確たる証拠
警視庁・情報資料室にて
ここには、年代を関係なくして都内で起きた事件資料が保管されている。近年に起きた事件などはパソコンにもデータ移行しているが、過去の事件を詳しく調べるなら、ここに来るのが一番だろう
そんな場所に、二人の人物が人を寄せ付けず数時間も居座っていた
一人は警視庁管理官・世瀬哲乙。彼は普段から、雲を掴ませない飄々とした態度で人と接しているが、役職柄のせいか警察官達からは、畏敬されている
息子である芯也との仲は、良好とは言えないものの、息子の目的の為に紾を異常調査部へと移動させたり、捜査一課長の立て篭もり事件の時には、現場の指揮を取らせた
その結果、芯也は公安局の役不足を指摘し、新たな部署を設立させる事に成功する
一見、息子の事を陰ながらに、思いやっているように見えるが、そんな気持ちがない事は、本人が一番よく理解していた
そんな気持ちがあったなら、仕事以外ロクに会話もせず顔も合わせない…なんて間柄にはなっていなかっただろう
芯也が紾を利用しているように、彼もまた警視庁管理官として息子を、利用しているに過ぎない
そんな、世瀬家の親子問題の中心部にいるのが、もう一人の人物ーー黎ヰだった。彼は、過去に起こった事件のファイルを、片っ端から読み漁っていた
警察組織から爪弾きにされている黎ヰは、暗黙のルールとして情報資料室に入ることが許されていない。彼自身も事件の必要な情報は、夏氷に依頼していたので、この部屋に入る必要がなかった
だが、捜査一課長院内立て篭もり事件の裏には、安楽死の薬や改造された銃が使用されていた。偶然、廃校舎の事件でアリババの存在を、認識しただけで組織はそれ以前から活動している可能性が高い
それを調べるとなると、警視庁の情報資料室へ行くのが最適で、黎ヰは管理官の力を借り、人払いを頼んだ
上層部は、アリババや組織の存在は不確かだと認めてないが、世瀬管理官とその旧友でもある警視総監、驪 聖は、国に根付こうとしている組織の存在を薄々感じている
そしてそれは、今まで事件資料を読み漁っていた黎ヰも同様で、組織と関連性があると判断した事件ファイルの山が、それを物語っていた
黎ヰ
「にしても、まさかこれだけ出所不明の薬物、銃器、爆薬があるとはなぁ〜」
アリババは、殺人の手立てとして劇薬を使用していた。持ち帰って薬の成分を調べると、一般的に出回ってるものではない事が判明した
人里離れた住宅地で、人体実験をしていた事とすり合わせると、独自で開発したものとみて間違いないだろう
黎ヰ
(薬を生成し、それを望むものに売り渡す……もしくは、依頼がきてから作成し売る。白石って看護師の話が本当なら後者か…いや、重要なのはそこじゃない)
白石は、看護師という職業に疲れてしまい、いつしか自殺を考えるようになっていた。そんな彼女は、以前に入院患者に聞いた"依頼すれば願いを叶えてくれる組織"の話を思い出す
その患者は、白石の本質を見抜いていたのか依頼する方法を教えると、自身は入院中に薬を飲んで穏やかに命を終わらせた
この事実を知っているのは彼女だけで、医師や看護師には自殺とは診断されず、死亡結果は突然死となった
患者から貰い、何となく捨てられずに持っていた紙切れを見つけた白石は、この一連を思い出し、気がつくとそこに書かれたアドレスに、安楽死ができる薬を依頼していた
その後は、数日のうちに取引が成立し、指定された代金を支払い、簡単に薬を手に入れる事が出来た
白石から聞けた証言はここまでで、肝心のアドレスについては、一度しか使用出来なかった為、紙ごと捨てたらしい。もちろん、薬を受け取る際も誰とも接触していない
黎ヰ
(きっと取引の方法は、いくつかあんだろうな)
白石の場合は、少し特殊な例だったのかもしれない。だが、偶然組織の存在を知った人間の依頼を、こうも簡単に引き受けた事に、黎ヰは違和感を覚える
と、同時に組織の狙いがボンヤリと見えてきた様な気がした
世瀬 哲乙
「銃器に関しては、出所の見当はついてるぞー」
短い黒髪をボサボサにし、眠たそうに欠伸をしながら世瀬管理官は、既に脱いであるスーツの胸ポケットから、折り畳まれた紙を取り出した。その紙を机の上でスライドさせ、黎ヰへと雑に渡す
世瀬 哲乙
「隅田が持ってた改造銃を一度バラして作らせた設計図だ。使用されてた部品のいくつかは国内じゃ入手不可で、組み立て技術から見ても外国で輸入されたものだとさ」
開いた設計図に目を通した。知識の片隅にある部品の名前を見つけると、それが裏付けとなり、不機嫌そうに眉をひそめた
黎ヰ
「輸入された改造銃なら、必ず何処かと繋がりがある筈……無難に考えれば裏社会、だよなぁ〜」
裏社会、いわゆる極道と呼ばれる存在は、決して表立ってはいないが、この国に根付いている裏の組織だ
黎ヰ
「重要なのは、隅田はどっちから改造銃を入手したか」
黎ヰの言うどっちとは、隅田が直接極道から入手したのか、それとも例の"依頼すれば願いを叶えてくれる組織"から入手したのか…その答えを求めるように、世瀬管理官の言葉を待つ
世瀬 哲乙
「隅田が自供したのは、動機や殺人の手段だけだ。さっきも言ったが改造銃は押収した後、解体して外国産だと特定した」
つまりは、隅田から繋がりのある組織について、何も聞き出せていないと言う事だった
黎ヰ
「隅田の動きは公安も気にかけてた筈だ。だからこそ、立て籠った時も迅速に対応できた。そんな状態で、極道から直接やり取りできる程、隅田に余裕があったとは考えにくい……となれば、組織が濃厚だろうなぁ〜」
自分で言いながら、黎ヰはその言葉が意味する重い事実に、顔をしかめるしかなかった
もしその推理が本当なら、組織は極道から銃器を仕入れ、それを警察官へ売り渡した事になる。この国の表と裏に繋がりを持っているのなら、組織を追えば必然的にどちらとも衝突する事になるだろう
警察内部に、組織と通じている所までは黎ヰも想定していたが、そこに裏社会まで関わってくると事態はより深刻さを増していく
世瀬 哲乙
「私念に走り道を誤っちまったが、隅田弦次郎という男は根っからの刑事だ。そして、妻や娘が生きるこの国に危険を野放しになんてしない。極道と繋がり爆薬や銃器を裏で捌く組織があるなら、必ず自供してる」
先ほどまでとは違い、鋭い眼差しのまま世瀬管理官は話を続けた
世瀬 哲乙
「だが、改造銃を持ってた事もそれに関して黙秘を貫いたのも事実。なら答えは簡単だ、言えば家族が危険に晒される可能性があった」
黎ヰ
「組織や裏社会の人間って線は考えにくい。現役だった捜査一課長に改造銃を売っておきながら、バラしたら家族を巻き添えにする、なんて脅し意味をなさないからなぁ〜」
当事者である隅田を始末した方が、事は最小で済む。わざわざその家族まで巻き込めば、下手に証拠を残し世間に露見してしまう可能性だってある
部外者である黎ヰが数秒でこの事に気づいたのだ、隅田が気づかない訳がないだろう
世瀬 哲乙
「隅田が黙秘した。それが全ての答えだ、そうだろ?」
管理官としての立場上、迂闊な事は言えず意味深に黎ヰへと言葉を投げかけた
警察組織に居た隅田に家族を脅しの材料にし、その言動を制御する。そこにメリットを見出す人間がいるのなら、それは同じ警察官しか居ないだろう
黎ヰ
(警察内部に、組織と深く関わってる人物が居るってのは想定内だが、相手は随分とご立派な立場みたいだな)
それも、捜査一課長よりも遥かに上の階級だろう。尚且つ、隅田を脅せるだけの情報も交渉材料も兼ね備えた人物となれば、あらゆる方面から証拠隠滅もお手のものだろう
黎ヰ
「取り調べは誰がした?隅田は全てを失う覚悟で殺害を誓ってた筈だ。脅すにしても計画が失敗した後じゃなきゃ、意味がない」
隅田が殺害を計画したのは、娘が植物状態だと疑わなかったからだ。大切な者を失ったと思っていた彼には、脅しなど通用しない
娘が植物状態じゃなかったと知らされたのは、計画が失敗し捕まった後…脅すのなら、取り調べを利用したこのタイミングしかないだろう
世瀬 哲乙
「捜査一課長の取り調べとなれば、逮捕後も勾留された後も、わんさかだ」
いい加減な返事に対して、黎ヰが何かを言う前に先ほどと同じように、スーツの胸ポケットから一枚の紙を取り出し、同じく雑に渡した
世瀬 哲乙
「記録されてるリストだ。記録にないものまでは、追うのは難しいけどな」
黎ヰ
「………」
捜査一課長と言う事もあり、各方面からの聞き取り調査が事細かに訪れたのだろう。黎ヰは、無言でリストにのっている人物達の名前を見た
警察本部刑事部・管理官『浜矢 シロ』
警視庁薬物銃器対策課・部長代理『秣圡慊 愛竢』
警視庁暴力団対策課『崙呂 堅志』
警視庁警備局公安課『冷笠 芽霧』
検察官・検事『埵頭 十楼』
黎ヰ
(念の為、夏氷に調査頼むか)
もしこの中に、組織と深く繋がりを持つ人物が居るのなら、その動向や背景に何らかしらの繋がりが見えてくるかもしれない
隅田を脅迫できる人間が居たとしても、先ほど管理官が言っていたように"記録にない"人物の可能性の方が遥かに高い。わざわざ記録に残すような、爪の甘さは持たないだろう
黎ヰ
(だとしても、全員が無関係とは限らない。単体じゃなく、複数人絡んでる場合だってあるからなぁ〜)
思考を巡らす黎ヰは、内心このままの推理であれば何ら問題はないと思っていた
黎ヰ
(もし、このリストの中に居た場合…厄介な事になんだよなぁ〜)
記録を残すと言う事は、消す必要がないと判断したと言う事だ。それは油断などではなく、いつでも近付くものを排除できると言う事を意味する
嫌な予感を抱えながらも、一先ず納得した黎ヰは、徹夜で眠たそうにしている世瀬管理官に、次の疑問を投げかけた
黎ヰ
「裏社会について心当たりは?」
世瀬 哲乙
「あぁ…都内じゃ"佰喪家"しかあり得ないだろうな」
欠伸を噛み殺しながら、質問に答えた世瀬管理官だが、黎ヰはその答えに納得できず、すかさず言葉を返した
黎ヰ
「あり得ないって明言されても、詳しくねーよ」
日本の裏社会を担う、極道と呼ばれる組織に詳しくない黎ヰは、その口から出された佰喪家の名も、ピンと来ず"知ってる情報を全て教えろ"とその表情で語る
世瀬 哲乙
「古くからこの国を裏で仕切ってる連中だ。とは言っても当主が代替わりしてからは、かなり落ちぶれてる。あくまでも全盛期と比べたら、な……今はその密輸を主に生業としてるんだろ」
黎ヰ
「随分、適当な説明どーも」
武器の密輸だけで、この国の裏で生き残れるほど甘い世界ではない事は、裏社会に居ない黎ヰでも簡単に想像がつく
かと言って世瀬管理官は、わざとはぐらかした訳でもなく、適当に自分の感想を述べただけ…要は、ただの独り言のようなものだろう
世瀬 哲乙
「管理官に嫌味言えるのは、本当お前だけだよ。で?どーすんの?正体不明の組織を追う筈が、極道やらなんやら……いくらお前でも、荷が重いだろ」
黎ヰの質問攻めから解放され、完全に集中力を失った世瀬管理官は、口調がガラリと変わった。何度も目の当たりにしているので、特に驚くでもなく、黎ヰは冷静に言葉を返す
黎ヰ
「今のままじゃ、だろぉ?あんたらが口を揃えて言う、確たる証拠ってのを揃えれば、否が応でも動かざるを得ない状況になんだろ」
軽口を叩いてはいるが、そう簡単にはいかない事は本人も自覚していた
世瀬 哲乙
「四方八方から敵ばっかの状況で、よく言えるもんだ。でも、まぁ…お前だから出来るのかもな」
予測不可能な行動をする黎ヰには、誰もが敬遠してしまう。そんな彼に近づこうとしてくる者など、普通なら居ない
もし、組織の存在を明るみにしていく過程で、黎ヰに近づく者が居るなら、その人物は何かを知っている可能性が高い
世瀬 哲乙
「第一として組織ってのに近づかなければ、敵は餌にすら引っかからないぞ」
黎ヰ
「言われなくても。先ずは、アリババの存在証明からだぁ」
その名前に世瀬管理官は、あらかじめ黎ヰから聞かされていた話を思い出す
世瀬 哲乙
「死亡届が提出され受理されてるなら、存在証明なんてないも等しいぞ。出来るのか?」
アリババと呼ばれていた青年は、鳳朝ケンシと言う名で、三年前に真林高校で起きた火災で死亡していた
だが、彼が使用していたナイフの指紋や顔写真からも、アリババと鳳朝ケンシは、同一人物だと判明した
確たる証拠と言うのは、誰もが納得出来るものでなければならない。それは、アリババーーもとい、鳳朝ケンシが存命しているという、絶対的な証拠が必要だと言う事を意味する
黎ヰ
「それについては、問題ねーよ。火災時の状況さえ明らかにすれば、難しい事じゃねぇだろ」
世瀬管理官の懸念を、先程と変わらない軽口で受け流し、場に似つかわない笑顔を見せた
黎ヰ
「状況的には、結構優勢だぜ?手掛かりが途絶えるどころか、あらゆる方面から尽きないんだからなぁ〜」
普通に考えれば、国の表と裏に精通している組織の存在を追う事自体、無謀と言わざるを得ないだろう
だが、目の前にいる人間は、強がりや痩せ我慢ではなく、心からこの状況が"優勢"だと豪語している
世瀬管理官は、半ば呆れつつも現状、権力や圧力に通用しない黎ヰにしか、この件は追えないのだろうと、改めて認識した
と、同時にかつて正義を持ち、貫き世を正そうとした警察官ーー區鬥 叶眞を思い出す
世瀬 哲乙
「區鬥も、お前みたいに世の中の汚いルールってのを飲み込めてりゃ、少しは違った結果になったかもな。少なくとも、英雄が死を迎える事はなかったんだろうさ」
黎ヰ
「!?……」
黎ヰは、何気なく出たその名前に一瞬、肩をピクリと動かした。完全に不可抗力で出てしまった反応に、自分自身に嫌気がさし、苦虫を噛み潰したような表情で、そっぽを向く
分かりやすい彼の反応に、「すまん」と本当に思ってるのか疑わしい軽い声音で、世瀬管理官は言葉を続けた
世瀬 哲乙
「この名前は禁句だったな。芯也の事もあってか、つい思い出しちまったわ。まっ、でもこの先何回も聞く事になるだろ、慣れとけ慣れとけ」
黎ヰ
「禁句じゃねーよ。俺の私情に干渉すんな」
不機嫌を隠さず拒絶する黎ヰの言葉は、怒りと言うよりは、苦しみに似た何かと葛藤している様だった
芯也や他の警察官からすれば、區鬥と言う名は、まさしく英雄の名だが黎ヰからすれば、過去の痛みを思い出させる名だった
世瀬 哲乙
「警視庁・情報開示課。芯也達が動き出した。今はまだ警察内部へ必要な存在だと、証明しなけりゃならんが、何だかんだで、異常調査部の前へ立ちはだかって来るぞ。黎ヰと言う、悪党を引きずり下ろすまでな」
そんな黎ヰの心の内を知りながらも、世瀬管理官は遠慮なく、その痛みが無理にこじ開けられる事になると告げた
世瀬 哲乙
「そういや、動物愛護団体を名乗る数名が、所轄と揉めた後、行方を眩ませた」
一見、脈略もない内容だったが、世瀬管理官の言わんとする事が分かった黎ヰは、つまらなさそうに口を開く
黎ヰ
「…情報開示課の情報をどーーも。んなもんより、世を騒がせてる医師学会の事件を追わせた方が、何倍も功績になると思うけどなぁ〜」
世瀬 哲乙
「芥君も巻き込まれたんだろ。なら、異常調査部に一任した方が早そうだ」
息子に地位を与えたかと思えば、大きな事件は黎ヰへ回す……どっち付かずの態度に見えるが、彼は冷静に事件解決の能力が高い方に、振っているに過ぎない
黎ヰ
「どっちにしろ、組織が一枚噛んでそうな事件だからなぁ。あんたの実子に譲る気ねーよ」
嫌味を込めた言葉を最後に、勝手に話を終えると黎ヰは席を立つ。世瀬管理官も、やっと終わったかと言うように、だらしなく欠伸をしながら、体を伸ばしだした
黎ヰ
「?」
出口へと向かおうとした黎ヰは、ふと自分の携帯電話に着信が付いていた事に気づいた。滅多に掛かってくる事がない、相手ーー塔沽 二苑に訝しげな表情になる
黎ヰの中で、何か嫌な予感が過った時だった、携帯電話を見たまま立ち尽くしている黎ヰに、わざとだと分かるふざけた言葉が、彼の思考を遮った
世瀬 哲乙
「恋なら、しないよりするに限るぞー」
黎ヰ
「……」
不快以外の、何ものでもないとでも言うように黎ヰは、未だ座ったまま伸びをしている世瀬管理官を見た
黎ヰ
「さっきの話の続きだが」
世瀬 哲乙
「なんだ、どーした」
黎ヰ
「汚いルールに従って生き続けたとして、それは本当に生きてる事になんのかぁ?」
世瀬 哲乙
「うぉ?!」
予想してなかった黎ヰの言葉に、文字通り驚いた世瀬管理官は、バランスを崩し椅子から滑り落ちた
散々、からかわれた黎ヰが、助ける筈もなく、そのまま情報資料室を出ていった
バタンっと、冷たい鉄の音だけが部屋へ響き渡る。それが妙に、心に氷柱が突き刺さった感覚を生んだせいだろうか、世瀬管理官はしばらくその場から動こうとしなかった