗が死者であるせいで気配が薄いことに加えて、術師として修行を積んだ麗麗の足運びはコトリとも音を立てない。
「ねぇ」
結果、麗麗がピョコリと顔をのぞかせて声をかけるまで、娘二人は麗麗の接近に気付かなかった。いきなり自分達の傍らから響いた声に飛び上がって驚いた娘二人は、卓の隣に立った麗麗の顔を見上げるとさらに目を丸くする。
「そのお話、もっと詳しく聞かせてくれない?」
──わたしが『紅の邪仙女』をやっていたせいで今苦しめられる人達がいるなら、蘇った私自身がキッチリと片を付ける!
「私、『紅の邪仙女』様に、すごく興味があるの。詳しく教えてくれたら嬉しいわ」
胸の奥で燃える決意を押し隠し、麗麗は艶やかに微笑む。
珀鳳山の一番弟子として身に付け、王宮の悪女として磨いた麗麗必殺の微笑は、どんな相手でも効果抜群だ。
その後、二人組の片割れ……熱心に片割れへ『紅の邪仙女』の逸話を語っていた少女は、熱に浮かされたかのように麗麗へ事の詳細を語り始めた。