脅迫状
2事件【命の天秤】
6月、医療機器学会当日
手違いにより急遽、奥島ホールで行われる事が決まった医療機器学会
もともと、田舎町にあったホールは長年使用されておらず、掃除をするだけでもかなりの時間が掛かった。それだけでなく、この学会が執り行われる事が決まったのも突然の事だったので、誰もが準備に追われていた
幸いにも電気系統は問題なく動いてくれたので、なんとか間に合わせたものの、発表する医療機器の導入に時間が掛かってしまい、当日になっても職員は忙しなく走り回っていた
アナウンス
「ただいま機材トラブルにより講演を一時中断しております。ご足労頂きました方々には大変申し訳ございませんが、いま暫くお待ち下さい。なお開始時刻が分かり次第お知らせいたします」
そんなアナウンスが流れ、訪れていた数千人もの参加者達は、大きなホール内の休憩スペースで話し合ったり、お手洗いに行ったりと空いた時間を気ままに過ごしていた
今回の学会では、医療業界への大きな発展とも言える医療機器の大々的な発表がある。多少のアクシデントなどは誰も気に止めない
主催者側も参加者側も、今か今かとその発表を心待ちにしていたーーある人物を除いては
塔沽 二苑
(機材トラブルだと?馬鹿馬鹿しい限りだ。医療機器の大発表だと大々的に振れ回っておきながら、準備を疎かにするとはな。恥晒しもここまでくると称賛に値する)
ただでさえ、想像していた以上の人の多さに苛立ち、一刻でも早く帰路につきたいと思っていた塔沽は、缶コーヒーを片手にロビーに設置された椅子に座ると長い足を組む
適当に座ったとは言え、この場所は舞台の裏側の近くらしく、先程からバタバタと職員が駆け回り、扉を出ては入ってを繰り返している
その落ち着きのない状況が、彼の機嫌をより一層悪くさせた。とは言え、今更別の場所を探しに広いホール内を歩き回るのも面倒で、塔沽は不愉快ながらもその場を動こうとはしなかった
中年職員
「何とかなりそうで、安心したよ」
女性職員
「スタッフの中に機器に覚えがある人が居て、助かりました。この分だと無事に発表できそうです」
職員証を首から下げた中年男性と若い女性二名は、扉から出て来るなりそんな会話をしていた
塔沽は、一瞬だけ彼らを視界に入れると、その会話と職員証から、主催者側の人間だと直ぐに判断する
塔沽 二苑
(関係者か、騒がしい事この上ない)
話し声が迷惑だと思われている事など知らない二人は、塔沽の事など気にも止めず、通路に立ち止まるとほっとした表情で話し出す
中年職員
「それにしても、こんな良いホールを借りれたのは本当に幸運だったよ」
女性職員
「会場が手違いで押さえられて無かった時は、肝が冷えましたけどね」
中年職員
「一瞬、例の噂もあって迷ったが、所詮はただの噂だったな、良かった良かった」
愉快そうに笑う中年職員に、掛けていた眼鏡をいじりながら女性職員は「あぁ、あの話しですか」と苦笑いを浮かべながら続けた
女性職員
「この土地には祓えない怨霊が居て、そのせいで都市開発が中止になったって話しですよね?私、そういう類の話は苦手で」
中年職員
「あはは、それはただのオカルト記者が面白半分で書いたデタラメだよ。奥島町の都市開発が中止されたのは、確か……山の地盤が緩くて土砂崩れが起こりやすいとか、そんな話しだった筈だ」
女性職員
「そうだったんですね。会場の人達がその話ばっかりしてたのでてっきり本当だと」
中年職員
「いやー都市開発と言われるだけあって、駅やリゾート施設も建てる計画だったんだよ。それが急に中止になったもんだから、当時は相当騒ぎになっちゃって、だからどんな馬鹿げた記事も関連させればそれなりに売れたと言う訳だ。その話はその内の一つだろう」
彼が言うように、当時の新聞や雑誌には都市開発中止について、オカルトから陰謀論まで各ジャンルに渡り様々な記事が掲載されていた
女性職員
「それを聞いて安心しました。開かずの扉の事もあったので、本当かもしれないと思って」
中年職員
「開かずの?あぁ、アレか」
一瞬だけ何かを考え、すぐに思い当たると彼は豪快に笑いながら何度も頷く
中年職員
「あははは、ホールの奥にあるあの部屋の事だろう!開かずの扉なんて大袈裟な!ちゃんと鍵穴があったじゃないか。倉庫か何かに使ってるんだよ、こう言うホールではよくある事だ」
女性職員
「あ、そうなんですか。私怖くて近寄ってないんです」
中年職員
「まったく怨霊だのと噂が飛び交ってるせいで、何でも関連付けてるな」
困ったように眉を寄せる中年職員とは対照的に、女性職員は話を聞いて唯の噂なのだと、安堵しきった表情を浮かべた
女性職員
「じゃあ、研究所がどうのって話もその派生なんですね」
中年職員
「いや、まさに懸念してたのはその話だ。怨霊なんかよりもタチが悪い」
女性職員
「え?」
てっきり、先程と同じように笑い飛ばされると思っていた女性職員は、予想していなかった相手の反応に戸惑った
中年職員
「あ、いや…」
不安そうな彼女を見て、急に歯切れが悪くなった中年男性は、言おうとしていた言葉を飲み込むと、急いで取り繕った笑顔を向ける
中年職員
「とにかく、この学会を成功させる事に専念しようじゃないか。そろそろ皆んなの様子を見に行こうか」
急に話を切り上げると、暇を潰していた中年職員は急に忙しく動き出し、扉の中へと入って行くと彼女も慌てて上司の後を追うのだった
塔沽 二苑
(ここは、あの奥島か。道理で与太話が横行してる訳だ)
女性職員が言っていたように、会場に集まった殆どの人達はオカルトじみた話で盛り上がっていた。一般の来場者も少なくはないものの、大半は現役の医師や医学生達だ
なのに聞こえてくる会話はオカルトじみた話しばかりだったので、塔沽は来場した医師達の頭が完全にイカれてしまったのだと疑わなかった
だが、場所が奥島なら話は別だった。むしろ、医師だからこそこの土地で起こった事に興味を持って当然だった。そして、先ほどの中年職員がその話をしたがらなかったのも頷けた
彼は、そういう類の話が苦手だと言った女性職員を気遣ったのだろう
この奥島町は、過去に二つの大事件が起きている
一つは、大規模な都市開発計画が中止になった事。その理由は、様々な観点から後付けられたものの、結局はどれも納得できるほどの説ではなく、最終的に一番面白おかしいオカルト話として肥大化されていった
もう一つは、山の中の研究所で起きた事件だった。ある医療機関研究所を追い出された一人の医師が、奥島の山の中で違法な実験を繰り返していた。その実験内容は人の倫理感を遥かに超えたもので、正式な詳細は公表されなかった
けれど彼を知る医師達は、彼が追放される以前から医療機関研究所で"臓器クローン研究"をしていた事を知っていた
人間の臓器を複製し必要な人に移植する。当初、その研究は医療研究の一貫として、国からも認められていた
内々的とは言え注目されていたものの、思うように研究成果を挙げられなかった医師は、倫理感を超えた実験へと手を初めた
それが彼が追い出された理由であり、臓器クローン研究が廃止となった理由でもあった。だが、彼はその後も山奥でひっそりと研究を続けていた
最終的に警察に囲まれ追い詰められた彼は、その場で自害を図り、山奥の研究所に残されたのは彼の遺体と無惨にも散らばった人間一人分のクローンの臓器だった
臓器とは言うものの、どれもギリギリ形を保っているだけで脆く、現場処理の段階で全てが崩れていた。そして、ある一人の警察官が呟やく
ーー心臓だけなかったなーー
この話は、医師達の中でもかなり有名となり"幻の心臓"と密かに囁かれている。クローンの心臓は本当にあったのか、それともなかったのか、もしあったなら崩れたのか、誰かが持ち出したのか、そんな都市伝説めいた噂は現在でも、医師達の興味心をくすぐっており塔沽も例外ではなかった
塔沽 二苑
(この土地の地下にある物を考えれば、多少は頷ける点もあるな。まぁ、暇つぶし程度にはなるか)
つい数分前に、与太話だと悪態をついていた事など忘れ、塔沽はポケットから革製のカバーに包まれたメモ帳と高級そうなペンを取り出した
この奥島の土地について思考を巡らせようと、耳にしていた様々な噂話を書き写そうとした時だった
アナウンス
「大変お待たせ致しました。機材トラブルが解決しましたので、客席までお戻りください」
塔沽 二苑
「……」
少し浮ついた遊び心に水を差され、深く息を吸うと不機嫌そうに吐ききり、メモ帳とペンを仕舞った
塔沽 二苑
「下らない」
これは自身に向けてではなく、タイミングが悪いアナウンスへ向けた言葉だった。投げやり気味に呟くと、塔沽はさっさと客席へと移動する
その独り言が、その場にいた男の耳に届いているとは知らずに……
そして、医療機器学会が終わると同時に塔沽は、名指しでアナウンスされると一枚の紙を渡される
ーー ーー ーー ーー
黎ヰ
「で、その紙がコレだと」
黎ヰと塔沽は、待ち合わせ場所であるーー奥島ホールへと来ていた
今現在、ホールは使用されておらず調査の為と言って鍵を借り、二人はそれぞれ適当な椅子に腰掛けながら話していた
ハサミで摘み上げた透明なビニール袋の中身ーー乱雑に破られたノートの切れ端で、四つの折り目がついてあるものを眺めながら、その内容に目を通す黎ヰ
荒々しさと怒りがこもった筆跡で書かれた内容は『塔沽二苑、お前を許さない必ず殺してやる』だった
名前をはっきりと書き出し、殺意のこもった内容にただの嫌がらせや冗談ではないと分かり、黎ヰは表情を険しくさせる
黎ヰ
「この内容だと、脅迫状つーか殺害予告って言う方がしっくりくるな」
塔沽 二苑
「名指しで指名したにしては、具体的な経緯が記されてない。故に殺害予告のつもりで書いたのなら送り主の知能の低さが目立つ」
足を組みながら、呑気に缶コーヒーを飲み思った事を口にする塔沽を見た黎ヰは、先程とは違う意味で表情を険しくさせる
黎ヰ
「いや、ニュアンスの違いで意味合い的に大差ねーよ、しっかり"殺す"って書かれてるからなぁ〜。それに、この際形容は問題じゃない、重要視しなきゃいけないのはコレが本気って部分なんじゃねーの」
塔沽 二苑
「同意見だ。俺の殺害が綿密で計画的だったなら、筆跡や指紋から証拠が出る物的証拠は残さないだろう。どうやら送り主は、会場内で偶然的に俺を見つけると殺意が湧き出たらしい、そして愚直に感情のままその手紙を寄越した」
黎ヰ
「呼び出されたんだろ、具体的な経緯は?」
塔沽 二苑
「誰かが、職員に俺の落とし物だと言って呼び出させた。このホールに常設の職員は居ない、滅多に使われないらしいからな。学会の最中に居たのも臨時で雇用した職員で、数千近い来場者の対応に追われていたな」
学会が終了した後も、来場者の忘れ物対応や道案内で混雑しており、防犯カメラが設置されていたとしてもこの封筒を直接渡している場面でもない限り、特定するのは困難だろう
塔沽 二苑
「どんな愚者でも、人混みの中ならば容易に紛れられる」
黎ヰ
「狙われる心当たりは?」
塔沽 二苑
「皆無だ」
半ば分かりきって聞いたとは言え、涼しい顔で即答した塔沽を見て黎ヰは、無駄な質問をした自分に呆れた
黎ヰ
「だろうなぁ。あったら、あんたの事だ筆跡鑑定でとっくに特定してるだろうからな」
医療機器学会の会場で塔沽は、何者かの脅迫状を受け取った。今回のように"誰が"の特定が難しい場合、次に考える事は一つだ
黎ヰ
「どうして、わざわざ学会で脅迫状を渡したかについては、あんたが言ったように突発的ってのがしっくり来るなぁ〜。じゃなけりゃ、ノートの切れ端に殴り書きなんてしないだろうしな」
異質な脅迫状からも、塔沽の言う事に信憑性が増す
黎ヰ
「この熱烈な殺害予告を受け取った後、身の回りで危険はなかったんだろ?」
塔沽 二苑
「あったなら、さっさと通報している。それにわざわざお前を頼る訳がないだろう」
黎ヰ
「そりゃ、どーも」
いつもの事だが、無駄に上から目線の塔沽に黎ヰは舌をべっと出す
黎ヰ
「だとすると、大分厄介な事になるよなぁ〜。この殺害予告は間違いなく本気だろ、なのに今の今まで何もしてこなかったって事はだ、その方法に余程の自信があって、あんたを殺害する機会を伺っているって事になる」
塔沽 二苑
「だから言っている。例の旅館での愚行を行った愚鈍と脅迫状を送り付けた凡愚は同一人物だと、でなければ同時期に愚劣な人間が二人登場した事になる。そんな確率考えただけでもゾッとするだろ」
ゾッとするなどと言ってはいるが、塔沽の表情は澄ましておりそうは見えないが、言葉の端々から込められた怒りは黎ヰにも伝わっていた
黎ヰ
「随分と癖のある怒り方で」
独特な怒り方に少しだけ可笑しく思った黎ヰだったが、素直に笑ってしまうとあらゆる"愚"を叩きつけられそうだったので、笑いたい気持ちを抑え言葉を続けた
黎ヰ
「言いたい事は理解できるけどな。細菌って言う武器があるなら、物理的に狙う必要はないし、犯人の殺意を考慮してみてもあんたを殺害する為、実験的に細菌をばら撒いた可能性は十分にあり得る」
塔沽 二苑
「となれば、犯人は学会参加者であり旅館に宿泊またはその関係者だ」
黎ヰ
「そんなの分かりきってんだろ」
容易に出来る推理に黎ヰは、何故か得意気な顔をする塔沽に違和感を抱く
塔沽 二苑
「もしお前が細菌をばら撒いた大愚だったなら、学会参加者全員に通達された細菌検査はどうする?」
黎ヰ
「成る程ねぇ〜」
唐突に投げかけられた質問の意図を即座に理解した黎ヰは、ニヤリと笑う
黎ヰ
「俺なら疑われない為に行くが、それが痴愚なら行かないだろうな〜」
検査に行かないと言う事は、行く必要がないと判断した事になる。通達があった時は、細菌の出所が旅館とは定まっておらず、学会が行われた奥島ホールに何かあると疑われていた
体調不良を訴えた医師達も、全員が陽性だったのだ。普通なら何かあってはと検査に行く。そんな中、行かない者が居るとしたらその人物は、自身には細菌が付いていないと確信している者だけだろう
塔沽 二苑
「山原達夫。唯一、検査に来なかったその暗愚の名だ」
都内でも大きな病院へ勤務する塔沽にとって、学会参加者の細菌検査の情報など簡単に手に入ってしまえる。とは言え、そこに目をつけるのは彼の知恵の賜物だろう
犯人らしき人物を割り出した事で「褒めたいなら褒めろ」としたり顔の塔沽に、黎ヰは少し前にした質問を思い出し、褒めるどころか半目を開き文句を口にする
黎ヰ
「しっかり、心当たりあんじゃねーか」
塔沽 二苑
「お前が聞いたのは"狙われる"心当たりだろう?山原達夫などと言う人物と関わった記憶は、皆無だ」
黎ヰ
「殺害予告されてんのに、良く平然と言えるよなぁ。命狙われてんだから、少しは記憶を手繰るなり遡るなりしろって」
単に覚えてないだけで、犯人と塔沽は確実に面識がある筈だった。この殺意のこもった脅迫状からも、二人の間に何か諍いがあったのだと推測できる
塔沽 二苑
「記憶を探るだけ無駄だ。面と向かって言葉を述べる事を放棄し、一方的に恨み辛みをぶつけるだけの愚人の事など覚えている訳ないからな。俺は無意味な事に時間を費やす程暇ではない」
黎ヰ
「そんな事言ってんじゃねーよ。あんたと山原達夫の共通点が見つかれば、突破口が掴めるって話しだろ」
言いながら、山原達夫についての情報を調べて貰おうと、携帯を取り出し夏氷に連絡を入れようとした時だった
近づいてくる二人の人物に気がついた塔沽は、彼等を見ながら小声で黎ヰに言った
塔沽 二苑
「彼等から話を引き出させれば良い。その為に本来の目的を放棄し、呑気に話し込んでいたんだからな」
後を付けられていると分かっていた黎ヰだったが、彼等の追跡を撒くのが難しかったので、仕方なく連れてきざる得なく、下手なタイミングで邪魔される前に二人は、あえて見つかりやすい場所で話をしていた
黎ヰ
「情報を持ってる方に聞いた方が早いか」
少しだけ考えた後、塔沽の案に賛同した黎ヰは、夏氷に連絡を入れるのを辞め、堂々と近づいて来る二人組に向けて声を掛けた
黎ヰ
「後を付けて来たにしては、随分と遅い登場で」
驪 蒼
「なっ、失敬な!僕はあくまでも、事件現場で彷徨く怪しい人物を追跡しただけだ!」
黎ヰに反論すべく、予め用意してあった言い訳を述べた蒼だったが、失礼な物言いに怒りで顔を赤くさせる
須山戯 麛
「現在ここは開放されていない筈。一体何をしていたのか、事情聴取として聞かせて貰うわ」
その横に居る須山戯は、冷静なまま仕事として二人を問い詰める
黎ヰ
「この先生の相談に乗ってただけだ」
須山戯 麛
「わざわざこんな場所でしないといけない相談って何かしら?」
明らかに怪しむ須山戯と蒼は、黎ヰへと疑いの眼差しを向ける
自分から提案したものの最初から説明しないといけないのかと、面倒くさがる塔沽だったが、しない訳にもいかないので、仕方なくのろのろと口を開いた
塔沽 二苑
「はぁ。少し前、このホールで医療機器学会が開催されていた事は?」
須山戯 麛
「知っています。……貴方は?」
唐突な質問に答えた須山戯は、訝しげに塔沽を見やる。出鼻をくじかれ、自分が何者かと名乗る所からか。と、思いながらも彼は気怠そうに自分の名前を口にする
塔沽 二苑
「塔沽二苑」
黎ヰ
(職業も言えよなぁ)
面倒くさいからと、名前しか名乗らない塔沽に黎ヰは内心ツッコミを入れる中、二人は聞き覚えのある名前に動揺しお互いに顔を見合わせた後、ビシッと姿勢を正した
須山戯麛
「失礼しました。我々は警視庁特殊捜査官情報開示課の須山戯と、こちらが驪です」
驪 蒼
「不可能と言われた手術をいくつも成功させたお噂は耳にしています。お会い出来て光栄です!」
二人が塔沽に対して敬意を払うのは無理もなかった
彼は、名医として活躍しその名は国内だけでは留まらず海外にも轟かせており、その価値は国宝だと言われている程だ。昔は大きな事件や事故などがあった際、彼のお陰で一命を取り留めた警察官も少なくはない
塔沽 二苑
「別に大した事はしていない。いつだって自分にできる最善を尽くすだけだ」
他人の賞賛などに興味がない塔沽は、適当に片手であしらう
驪 蒼
「顔色がすぐれないようですが」
その態度が、二人には別の意味として捉えられたようだった
塔沽 二苑
「問題ない。それよりも、話の続きを」
須山戯 麛
「分かりました。もし、気分が悪くなったら直ぐに言って下さい」
凛々しい顔立ちのせいか、立派な経歴のせいか塔沽が面倒でやる気がない態度を見せたとしても、何故か周りは彼が疲れているのだと思い気遣う
黎ヰ
(説明が面倒で、心底嫌がってるだけだろぉ。どう見たら体調不良に思えるんだか)
欠伸をかみ殺し横目で眺める。幸い須山戯と蒼は予想していなかった話に夢中で、黎ヰを気にしている余裕はない様だ
かと言え、その場から動けば絡まれるのは目に見えているので仕方なく黎ヰは、同じ話を黙ったまま聞いていた
塔沽は、黎ヰと話していた時よりも、丁寧に自分の身に起こったこと、そこから導き出せる推理を気怠げに説明する
須山戯 麛
「つまり、塔沽先生はその山原達夫と言う人物が怪しいと?……」
一通り話を聞き終わると、須山戯はその表情を険しくさせ何かを考える様に黙った
驪 蒼
「山原?その名は、確か……」
その隣で同じく話を聞いていた蒼も、呟きを溢すと思考を巡らせる
その細やかな態度から二人は"山原達夫"と言う人物に心当たりがあるのだと、塔沽と黎ヰは直感的に確信する
塔沽 二苑
「はぁ。山原達夫という名前まで辿り着けたと言うのに、如何せん彼との接点が思い当たらない…医師と言うのは、知らない間に恨まれているものだが、殺害予告をされるとは夢にも思わなかった」
大袈裟に頭を抱えるとフラッとよろけてみせる塔沽に蒼は、彼を支える為慌てて腕を伸ばす
驪 蒼
「心中お察しします。先生の様な立派な方がこんな仕打ちをされて良い分けがないっ」
声を振るわせ唇を噛み締め悔しそうに顔を歪ませる蒼の姿は、黎ヰに対する態度からは想像できないものだった
黎ヰ
(愚人の事なんて、記憶を探るだけ時間の無駄とか言ってた口はどこいったんだか。本題は誤魔化し本心は見せず会話を誘導する。良くやるよなぁ〜、一周回って感心するぜ)
今、須山戯達の目に映っているのは、脅迫状を受け取り肉体的にも精神的にも疲弊しきっている名医、塔沽だ。決して、脅迫状の送り主を愚かだと罵り嘲笑っている彼などではない
塔沽 二苑
「せめて、山原達夫と言う人物が何者かを知る事が出来れば、思い出せる事もあるかもしれない」
須山戯は表情を固くしたままだった。自分達の情報を塔沽に話して良いものか、考えあぐねているのだろう
悩んでいると言う事は、付け入る隙は十分にあるのだと判断した塔沽は、畳み掛ける様に言葉を紡ぐ
塔沽 二苑
「知り合いの彼を頼って相談したが、有益な情報は得られなかった。それでも何かヒントがあるかもしれないと、脅迫状を受け取った現場まで来てみたが、成果があるかはまだ分からない」
だんだんと声量を小さくしていく事で、聞き手の同情を誘う塔沽に、黎ヰは無言のツッコミを入れる
黎ヰ
(まぁ、まだ探索してねぇーからな。つーか、何かあるって確信してるからこそ、わざわざこんな所まで来たんだろ)
塔沽の思惑通りに彼を同情した蒼は、ふんっと鼻を鳴らし黎ヰへと小馬鹿にした目を向けた
驪 蒼
「それは人選ミスと言うもの。この者に出来る事なんて何一つありません、ここに来たのが良い例です。こんな場所に何かある訳ないでしょう」
蒼の憎悪を含んだ態度を目の当たりにした塔沽は、彼等に気付かれる事なく一瞬だけ厳しい視線を黎ヰへと向けた
その視線からは"必要以上に恨まれるな。面倒だ"と言っているのだと、黎ヰは長年の付き合いの中で察する
黎ヰ
(現在進行形で脅迫状を送られた、あんたにだけは言われたくねー)
同じく塔沽も黎ヰの言わんとする事を悟ると"下らない"と返す代わりに、額に手を当て首を左右に振った
須山戯 麛
「先生?どうかされましたか」
水面下で黎ヰと無駄な喧嘩をしているなどとは知らない須山戯達は、またもや塔沽の仕草を別の意味で捉えた
塔沽 二苑
「……もしかすると、全て勘違いなのかもしれない」
驪 蒼
「勘違いとは、一体どう言う意味ですか」
塔沽 二苑
「検査に来なかったからと言って山原達夫を疑うのは、少々強引過ぎたかもしれないと思ったまでだ。脅迫状のせいで、自分でも気付かない内に動揺し理性を失っていたのだと、警察の方と話して気付かされた。殺すと記載されていたからか、気が気でなかったんだ。下らない妄想話で時間を取らせてしまい、すまなかった」
黎ヰ
(これは、ぜってー嘘)
塔沽は黎ヰから見ればわざとらしく顔を下へと向けた。それを見た須山戯と蒼は暫く黙ったのち、互いに同じ結論に至ると顔を見合わせ頷き合った
須山戯 麛
「塔沽先生の推理は間違ってないかもしれません。むしろ、我々の捜査に役立ちます。改めてご協力をお願いしてもよろしいでしょうか?」
塔沽 二苑
「構わない」
しれっと返事を返す塔沽に、黎ヰは呆れ顔を向けたまま、やっぱり内心ツッコミを入れられずにはいられなかった
黎ヰ
(いや、さっきとの温度差。切り替え早過ぎだって、気になんね〜方が不自然だろ)
黎ヰからすれば簡単に見抜ける塔沽の三文芝居も、どうやら優秀な警察官達の目を誤魔化してしまえるらしい
黎ヰ
(これも一種の才能か?)
複雑な心境の黎ヰを塔沽は、したり顔で見やったのだった




