85話 旅の終焉に《END OF DAY,DREAM》
どれほど歩いたのか。小休止は幾度と重ねたがまともな休息はないまま強行がつづく。
すっかり日はとっぷりと暮れ帳が降りきり星々がたゆたう時刻。名も知らぬ鳥が止まり木に帰ってほうほうと今日の締めを歌う。
正直なところ脚が痛くなってから距離を数える余裕すらない。
「君がんばってるけど本当に大丈夫なの? やっぱりこの辺でキャンプしたほうが明日のためになるんじゃない?」
「ハァ……ハァ……ハァ! お、オレの予想だともうちょいで目的地だと思うんだ!」
ミナトの体力は限界をとうに超えていた。
幽体少女が身体を傾けて心配そうに覗きこむ。
それほどまでに息も絶え絶え、死に物狂い。喉もカラカラでそろそろ唾液腺も乾く頃合い。
「あと少し……あと少し進めばオレの仲間が墜落した事故現場のはず……!」
脚を止めるという選択肢はハナから用意していない。
とにかく仲間と合流し安否確認をすることのみに心を燃やしつづける。
「君の友だち……つまり同種がいる、か。ある意味前代未聞の事態といえなくもないのかなぁ」
幽体少女は短刀を片手に長いまつげの影を伸ばす。
目を細め物憂げな横顔をする。しかしどこかイタズラめいた子供っぽい含みもあった。
「つーかお前も1度くらい背負う役変わったらどうなんだ!? なんでオレだけこの子のマイシートみたいになってるんだよ!?」
「僕は護衛役っていう超重要な役割をこなしているから気が抜けないんだよね。それに女の子を背負うなんて男子の夢だろうし、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
「いらねーよそんな余計な気づかい背負って10分ですでにドキドキは疲労の動悸動悸になってんだ! でも護衛役の件は一理あるからわがままいってごめんこのままがんばるッ!」
少女が懸念するようなうつつを抜かす余裕はとうに失せていた。
背に女子の温もりがするだの、白い太ももが柔らか滑らかだの、腰回りが男より広いだの。ミナトにだって背負いはじめのころは思うところもあった。
だが今はもうただ重いだけという感想しか湧いてこない。女子に重いという単語は失礼というが、10kg以上は普通に重い。
「ハァ、ハァ、ハァ! コレ明日絶対動けないくらい筋肉痛になるやつだ!」
「僕が憑依したときもけっこう無茶な動きしたからねぇ。そうでなくともガリガリの身体してるんだからこの機会にもっと筋トレとかやればいいさ」
ミナトは、少女のぼやきを無視しながら1歩1歩を確実に刻んでいく。
脚が棒になるとは良くいったものだ。大地を踏むたび膝がガクガク震えた。
そうやってがんばっている最中、唐突に「うふふっ!」鈴を振るような音色が響く。
「おふたりは旧知の仲なのでしょうか? とても心が近くにある関係のように存じます」
背負われた少女は華やぐ笑みを浮かべながら肩を寄せた。
ミナトは不快を隠そうともせず眉根をうんと寄せる。
「オレは化け物を5秒で分割するような幽霊とそこまで仲良くなった覚えはないぞ」
「なんだかんだ僕らは出会ったばっかりだし、正直なところ行きずりな関係だからねぇ」
2人はほぼ同時に密接な関係を否定した。
銀髪の少女はさも意外そうに「そうなんですか?」目を丸く瞬かせる。
「おふたりともヒューム種のうえ希少な冥府髪なのでてっきり深い繋がりがあると思ったのですが……」
「確かに黒い髪は大陸上かなり珍しいけどねー。でも僕らの年齢でいったら母親くらい離れてると思うよ」
「嘘つけよ。どうせおばあちゃんくらい離れてるだ――いったぁ!?」
すぱぁん、と。少女の強烈な1撃がミナトの後頭部を襲う。
どうやらかなりデリカシーに抵触する話題だったらしい。今までで1番力の籠もった1撃だった。
少女はそんな2人のやりとりをまるで活劇でも見るかのようにくすくす喉を鳴らして見守る。
「やっぱり仲がよろしいんですねっ!」
「おいこらこの一方的な暴力を笑えるならだいぶ頭の螺子イッてるぞ!?」
「僕は彼と好意的に接しているつもりだけどね。まだこうして意識があるだけ寛容さ」
こんな細やかなやりとりでさえ少女は花がほころぶように笑う。
波のように揺らぐ毛先を遊ばせ、上品に屈託なく楽しんでいるかのよう。
――なんかこの子……いやに育ちがいいな。
しかも楽しそうにするなかでも品がある。
在り方も常に遠慮がちで、発する言葉の端々にも気づかいが感じられた。
そのうえ手を叩いたり、腹を抱えたり、悪乗りしたりという品を落とすようなマネは決してしない。少女をひとことで表現するならすなら品がある。
――なんでこんなお嬢様みたいな子がよりにもよってあんな危ない場所にいたんだ?
家出か? だからこそミナトは得心がいかぬ。
あのような危険な場所になぜたった1人でいたのか。
謎は大いに深まるばかりだが、疲労が邪魔で考えている場合ではない。
「ところでお二方のお名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
そういえば、なんて。少女に尋ねられてようやく気づかされる。
ここまで自己紹介という当たり前のことさえ頭からすっぽ抜けていた。
そしてどうやら幽体の少女も同じらしい。全員が初対面という通過儀礼を忘れていた。
「僕らもお互いの名前を知らないままここまできちゃったね」
「そのタイミングを失ったのは貴様が初対面のときにガン逃げしたからだけどな」
ミナトだって、そう。
死線を潜ってからというもの仲間のコトばかりしか考えていない。
そうなればひとまずこの辺で小休止がてら互いの名前を明かすのも悪くないだろう。
「じゃあまずは……」
と、ミナトが率先して口を開きかけた。
なのだが名を上げかけたところで、止めが入る。
「待って。素敵な自己紹介はどうやら後回しみたいだ」
幽体少女が残る2人を手で制す。
しかも空いたほうの手にはすでに細剣が逆手で握られていた。
油断のない猫のような瞳が周囲を探る。
「なにか音が……それに声もするね。数は複数。言い争ってる感じかな?」
ミナトは足音を殺しながら少女の隣に並ぶ。
「……また魔物か?」
「可能性は高いよ注意して。移動したとはいえここは魔物の根源たる誘いの森の近辺だ。だから遭遇率は他国領土と段違いだからね」
そう言って少女は正面に見える小高い丘を指さした。
「あの丘の向こう側からけっこうな気配がするよ。距離はかなりあると思うから確認してみよう」
少女は姿勢低くとりながら斜面を登っていく。
ミナトも可能な限り頭を低い位置に下げながら後につづいた。
「あれは……明かりか? もし夜じゃなかったら気づけなかったな」
丘の向こう側から自然ではない光が漏れている。
やんわりとした緋色の揺らぎが確認できた。
「もしかしたら魔物じゃなくて冒険者かも。火を使い闇を嫌う魔物は存在しないはずだからね」
「じゃあそれこそ確認せずスルーするって手はないな。それでもし助けて貰えるなら万々歳だ」
「それでもやっぱり油断はしないでね。脳のある生物のほうが厄介っていうパターンは少なくないよ」
おう。短い返事を皮切りにゆっくりと足を前に運ぶ。
そろり、そろり。幽体少女を先頭に足音を殺しながら青草の丘を登る。
すると徐々にその全貌が明らかとなっていく。
「あ……あれは――ッ!?」
ミナトは大きな声をだしかけて、息を呑む。
視界に映った先には広々とした平原がどこまでもつづいていた。
そのちょうど中央あたりに見紛うことなき機体が寝転がっている。
「ブルードラグーン……!」
胴体着陸を試みた形跡が尾のように大地を薙いでいた。
蒼き機械鳥が両翼を失った無残な姿で平原に横たわる。
しかしミナトが喜びにこみ上げた言葉を呑んだのは、どうあっても緊急案件に見舞われていたから。
問題なのは機体が壊れていることではない。仲間たちが今現在非常に ま ま な ら ぬ 事態に陥っているということ。
「なんなんだよアイツら!? 数でいえば100はくだらねぇぞ!?」
発見されたブルードラグーンの周囲に無数の人影があった。
身には夜に浮かぶ白鎧をまとう。そして月のマントを羽織う。この現代に時代錯誤もいいところな装備を着こんでいる。
馬やら獣やら見たことのない生物も引き連れ、松明や未知の光を灯し、飛べぬ蒼き鳥を取り囲んで――包囲しているのだ。
「まさかあれって強大なエーテル国の中枢にのみ使役されるという最高位の騎士!? 聖騎士隊と月下騎士団じゃないか!? なんでこんなところに聖女と女王直属の部隊が展開しているんだ!?」
幽体少女の凜々しかった表情にも今までにない焦りが浮かぶ。
ビッグヘッドオーガとの戦闘でさえ眉ひとつ動かさなかった彼女がここまで慌てるとはよほどだろう。
ミナトも失いかけた平常心を持ち直すため呼吸を深く刻む。
それから冷静になった頭で、現状の把握を急ぐことにする。
「ALEC。指向性マイクをあの集団に向けてオレに声を届けてくれ」
空では使い物にならなかった。
そんな未来技術が感情のない声を返してくる。
『かしこまりました。周囲の人々にも聴こえるよう空気振動を調整しますか?』
頼む。返答に数秒と掛からず仕事がこなされていく。
すると草葉が揺れるような雑音が周囲へと響き渡りはじめた。
そして小型のコンピューターから発される小さな雑音は、時間が経つにつれてよりクリアになって、声となる。
『先刻よりお伝えしているとおり武器を捨て投降しなさい!』
凜々しくも威圧感のある女性の声だった。
どう考えても穏やかではない。
部隊を引き連れ先頭に立つ白い鎧の女性は、すでに剥き身の剣を手にしている。
『貴方たちが軟禁しているのは我が国に賜りし唯一無二の御方だ! これ以上抵抗をつづけるのであれば強硬策をとらざるを得なくなる!』
そしてこちら――人間の側――で交渉役を担うは、東光輝だ。
『はっはっはァ! なにを勘違いしているのかはわからんがなるべくなら穏便に済ませてはもらえまいだろうか!』
船員たちもみな表へでて武器を手に構えている。
その若き船員たちを守るように、東は先頭に立って場を治めようとしていた。
『穏便に済ませたいのであればこちらの要求を早急に呑むべきだ! こちらとて手荒なマネをしたくはない!』
『何度もいっているが我々は貴方たちの要求しているものをもってはいないのだ! その要求を呑むこと自体が不可能なのだとわかってもらえないか!』
『我々の守護する聖女様が忽然とお消えになられたのだ! そして付近を散策した結果貴方たちのみ存在している! これが我々のもつ証拠であり、なんらかの理由で貴方たちが聖女様を誘拐したという証明に他ならない!』
軟禁、聖女、誘拐。物騒な単語のバーゲンセールといったところか。
そしておそらくは勘違い。ノアの面々に誰かを攫うだけの理由はない。
なにかしらのありもしない嫌疑が東たちにかけられていると見て間違いないだろう。
しかしそれはミナトがこちら側であるからこそのもの。あのまま平行線ではいずれ均衡は崩れかねない。
「す、すごいねこれ……耳に直接遠くの声が入ってくる」
風起こしたり水噴きだしたりする連中がなに寝言を言ってるんだか。
という戯れ言は置いて、ミナトは少女に尋ねる。
「あの露払いとかをお願いしたらやってくれたりするか? あそこの蒼い文鎮のところにいるのがオレの仲間と友だちなんだよ」
「さすがの僕でも無理だよぉ。だって聖騎士と月下騎士っていえば上位エーテル族のみで構成されるエリート集団って聞くよ。単体でも凄腕の実力者が相手じゃ鍛冶屋の僕如き羽虫扱いさ」
幽体少女は眉を渋く寄せ、力なく首を横に振った。
こちらの最強戦力が羽虫。となればミナトなんて土塊以下だ。もう1人の少女なんて両足も折れているし、もってのほか。
かといってこのまま黙ってみているというのもあり得ない。犠牲がでる前になんとかしなければ。
――ここにきて最大の山場とはな……! どれだけツいてないんだ……!
「あ、あの……ちょっとよろしいですか?」
――ありゃあオレなんかが合流して共闘しても犠牲は100%でるぞ……!
(区切りなし)
※次話へつづく




