98話 聖女としての葛藤《New Memorial》
広場を去った聖女含めた一党らは、喫茶店で休憩という運びになっていた。
窓際の卓について外を覗くと絢爛な景色が広がっている。
優雅なコーヒーの香りに肺いっぱいに吸いこんで吐息を吐く。それだけで広場から去ったときの記憶が蘇ってくるかのようだ。
群れて酒に溺れた客たちは壮大な光の柱を根元から垣間見せられた。
直後、一瞬でしらふ返る。酒を手放し大急ぎで賭け場に群がった。
そしてハイシュフェルディン教も聖火台から1mmと目が離せない様子でピタリと固まる。
あの小生意気だった娘ザナリアでさえ広場を後にする聖女の背を驚愕の眼差しで見送った。
「お待たせいたしましたぁ♪ こちら人数分のコーヒーとなっております♪ お火傷にご注意下さいませぇ♪」
金色の髪が美しい少女は、猫なで声とともにフリフリ衣装を踊らせる。
流れるような動作で聖女一行の卓の上にカップを配膳していく。
「それではみなさまごっくりおくつろぎくださいませぇ♪」
並び終えた給仕の少女は、ぺこりと一礼してスカートを翻す。
眉で切りそろえた清潔感のある髪が深い川のように流れる。尻かスカートの終わりかわからない境界の辺りで左右にゆらゆらと髪の毛先が揺らいだ。
――いまの子なんていう種族なんだろう?
ミナトは小気味よいステップで遠のく靴音を眺めながら首を捻った。
セピア色をしたビンテージを匂わす給仕服が店のシックな雰囲気にマッチしている。数多くのフリルが愛らしく視覚的にも楽しい代物だ。
なによりパニエで綺麗に象られた短いスカートが特徴的。給仕の子が少し跳ねただけで下着の色くらいまでならわかってしまいそう。きわどい。
そして少女は振り返ることさえなく奥のキッチンへ消えていった。
「こ、これは茶色い砂糖よ!? ということはノアとは違う科学合成製じゃない自然由来のきび砂糖ね!?」
「これは時間をかけて育てる古典的だけど風情ある手法だね。逆にノアの砂糖は不純物が一切入ってないから真っ白だもん」
コーヒーに砂糖を足そうとしただけでこの盛り上がりよう。
夢矢はともかくとして、とくにヒカリのテンションが異様に高かった。
「これは食事もかなりの期待値よ! 大地に恵まれた食材、人工じゃない飼育をされた新鮮な魚類、そして異なる世界でとれるお肉! まさにここは食のパライソですなぁ!」
今すぐにでも小躍りをはじめてしまいそう。
料理屋の看板娘の血が異世界の卓に騒いでならない。
いちおう卓についたまま行儀良くしているが、瞳は爛々と好奇心であふれかえっている。
「なあ、ヒカリってあんな弾けたキャラだったかね?」
「彼女、食事にはけっこううるさいんだよね。食堂ハレルヤで働いているのもそうだけど、食関係の仕事に進みたいのも美味しいものを振る舞いたいっていう夢があるかららしいよ」
有頂天をいくヒカリとは打って変わって、男2人は甘くしたコーヒーを静かにすすった。
いまだけは時間がゆったりと流れている。人間たちはようやく異世界という混沌から解放された。
だからこそ、そろそろ挙動が沈みがちなテレノアにメスを入れるべきなのだ。このままでは美味しいコーヒーの味もわからない。
ミナトがそれぞれに視線を送ると、全会一致でこちらへ返ってくる。
ヒカリと夢矢は託したとばかりにミナトを注視しながら無言で首を縦に振った。
「テレノア」
「っ、はい! なんですかミナト様!」
別に唐突というわけではない。
なのにミナトが語りかけるとテレノアは全身をびくぅ、と跳ねさせた。
「ここの代金は私がお支払いさせて頂きます! お腹いっぱい楽しんで下さいね!」
わざとらしい微笑の前で両手をぱたぱたと振る。
あたふたと落ち着きなく作り笑いを浮かべた。
とり繕う。とてもわざとらしく余裕のある雰囲気ではない。
「無一文だから提案はありがたいんだけどさ。横でそんなに沈んだ顔をされてるのも居心地悪いんだよな」
「っ、ご、ごめんなさい。その……私は黙っていますからそちらはそちらで……はぃ」
ミナトに諭されたテレノアは、またもしゅん、と。うな垂れて両肩を狭めた。
広場の一幕以降ずっとこの調子だった。あたかも殻に閉じこもってしまうかのような不穏さをまとっている。
行動から察するになんらかの壁を作っているのだ。あるいは話を振られたくない。そのどちらか。
あれだけ広場で堂々と立ち回ったというのに、この始末ではおさまりが悪すぎる。
「ねえ聖女ちゃん? 聖女ちゃんの聖女っていったいどういう意味なのかな?」
夢矢がにんまりと敵意のない笑みをテレノアへ向けた。
ミナトに任せては粗暴すぎると判断したのだろう。残るヒカリに任せるという選択も彼の脳にはないらしい。
「いいたくないのなら僕からは聞かないよ。でも友だちとして聖女ちゃんのことを僕たちはもっと知りたいっていう気持ちもあるんだ」
カウンセラーさながらの暖かい声色だった。
するとテレノアは表情を伏せがちに、とつとつと語りはじめる。
「聖女とは、天界からの声を大陸に住まう民に届ける役割があります。大義をまっとうする定めにある者を指す言葉なのです」
喋りづらそうに唇がふるふる震えて言葉を刻む。
白いスカートを無意識な様子で握りしめていた。
陰った銀の瞳は卓の上にあるコーヒーばかりを見つづけている。
「元来、地上の動向は地上の民に任せるため天界から直接意思を届けることはなさらないのです。ですから私、聖女という器に天啓を与え間接的に地上へ天界の意思をお届けになるのです」
「規模が大きい話のようで。ずいぶんと神様ってのも回りくどいことやってるんだなぁ」
「ミナトくん5分くらい黙ってて」
ミナトの横槍に対して夢矢にしては珍しく、ちょっと怒った顔だった。
あ、はい。ミナトは姿勢を正し従順なるしかない。
ヒカリはそんな2人を見つめてくつくつ控え目に肩を揺らす。
おかげで僅かに緊張は揺らいだようだった。だが、テレノアは未だ浮かない。
「先代聖女と先々代聖女はそれはもう華美たるご活躍をなさったと伝え聞いております。ですが現代聖女である私は聖女である資格をなにひとつ持ち合わせずして生まれてしまった」
「でも聖女ちゃんは聖女ちゃんの意思でその大義を請け負ったわけじゃないのかい? 止められるなら他の人に任せちゃうっていうのも手じゃないの?」
――そうだそうだいってやれ。今どきの若者は尊重を求めるから止めたい職場なんてとっととやめてネクストステージだ。
いわれた通り言葉にだしていない。
それなのにもかかわらず夢矢とミナトの目がまた合ってしまう。
今度の彼は、より怒った感じでむっ、としていた。
「聖女は生まれながらにして聖女なのです。その任から降りることは不可能です」
「不可能? そんな一方的に与えられる使命に自由も尊厳もないじゃないか。ならいっそ別の人を後任にしてもらったほうが……」
テレノアはゆっくりと顔を上げる。
そして夢矢に向かってふるふると首を横に振った。
「いえ、聖女とは世界で1名のみしか継承することの出来ぬ特別な存在なんです」
彼女の表情を拝見し、まずよぎるのは不安。
あとはテレノアという少女だからこそもつ特徴。種族的な特性ではない、その安堵をもたらす温和さ。
夢矢は躊躇いながらも彼女のことを真っ直ぐに見据える。
「それって……キミじゃなくちゃ聖女になれないってことかい?」
はい。テレノアは迷うことなく深く頷く。
「先代聖女も、先々代聖女も、実は私の身体なんです」
これには説得役を買った夢矢さえ「……へ?」目を丸くとぼけた声を漏らす。
しかしテレノアが嘘を口にしているようには思えない。
彼女は金色の鎧に手を添え堂々と宣言する。
「聖女とは聖女システムのなかにある1固体を指す総称です。先代先々代ともに他の記憶を培った私という存在そのものなのです」
聞かされているだけで現実感が、ぐっと離れていく。
聖女という存在を知れば知っただけ遠のいていくかのよう。
「つまり聖女ちゃんはいずれかのタイミングで記憶を消されてしまっているということ!?」
「おおよそそのご理解で申し分ないかと。しかし付け加えるならば記憶を消した上で転生を繰り返しているということでもあります」
夢矢は一瞬ハッとした。
そして眉根辺りを摘まんで天を仰ぐ。
「ということは死がスイッチになってしまっているんだ……死ぬことで新しい存在に生まれ変わる」
一介の人間がついていける情報の許容量を遙かに超えていた。
どこぞのお伽噺でも読み聞かされているみたいな感じ。夢現の物語にしか聞こえてこない。
「だから今代の私は未成熟の聖女なのです。天界の民とその繋がりのある者だけが使用できる《聖魔法》さえ禄に扱えぬ……出来損ない」
己を卑下するときでさえ悲しそうにふふ、と笑う。
辛くとも無理に微笑もうと振る舞うのが、どうにも彼女らしい。
「本当ならこの聖都は聖女が女王となる習わしだった。でも私がいつまでも成熟しないただの女であるから玉座は王を迎えず空いたままとなってしまっているのです」
この辺でようやくミナトは約5分を数え終えた。
夢矢もヒカリも深刻そうにテーブルへ視線を落としている。
「だから痺れを切らした大陸最大の宗教が聖女に代わって総本山的な聖都の王に着こうとしている。そういうことだな?」
テレノアはコーヒーをひとすすりしてから「……はい」苦しそうに眉をしかめた。
「先々代から近衛を務める聖騎士たちはもっとゆっくり研鑽を重ねるよう猶予を下さっているのです。しかし月下騎士たちはこのタイミングでなんとか私に聖なる力へ目覚めて欲しいと、勝利を期待なさっています」
「つまりテレノアもある意味板挟みで辛いってわけか」
ミナトが補填するも、「…………」沈黙が返ってくるだけ。
テレノアも己の地位がある。だから弱音を口にだせる立場ではないのだ。
しかし己の責務を果たせぬ辛さと、そのことが原因で周囲に迷惑をかけている。そのことは重々理解している様子だった。
「あ、でも勘違いなさらないで下さいね! 私は聖女という与えられた役目に誇りと栄誉を賜っています! これはもう創造主様に誓って本当の本当に誇らしいことなんです!」
ミナトはテレノアを横目に少し覚めたコーヒーをすすった。
――ソレが出来ないから辛いって話なんだろうな。
空いた胃にミルクのまろやかさと砂糖の甘さがしっとり染み渡る。
慌てて彼女とり繕う姿は、見ているだけで一党ら全員の同情を誘った。
王位争奪戦、なんて。この少女に骨肉の争いはどうにも似合わない。
テレノアという少女はもっと笑顔あふれる都で淑やかに暮らしたほうが性に合っていたはず。
なのにもたざるという理由だけで矢面に立たされ、あげく闇に呑まれかけていた。
「それと……ごめんなさい。ずっと黙っておくつもりじゃなかったんです。私が聖女足り得ない存在であると、もう少し時間をかけながら説明していくつもりだったのです。が……あのような感じで伝わってしまいました」
もう1度。ごめんなさい。
この2度目の謝罪は深々と頭を垂らすものだった。
同時に夢矢とヒカリの双方からの視線がこちらへと集まる。
2人して、なんとかして、と。口にするまでもない悲痛めいて潤んだ瞳だった。
いっぽうでミナトの感想は広場で述べたとおり、なにも変わっていない。
「勝てる見こみは限りなく薄明薄暮の瀬戸際だな。だからといってオレたちがやるべきことはなにも変わらない」
冷めて飲みやすくなったコーヒーをぐいっ、とひと息に胃の腑へ流しこむ。
ブルードラグーンを修理するためにはこの世界の通貨がいる。そのためにはテレノアを王座争奪戦で勝たせなければならない。
しかしあちらは大陸宗教そのもの。なんとか幸運にも路傍で手にしたジョーカーを使い一旦のリードは得た。だがそれはあちらも同じこと。
「あっちはこのビッグヘッドオーガ討伐を見て全力をだしてくるだろうさ。戦力差は歴然。このままトップを維持しつづけられるのも2~3日が関の山だろう」
「じゃあ僕たちも聖女ちゃんの騎士たちを連れて狩りにでたほうが良いのかな?」
事態を知ってようやく会議にも火が着きはじめる。
ここにきて聖女の苦難とやるべきことが明白になって目的が定まりつつあった。
どう足掻こうともテレノアを女王にする以上の近道は存在しない。ノアへ帰るためには必須の試練となって立ちはだかる。
「えー……私戦闘はあんまし得意じゃないわよ? それならジュンとか珠ちゃんとかを連れてきたほうがよくない?」
ヒカリは不安そうに表情を曇らせた。
マドラーで余ったカフェオレをくるくる回す。
ここにいるのは調理師と、小動物と、無能。この3人のみ。
危険な外にでかけるにはあまりに無謀すぎるメンツだった。
ふと天の啓示的なひらめきがミナトの頭に降りてくる。
「ん? ああ、そういうことか……あの策士中年め」
この事態をあの東が予測していないわけがない。
すべてをレィガリアから聞いて把握した上でこんな聖都観光を許す。そんなバカな話があるものか。
「どうしたの? なにか良い案でも思いついた?」
夢矢はつぶらな瞳を丸くした。
ともに死地を乗り越えただけのことはある。ミナトに期待を寄せる愛らしい表情だった。
なのにそんな彼の横で、ヒカリは目を細くする。
「あんまり危ないの止めてよね……私だって長生きしたいんだから」
「おーい。オレをなんだと思ってんだい? こうみえてかなりの人数の危機を救ってるつもりなんだけどさ?」
謂れもない――と当人は思っている――罪が着せられてしまう。
ヒカリはコーヒーの底を乾かしてから小皿の上にそっと戻す。
「でもミナトくんと一緒にアザーへ降りたとき限定で《マテリアル》も《セイントナイツ》だってどっちも死にかけてるって聞いてるわよ」
「ソレは断じてオレのせいじゃない! 危険な任務のときだけオレの力が必要ってだけだ! だいたい危なくなってるのは作戦を組む東のせいだ!」
ミナトが反論するも、彼女のからの反応はますます疑り深くなっていた。
それもそのはず。死の星に降り立った際は2度、《セントナイツ》は1度、死にかけている。
そのためノアの民からミナトへの視線は――このように――怯えを孕んでいることが多かった。
つまるところ現在聖都に潜りこんだ弱小メンバーは、戦いを予測して発足されていないということ。
「東はたぶんオレたちになにかをして欲しいんだ。自分の考えた作戦とは別で、3つのブレインにわけて大陸を観察し別々の作戦を立てて貰いたいと考えてるんだ、きっとな」
ミナトは腕組みし背もたれに体重を預けた。
にこにこの笑顔で食器を回収する給仕の尻を眺めながらとっぷりとため息を吐く。
おそらくブルードラグーンに残された人間たちもなにかしらやらされている。そう、考えるべきだろう。
聖都の外と中、そして東。3つのブレインで宗教団体を多角から責めようという算段。頼りないが理には叶っていた。
「その予想が正しいならこの王座争奪戦は東1人じゃどうしようもないってことだね。それにしてもあの頭のキレる東が僕ら若者の助けを欲しがってるなんて信じられないよ」
「猫の手も借りたいって状態のようですなぁ。かといって私になにかあるかって聞かれても困っちゃうんだけどねぇ」
3人は力なく笑う。意気消沈の一途を辿る。
相手は大陸最大宗教。こちらは数人集めた有象無象。これで挑めということ事態が無茶無謀なのだ。
そうやってうーうーあてもなく唸っていると、給仕の子が人数分のコーヒーを運んできてくれる。
「お済みになったカップのほうお下げしまぁす♪」
彼女が去るとまた新しい蒸気が卓から立ち昇った。
鼻の奥を奥ゆかしくも焦げた豆の香りが撫でていく。切羽詰まっているというのにどころ肩の力が抜けていく。
すると唐突に「あ、あの!」と。どこか入りずらそうに腰を揺らしていたテレノアが声を張る。
「どうしてみなさんは騙されていたのに私を責めないのですか? なぜ不完全な聖女であることを隠していた私に怒りの矛先を向けないのです?」
勇気をだして発したのだろう。
しかし返ってくるのは「は?」「へ?」「あぁん?」とぼけたものとテキトーなものばかり。
「だ、だって私ずっと聖女であると貴方たち人間さんを偽っていたんですよ?」
「はじめから聖女とかいわれてもとくになにも気にしてなかったからなぁ。聖女、なにソレ美味しいの、みたいな感じかね」
「僕も色々噂で小耳に挟んだていどだったもんね。それに別に聖女ちゃんになにかを求めていたわけじゃないしさ」
「というより船の修理をするために手を貸してもらってるだけでもそうとう助けてもらっちゃってるわ。このお店でも奢って貰っちゃってるし、これ以上色々お願いするのもちょっとずうずうしすぎて気が引けますなぁ」
人間3人の感想は、わりとどうでも良い。ソレに尽きた。
するとしばし呆然と顔を白くしていたテレノアに変化が起こる。
目元にじわりと透明な液体が浮かぶ。なみなみと注がれた涙が目の縁からこぼれてしまいそう。
きっと彼女は誰にも相談できず1人だったのだ。聖女として責任や期待に板挟みとされていた。
そこに現れた世界の枠に捕らわれぬ異世界人。ようやく対等な理解が得られようとしていた、その最中。
「……に、人間さんっ! やはり貴方たち種族は伝説の通り――」
と、テレノアの感激に水を差す者がいた。
招かれざる来訪者が感動を押しのけるようにして現れる。
「いたいた人間種族♪ よ~やくみぃつけたぁ~♪」
店の入り口を遮るようにして影が2つ佇んでいた。
1つはひょろりと長く、もう1つは比べて小さめ。
そしてどちらも頭の先から足首までを長いローブで覆い尽くしている。
「…………」
いっぽうは民族的模様の入ったローブを羽織う。
ひとこと足りとも発そうとはしない。
そしてもういっぽうは重厚な印象を与える黒いレザーのローブをまとっている。
「にししっ。広場から逃げるようにでていっちゃうんだもん。痕跡を追うのに苦労しちゃったよねぇ」
どちらも性別はおろか顔立ちや種族さえ垣間見えない。
ミナトは、声のする方角へ振り返ると同時に記憶を呼び起こす。
「青い瞳!? さてはお前さっき広場でオレらを観察していたヤツだな!?」
間違いない。確信した。
黒づくめのローブの奥には、見覚えのある青い瞳が浮かんでいた。
しかもさきほど聖火台の広場でこちらを見ていた影とまったく同じだ。
「野郎……つけてきやがったな!」
ミナトは椅子を倒さんばかりに立ち上がる。
それから即座に左腕に帯びたフレクスバッテリーの照準を黒いローブの影に合わせた。
『気をつけたほうがいいよ』
「ッ!?」
集中していると脳の裏側辺りで声がした。
それは先日とり憑いた幽霊少女のものだった。
ミナトは、一瞬心臓をどきりと跳ねさせながらも、相手にバレぬよう思念で問う。
――どういうことだ!? アイツのことをなにか知っているのか!?
『片方はマナの感じから見てエルフだね。でも黒いほうはちょっとマズいかも。戦闘はなるべく避けるのが身のためだね』
穏やかな時間は穏やかではない速度で幕を引いた。
夢矢とヒカリもすでに戦闘態勢を整えている。蒼き光――第1世代――フレックスを身にまとって様子を窺っている。
この世界でのトラブルは死に直結しかねないことを全員理解していた。魔法、魔物、神。それらすべてが己の世界にないものだからこそ気を許すことしない。
「はははっ。そんなに警戒しなくても良いよ。なにも魔物みたいにとって食おうってわけじゃないんだからさ」
黒いローブの奥で青き光が煌々と煌めく。
おそらく声の感じからして青年あるいは少年だろう。
相手はこちらを見ながらローブの端を両手で広げる。扇子を逆に開くようにわあ、と裾が広く開いた。
そうやって己が無防備であることをアピールする。のんびりとした歩調でこちらを目的として歩み寄ってくる。
「僕はキミたちと是非お近づき、もといお友だちになりたいと思っているだけだよ」
人間くん。青き双眸が蠱惑めいて細められた。
信用可能な要素が――探しても――欠片と見つからない。なにより声も動作も胡散臭い。
それら疑念を裏付けするよう、ミナトの脳内で、声が冷たげに囁く。
『注意して。あれが大陸最強種族の龍だよ』
抑えた声色で彼の種を明らかにする。
人間たちが忘れていた最後の種族が1つだけあった。
未だ出会っていない。ルスラウス大陸7種族のうち最後の種族、龍。
『僕でさえ相手が全力でくるならどうあっても叶わない。それでももしキミたちが戦うという選択をとるのなら……キミたちの新世界の冒険は間違いなくここでオシマイだ』
人間たちが緊迫し硬直する。
その最中。彼の龍は、闇の奥で、にんまりと笑う。
「深く深く、海よりももっと深ぁく。人であるキミたちと硬く繋がりをもちたいだけさ」
圧倒的強者という立場で対等を演じようとしていた。
「いらっしゃいませぇ~♪」
そして給仕の少女は、彼らにも普通にコーヒーをだしたのだった。
○ ○ ★ ○ ◎




