86話 双月の夜にアイマショウ《Waiting For》
「む、無視しないでくださぁい!」
ミナトが急ぎ脱出口を探っていると、少女のいたいけな叫びに思考が乱された。
背負われた銀髪の少女が瞳を滲ませながらこちらを見ている。
幽体少女はベソをかいた横顔を横目にぽんと手を打った。
「そういえばこの子もエーテル族だったね。連中も同族だし預けたら治療して都に連れ帰ってくれるかも」
そう言って少女のウェーブがかった銀色の滑らかな髪を梳くように優しく撫でた。
「……。なあ、さっきからヒュームだのエーテルだのってなんの話してるんだ?」
ミナトは嫌悪感をいっぱいに浮かべた。
無視するにも限度がある。なにやら先ほどから訳のわからない単語が左右を行き交っているのだ。
眼下に広がる雄大な景色だって不快感の一端を担っていた。加えて魔物やら魔法やらといつ脳がパンクしてもおかしくないほど情報が錯綜している。
ただわかるのは、ここはなんとなく地球じゃなさそうかな、ということくらいだった。
ミナトが顔をしわくちゃにしていると、幽体の少女はさも当然とばかりに指を振る。
「ああそっかそっか。君は大陸にやってきたばかりの人間だからわからないのも当然だよね」
にんまりと花咲くような微笑を貼りつけ、臆面もなくそう口にした。
その直後に背負われた銀髪の少女の身体が大きく跳ねる。
「人間!? 貴方って人間さんなんですか!?」
目を爛々と輝かせながら前のめりにミナトの顔を横から覗きこむ。
これほど不名誉なこともない。まさかこれだけ時を共有しても人として認知されていなかったとは。
「オレが人間じゃなかったらなんだっていうんだよ!? まさかさっきの化け物にみたいに見えるってか!? もしそうだとしたらこの場で泣いてやるからな!?」
銀髪の少女はわなわなと全身を小刻みに震わせながら幽体少女と見つめ合う。
「ほ、本当にこの方は人間さんなのですか?」
「依り代にしてる僕が言うんだから間違いないよ。彼には体内マナと魔法の才覚が微塵もない」
幽体少女が眦を下げると、銀髪少女はこくりと喉を鳴らす。
「前聖女様の残された文献にあった通り……! 魔法の使えぬ優しくも勇敢な種族……!」
すっかりミナトは放置で2人の間だけで話が膨れ上がってしまう。
こちらで喧々諤々としている間にも時は止まらない。
事態は少しずつだが確実に悪い方向へと流転を開始していた。
遠方の仲間たちの声を拾うALECナノコンピューターが、新たな展開を示唆してくる。
『フィナセスそこまでだ。もう彼らに猶予は十二分に与えた。ここからは手荒だが確実な方法をとらせてもらう』
月を羽織る長身の男が、白鎧の女性の隣へと並ぶ。
『聖誕祭の刻限も近づいてきているゆえ粗暴な手段も致しかたなしだ。聖女様には神へ捧ぐ供物を用意していただかねばならぬ。これ以上の邪魔立ては感化できん』
男は厳格という言葉を現実に昇華するかの如き精妙なる佇まいだった。
低く男らしい声には初めて会った人間であっても否応なく威厳を感じてしまうほど。
そして男の登場によって場の緊迫感が段違いに跳ね上がっていった。
『もし狙うのであれば手足を重点的にお願い。あの者たちを殺傷することは断じて許されないわよ』
『我とて無心に殺生をする無法者ではない、やりかたは心得ている』
白鎧の女性は、男と軽く言葉を交わしてから後方に引いていった。
それと同時にあちら側の兵たちが武器を構えはじめる。
遂に堪え兼る。業を煮やす。東たち目掛け次々に弩の照準が向けられていく。
こうなってはもはや東たちも動かざるを得ない。
『せめてフレックスを使って壁くらいはこさえておくか! こっちだって戦えるっていう脅しくらいにはなるぜ!』
ジュンは肩に背負った幅広の鉄塊を地に突き立てた。
得意の第2世代能力《不敵》の始動準備を整えた。
『いや、まだだ。下手に刺激したくはない』
しかし東は至極あっさりとした口ぶりで提案を放棄した。
『な、ならどうするの? 抵抗しないで連行されても安全だっていう保証はないよ?』
『捕虜みたいな感じにされちゃうなんていやよぉ……。だって本当に私たちはきたばかりでなにもしてないのにぃ……』
後ろに並ぶ夢矢とヒカリは不安いっぱいに表情を曇らせる。
これから無数の矢が飛んできて身体が穴だらけされるのだ。不安どころか逃げだしたくてたまらないはず。
それでもやはり東は静かに首を横に振る。あちら側の男を睨みつづけるだけ。
『見たところ連中は近郊に暮らす原住民かなにかだ。船の修理という長期的な滞在を鑑みれば和解する以外に道はない』
『だからってなにもせず怪我だけしてろってのか! 一方的に攻撃してくるような連中と仲良し小好しが出来るわきゃねーだろ!』
ジュンの怒りも東の考えも、どちらにも理屈はあった。
相対的な見解。戦えば死者がでる。そうなれば敵が増えるということ。
冷静な見通しをするならば無罪であると証明する東の提案のほうが――大人らしい。
だが、大人であることを強制されてはいそうですか、なんて。言えるほど大人になれていない者もいる。
「――きゃっ!?」
突飛な揺れに銀髪の少女がか細い声を漏らす。
ミナトの身体は裾のように広がる急斜面を考えなしに駆けだしていた。
「もうこうしちゃいられない! とにかくでていって合流してからなるようにする!」
一瞬あっけにとられていたが幽体少女も慌てて後につづく。
「あーもう!? ビッグヘッドのときもそうだったけど君ってけっこう猪突猛進タイプ!? なにか有効な手段とかあるのかい!?」
「いざとなったら背負ってる大荷物を交渉に使ってやるさ! こちとら1日1善で善行を積んでるんだから悪いようにはされないだろうよ!」
「そういうのを当てずっぽうって言うんだよぉ!」
切り札の少女を背負い決してなだらかとはいえぬ斜面を駆け下りていく。
1分1秒を争う場面だった。飛びだすという判断を下すのに時間をかけすぎてしまった。
あちら側ではいつ衝突が起きてもおかしくはない状況。まだ距離がかなりあるというのにじりじりとヒリつくような緊張感が遠く離れたここにまで漂ってきていた。
「せめてオレが風向きを変える材料になってやる! 東ならきっとそれだけで別の手を見つけだす! こちとら1日に4回も死にかけてんだからどうにでもなれ!」
ミナトの疲労した身体は仲間たちの怯えた顔を見て再点火する。
目前に迫る。本当に最後の体力を振り絞る。
呼吸のたび絡んだ痰がぜぇぜぇいうし、足の感覚はないに等しい。
それでも夜風をまといながら全力で坂を下っていく。
「ずいぶんと仲間を信用してるんだね! 命懸けの場面で誰かを頼れるなんてよっぽどだよ!」
「これは信用じゃなくて強制とか押しつけだ! それでどうにもならないならオレはもう知らん!」
幽体少女も無謀な無茶に付き合ってくれるらしい。
姿勢低く足音さえしない。まるで影に潜み隠れるようミナトと横並びになって夜に溶けこむ。
踏みなれぬ草の感触を踏みしめ全力疾走する。
そうしている間にも東たちと軍の距離が少しずつ詰まっていくのがわかった。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……!」
疲労はもはや視界を覆うほどに達している。
夜はいつも以上に暗いし、脳にも足にも血流が巡ってこない。瞼を閉じているのか夜の闇を映しているのかさえ定かではなかった。
坂は急で背に少女を抱え体力も限界。
そしてミナトにとっての見逃しがあったとするなら1つあった。不毛の大地に根づいて生きた身に青々とした緑は経験皆無。
だからこうして朦朧としながら走っていると足が唐突にもっていかれる。
「――あっ」
ずるり。
「きゃっ!?」
少女の短い悲鳴が耳元で聞こえた。
しかし気づいたときにはもう遅い。夜露に濡れた若草に足をとられバランスを崩しかけている。
そしてミナトはなんとか体勢を立て直そうと踏鞴を踏む。よろめきながら後方に傾いた体重を前にかけ直す。
「ぐへっ!?」
立て直しきれず思い切り頭からヘッドスライディングを決めた。
これが普通の平地であれば痛みと羞恥を覚えるくらいで済んだのだろう。しかしここは急激な坂の途中。
「お? おおおおおおおおお!?」
ヘッドスライディングの勢いそのままに猛烈な速度で坂を滑落する。
ここからはもう足を動かす必要はなかった。
さながら芝滑り。背に1人分の体重が乗っているため止めようがない。
「きゃああああああああああ!!?」
「今日こんなのばっかりかあああ!?」
ミナトは少女を乗せたまま数10メートルを凄まじい速度で滑り降りていく。
………………
「武器を捨て投降し事を荒立てずに済ますか、それとも戦士としての蛮勇を奮うか」
静寂をまとう男は清雅だった。
いやに鼻が高く堀が深い整った顔立ちには品がある。それでいて剣を手にする姿は様になる。
こちらへ1歩踏むたび小札つきの鎧がしゃなりしゃなりと拍子を打った。
「後悔無き側を選ぶと良い。どちらを選んだとて我らにとっては詮無きことだ」
求められている選択は、ただ1つきり。
先の白い様相の鎧をまとった女性のほうがまだ権利を許してくれていた。
だがこの男はまったく別物だ。なにせハナからこちらを悪として決めつけているのだから話が通じるわけがない。
「――っ」
東はあまりに無茶な選択を迫られていた。
白羽織に隠した腰の銃hえ手を伸ばしかけるも、抜けずにいる。
戦闘行動に入れば間違いなくどちらかに怪我、あるいは死傷者がでる。
それだけならまだ良い。この手が穢れるだけだから。しかし若者たちの手に生者の血を吸わせるのは、責任ある大人のすべき選択ではないのだ。
「どうする東!? 武器を捨てればいいのかやり合うのかさっさと決めねぇと先手をとられて壊滅すんぜ!?」
「ジュンは防御役だからわからないだろうけど僕らは違う! 僕らの攻撃は人に向けていいものじゃない! かならず死者がでちゃう!」
「ここはいったいどこなの!? なんで宇宙なのに呼吸可能な場所なんてあるの!?」
錯乱とはまさにだ。
やる気なジュンを止めるよう夢矢が立ちはだかった。
ヒカリやその他船員たちはあまりの事態に混濁し、慌てふためいている。
冷静な判断能力。異常事態においてもっとも重要なファクターが全員から抜け落ちていることを指していた。
――言葉は通じる、意思疎通も可能。だがコイツらは俺たちに聖女という特別に大切ななんらかを求めている。
瞳は対峙する男を睨み、思考をぶん回す。
ここはどこかという疑問は論外だった。
整理もつかず降り立った直後だというのにこのザマとは笑えない。
しかも緊急着陸決行した直後に捕らわれてしまっているため情報は皆無。正答へ辿りつくにはなにもかもが足りなかった。
「これではまるで寝物語……ははっ、あるいはお伽噺だ」
余裕がないため笑みでさえままならない。
口角はヒクヒクと痙攣し額から流れでる冷や汗が前髪を貼りつかせる。
「敵対対象は揃いも揃って美男美女か。この時点で俺たちとの血に差異がある」
東には目の前の連中が人に思えず。
なにせどれもこれも型遅れの装備だ。連中の装備はまるで西洋甲冑。しかも鉄鋼の鉄器如きを武器ときている。
従えているのもただの馬ではない、翼の生えた馬に鷹顔の4足動物。生涯見たこともない獣やらまでいるではないか。
口を開いた闇の喉元を過ぎたら別世界、なんて。冗談で済ませて良い代物ではない。
「時間は有限であり無限にはなり得ない。そちらが決めあぐねているというのなら動けるよう手を差し伸べてやるとしよう」
そう言って男は月の描かれた勇壮なマントをわあ、とはためかせた。
背より抜き放たれた剣身はおよそ3尺3寸――1mほどもある長物だった。
そして闇に灯る銀の意思は決裂を意味する。男の抜剣に合わせ後方の部隊も杖やら細剣やら帯びた武器を次々構えだす。
痺れを切らす。張り詰めすぎた緊張の糸がいよいよぷつりといこうとしていた。
「さあ選べ! ここで我ら聖都イェレスタムの精鋭とともに夜に舞うか!」




