『※新イラスト有り』90話 愛ある祝福亡き再会《Have A Bad Day》
街並みに紛れると、普段通りの日常がつつがなく行われている。
人々が忙しなく行き交い各々に与えられた役割をこなす。
掲示板を覗いてみてもくだらない話題で盛り上がっているだけ。
やれあそこの店の新商品が美味だの。やれパラダイムシフトスーツの新デザインお披露目だの。バンドメンバー急募だの、と。
どこもかしこも――ネットも現実も――気色悪いほど、お利口さんだった。
高速でスクロールする画面に求める情報はない。飽き飽きするような人々の視点があふれている。
「ダメねネットも情報が統制されてるし、やり方が雑すぎ。今のノアにこんな隠蔽工作が通じるヤツなんていないわよ」
「もしくは雑であることに意味があるのかもしれませんわよ」
杏は、可視化した《ALECナノマシン》の画面を指で弾いた。
横目で「どういうこと?」隣を歩く久須美をチラリと見やる。
「おそらく情報の規制に気づく気づかぬは問題ないのでしょう。なにかを隠しているという事実を私たち民にぼんやりと認知させたい、という考えかたもありますわ」
彼女はシャープな顎に手を添え形の良い眉を深刻そうに寄せた。
口調もそうなのだが気品はある。ただ少しばかり熱量と対抗意識が強いだけ。基本的には慎ましやか。
すらりと足が長く身長も年相応。頭も杏より高い位置にある。目鼻立ちのすがすがしいほど凹凸がはっきりしていた。
杏は、横を歩く年上の存在を改めて認知しながら腕を組む。
「つまり上層部は重要な情報を隠していることは間接的に公言している。だけどお前たちはソレを知りたがるなって脅をかけてきているってわけね」
「あくまで可能性の話ですわ。それでもワタクシたち如きに気づかれるていどのお粗末さには裏を感じてしまいますわね」
久須美はやれやれとばかりため息を吐く。
軽く頭を左右に振る。毛量の多いブロンドの毛束も一緒になって浮き沈む。
真実が覆い隠されてしまっている以上、こうして情報交換をしていてもしょせんは机上の空論にすぎない。
――……それでも私は知らなきゃならないのよ。
だがあの日、ノアが起動したことだけは民全員が認知している。
全長45kmにも及ぶ宙間移民船船全体がフレックスとよく似た光を帯びてブースターを噴かした。
ただブルードラグーンの消失とノアの起動。同時刻に起こったこの2つが繋がっているのかは定かではない。
杏は口惜しさを隠せず親指の爪に歯を立てた。
「……? なによさっきからじろじろ見て? 私の顔になんかついてるわけ?」
八つ当たり。苛立ち視線が隣を歩く久須美に仕向けられる。
ついぞ高い位置から視線が降り注ぐのだからたまらない。
しかも哀れみめいた眼差しをしているのだから余計に腹が立つというもの。
「いえ、杏さんアナタ……」
「余計な気は回さないでちょうだい。それとも――老婆心ってやつかしら?」
杏は、言い淀んだ久須美の隙を突く。
そうやって見下げた仕返しとばかりにニヤリとほくそ笑む。
「だ、誰が老婆ですって!? ワタクシの年で老婆ならアナタも2年後は老婆ですわよ!?」
「あーやだやだ。年を気にする女ほど沸点が低くなるのは世の常かしらねぇ」
「そっちから年齢を話題に上げたくせにいったいどの口がおっしゃっておられますの!?」
久須美はあっという間に怒髪天を衝いた。
打てば響くとはまさにこれ。なにかを言いかけていたがすっかり出来上がってしまう。
そうやってやいのやいのとやりつつも船内の変化は目まぐるしい。
宙間移民船そのものが一体型のアミューズメントテーマパークさながらに建造されている。艦橋地区、居住地区のみならず研究所、宇宙探査用艦船の造船所などなど。人の暮らしをささえる諸々が所狭しと詰まっているのだから手狭にもなろうもの。
そしてエレベーターを下り第3層まで降りると放牧用の酪農施設が視界いっぱいに広がった。
エレベーターの扉が開いただけなのに、まるで別世界。自然を模した風がみずみずしい草花の香りを運び頬を撫でていく。
「目的の御方は本当にこのようなところにおりますの? 確かに美しい草原が広がっておりますけど面白みには欠けますわよ?」
久須美は草原をぐるりと見渡し、首をきょと、と捻った。
なにしろここはノアの民にとってはさも珍しい場所というわけではない。
人工も少なく人通りも稀、いわゆる辺鄙なところ。普通であれば求める人間なんてそうはいないだろう。
杏は、するりと彼女の横を抜けて先を急ぐ。
「いちおうフレンド登録は済ませているしGPSもここだっていってるわ。それにこういう場所は病を治すのに打ってつけって昔から決まってるのよ」
久須美も納得はいかぬ感じで「はぁ……」と、後につづいた。
波打つ草原に敷かれた1本のアスファルトを目印に目的地を目指す。
人工的とはいえ豊かな自然のなかを歩くというのは悪い気分ではない。
「アイツ……ここに連れてきたらどんな顔をしたのかしら……」
風に揺れる横髪を抑えながら震える唇を引き結ぶ。
久須美はちらりと杏のほうを見たが、すぐに視線を逸らし目を背けてくれる。
「楽しみにしていたデート……結局出来ませんでしたわね」
「デートじゃなくて楽しい探しだから間違えないで。恩人だしデートってことにしたいならデートでも良かったけど、それは私が決めることじゃないわ」
「革命の矢――もしリベレーターになってくれたのならアナタのモノになってもいい。そんな馬鹿げた約束をあの方が覚えているとは思えませんわ」
「覚えてるとかそういうのじゃなくて私が本気で伝えた願いをアイツは叶えてくれた。だからアイツが忘れていようとも私は自分の信念に背くようなマネはしたくないだけよ」
約束は断固として守るという杏の覚悟があった。
そこにあるのは自身の意思のみ。固く誓った使命であり浮ついた恋愛脳などではない。
「たとえあの約束をミナトが覚えていてなおかつ拒否しても逃がさないわ。嫌がられないよう私自身が変わっていくだけなんだから」
「せめてそこに照れのひとつでも含まれていれば可愛げもあったでしょうに。なぜアナタはそんなに素直じゃないのかしら」
他愛もない話をしていると、柵に区切られた200×200――2ヘクタールが連なる区域が見えてくる。
それぞれの区切りは動物のリフレッシュに使われるためのもの。人も動物も同じであるていどの自然と自由がなくては生きられない。
そしてその区切られた1画に小くて白い影が丸くなるような姿勢で固まっていた。
「あら? あれは……人、ですわね?」
久須美は手で日差しを作った。
瞳に蒼を宿しながら目を細めて遠見する。
「なぜこのような辺鄙な場所でおひとりでおられるのでしょう?」
「たぶん1人じゃないわよ。んで、そっちの人こそが私たちが懐柔すべき相手ってわけ」
どうやら白い衣服をみにまとう少女は、昼寝をしているらしい。
温もる風をまとい青々と茂るベッドは寝心地がいいことだろう。
そんな呑気な少女の傍らには1台のバイクと巨岩が据えられている。
「もう1人なんてどこにもおられませんわよ? 女の子1人で放置するなんて甲斐性のないことですわね」
「そういえばアンタってあったことなかったっけ。アザーで夢矢のお父さん探したときはキャンプでの回収じゃなかったし仕方ないといえば仕方ないわね」
久須美は「会う?」ぱちくりと丸く開いた眼を瞬かす。
と、あるていど近づいたところで、久須美の足がはたと止まる。
「……? いま、あそこにある大きな岩が動いたような? 気のせいでしたかしら?」
「なんで放牧用の施設にそんなもの置いてるのよ。岩なんか置いたら邪魔でしょうがないじゃない」
久須美の言うとおり、むっくり。少女の傍らに鎮座する岩が動く。
しかも2本の足で立ち上がってこちらに向かってくるではないか。
「岩が立ち上がりましたわよ!? しかもこっちに近づいてきておられられますわ!?」
久須美はたじろぎながらも慌てて徒手の構えをとった。
向かってくる姿はまさに巨人。距離が縮まっていくと人成らざる厚みに――久須美ほどではないにしろ――圧倒されそうになる。
背丈ならまだ人を騙せただろう。しかしなによりも幅がモノを言うのだ。その姿はおよそ人の図体ではない。
「あぁん? なんだおめぇさんは?」
「い、岩が喋りましたわ!? 前人未踏の大発見ですわあ!?」
大男は柵越しに立ち止まった。
慌てふためく久須美を前に短髪の頭をがりがり掻き毟る。
「キーキーキーキー猿みてぇにうるせぇ嬢ちゃんだな。おう、そっちのちんまいのは見覚えあんぞ」
「誰がちんまいよ。とはいえアナタから見れば大抵の人類はちんまいでしょうけど」
杏が気丈に睨みつけると、男は「違ぇねぇや」胴間声で太い喉を転がす。
一見して豪放磊落。巨大な体躯ということも相まって存在感も数倍に膨れ上がっている。
そしてこの男と出会うことが、こんな辺鄙なところに導かれた理由でもあった。
「ず、ずいぶんと交友関係が変わりましたわね? 以前まではこれほど獰猛――おほんっ、ダンディなお知り合いおりませんでしたでしょう?」
「なんで言い直すのよ。っていうかアンタだってキャンプの管理者探してここまできたんでしょ」
久須美なんてすでに怯えっぱなし。
声を潜めながら自分よりも背丈の低い杏の後ろにそそくさと隠れてしまう。
「この大男がアザーに法をもたらし仕切りを行っておられたという御仁ですの!? もっと聡明かつ理知的な御方と存じていたのですわ!? これではどうみてもアザーに堕とされ……い、いえ、やっぱりなんでもありませんわ」
「だからなんで最後まで言わないのよ……そしてなんで微妙に内容が理解できるところまで話しちゃうのよ」
初見の久須美が怯えるのも無理はない――……私だってまだ怖いし。
とはいえこの巨漢がアザーを仕切っていたという事実は変わらない。
そしてその昔、東光輝、ミスティ・ルートヴィッヒとともに第1次革命を図ったメンバーの1人でもある。
「さあて、そろそろ本題に入ってやるとするか」
ひとしきり笑い終えた大男は、熊のような巨体で軽々と柵を乗り越えた。
同時に「ぴぇっ!?」接近に驚いた久須美が小鳥のようにさえずる。
しかし男の目的は彼女ではない。そのもっと背後に佇む細身の影だ。
「よお。ずいぶんと色男になったじゃねぇかよ」
のっしのっし。大柄な肩で風を切りながら歩み寄っていく。
だが、相手は佇むばかりで言葉を返すことはなかった。
「……っ」
ただ、一方的に目を逸らすだけ。
それでも男は作法も礼儀も知ったものかと、向かっていく。
「おいおい数年ぶりの家族との再会だってのに連れねぇじゃねぇか」
「……ディ、ゲル……!」
暁月信は、管理者ディゲルから逃げるように顔を背けた。
対して信に接近したディゲルは、彼の着ているジャケットの襟首を勢いよく捻り上げる。
「なあ? なんとかいったらどうだ? 久々の再会を祝してハグでもしてやろうか?」
威圧。それも身体に蒼をまとうほどに本気の圧だった。
「……スマン……あの時の約束は守れなかった……」
「あんだぁ? 相変わらず他人嫌い発動して喋り慣れてねぇのか? 声が小さすぎて聞こえやしねぇなぁ?」
誰がどう見たって一触即発の空気が立ちこめていた。
当たり前だが信のほうが実力は上のはず。第2世代をコンプリートしている彼に喧嘩を売れる人間なんてノアにはいない。
しかしそれでも信はされるがままだった。
とうに踵は大地から離れるほど強靱な力で吊り上げられてしまっている。
「ど、どどどうし、どどうしど、どどどどどうしどど!」
「あーもう。なにかしらの信頼関係にあると思ってたけど、まさかの因果関係だったとは思わなかったわね」
「どーどど、どどーどど、どどーどどど!」
「アンタはさっきから耳元でウッサいのよ! どうしましょうくらいひと息で言いなさい! あと私の身体にしがみつきながら揺らすな!」
とりあえずはっきりしてるいこと。久須美は使い物にならない。
いちおうここまでは1人でもアテがあったのだろう。しかしディゲルの巨体と強面を見て完全に怯んでしまっている。
杏は頼りにならぬ友人に代わって勇気をだすことにした。
「ちょっとちょっといい加減にしてよね! そっちにもなにか理由があるのは理解したわ! だけど順番を守って私の話を先に聞いて貰えないかしら!」
やっぱり怖いけど、進まねばはじまらない。
怯えを隠すため眉と目尻を吊り上げる。堂々とした立ち振る舞いで大股気味にのしのしと歩み寄っていく。
「信だっていきなり怒鳴りつけられて胸ぐら掴まれてちゃ喋れるものも喋れないでしょ! そういうすぐ暴力を1番にもってくるヤツって大っ嫌いなのよね!」
怒鳴りつけながらディゲルに腕を下ろすよう手を伸ばす。
すると、飛びついた小柄な杏の身体が容易く浮いてしまう。
それでも浮いた足をぱたぱたさせながらがんばる。
「うぬっ!? く、くのぉ!? う、うごきなさいよ!?」
飛びついた先はさながら固定済みの鉄筋だった。
小柄とはいえ1人分の体重が乗ってもなおディゲルの腕はぴくりとしない。
すると勇気の顔立ちが徐々に羞恥へと変化していく。
「――ッッッ!!」
別に引き倒してやろうと思っていたわけではないのだ。
ただ暴力的な行為を止めさせようと奮い立った。仲介して話を先に進めたかった。
なのにこの非力で小さな身体は、両足を浮かせぷらぷらとぶら下がっただけ。喧嘩を止めようとしたのに杏だけが遊具でふざけているみたいな構図になってしまった。
恥辱に耐えかねた杏は、すとん。ディゲルの腕から手を離し、地上へと降り立つ。
「……あんたら……やめなさいよ……」
もう止むに止まれぬ。悔やみきれぬ。
前髪で隠れた目は真っ赤になっているし、耳にだって血が巡ってしまう。
「あんたらいいかげんにやめろっていってんでしょッ!!!」
そして杏は、男2人を――涙目で――叱りつけた。
あまりの気迫。渾身の一撃と揶揄しても良いほどの怒濤の怒り。ついでに蒼も立ち昇る。
すると叱られた男たちもまた愛くるしい存在に怒鳴られて熱を失っていく。
「な、なあ……ディゲル、ちょっといいか」
「あ、ああ……なんか色々どうでもよくなっちまうくらい罪悪感のほうが勝ってきちまった」
小さな勇気――と、大きな恥――が勝利する。
杏の大活躍により、信とディゲルはようやく正気をとり戻したのだった。
「信。オメェにはミナトの最後の言葉が聞こえてなかったみてぇだな」
「――ッ!」
「だがまあいい。よく無事に戻ったな。おけぇりさん」
ディゲルはフフと口角を緩めながら大きな手で信の頭を乱した。
「薄々予想はついてるが、ちんまい嬢ちゃんも話があんだろ。なら立ち話もなんだからついてこいや。ここでならアザーではだせなかった茶くらいだしてやれる」
振り返って見せた背は、どうしようもなく広く男らしい。
「……誰がちんまいよ、ったく」
杏は肩頬にぷっくり空気を集めながらそのあとにつづく。
なぜだかディゲルの背に憂いを帯びているように見えた。
その後、昼寝から無理矢理起こされたチャチャが信を見てしばらく号泣した。
どちらかというと彼は、ディゲルの時よりよほど慌て、困り果てていた。
… … … … … …




