84話 名すら知らぬ旅路《I’ll Live》
3人がようやく誘いの森を這いでたころには、もう時刻は宵の口を回っていた。
日が沈めば方角がわからなくなる。周囲の見通しか効かぬのももちろん。夜は下手に動けぬというのは常識だろう。
そうなると仲間との合流が大幅に遅れる。無理矢理にでも進まねばならない。
そのためミナトは、両足の折られた銀髪の少女を担ぎ、強行することとなっていた。
「よいしょっと」
ずり落ちた大荷物を背負い直す。
「っ~~~!」
「あ、ごめん」
このようにちょっと担ぎ直すだけでも下唇を噛んでしまうほど。
いちおう骨折治療の基本として固定用の添え木は当てている。が、痛いものは痛い。
「ごめんねー僕ヒール系の魔法使えないんだよぉ」
「だ、大丈夫です! 逆に生きてるっていう実感が湧きますからお気になさらず!」
ふん、と。銀髪の少女は両手を握りしめて高く筋の通った鼻を鳴らした。
どう見ても虚勢を張っている。治療したとはいえ治ったわけではない。折れた部位は内出血で目を覆いたくなるほど赤紫色に変色している。
幽体の少女は痛ましいため息を吐く。やれやれと華奢な肩をすくませる。
「涙目で強がられてもねぇ……。そういえばそろそろ洗った下着とか乾いたかな?」
そう言いながら背負われた少女のスカートを触れてめくり上げた。
同性なのをいいことに無防備になった臀部を堂々と覗きこむ。
「ご、ごめんなさい! その……まさか臭ってしまったりしてますか……?」
背負われているため抵抗する術もないが、さすがに羞恥はしているようだ。
頬をぼんやり茜色に染め、白く滑らかな太ももをもじもじとさせた。
「あー……早いところ換えを用意するに越したことはないけど、近くの川でキレイに洗ったし今のところは大丈夫だろうさ」
たとえ尋ねられたとしてこの件にミナトから率先して口を挟む余地はない。
有耶無耶、かつ曖昧な返答でお茶を濁すと、少女はほう、とあらか様に胸をなで下ろした。
「それなら良かったです。それと……洗わせてしまってごめんなさい……」
「もう5回目だから、さんざん謝られてもうお腹いっぱいだから。あんまり記憶を引っ張られると逆に思いだすからもうやめておこう」
「ご、ごめ――あっ! ……りとうございます……」
ごめりとうございます。とりあえず誠意は伝わる新設単語が生まれた。
恐怖のあまり……という恥ずかしさやら申し訳なさが先ほどから謝罪となって降り注いでいた。
だからといって彼女の痴態を責めるものはいない。死闘のあげく生き残ったのだから今は生に感謝するのみ。
幽体少女は、まじまじとした臀部観察を終え、ぴょんと前方へ身軽に飛ぶ。
「あのままお漏らしを放置していたら別の良くない虫が襲ってきかねないからね」
あれだけの大活躍をやり遂げてなお微塵も疲労を見せないバイタリティーにあふれている。
活気ある笑顔とあどけなさが自然とムードメーカーの役目を果たしてくれてた。
「虫? 小バエとかか?」
ミナトが問うと、少女は身を翻し細長い指をくるくる回す。
「魔物っておしっことかその辺の強い臭いを好んで群れるんだよ。対象にこだわりはないみたいだけど元が可愛い子だとわかったら一目散に突っこんでくるだろうね」
悪意なき解説が進むにつれて少女の額が、しかめっ面のミナトの背に落ちていく。
すでに耳どころか首辺りまで真っ赤になってしまっている。
「はうぅ……恥ずかしいですぅ……! お願いする立場ではないことを重々承知しておりますが可能であれば今日のことはご内密にお願いします……!」
穴があったら入りたい。もはや面目立たぬといった様子だった。
森をでた際に2分ほど覗いていたはずの日は、もう地平線の向こう側へ至っている。
なだらかな青草の丘は明暗をくっきりとわけて冷風にそよぐ。残すのはぬるま湯の如くぼんやりとしたオレンジだけ。
日の本体は落ちきった。もう幾ばくもなく直に夜がくる。刻限というタイムリミットが鼻の先まで迫っていた。
闇の到来とともにミナトのなかで焦燥感が燻っていく。
――森は抜けたが今日中の合流は諦めるべきか……?
目的が合流なだけに視界が閉ざされる事態は避けねばならない。
しかし仲間の安否がわからないのだ。生きているのか、死んでいるのか、はたまた墜落で全滅しているのか。
――クソッタレ……! もし死んでやがったら一生恨み尽くしてやる……!
怒りと焦燥こそがミナトにとって唯一の動力源だった。
手足はとうに痺れるほど疲れ、頭も思考が回らぬくらいずんぐり重い。
それでも足が前にでつづけているのは、後悔したくないというただ1つの思い。それのみが無茶を可能としていた。
とはいえ謎めいた少女のおかげで無茶がまかり通っている。
「オレのわがままを聞いてくれた上に護衛までしてくれるなんてずいぶんと羽振りがいいんだな」
ミナトは黒髪の少女を横目にじろりと覗く。
彼女は護衛と案内役を担ってくれていた。まずもってして彼女がいなければ未だ森のなかを恐怖に怯えながら彷徨っていたかもしれない。
対して少女は散歩でもするかのように脚を高く上げ気ままに前を行く。
「……羽振り?」
「あとで吹っかけられてもだせるものなんてないからな」
「ああ、そういうこと」
少女は、んっ、と両手を高く伸びをする。
のんびりとした所作で欠伸をし、背を弓なりに反らす。
無意識にやっているのだろうが白い脇の窪みが晒され胸が押しだされることで呑気な色気が漂う。
「僕、君にとり憑いてるから別に気にしなくていいよ? というか対価もなく依り代になってくれて逆にありがとうって感じ?」
「……は? 依り代ってなんだよ?」
「僕っていわゆる地縛霊みたいなものだから依り代がないと別の場所に移動できないんだよ。元々憑いてたのはあの平原の剣だったから暇で暇でしょうがなかったんだ」
ミナトは脚を止めて広がる大空を仰いだ。
同時にここまで薄目で見てきたものがどんどん現実味を帯びていくのがわかった。
そしてなによりこの謎めいた少女の思惑が今ようやく理解に至る。
「お前――まさか!? オレをその依り代とかいうのにするためにあの状況を利用したってことか!?」
「仮住まいとはいえ家賃を請求されないんだから美味しい話だよねぇ。それに仮住まい先の君を守るのも自己保身みたいなものだもん。久しぶりに大陸を行脚したかったし僕にとってはいいことずくめっ」
「ぐぬっ、この薄情者め!? あの状況ならどうやっても首を縦に振らざるを得ないってわかってて取引をもちかけやがったな!?」
思い返してみればミナトはここまでずっと彼女の手のひらの上だった。
魔物と戦った際もあれだけ強いのに無茶振りを要求される始末。結果、上手くいっただけで死にかけたのに変わりはない。
「この詐欺師め! オレの優しさの上に胡座をかいてあまつさえとり憑くなんて悪霊の類い確定だな!」
「いやいや。こんな頼りになる幽霊ちゃんが危ない旅に同行してあげてるんだからお礼を言って欲しいくらいだよ」
そして彼女の言うことにも一理あるのだ。
彼女がいなければ魔物を倒す手段すらなかった。
「くっそ~……オレの穢れなき肉体になんかしたらその余裕な面を後悔に染め上げてやるからな!」
「ふっふーん! 君がなにをしたって僕はそうそうでていかないもんねっ! このまま自由に外の美味しいものとかをいーっぱい食べ尽くしてやるんだっ!」
自覚しているからこそミナトも強くはでられない。
とにかく彼女が必要なのだ。だから幽霊なんてフザケた妄言でさえ信じざるを得なかった。
今だって彼女が隣で護衛してくれているからこそ生きられている。もしここで彼女の機嫌を損ねるか成仏でもされようものなら重症と無能の2人きりになってしまう。
「まったく……なんだってこんなファンタジーのなか雁字搦めにされなくちゃならないんだ……」
口から感情いっぱいに重く長いため息が漏れでた。
この地には理解に及ばぬ不可思議が多すぎる。魔物やら魔法やら。あまつさえ幽霊まで登場する始末。つまり始末が悪い。
真実が遠く、当たり前に虚偽のみが存在する。
ノアの中枢で出会った魔女も、この世界で倒した悪鬼も、なにもかもがわからない。
だから一刻も早く仲間と合流しなければならなかった。そしてノアの危機を信頼できる仲間たちと共有し、ここからのノアの民を救う算段を練らねばならなかった。
「ふっふっふ! これはなかなかいい報酬になるぞぉ! なにせオーガの討伐報酬ってだけで40万ラウスはくだらないからね!」
少女は、留め具がハートの愛らしいポーチからなにかをとりだす。
高々と掲げた手には、透明な凸面ガラスの如き水晶が輝いている。
ミナトが「なんだよそれ?」言いかけた瞬間、背負われた少女の身体がひくっ、と跳ねた。
「それってビッグヘッドオーガの角膜ですか!? 特殊変異体オーガの超々の超レア物首級ですよね!?」
途端に銀の瞳がキラキラと瞬き輝く。
すると黒髪の少女は片目を瞑り「当然さっ!」嬉々として角膜を彼女に見せつける。
「あんな大物のクエストキーバーを討伐したんだからもらえるものはもらっておかないと罰が当たっちゃうよっ!」
透明なレンズを「400、いや、500万ラウスくらいいっちゃうかもっ!」と、橙色をした天空に掲げた。
なるほどどうして手癖が悪い。先ほどオーガの死骸周りでこそこそやっていたのはそのためだったか。
どうやらミナトが少女の治療をしている隙の犯行だ。死骸から角膜を剥ぎとるためにもぞもぞやっていたのだろう。
「そんなものが金になるのか? あとクエストキーパーってなんだ?」
「クエストキーパーは魔物討伐中に意図せず出会ってしまう突発遭遇の魔物、あるいは本来の依頼――クエストを阻害する敵の略称だね。そして魔物のなかでも激強なオーガのさらに上位に位置するビッグヘッドは史上最悪のクエストキーパーなのさ」
少女はバスケットボールを回すみたいに指の上で器用にレンズを回転させる。
「そんなビッグヘッドが完全討伐されたってことを証明するのがこの角膜さ。指や手足だけだと討伐証明に時間がかかってしまうし、もしかしたら生き残ってるかもしれない」
角膜は非常に分厚く、大きさは直径で約20cmほどもあった。
人の頭よりも巨大な1つ目から採取したのだ。ある意味で1点ものといえる。
「だから単眼の角膜を提出すれば魔物の強さに応じた金額が得られるってわけか」
ミナトが補填を入れてやると、少女は「そういうこと!」にんまり猫のように目を細めた。
「平穏な街で唐突にあんな化け物がでたらどれくらいの被害がでるかわからないからね。ビッグヘッドオーガっていえば小さな村が半刻でオーガの繁殖場兼食料庫になってしまうレベルさ」
よくもまあ愛らしい笑みでぞっと背筋が凍ることを口にするものだ。
強かと言えば聞こえはいい。が、ミナトの場合はだいぶ異なる。
もし自分がそうなっていたらという最悪のケースを脳裏によぎらせてしまう。
「とにかく強い魔物を倒せばそれだけ救われる数も増える。そして報酬が増える」
「しかも名声も上がるし周囲からは一気に信用され羨望の眼差しを向けられる。男性なら異性同性問わずモッテモテになれるし、女性でもギルドでより良い質の装備や待遇をごまんと受けられるようになる」
まさに至れり尽くせり。ビッグドリームを地で行くかのような華々しい話だった。
つまりそれだけの価値がある。そして死を乗り越えるだけの意義さえある。
命からがら討伐したビッグヘッドオーガという魔物は夢を買えるほどに強かったのだ。
「で、それを独り占めしようとしてるのがお前ってわけだ」
「いきなり外聞の悪いこといわないでくれる!? さすがの僕だってここにいるみんなで平等にわけるつもりだったからね!?」
ミナトの嫌みがモロに刺さったらしい。
少女は眉頭を鋭角にし黒い頭から湯気を立てた。
「それ……私に譲っていただけませんか?」
「……へっ?」
ミナトに食ってかかる少女の目が丸く見開かれた。
背負われた銀髪の少女がおずおずと申し訳なさそうに挙手する。
「差し出がましいようで心苦しいのですが……ビッグヘッドオーガの角膜を提出する権利のすべてを私にお譲りいただけないでしょうか?」
間髪入れずミナトが「いいよ」と口にした直後だった。
後頭部がスパーンと景気よく引っ叩かれる。
「良くないよ!? この子、君の想像している僕より強欲すぎるよ!?」
「あの! タダでとはいいません! お譲りいただけるのであればなんでも致します!」
銀髪の少女は頑なだった。
瞳を滲ませ祈り手を結び懇願する。
「……な、なんでもっていわれてもそんな曖昧な……」
「なんでもはなんでもです! 貴方に命じられるがまま私の身で叶えられることであればなんだって許諾してみせます!」
出会ったばかりのミナトでさえ少女の本気が窺えた。
梃子でも動かないという硬い意思がそこにはある。
たとえこのまま断ったとしても食らいつかれるのがオチだろう。
「なんでもしてくれるってんだから美味いものたらふく食べさせて貰えばいいんじゃないか?」
「う、う~ん……君がそう言うならまあそれでも良いけどさぁ……」
「それに宵越しの金なんてもっててもしょうがないだろ」
「ひゅ~ぅ! 今のはかなり痺れたよ! ずいぶん男らしいこというもんだねぇ!」
これといって執着のないミナトは、2人に妥協案を提示してやった。
はなから棚ぼたで得たものなのだ。なによりもっとも苦痛を強いられているのは彼女である。
なによりもう1人の少女は強い。実際のところ角膜を全員に見せびらかした時点でそれほど物欲なんてないのだ。
角膜を受けとった銀髪の少女は、そっと両手を重ねるようにして薄い胸に得た物を抱き寄せる。
「あ、ありがとうございますっ! このご恩はたとえ国に戻っても決して忘れませんっ!」
そうして脚の痛みさえ忘れて瞳を閉ざす。
意味のある物がもっとも必要としている者の手元におさまるのは当然の成り行き。
ミナトと幽体の少女は互いを見合う。そしてどちらともなく同時にふふ、と微笑みを向け合った。
「え、えへへ! でもなんでもいうこと聞いて貰えちゃうのかぁ! なんか可愛い子にそういうこといわれちゃうとちょっと……ど、どど、ドキドキするよねぇ!」
「なんでオレじゃなくて女のお前がそっちの思考にいくんだよ……」
目を刺すような西日はとうに落ちきっていた。
未だ仲間の安否は知れず。行く末は闇の向こう側に隠されているに等しい。
だが今夜は死の星ほど寒くはない。どこか穏やかな空気が満ちていた。
まだ3人は互いの名すら知らない。それでも確固たる絆が確かに存在している。
…… …… …… …… ……




