僕が見つけた
驪 蒼
「僕は胡景兄さんを貶めたお前を、絶対に許さないからな!必ず後悔させてやるっ!」
怒りの感情を露わにした驪は、人差し指をビシッと黎ヰへと突き指した
巫山戯 麛
「あなたのしでかした、不祥の代償は計り知れない。私達に暴かれる前に、自ら認める事を勧めるわ」
黎ヰを睨みつけた、その瞳の奥には驪同様、怒りの感情が滲み出ている
二人に続いて世瀬も、鋭い眼差しを黎ヰへと向けると、父親に似たドスの効いた声色を出した
世瀬 芯也
「お前を引き込んでしまった者としての責任は、必ず取らせてもらう」
それぞれが黎ヰへ向けて、宣戦布告の言葉を告げると、彼らは返事も聞かずに部屋から出て行った
黎ヰ
「……」
三人分の敵意を、黎ヰは無言で、だけどしっかりと受け止めていた
まるで、嵐が去った後のような感覚に、状況が飲み込めず、いまだ混乱している紾は、頭の中を整理するべく思考を巡らせた
新しい部署が設立された事は、紾も噂に聞いていた。それが"情報開示課"で、率いているのが友人だとは、この瞬間まで知らずにいた訳だが…
知られざる友人の顔を目の当たりにすれば、戸惑うのも無理はないだろう
カウンセリングが続いている事や、今まで捜査していた事件についても、世瀬は鋭く指摘できる程に詳く、またその事を逆手に取り紾を、謹慎処分にしようとした
そんな事実に対し紾は、今まで心を開き愚痴程度に話していた事を、世瀬は利用したのだと……嫌でもそんな考えがチラついてしまい、自然と俯いてしまう
最初から紾を異常調査部へのスパイとし、黎ヰの弱味や不正の証拠を探るように仕組んでいたので、世瀬からすれば話を聞くふりをして、黎ヰを追い詰める手札を手に入れていたに過ぎない
だが、そんな事を知らない紾からすれば、友人に利用されていたと言う事実だけが突き刺さり、彼の胸は静かに痛んだ
蔡茌 紾
「……どうして、そこまでするんだ」
無意識に出た言葉は、友人へと向けられたものだった
紾がスパイとして異常調査部へと移動して来た事は、黎ヰも知っていた。情報開示課が設立された時点で、いずれこんな状況が訪れる事も予想していた
だから、この時がくれば世瀬が何故、紾をスパイとして送り込んだか、何を目的としているのか、それを説明する気でいた
黎ヰ
「……」
だが、今の紾を目の当たりにしてしまうと黎ヰは、予め用意していた筈の言葉が喉から出てこなかった
黎ヰ
(いま説明した所で、混乱させるだけだよなぁ〜。それに、紾ちゃんにとってあいつは友人なんだよな)
心を許した相手が、自分を利用した。そんな事実すぐに受け入れろと言う方が難しいだろう……いや、自分を裏切った奴なんだと恨んだ方が、楽なのかもしれない
でも、蔡茌紾は楽な方へ考えないからこそ、悩み悲しみ苦しむ
元を辿れば自分が原因だと、黎ヰはこの時初めて、過去の自分が下した決断に揺らぎを感じた
それは決して後悔ではなく、過去の話をした後、紾が黎ヰをどう思うかへの、漠然とした不安だった
黎ヰ
(紾ちゃんがもっと、自己中心的で絵に描いたような嫌な奴なら、俺もやりやすかったんだがな。この感情は……厄介だねぇ)
先程、世瀬が異常調査部を活動中止にしようとした時、事情を知らない紾は、それを止めようと必死になった
その態度からも、紾が異常調査部を通して、在籍しているメンバー達を"異常"な者として、接していないのだと改めて認識でき、同時に大切に思ってくれているのだと分かる
嬉しい思いと同時に黎ヰの中で、不安は増していく
黎ヰ
(俺は恨まれる事を望んだが、そんな俺を紾ちゃんはどう思う?)
今更、思い悩んでも過去が変わる訳ではないと分かっていながらも、黎ヰ曰く"厄介な感情"は呪縛のように彼の心の中に居座り続けた
ブー ブー
そんな時、黎ヰの机の上に置かれたスマホのバイブ音により、唐突に思考は遮られ画面に【塔沽】と見えた途端、黎ヰは訝しげな表情になる
黎ヰ
(事件からしてみれば、タイミングは良いが俺からすれば、悪りぃ〜んだよなぁ)
心の中で塔沽に、八つ当たり気味な悪態をつくと、黎ヰはスマホを手に取り通話ボタンとは逆のボタンを押す
芥 昱津
「でな…くて、いいの?」
準備が終わった芥が声を掛ける
黎ヰ
「問題ねーよ。元から着信が待ち合わせの合図だからなぁ」
仕方がないと切り替えた黎ヰは、立ち上がった
黎ヰ
「今から塔沽二苑に会ってくる。なんでも例の学会に参加中、脅迫状を受け取ったらしい。場所から考えてもおそらく、芥が呼ばれた事件と深く関わってる可能性が高い」
曳汐 煇羽
「では、私達はそちらを基に調査を?」
曳汐の言葉に黎ヰは、首を左右に振った
黎ヰ
「いや、俺だけでいい。あんなのとは、極力関わらない方が人生安泰だからなぁ〜」
塔沽二苑に対して随分な物言いをする黎ヰに、芥と曳汐は顔を見合わせた後、思い思いに喋り出す
芥 昱津
「ぼ、く…何度か…会った事ある、けど、いい人…だと思うよ」
曳汐 煇羽
「私は面識はありませんが、名医として有名な方なので、活躍などは存じてます。同族嫌悪ですか?」
芥 昱津
「属性で…言えば、黎ヰくんと、同じかも」
曳汐に同意する芥に、黎ヰは"あんなの"呼ばわりした塔沽と同族だと言われ、微妙な面持ちになった
黎ヰ
(納得できねー)
内心反論しながらも、チラリと紾を見れば、会話は聞こえているが、未だ心ここに在らずと言った様子に、黎ヰはどう声を掛けたものかと悩んだ
芥 昱津
「め、ぐる…君!!一緒に…行こう!」
と、急に芥が、紾の背後に飛びついた
蔡茌 紾
「うわっ、な、なんだ」
無防備だった紾は、突然の事に驚き声をあげる
芥 昱津
「僕と…一緒に、旅館に、調査しに、行こう」
調査という言葉に反応し、紾は頷いた
蔡茌 紾
「あ、あぁ。そうだな」
先程、世瀬が「俺は先に行っている」と言っていた事もあり、紾は芥と共に誘蝶木旅館へと行く事に同意する
蔡茌 紾
(ここで悩んでても答えはでないよな。旅館に世瀬が居るなら、直接世瀬から話を聞こう)
異常調査部に来た情報開示課の三人は、明らかに黎ヰへ敵意を向けていた。確かに黎ヰは署内でも異常だと言われ、常識に反した行動で悪目立ちをしている
だが、世瀬達が彼に向けていた敵意は、そういう次元の話ではなく、もっと根が深い話なのかもしれない
そして、その理由は本人にぶつけてみるのが一番だと、紾は自分を納得させる中、曳汐の言葉に彼の思考が現実へと引き戻される
曳汐 煇羽
「芥さんと蔡茌さんが現場へ向かわれるのでしたら、私は必要なさそうですね」
必要ない。と言われればそんな事はないだろうと、戸惑う紾だったが、彼の心とは裏腹に背後に飛びついたままの芥が、コクリと首を縦に振った
芥 昱津
「うん。いいよ、今日くらいは、まかせて」
黎ヰ
「今回は、俺を含めて芥も紾ちゃんも、指名されてるからなぁ〜。悪いが曳汐は雑務を頼む」
思いがけない黎ヰの言葉に、紾は目を丸くする
曳汐 煇羽
「はい。ありがとうございます」
正式に調査に参加しなくていいと言われ、曳汐は嬉しそうに微笑む
そんな彼らのやり取りに、紾は小さな違和感を感じ、思わず曳汐を見つめてしまう
曳汐 煇羽
「なんでしょう?」
視線を感じた曳汐は、いつもの様に何を考えているのか分からない顔で、紾を見た
蔡茌 紾
「あ、いや…」
どうして調査に参加したがらないのか。なんて聞ける訳もなく、しどろもどろになる紾だったが、早く現場である誘蝶木旅館に行きたい芥に引っ張られ部屋を出た事で、疑問のままとなってしまった
ー
ーー
ーーー
駐車場に着いた二人は、並んであるパトカーのうち、その一台へと足を進める
以前、黎ヰと共に使った黒い車もそこにあったが、今回は黎ヰも外出するので、自家用車を持たない紾と芥は、パトカーで現場へ向かう事にした
芥 昱津
「ぼく……免許は、あるけど……運転しようか?」
芥のありがたい申し出に対し紾は、旅館に着けば色々と作業をする事になるだろうと気遣い、自ら運転席へと着く
蔡茌 紾
「いや、今のうちに芥は休んでてくれ」
芥 昱津
「あり、がとう」
小さくお礼を言った芥は助手席へ、紾は運転席へと、それぞれ乗り込んだ
自然な流れでシートベルトをした紾は、チラリと助手席へと視線を向ける
芥 昱津
「……」
シートベルトをしない所か、探す素振りさえ見せない芥に、痺れを切らした紾が声を掛ける
蔡茌 紾
「あ、芥…シートベルトしてくれないと、出発できないんだけど…」
芥 昱津
「シートベルト?………あ、そう言えば…車って、そんなのが、あるんだったけ?」
芥のとぼけた言葉に紾は、一瞬なにを言われているのか分からず、反射的に疑問を口にした
蔡茌 紾
「免許、持ってるんだよな?」
芥 昱津
「うん。五年くらい…前に、息抜きで…取っただけだから…結局、教習所以外で…乗った事、ないけど…」
ふふふっと笑う芥に対し、紾は心の底から運転手を選んだ自分を褒めた。あのまま芥の好意を受け取っていたら、無事に目的地へと辿り着いていたかも怪しい
蔡茌 紾
(と言うか、免許の更新過ぎてるんじゃないのか)
などと疑問に思ったものの、いま答えを聞くと怖い気がしたので、紾はシートベルトをはめる音を確認すると、ゆっくりとパトカーを走らせた
目的地である誘蝶木旅館へは、旅館が都心から離れた山の中という事もあって、かなりの長距離だった。まだ午前中なので、二人が到着する頃には昼過ぎぐらいになるだろう
特に喋る事もないせいか、はたまた紾が色々と考え込んでしまっているせいなのか、車内はとても静かだった
芥 昱津
「窓…開けて、いい?」
しばらく経った頃、芥が呑気にそんな事を聞いてきて、紾は「あぁ」と頷いた。小さな音と共に、助手席の窓が半分くらい開けられた
心地よい風が車内を流れる
芥 昱津
「さっきの…煇羽ちゃんの、こと…気になって…るよね。許して、あげて…欲しいんだ」
何の前触れもなく芥は、紾の心を見透かしたかのように、喋りかけた
蔡茌 紾
「許すって、不思議に思っただけで、別に怒ってる訳じゃないぞ」
誤解されそうになり、紾は慌てて否定する。その言葉にホッとしたのか、芥はクマが深い目元をゆるやかに細めた
芥 昱津
「そっか…なら、良かった」
一瞬、悩みはしたが話の流れで紾は、思いきって疑問を口にした
蔡茌 紾
「その、曳汐が事件の調査に行きたがらないのには、何か理由があるのか?」
よく考えてみると、今までも曳汐は表立って行動する事を避けており、黎ヰも芥もそれを了承している……先程のやりとりを思い返し、ふと紾はそんな風に感じた
芥 昱津
「どうだろう?…僕は、理由は分からないんだ。でも、きっと、煇羽ちゃんは…沢山傷ついて、傷つき過ぎて、悲鳴すら…あげれなかったんだと、思う」
蔡茌 紾
「え…」
思いもよらなかった芥の言葉に、紾は少し動揺した。曳汐が過去に苦しい思いをしているなんて、今まで接してきて一度だって考えもしなかったからだ
そんな紾をよそに、芥は話を続けた
芥 昱津
「異常調査部に…来た時は、煇羽ちゃん…死人みたい、だったから」
蔡茌 紾
「そう、だったのか」
芥 昱津
「だから…煇羽ちゃんが、したくない事は…しなくて良いよって、言って…あげたいんだ」
何を考えているのか分からない。そんな曳汐の態度の裏には、きっと紾が想像もつかないほどの葛藤があったのだろう
それを感じ取ったからこそ、芥は理由なんて関係なく、彼女を無条件に受け入れ、甘やかすのかもしれない。そんな彼の優しさは、閉ざされた曳汐の心を癒したのだろう
そう考えると紾は、先ほどのジョーカー達へと向けられた、感じの悪い態度の理由も少しだけ納得する事ができた
蔡茌 紾
(芥の優しさを知っているからこそ、殺人事件の重要参考人な訳がないと、曳汐は怒ったんだな)
"塩を撒く"なんて言われた時は、胃が痛くなったものの、曳汐の仲間想いな一面を知れた気がして、紾は少しだけ嬉しく思った
芥 昱津
「煇羽ちゃんはね、黎ヰくんが…見つけてくれたから」
芥の言った"見つけた"とは、おそらく異常調査部へと、勧誘した事だろうと思った矢先、紾の中で何気ない疑問が浮かぶ
蔡茌 紾
「芥は違うのか?」
咄嗟にでたこの疑問に、芥は紾の方を向き、嬉しそうに頷いた
芥 昱津
「僕の場合は、僕が…黎ヰくんを、見つけたから」
蔡茌 紾
「それってどういう意味なんだ?」
芥 昱津
「賭けに、勝ったんだ」
蔡茌 紾
「黎ヰと何か賭けてたって事か?」
その言葉から、予想を口にしてみるものの、芥は首を左右に振り否定する
芥 昱津
「僕が、僕に、賭けたんだ。だから……僕が見つけた……」
蔡茌 紾
「えぇっと?」
いまいち何を言っているのか、要点が掴めず混乱する紾だったが、それっきり芥は何も話さなかった
静まり返った車内に、再び心地よい風だけが流れる
芥 昱津
「……」
突然の沈黙に紾は、もしかすると芥が触れて欲しくなかった部分に、土足で踏み込んでしまったのではと、内心焦っていた
蔡茌 紾
(つい考えなしに、突っ込んだ事を聞いたけど、無神経だったよな。素直に謝ろう)
赤信号で止まったタイミングで、決心した紾は、助手席へと顔を向けた
蔡茌 紾
「すまーー」
芥 昱津
「……すー…すー」
"ない"と言う前に紾は、目の前の芥が気持ち良さそうに寝ている事に気づく
蔡茌 紾
「……そう言えば、さっき散々泣いてたんだよな」
つまり芥は、泣き疲れて眠ってしまったらしい。紾は、さっきまでの焦りが勘違いだったと内心ホッとする反面、この状態で運転手を申し出たのだと思うと、背中に嫌な汗が滴り落ちるのを感じた
蔡茌 紾
(無免許、居眠り運転は洒落にならないぞ)
なんて事を思いつつ、信号機が青に点灯したので、紾はパトカーを走らせる
だんだんと都会から離れ、周りの景色がのどかになってきた辺りで、ふと紾はある事に気づき、ポツリと独り言を漏らした
蔡茌 紾
「いや、違うな」
異常調査部に居る時の芥は、解剖の時以外は基本的にだらけている。お茶は自分で淹れないし、酷い時はお昼ご飯を箸で食べるのすら、面倒くさがっている
そんな芥が、教習所でしか乗ってなかった車の運転手を申し出たのなら、その理由は一つしかない
蔡茌 紾
「つまり、俺を気遣ってくれたんだな」
情報開示課の事で頭がついていけず、おまけに世瀬の態度で、かなり混乱していた
そんな自分を、芥が気遣ったのだと分かると、紾は心が温まっていくのを感じた
蔡茌 紾
「ありがとう」
その言葉は、寝ている芥には聞こえていなかったが、想いは届いたのだろう、マスクの下の口元は小さく微笑んでいた