信長を超えろ!
2023年 人間50年について考えた時のお話
職場の知り合いが50歳になるそうだ。
もちろん30歳とか、40歳などの区切りの年齢でも似たような会話がされるんだろうけど、50歳という年齢は、人生の折り返し地点も過ぎ、毎年の健康診断にもひっかかり、老眼で近くのものさえ見えなくなる。そんな下り坂を思わせる年齢だ。
冗談なのだろうが「苦しまずにポックリ逝ければいいんだけどね」とか「会社に来なくなったらそういうことだから」なんて言う。
「嫁もいないし、いいんだけどね」
イヤそこは良くない。良くはないが50という年齢をネガティブに語る知り合いに、私が必ずかける言葉がある。
「50歳ですよ? 信長超えじゃあないですか!」
さすがに信さまの説明はいらないだろうが一応しとこうか。
【織田信長】
1534.7.3~1582.7.21(グレゴリオ暦)
日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。全国統一の先駆けをなした。
享年49(満48)歳
偉人だ。中学生以上の日本人で「信さまを知らないやつは、まあいないだろう」ってくらいの偉人だ。
今とは暦や歳の数え方が違うから、現代の年齢換算で考えると48歳で亡くなっているんだけれどそんなこたあ関係ない。信さまといえば「50歳」という強い印象があるのは彼が好んだ「敦盛」のせいだろう。
「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
そしてその言葉通り50歳手前で亡くなった。50というのは織田信長を強く意識させる数字なのだ。
若い頃は並みいる偉人たちの年齢を超えるたび「うわぁ~なんもできてねーのに歳だけとっちまったよ!」とか、「老いさらばえて生きながらえるより太く短くかっこよく生きようぜ!」とか、思ってたんだけど、でもね、生き続けるってすごいことなんだよね。
60歳を超えた方と多くの交流をもっているけど、大抵大きなケガとか病気とかやってるんだよね。みんなそれを乗り越えてきてるの。で、大変だったんだろうけどなんでもない顔してお仕事してるんだ。みんな背筋がシャンとしてる。そういう人を見ると、それだけで敬意がわいてくる。
そりゃ、若くして偉業を成し遂げた人はすごいよ。心からそう思う。その力をもっと伸ばしていってくれ、人類の未来のために、って思う。そんな人に同じ土俵で勝つことはできない。でも、勝てる土俵もある。
それが全ての人が強制参加している「長生きレース」
もちろん時代背景だとか、医学の進歩だとか、そういう不公平はあるよ。でもそんなのオリンピックだって同じ。科学的トレーニングだとか、競泳水着の発達とか、そういうのも含めて世界記録は更新されているんだ。
それに長生きって人類の夢だよ。秦の始皇帝(享年49)が切望したのは不老不死だよ。みんな長生きしたいんだよ。
キレイ事だってのは分かってる。若くして苦しんでいる人もいるだろう、大きな悩みを抱えている人もいるだろう、生きる希望を見いだせない人もいるだろう。でも有無を言わさず参加させられているレースであっても、誰かしらの偉人に勝てることがあるって、素晴らしいことだと思うんだ。
何しろこのレース、生まれた時が最下位で「落ちることがない」んだぜ。
だからこれから50歳を迎えるみんな、自信を持って信長を超えていこう。それは喜ぶべきことなんだ。なにしろあの信長に勝てるんだから。信長が届かなかった50歳になれるんだから。
そして50歳を超えた人はおめでとう、ケガも病気も乗り越えて、あなたは信長を超えたんだ、誇っていい。
ちなみに、信さまの次には「頼朝」(享年53)が控えております。