99話 青き宝玉の誘い《Unclear》
客の入りがまばらな喫茶店にコーヒーの豊かな香りが充満していく。
コーヒーの香りをいっぱいにすって乾いた木目は年季が入っており木の情緒を楽しめる。壁の色づけに決して主張しない絵画が数店飾られていてシックでダンディな印象を損なわないものとなっている。
そしてコーヒーの淹れかたもサイフォン、アルコールランプとこだわっていた。ガラス容器のなかで弾ける気泡のコポコポという音がBGM代わりで居心地が良い。
「ご注文のフライドポテトでぇす♪」
セピア色のミニスカートをしゃなりしゃなりと優雅に揺れた。
屈託ない笑顔とともに注文の皿が卓へとやってくる。
置かれた皿にはざく切りの皮付きポテトが盛られ、植物油の香りがいっぱいに立ち昇っていく。
「それではごゆっくりおくつろぎくださいませぇ♪」
ブロンド髪の少女は、定型句の如く繰り返して下がって奥のキッチンへと消えてしまう。
そして給仕が下がるのを待っていたとばかりに止まった時間が動き始める。
対面に座したフード男がニヤリと口角を引き上げた。
「実はというと僕、というかあの子も王座争奪戦に参加してるんだよね。ま、そっちの本気とは違って記念参加的なほうだけどさ」
言い終えてから彼は長い丈のローブの下で足を回し組む。
深く被ったレザーのせいで表情は約4割ほど隠れてしまっている。
そして一党らは正体も名前もわからぬ相手と相席となっていた。
「…………」
「…………」
当然人間たちは揃って口を引き結ぶ。
相手の出方を窺う、というよりどう立ち回って良いものか定まっていない。
なのだが1人だけはある意味通常営業だった。
「まあまあ! そうなんですか!」
テレノアだけは常に笑顔で相対する。
相手が見ず知らずであっても絶やさぬ笑顔は平等に振る舞われていく。
「じゃあ私とも対抗相手になってしまいますね! 相手が魔法に長けて自然をこよなく愛するエルフとはいえエーテルとして負けていられません!」
ふんすふんす。好敵手に向けるようなやる気で鼻息を荒くした。
緊張感がないというより、まずもってして敵対という点に関心がないのだ。
印象ではなく目で見て判断する。だからこそ彼女の銀の瞳は常に相手を捉えて放さない。
フードの男はテレノアににっこりと目を細め、それからこちらに青い瞳を向ける。
「で、キミたちに声をかけた理由なんだけどさ」
こちらとは違って彼に定まっているのだ。
だからこうしてあとをつけてまで接触を図っている。
フードの男は袖を畳み脇に挟んで、頬に手を添えうっとりと眦を下げた。
挙動の1つ1つに男とは思えぬ色気のようなものがむん、と付随する。
「僕たちと共闘しない? キミたちとならこの聖誕祭をもっととっても面白くて素敵なイベントに出来ると思うんだよね」
マリンブルーの奥深い瞳は窓際で頬肘をつくミナトを捉えていた。
それから注意を散らすかのように、他の面々へも視線を配っていく。
ミナトは熱々のフライドポテトをケチャップに浸した。
「ふーん、で? 共闘する見返りはいったいなにが欲しいんだ?」
男から注意を逸らさずポテトをぱくりと頬張った。
味はこれといって己の世界となんら変わりない朴訥としたもの。いってみればただの揚げ芋なのだからしょうがない。
しかしケチャップのほうに隠しがある。スパイスや砂糖、それからニンニクとハーブが混ぜられているらしい。
一拍ほど遅れて口にしたヒカリと「あ、おいしい」夢矢からも「ほんとだっ」わりかし美味という感想が漏れる。
「見返りもなしに声かけてきたなんてことないだろう。なによりギヴアンドテイクが成り立たない関係に信頼はないと思う」
「ん~見返りかぁ~。あんまり考えてなかったんだけどなにか貰えるなら貰っちゃおうかなぁ~」
フードの男はわざとらしい大きな動作の伸びをする。
男にしては長いセミロングのこざっぱりとした頭の後ろで手を組んだ。
軽い。否、この男はあまりにも軽すぎる。意思や決定が意図的にぼかされていた。言葉の隅から隅まで温度も重さも感じられないほどに軽い。
相手が強大な力をもっているということを抜いても、十分に胡散臭かった。
――龍って連中はこういうテッキトーな種族なのか?
ミナトは唯一有益な情報を提供してくれる相手に思念で問う。
と、やや響くような音程の少女の声が脳に直接返ってくる。
『おおよそは、ね。かなり気ままに生きてる連中だよ。だからこそ機嫌を損ねたくない相手なんだけどさ』
響く音に僅かだが緊張が感じられた。
ひとまずは戦わずにすんでいる。というよりあちらから仕掛けてこなければこちらが仕掛ける理由はない。
つまりこの場を仕切りかつ支配しているのはフードの男ということになる。
いっぽうで彼の付き人か恋人か。もう1名の女性は少し離れた卓に座して黙したままだった。
「…………」
ネイティブ柄民族風羽織の少女は窓から遠くを眺めている。
あちらもフードを目深に被っており辛うじて横顔がちらりと見えるくらい。考えているのかは読めそうにない。
ミナトがあちらに気を削いでいると、「で、どうかな?」という声に引き戻される。
「共闘さえオッケーしてくれるのならキミたちは僕たちの得た功績と得られる。そして僕の力と様々な場所へ高速で移動する方法もセットで手に入る」
男は背もたれに寄りかかった。
指の隙間を滑らせるようにして銀のスプーンを巧みにくるくる回す。
言葉だけではなく行動まで軽い。ここまで怪しい点が揃うならワザとやっている可能性すら疑ってしまう。
ミナトも負けじと指の代わりにポテトと差し向ける。
「良い条件だけを突きつけられてもはいそうですかってなるわけがないじゃないか。こっちが人間だってわかって話しかけてきたってことは絶対オレらに用、あるいは目的があるってことだろう」
そして先端に真っ赤なケチャップをたっぷりつけたポテトを頬張った。
ポーカーフェイスで応対する努力を絶やさない。
なのに相手はなにが可笑しいのかミナトを眺めながらくつくつと喉を鳴らす。
「正直なところ僕は誰が勝ってもどうでもいいんだよねぇ。実際面白ければなんでもいいの。なんでもいいしどうでもいいしキミらと一緒に遊びたいってだーけっ」
「ならあっちの連れと一緒に聖都観光なりしてれば暇くらい潰せる。まさか女連れで暇を持て余してるなんてことはないだろ」
「あれは僕が道楽で連れてるだけのペットみたいなものだから暇すら潰れないんだよね。あ、でも奴隷とかいう無粋な勘違いしちゃ嫌だよ。僕と彼女はけっこう仲良しさんなんだから」
ミナトは女性のほうを一瞥した。
が、女性のほうは振り向きもせず。まったくこちらに関わろうとしていない。
男の語る事実は、実際そうなのかもしれない。そうではないのかもしれない。どちらともとれるもの。
ただいえることはこちらからの信頼が1mmもないということ。ここで安易に首を縦に振ったことで害となるなら振らぬほうがマシ。
なにより少食を摘まみながらもぐもぐ耳を傾けている2人を危険晒したくはない。
「人員はいくらいても困らないどころか足りないくらいだし、その申し出は嬉しいよね。でも僕らに協力する理由がわからないとさすがにちょっと怪しいかも」
先ほどから夢矢はひっきりなしにポテトを頬張っていた。
ミナトを挟んだその横でもヒカリがポテトに手を伸ばす。
「私たちと共闘してそっちになにか利でもあるのかしら。聖女ちゃんを助けたいっていうのならまだ頷けるかもだけど」
たぶんおそらくだが2人とも腹が減っているのだ。
朝から聖都に赴き、聖都観光となればそろそろ腹も鳴きだす頃合い。
いっぽうでミナトは深く呼吸し鼓動を諫める。それからコーヒーで口をゆすいで滑りを良くした。
「たとえ龍族とかいう凄い種族からの提案でも……申し訳ないけどその条件じゃ呑めないよ」
真を語ると、僅かに男の青い瞳が細まった。
「……。どうしてだい? 僕が一緒にいれば魔物なんて屁でもないし良いことずくめなんだよ?」
典雅な動作で裾を巻いて肘を卓に着く。
頬に手を添え頭を乗せ上目使いに見据えた。
こちらがなにを恐れているのかというと、相手の表情さえ読めぬこと。
なにせ彼はここに至って1度として表情も、感情も、言葉も。その全容の一切を明らかにしていないのだ。
「ここまで話してご尊顔すら見せてくれない相手とじゃ協力は出来ないっていってるんだ。店内で帽子被ったままのヤツのどこを信頼できるかってことだよ」
このどん詰まりで共謀者の存在は喉から手がでるほど欲している。
だが結果敵を増やすということにもなりかねない。博打をするなら勝てる博打に手をだすべき。
ミナトが真剣な眼差しで拒否すると、男は鼻の奥をふふと鳴らす。
「そうだね確かにキミのいう通り自己紹介がまだだった。僕も大分こっちの生活に入り浸ってたからついうっかりフードを脱ぐことさえ忘れていたよ」
するり。男の頭からフードがゆっくりと焦らすように下ろされる。
貼りついた前髪を散らすように首を振り、前髪を手櫛で掻き上げた。
「僕の名前は海龍。……っていうのは僕ら特有の呼び名だね」
そして明かされた龍の尊顔は、精巧だった。
「改めまして僕の名前は海龍スードラ・ニール・ハルクレートだよ。よろしくね聖女ちゃんと人間くんたち」
そう言って自己紹介し終えると、スードラと名乗る龍は片目を閉じた。
美貌はさながら絵画のような精巧物。しかも男が惚れる男らしいというより女性のハートを容易く打ち抜くタイプの少年めいた顔立ち。
なにより掻き上げられた青い髪の下が特徴的だった。白い額のちょうど中央には宝玉の如き青い石が埋められている。
――なんだあれ……青い宝石?
「超究極弩級美男子ッ!!? 略してド美男子ッ!!?」
一瞬でミナトの思考がどこぞへと飛んでいく。
叫びめいた声と同時。喫茶店ないで陶器の当たる騒音がガチャンと木霊した。
元凶はヒカリである。凄まじい速度で椅子から立ち上がったため卓上のコーヒーが大きな波紋を作る。
「見てるだけで視力復活するレベル!! 超イケメン!!」
「ひ……ヒカリちゃん?」
「これはもはや無条件でお仲間確定に決まってるでしょ!!」
おそらくもはや正気ではないのだろう。
豹変からの破顔。年頃の少女がしていい顔ではない。
まさに獲物をぶら下げられて吠える垂涎の獣の如し。瞳が爛々と乙女の光を発している。
「これを断るなんて乙女たちへの下剋上だわ!! 強い凄い格好いい!! これに勝る実績は存在しないのよ!!」
暴走するヒカリの意見はなにものより強かった。
そしてそれは腹を晒す猫くらいの無条件降伏宣言でもある。
「う、うへへ……そ、そうだわ! この感動は是非大切なノアの友だちにも共有すべき財産ね! そうと決まればアレクナノマシンの網膜カメラで1秒でも長く記録すべきだわ!」
ヒカリはすっかりスードラという龍の美貌に虜だった。
すっかり乙女心――邪心?――に燃えてしまう。乙女ならざる表情で胸に手を添え、はぁ、はぁ、肩で呼吸を刻んでいる。
興奮するヒカリをよそに男陣は無表情で呆れ返った。
「あーいうのを顔パスっていうんだよ。しかもその大切なノアの友だちになんの相談もなく勝手に話を進めてる。暴走しすぎて僕らのこと見えてないんだろうね」
「美男子ってのは認めるけど、信のほうが100%イケメンだな」
「あーそれわかるー。信くんのほうが男の子が憧れるイケメンタイプだよねぇ」
2人は無言でフライドポテトを口に運んだ。
白け切った視線は鼻息荒く撮影に勤しむヒカリを映さぬよう逸らされている。
「わかってないわね! 信くんは従兄弟かお兄ちゃん系なの! そして彼は弟系! あと夢矢くんは妹!」
「ヒカリちゃんってなんでちょくちょく僕のあれをとろうとするノカナー?」
こうなってしまうともう話し合いの余地はない。
ヒカリの妄言は置いておくとしてもともとすべてが悪いという話ではないのだ。なによりリスク0でなにかを得ようとする行動こそ無意味。
ミナトは辟易とため息をつきながら「で、どうする?」テレノアへここまでの議論の結論を任せることにする。
「龍族さんを仲間に加えることが可能であればかなりの戦力が期待できますね。おそらく現状の戦力から5倍は跳ね上がるはずですし、龍の飛翔能力は喉から手がでそうなくらい欲しいところです」
この期に及んで彼女は普段と変わらぬにこにことした姿勢を崩すことはない。
興奮し己を忘れるどこぞ人間とは違う。さすがは聖女といった居住まいで凜としていた。
スードラの顔立ちに捕らわれぬのは美醜にこだわらぬうエーテル族の特徴なのか。はたまた純粋に好みというわけではないのか。心の内を知るのは彼女だけ。
そんなテレノアの前向きな発言を聞きつけたヒカリは、嬉々として「ならっ!」と、話を急かした。
しかしテレノアは「しっ!」指を立てて叱るように猛獣を制する。
「しかしそれだけになにも報酬を与えないというのは聖女として心苦しいです。なによりミナト様のおっしゃるように相互理解の得られぬ相手との共闘ははばかられます。互いにお腹の探り合いをすることと背を預けることは同時にまかり通りません」
器量も良く、度胸も備わっている。
ミナトでさえ恐る恐るだった相手に対してきっぱりと己の発言を叩きつけた。
国の王を目指す者として相応のカリスマ性を備えているのかもしれない。テレノアには、たとえ相手が強者であっても曲がらぬ強さがあった。
「相変わらずこっち側の種族ってもどかしいよねぇ。こっちが力を貸して上げるっていうんだからなにも考えず受けとればいいだけなのにさぁ」
理由を正面から問われた海龍スードラに変化が起こった。
つまらなそうに唇をちょん、と尖らせ舌で不満を打つ。
徐々に彼のまとう空気感が変化していく。
「あっちは堅苦しそうだし規律とかありそうだなぁと思ってこっちにきてみればコレだよ。なんで人種族も別種族ももっと僕らのように本能的な生きかたが出来ないんだろ」
ゆらり、と。スードラは気だるげに椅子から立ち上がった。
裾から青くなめらかなヒレ付きの鱗尾が生え伸びる。
「じゃあいいよ。そっちに合わせつつもっとシンプルで確実な方法を使おう」
ヒリつく。ここでようやく人間も龍という存在を覚えさせられる。
彼が1音1音を発す声にさえ、1つの挙動にさえ空気を震わすなにかが秘められていた。
スードラがしなやかな伸びを終えると、白い額にぼんやりとした朱色が灯る。
「運命の帰結は決闘にて決す。これこそが永久よりこのルスラウス大陸に存在する唯一無二の習わし。僕たち龍とキミたち種族とで結ばれる比類なき絶対条件だ」
隠した牙をにやりと晒す。
龍の澄み渡るほど青きマリンブルーは、燃えるような紅を滾らせていた。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
ヒカリ「ハッ――レア顔いただきます!」パシャァッ!
夢矢「まだやってたの!?」
ヒカリ「いやあこれはまた乙女の薄いデータが厚くなりますなあ!!」




