87話 蒼の介入、縁の異世界《BLUE Meets WORLD》
先陣となる男から怒号の如き奮起が発された。
それだけで空気が揺らぐ。各々がもつ武器の切っ先が小刻みに震える。
ふぅぅ、と。東は星を散らした黒きビロードの空に熱い吐息を吐ききった。
「はっ、はは。これはこれは……致しかたあるまい」
下した決断は、お手上げ――ハンズアップだった。
苦悩の末に導きだした策は、投降。誰も傷つかぬ唯一の安全策。
決して最善策とはいえない。仲間たちと引き離されるのは実質的な敗北でしかない。それに敵に生殺与奪を任せるというもっとも愚かな策である。
「抵抗はしないし船のなかをくまなく調べてくれても構わない。だからそちらさんがたも物騒な武器は下げてくれまいか」
東は敵意の抜けた表情でフフ、と頬をやわらげた。
これが精一杯だった。望まれる大人として全力を尽くした。リーダーとしては1流かもしれないが望まれる大人としては2流以下の決定。
「投降しよう。こちらに争う意図はない」
「最良を望むか。であればこちらとて粗暴に扱うようなマネはしない」
男は血振りの動作を入れてから剣を鞘へとおさめた。
「それは助かる。メンバーたちも武器を捨て敵意がないことを示すんだ」
不本意な決定に仲間たちが狼狽する。
場をとり仕切るのは年長者の役目。だがそれに若者が必ず従うとは限らない。
「テメェ本気なのかよ!? このまま牢屋にぶちこまれれば見知らぬ土地で散り散りになるってことだぞ!?」
その尤もたる代表は、ジュンだった。
東は子を撫でるような声色で彼を諭す。
「全員武器を捨てて投降だ。これは決定事項であって異論は認めん」
「フザケんな!! 俺たちは無罪だってのになんで濡れ衣を喜んで被らなきゃならねぇんだ!!」
彼の言い分も情熱的ながら間違っていなかった。
ただそれは彼が才を生まれ持っている過信でしかない。
ジュンは蒼色症候群であるという特別を所持している。
もし彼だけならこの場をしのげたかもしれないし、上手く逃げられたかもしれない。今だって自信があるから仲間の総意を受けているにすぎず。
東はそっと彼の肩に手を触れる。
「ジュン……お前には力がある。だがお前以外の連中はお前のように特別じゃない。それだけは忘れるな」
「――ッ!?」
ジュンは虚を突かれるようにたじろいだ。
それから見えていなかった後方の仲間たちをぐるりと見渡す。
この場にいるメンバーたちの全員がジュンのように血気盛んというわけではない。
言い争う2人の行く末を怯えながら見守っているモノもいた。
「……わかった。ちっと頭に血が上り過ぎちまった……すまねぇ」
地に突き立てた幅広の剣からジュンの手がするりと落ちた。
ジュンが折れたことで場の決定が下る。仲間たちが1人また1人と武器を青草の上に放りだしていく。
そして最後の武器が大地に寝そべった辺りで銀髪の男が口を開いた。
「賢く優秀な子供たちだ。しかしもしこれでそちらに聖女様誘拐の罪があったとするならば正しき法の下にて裁かせてもらう」
「ならば俺たちはあんたさんがたの国に秩序ある法が敷かれていることを望むだけだ。捕まったら最後、魔女裁判のような悪魔の証明を求められては困り果ててしまうからな」
「神の名の下に誓い公正かつ厳粛な判決を下す。神は常に我々の行動を天界より御見据えくださっている」
魔女に対して神ときたものだ。
東の軽口に対して軽口で返す辺り、男も存外ノリはいいのかもしれない。
勇壮な傷顔の男は、東を軽くいなし終え、部下へ指示を飛ばす。
「周囲警戒をつづけながらこの者たちの手を縛れ。抵抗や不意打ちを企む者に情は要らん。しかし従順な者に暴力を奮うこともまた許さん」
指示された部隊の数名が構えを解いて歩みでてくる。
なおも油断せず。部下たちは包囲縮小をしながらいつでも攻撃できるよう陣形を整え詰め寄っていく。
「一時的ではあるが拘束させてもらう。お前たち人間の力というのは侮れるほど容易なものではない」
――……未開惑星の住民がフレックスを知っている?
「こちらの世界では蒼力と呼ぶが……――ムッ?」
東が疑念を抱いていると、ふいに男の高い鼻先があちら側を差した。
そちら側には、なだらかとは決して言い難い急斜面がある。
日が落ちてだいぶ時間が経っているため見通しは悪い。だが、小さななにかがこちらへ向かって近づいてきていた。
「気配が接近してくる……あれはいったいなんだ?」
男は即座に構えの姿勢をとって剣の柄に手をかけた。
東も赤く微睡むような月明かりに照らされた坂を注視する。
「……なにかが……転がってくる……」
瞳に蒼を宿し闇夜を見通す。
意識して夜を睨むと視界の正確性を向上していく。
東のもつ第1世代フレックスは身体能力強化。そのなかには視認性の鮮明化や聴覚の鋭敏化なども含まれている。
こうして視界に意識を送ることで遠景の眺望も可能だった。
「あれは……生き物か!?」
鮮明化された視界に、斜面を猛スピードで転げる謎の物体があった。
しかも勢いをそのままにこちらへ一直線に向かってきている。
仲間たちも「なんだぁありゃ?」「人くらいの大きさだね」「いやでもちょっと大きめかな?」「んぇ……まだ夜じゃん」見えているが、なにかまでは判明しない。
この場にいる敵味方すべてが異変を察す。全員が敵味方問わず動きを止めて、物体の到来を待つ。
転げてくる物体は平地に達して徐々に速度を弱める。そしてちょうど東と傷顔の男との狭間にごろりと横たわる。
「バカなッ!? どうしてこんなところにコイツがッ!?」
それを視認した東は、直後に心臓を鷲づかみにされたような衝撃を覚えた。
なにせごろりと転げたのは見覚えのありすぎる少年である。
幼児のように丸くなってピクリとも動こうとせず。どうやら気絶しているらしい。
草原の上に寝そべったまま呼吸のみをつづけている状態だった。
「え、嘘、どうして坂の上から!? ダメだ気絶してる!?」
「あまり触ったり揺らしたりしたらだめ! もしかしたら脳や内臓に傷があるかもしれないわ!」
夢矢とヒカリが慌てて気絶したミナトの元へと駆け寄った。
手慣れた動きで彼の状態を確認していく。
「ミナトくんのALECなのコンピューターからステータスを確認、完了。状態は脳震盪と過労、それから打ち身、打撲、擦り傷……あと空腹、脱水かな」
「あらら、かなり酷いけど動かしても問題はなさそうね。脱水状態のステージによっては船内から点滴をもってこないとマズいかもだけど」
「本当に無事でいてくれて良かったぁ! はぐれたあとも合流するためにずっと僕らのことを探してくれてたんだぁ!」
夢矢は目元に浮かんだ涙を袖でぐしぐしと拭いながら生存を喜んだ。
気絶している彼は、お世辞にも清潔とはいえぬほど汚れきっていた。全身にじっとりと汗を滲ませ制服に大きな汗染みを作っている。
葉や泥が服や頬や髪にこびりついてさながら遭難でもしてきたかのよう。
だからといって状況は芳しくない。なにしろ異星の民によって拘束される数が1人増えただけに過ぎないのだから。
「あれ? ミナトくん……誰かを抱きしめたまま気絶してる?」
夢矢はくりくりとした目を見開いた。
横たわるミナトの腕のなかに、もう1人いる。
銀色の頭を胸におさめるようにし、気絶してもなおしっかと抱きかかえていた。
「女の子……かしら?」
「でもこっちの子も気絶してるね?」
ヒカリは恐る恐るといった様子で銀色の頭に手を伸ばした。
と、そこへ傷顔の男がラメラーアーマーを喧く鳴らしながら割って入る。
ヒカリは慌てて手を引くも、男は些末なこととばかりに横に膝を落として座り込む。
「これは……この少年は君たちの仲間で間違いないか?」
「え……は、はい! 彼は私たちの友だちで、ここに落ちてくる前に空ではぐれてしまったんです!」
傷顔の美丈夫は「……そうか」割れ鐘の如く太い喉で唸った。
それから剣を置いて手甲を外す。大きくも筋の浮いた手で眠るミナトと少女の状態を触れて確認していく。
他の兵士たちも、イージスのメンバーたちも、緊張を孕みながらその様子を眺めていた。
「近衛聖騎士フィナセス・カラミ・ティール。聖女様の身近に遣わす貴様ならこの状況をどう考える」
男は視線さえくれずどこへやらかに呼びかけた。
すると背後には先ほどまで東と対話していた白き鎧の女性が佇んでいる。
彼女は、広い腰に手を添え指を唇の前に立てながらしげしげと覗きこむ。
「誘いの森の方角から転がってきたことを鑑みるに聖女様は私たち祭りの護衛役をわざと振り切ったとみるべきね」
「実力を知る我らとともにいれば即刻反対されると知った上での謀略か。しかし災厄の森へ単身忍びこむとは無謀なことをなさる御方だ」
「まだ未熟であるからと控えていた聖女様を無理くり王座に座らせようとした貴方がそれを言う?」
女性はむぅ、と愛らしげに口をへの字に歪めてみせた。
しかし男のほうは一切気にした様子はない。聞こえているが無視をしているといった感じ。
ミナトと少女を静かに引き離してからどちらも草のうえで仰向けに寝かせる。
「強力な力によって両足がへし折られている。そして微かにオーガ特有の腐臭も香る」
少女の白く清らかな足には添え木と思しきモノが両方に添えられていた。
脛のなかほど辺りが特に変色している。目を背きたくなるほど痛ましい。
白鎧の女性と傷顔の男は淡々と言葉のみを交わしていく。
「我らはエーテル族。安易に雑魚や他種族に負けるほどヤワではない。つまりオーガに敗北しヤツらの習性によって足を折られたと見るべきか」
「たぶんオーガに敗北してすぐ彼が現れて救出したんだわ。じゃなかったらとっくに今ごろ巣穴に連れこまれてるはず」
推理していく。早さは検死官さながら。
物言わぬ2人の眠る姿のみで、ここに至るまでの経緯を辿る。
「待って。この子……なにをもっているのかしら?」
その時白鎧の女性のほうがはたと銀目をとめた。
見つめる先には少女がいる。そして薄い胸に円形状のモノが大事そうに抱かれていた。
女性はそれを指で摘まむと、少女の手からとりあげる。
――透明かつ巨大な凸レンズ? なんでそんなものを?
東の目にはそれがなんなのか判断がつかなかった。
「ありゃなんだ? 眼鏡のレンズにしてはやけにでけぇな?」
「昔のアナログカメラなんかに使われていた遠望用高倍率ズームレンズならあれくらい大きさだね」
「なら相当な骨董品じゃねーか。今なんてALECナノマシンを使えば速射即撮影可能だから使い満ちねーけどな」
ジュンと夢矢も揃って首を捻るばかりだった。
だが、あちら側からはまったく異色の反応を引き起こす。
「こ、これって――まさか!? ビッグヘッドオーガの角膜!?」
女性が慄くと、伝播するかのようにざわめきが広がった。
どよめきというより戦慄に近い。もはや東たちさえ目に入っていない様子で慌てはじめる。
「ビッグヘッドオーガといったら突然変異種だぞ!? 村1つを半刻で根絶やす最強格の魔物じゃないか!?」
「それを聖女様が単身お倒しになられたということ!?」
「いや、両足が折られているということはおそらくビッグヘッドは聖女様を巣に運ぶつもりだったはず! つまり聖女様自身を敵や脅威とすら考えていなかったということじゃないのか!」
つ、つまり……? 驚愕の雑兵たちは一斉に1点へ視線を集わす。
どの兵も同じく銀眼をしている。そのなかには平等に怯えのような色を含んでいる。
視線の先にいるのはたった1人のみ。薄汚れた痩せぎすの少年が浅い呼吸しながら眠りつづけている。
「こ、この少年……単身でビッグヘッドオーガから聖女様を救助したのか……?」
どこからかの兜の内側から震える声で、そう言った。
しばしの静寂が場を覆い尽くす。あれだけ騒乱となりかけていたはずの元凶たちが指1つ動かせず佇むばかり。
こちらはこちらで理解が及ばぬため身動きがとれずにいる。
わかることは1つのみ。はぐれたはずのミナトと一緒に転げてきた少女が普通ではないということくらい。
「まさかミナトが抱えてきたこの女の子こそがアイツらの探してたっつー聖女様とやらなんじゃねぇか?」
しばし呆けていたジュンが呑気に口を開く。
ようやく事態に気づいた周囲のメンバーたちも火が着いたかの如く歓喜の声を上げた。
「だとしたらそれってもの凄いことだよ! 僕らと合流するだけじゃなくて人助けまでしちゃうなんて!」
夢矢はその場でぴょんぴょんと跳ねだす。
控え目に拍手を打ちながら瞳に星を散りばめる。
「それってつまり私たちが無罪だっていう証明する唯一の方法よね!? これで私たちの誤解はとけたってことじゃない!?」
ヒカリはほっと柔和な胸を撫で下ろした。
眉に掛かる短な前髪の辺りを袖で拭う。浮いた嫌な汗を拭う。
ミナトの登場によって互いに争う理由はなくなった。行方不明となっていた少女誘拐の誤解は解けたということなる。
どころかミナトが聖女とやらを連れ戻したことにより無罪証明のみならず貸しまで作ってみせたということになる。
――ッッ、コイツやりやがった!!?
この怒濤と食らいついてくる感情は果たしてなんなのか。
東は己の中で荒れ狂うような雑踏とした感覚に戸惑っている。
普通であれば仲間の無事に安堵し歓喜する場面だ。なのになぜこれほど鼓動が跳ね口角が吊り上がるのか。
無意識のうちに口端が鋭角に上がって犬歯が剥きだしとなっている。
周囲から見れば笑っているように見えたかもしれないが、拳は己の意思と関係なく解けぬほどに強く握られていた。
燃えるようでいて腹の中を無尽蔵に掻き乱されるかのよう。この憎悪とも情熱ともとれる暑さに身を焼かれそうだった。
「先の不定な行動失礼致した。どうやら貴殿らに対し大きな誤解を生じさせてしまっていたようだ」
それが歩み寄ってからの第一声だった。
傷顔の男は東たちの前にやってくるなり腕を真横に構える。
それから敬礼ともとれる所作で胸板の前で固定した。
「我らエーテル族は彼の者に対し剣ではなく忠義と誠意を示さねばならなくなってしまったらしい」
後方ではすでに白い鎧の女性が先導し、撤退の準備がはじめられている。
東たちに向けられていた警戒の一切が解かれていた。
「この少年は我ら一族が神より賜りし聖女――テレノア・ティール様を御救助くださった。ゆえに貴殿らに掛けられていた嫌疑は晴れたということに他ならぬ」
男は一瞬ちらりと横たわるミナトのほうを見た。
1度顔を伏せてから天を仰ぐ。瞼を閉ざして冷えた空気を胸いっぱいに吸いこむ。
最後にぐるりと東たちの顔を見渡し眼光を細める。
「この者と聖女様の治療を含め貴殿らを聖都へご案内させていただこう。謝罪の意も籠めて貴殿らの身の安全は我ら月下騎士と聖騎士隊が保証する」
銀燭の瞳が東に伺い立てるよう向けられた。
右も左もわからぬ地。この申し出はありがたいことこの上ない。
東もまた理知的かつ柔軟な彼に習って姿勢を正し対面する。
「では晩飯と情報を提供していただけるだろうか。こちらは頭が回らぬほど混濁と空腹に苛まれているんだ」
「現在の聖都では聖誕祭と呼ばれる祭事が行われている。そこで浴びるほどの酒と飽きるほどの料理を望むならば是非宴の席を用意させていただこう」
それを聞いたメンバーたちは疲労した表情をぱあ、と輝かせ歓喜の声を上げる。
とにかく首の皮1枚で繋がった。なにもわからない状態で分断され投獄される最悪の事態だけは避けることに成功する。
あの時とまったく同じだった。たった1人がすべてを変えてしまった。
光無き明日に朦朧とし死さえ望んだノアに現れたただ1つの灯火によって……
――やはりお前には俺の叶えられなかった……諦めてしまった夢のつづきを。
横たわる少年は今ごろ深い夢のなかをたゆたっているのだろう。
守り抜いた仲間たちの歓声を子守歌代わりに明日を待つのだ。
「どうした東! 戦わないで済んだんだからもっと喜べよ!」
こちらの気さえ知らず。
若人たちはすっかり緊張を忘れ諸手を挙げて浮かれている。
「はっはっはァ! 晴れてより自由の身となったわけだ! ここから船の修理に現状把握と、より忙しくなるから覚悟しておけ!」
東が鼓舞すると若人たちは一斉にげんなりと肩を落とすのだった。
そして静寂を待っていたかのよう同じ姿勢のまま待機していた男は、恭しく1礼をくれる。
「ようこそ間もなく滅びゆくルスラウス大陸世界へ。我々大陸種族は貴殿ら人種族による再びの介入を心より歓待しよう」
そう言って男は不敵な笑みを傷顔に貼りつけた。
月の描かれたマントを翻しあちら側へと颯爽と去って行ってしまう。
今宵空に掛かる雲はなく、晩秋に似た心地よい肌寒さを覚える。
そんな湿度のない透けるほどに透明な空には、紅と蒼、2つの月が浮かんでいた。




