83話【VS.】オーガ特殊変異体 ビッグヘッド・オーガ 2
「――《ウォーター》!!」
澄明な声は凜としてなお勇壮を孕む。
水量は凄まじく勢いも放水車を彷彿とさせる。
1人の少女の手から凄まじい量の水が間欠泉の如く噴きだした。
大量の水が直撃寸前の溶解液を押し流す。放たれた大水によって大きく着弾位置を変えた。
『水魔法の援護! そうか同じ液体なら溶かされず押し流せる!』
九死に一生を得てなお油断はない。
幽体の少女は、巧みにミナトの身体を扱って、宙返りから華麗な着地を決める。
『今のはかなり助かった! 危うく残しているマナを手放さなきゃならなかったからね!』
銀髪の少女を守護する位置に割り入って双剣を構え直した。
そして守られるだけだった彼女も、もう泣いてはいない。
両の脚を折られ悲鳴に喘ぎ失禁し、恐怖と絶望に震える姿は露と消えた。
「足をやられてしまった私にできるのはこれくらいです! ですが私のために戦う優しき貴方たちを死なせはしません!」
銀燭の目からは怯えが消えていた。
むしろ光が宿されている。それは特別な光ではない。誰もがもちうる生命の光。
幽体の少女は思わずといった感じでふふ、と微笑する。
『へえ、さすが上位エーテル族だね。気概も根性も並みじゃない』
「私の望みは私が生きることではなくなりました! この命ある限り貴方たちを守り抜くと誓います!」
そう言いながらも僅かに足を動かすだけで激痛で表情を険しくしかめる。
しかし銀髪の少女は泥に濡れた手を伸ばしつづけた。
恐怖に震えることさえない。ビッグヘッドオーガを狙い定めつづけている。
『これで前衛後衛という布陣の完成だ。だからといって一点攻勢にはならないのが辛いところだけどさ』
こちらはなんとか持ちこたえた。遠回しにそういっているのだ。
しかして状況は好転せず。致命の危機から逃げ延びたというだけに過ぎない。
狙いを外されたビッグヘッドオーガは、より感情を顕わにしていく。
「GHAAAAAA!! GHAAAARARA!! GEBEEEEEEEE!!」
激昂の怒りに大地が割れ、裂け、荒れる。
巨大な頭は烈火を超えどす黒く変色をはじめた。皮膚を透過する血の色が滲みだし膨れ上がる。
怒号とともに怒髪天を衝かんばかりに怒り狂っていく。
「GBRAAAGOOOOAAAAAAAAA!!! GBEBEBEBEEEEE!!!」
弱者が、子を産むだけの肉袋が、たかだか獲物が、生意気な。
醜悪な顔がますます歪んでいく。
黄ばんだ牙を剥きだし、餓鬼の如く地団駄を踏み、血を集めきった瞳には稲妻の如き充血が奔る。
善戦でさえ忌々しい。あくまで敵はこちらを格下と位置づけている証拠だった。
『さあて、と』
幽体の少女は身体の主の横顔に頬を寄せる。
体重を華奢な背に預けるよう首に巻いた腕を改めてかけ直す。
『へえ。これは良い仕上がり具合だ』
死を目前にしてなおミナトは一切揺らがない。
「…………」
開眼した瞳が恐怖で閉じることはなかった。
それどころかすでに瞬きさえ忘れ眼球が乾いても構いなし。
敵と見定めた醜き大頭から意識を逸らさず思考を働かせつづけていた。
『なんて集中力だ。あれだけ死の危険にさらされてなお微塵も揺らいでないとはね』
「GHAAAARARA!! GEBEEEEEEEE!!」
怒り狂ったビッグヘッドオーガが真っ直ぐ突っこんでくる。
しかも速度は先ほどより遙かに上昇していた。豪快なタックルによって掠めた木々がボリボリと砕け弾けていく。
幽体の少女は、軽く伸びをし身体の調子を整える。
『こっちはこっちで時間稼ぎの役目をはたさなきゃね!』
「私もできる限り援護します! だから生き残ることだけを考えてください!」
少女らは、互いにカバーし合いながら敵の攻撃を捌いていく。
そしてこちらの先鋭された思考は脳幹の中枢まで至る。
ここは思考の海、記憶を辿る海馬のなか、1人たゆたう。
――ワイヤーで巻くのは安直すぎるな。敵の素早さからみて巻かれるほどじっとしてるわけがない。
ミナトの目は敵を映しながらも見ていないに等しい。
そうやってより深層に眠るかもしれない己のもちうる経験という武器を網羅していく。
視界の端で雷撃が走る。火炎が揺れ踊る。水柱が横切る。
――ならなんだ? オレにはなにがある? あるいはもうなにも手はないのか?
「《フレイム》! 《ライトニング》! ハアア――《ウォーター》!」
――…………。
さすがにミナトでも無視するには限界があった。
とりあえず目の前で繰り広げられる戦闘が、奇々怪々。というより度を超えている。
なにもない場所から――銀髪の少女の手から――あり得ないものがどんどん放出されていくではないか。
いったいアレはなんなんだ? 水をはじめとし、火、雷と、わけがわからない。
それどころかこの身事態が不可思議の中央にあるではないか。人間の性能を遙かに超越したこの身こそがもっとも意味不明だった。
「さっきからとり憑くやら魔法だなんだとわけのわからないことを……ん?」
脳になにやらピリリ、とくる。
思いつきといえるほど明確ではないが、なにかが繋がる気配があった。
「常識を捨てる? あるものを使うんじゃなくて捨てるっていう考えかたもあるのか」
『なにかいい案でも思いついた!? 正直もう3分ともたないからね!?』
発送に至る切っ掛けとなったのは、本日である。
本日は非現実的なモノばかりにあふれていた。
ノアの真実。第零世代フレクサー、闇に住まう異形の生物、それから頭のデカい化け物。
ここまでくると頭の螺子が2、3本くらい抜けてくる。なのにミナトはぎりぎり人間でいようとする。勝手に脳がセーフティを働かせていた。
――もうこれしか方法はないな。オマエは自分が強すぎることを呪ってくれ。
ふ、と。思い立つ。
それからミナトはビッグヘッドオーガに哀れみの視線を向けた。
それは記憶のなかにある経験ではない新たな試みだった。
「そこの銀髪の子! その妙ちくりんなやつで敵の視界を塞げたりするか!」
ミナトが唐突に尋ねると、少女は一瞬きょとんと目を丸くする。
しかし彼女はすぐさま表情を引き締め直す。
「か、風の魔法で土を舞い上げればなんとか!」
「じゃあその風の魔法とかいうの即採用だ! それを合図に動く! カウントダウンを頼む!」
ミナトに命じられるがままに少女は敵へと手をかざした。
「は、はいっ! では10秒後に唱えます!」
救助する側とされる側ということもあるのだろう。互いの間に一切淀むことのない信頼があった。
この状況、信じ合わねば生きられぬ。逼迫した状況だからこそ視線を交わすだけで意思を繋いでいる。
『いったいなにをする気だい!? 今さら目潰しでどうにかなる相手じゃないってことくらいわかってるよね!?』
「はは、目潰しか。いいなそれ」
ミナトの笑みが残忍さを秘めて深くなっていく。
『は?』という素っ頓狂な声を聞きながら己の残虐さを讃え嘲笑う。
「風の魔法とやらで土が舞い上がったら……いい加減オレの身体返せ」
『っ!? まさか動きを止める方法を見つけたの!?』
身体の返却イコール死を意味する。
それでもなおミナトは「返せ」醜悪な笑みで繰り返す。
幽体の少女は目を疑うような感じで彼の横顔を眺めながら黙りこんだ。
『いいよ! 信じているからね!』
荒れ狂うビッグヘッドオーガの攻撃はもはや災害と呼ぶにふさわしい。
まるで台風の目だ。生のあるものすべてに怒り、巻きこみ、蹂躙していく。
木々は、奮う拳によって根こそぎ薙ぎ倒され、森の見る影もない。戦場はぽっかりと穴の空いた空虚な残骸が転げるのみ。
豪腕、剛力。このままこのおぞましい生物を放置していたら自然界そのものを脅かしかねぬほどの粗暴だった。
そんな最中でも少女はミナトの身体を扱いくぐり抜けていく。飛び、躱し、転げる。数少ない剣を叩きこんでは喪失していく。されど生き抜く。
「3、2、1ぃ! いきますっ!」
しかし少女の合図にようやく事態が転じようとしていた。
ここまで防衛を強いられるだけだった。抗えぬほどの暴力を前にただ防戦する一方だった。
そしてカウントダウンを終えた銀髪の少女は、苦痛で目端を絞りながら唱える。
「《ウィンド》!!」
直後、自然的ではない強風が戦場へ吹き荒れた。
流れる強風が下から上へと吹きすさぶ。薙ぎ倒された木々の枝葉がざわめいていく。
そうして落とされた命の緑が風に押し上げられ、ぶわっと舞い上がる。
「GHA!!?」
ビッグヘッドオーガはたまらずといった様子で防御姿勢をとった。
瞼を閉ざし、ゴツゴツとした両腕で巨大な頭を覆う。舞う葉を本能的な手段で防ぐ。
『これは強烈だね! 土と葉が舞って大地の怒りを彷彿とさせる!』
「こ、これでは目が開けていられません!? 本当にこれで良かったのですか!?」
舞う葉は、昇竜の如く尾を長くして天へと昇っていく。
そして奇しくもそれはビッグヘッドオーガ自身が作りだした緑の壁でもあった。
これでは視界不良だ。とうてい目を開けていることなんて不可能。。その証拠に敵味方問わず視界が潰されてしまっている。
「ふぅぅ……」
だがこの場においてただ1人、見開く者がいた。
身体のコントロールをとり戻した。久方ぶりの自由だった。
左腕を肘からピンと伸ばし突きだす。右腕で構えを固定し定める。慣れた動作で狙いをつける。
「…………」
風が止むと、頬を叩く砂粒が雪のようにしとしと降りてくる。
少し遅れて舞い上がった葉がゆらゆら揺れながら大地へと降り注ぐ。
「G――」
嵐が過ぎ去ってビッグヘッドオーガも動きだそうとしていた。
伏せた巨大な顔を上げ、辺りの様子を探るようにぎょろり、ぎょろり目を泳がす。
「GEッ!?」
閉ざした瞼を薄く開く。
新たに世界を映す瞳は、蒼き閃光を見る。
それも直接。一切の距離さえなく、己の眼前どころか直接。閃光を映すのだ。
部位に繋がれていたのは、1本の蒼きワイヤーだった。
「圧着確認!! 巻きとり開始ィィ!!」
ミナトの号令に合わせてワイヤー射出装置が蒼き閃光を急速に吸い寄せていく。
このワイヤーはある種の特異性を秘めている。そのものはただ弾力のある紐を射出するのみ。
だが、このワイヤーは正確に射出さえすれば確実に物質へと貼りつくのだ。
人が上空から放りだされぶら下がっても外れないほど強力に貼りつく。貼りついたら意識するまで決して剥がれない。
そしてミナトが繋いだモノは、ビッグヘッドオーガの大きく狙いやすい瞳だった。
「HE――GEEEEEEEEE!!?」
「うおらっしゃあああ!!!」
ずるり、と。巨大な瞳が眼窩から抜けだそうと僅かに飛びでた。
ビッグヘッドオーガは慌てて両手で瞳を捕まえて押しこむ。
しかしもう繋がってしまっている。瞼を閉ざそうとも、両手で防ごうとも、逃れる術はない。
「皮膚が頑丈でも目玉なら効くよなァ! しかも1個しかもってないっていうなら惜しいよなァ!」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAA!!?」
ミナトは全体重を後ろへ乗せて思い切り引っぱった。
敵の瞳を生きたまま掠め盗る。唯一この場を切り抜けるための秘策。
ここが正念場だった。敵は瞳が抜けぬよう必死になって押しとどめる。
「GEEEEE!!? GHOOOOOOOOOO!!?」
今度はあちらが痛みに藻掻く番だった。
目に入った異物をとり除こうにも貼りついてとれやしない。しかも怪力で無理矢理引けば己の瞳がぼろりと落ちる。
それでもミナトは無情に引く。肩へワイヤーを掛ける背負い投げの姿勢で。瞳を掠めとるつもりだ。
「GAAAAAAA!!? GEEEEEEEGEGE!!?」
「奪う側から奪われる側に回る気分はどうだ! 一生で1度しか経験できないことだからよく覚えておけ!」
悲痛な悲鳴に交じって、とびきりゲスな笑いが木霊した。
風の魔法は前準備。これによって敵が目を瞑らせる。行動を固定化させる。
そして目を塞がれた後に生物のとる行動は1つ。周囲を確認する。
つまり目を凝らしてよく見るのだ。そこを狙ってワイヤーを射出すれば外れる心配はない。
「その目貰ったァ!! 眼球1本釣りィ!!」
「AGEEEEEEEEEEEEEEEEE!!?」
容赦のない力によって眼窩から眼球が引きずりだされていく。
瞼を閉ざそうとしても抜ける眼球にこじ開けられてしまう。ぬるりぬるりと流出が止まらない。
「G、G、Gッ!? GEEAAAAAAAAAAAAAAA!!?」
「そんなに大切なモノならとられないように仕舞っておくべきだったなぁ!!」
ビッグヘッドオーガは両手で瞳を押さえる。
壊れやすく1つしかない宝物を奪われぬよう両手でしっかり抱える。
つまりミナトが引くのを止めぬ限り敵はもう動けなくなった。
「5秒稼いでやったぞ!! やれェッ!!」
そちらではもうすでに準備が終わっている。
いなかったはずの少女が静寂をまとい佇んでいた。
手には短刀。手には細剣。その周囲には光が揺らぎ舞っている。
数十という赤き光の蝶たちが少女を鮮やかに演出した。
「《宵闇の燐光。蝶の舞い》……――《2枚羽》!」
少女の身体が光の粒となって消失する。
音さえ遅れて、吹く風は柔らかく、2本の剣閃が先行した。
そして羽ばたいた蝶たちがビッグヘッドオーガを通り抜ける。
『G――……』
「冥府へお帰り。君の居場所はここじゃない」
少女が血振りをくれると、敵の巨体を4つに切り結ぶ
肉体の合わせ目を失った肉がどさどさ崩れ落ちる。転げた肉からはどす黒い血液をあふれ大地を汚す。
地を荒らされ天蓋のとれた大地に西日が降り注ぐ。幾100という時のなか決して光の届かないはずだった森の大地に光が灯る。
「最後までわけわからなかったけど、やるじゃないか」
「そっちこそエグいことするねぇ。生きるために手段を選ばない生きかたは控え目にいって大好きだけどさ」
すれ違いざまに手と手が出会い、ぱぁんと弾けた音を発す。
両者ともに笑顔で互いの健闘を讃え合った。
この地に安らかなる死をもたらす。
「や、やりました! ビッグヘッドオーガ討伐成功です!」
銀髪の少女も無事とは言い難いがとりあえず生き残った。
歓喜にあふれる涙を両手で猫のように拭う。
救助対象は存命し、ビッグヘッドオーガの討伐も完遂した。犠牲者のいない完全なる決着だった。
オレンジ色の暖かな光は、この場に生きる3名の苦労を讃えてくれているのかもしれない。
「ところで捨てるとかいってたけど、いったいなにを捨ててあんな作戦思いついたんだい?」
「絶対に目をくり抜いたらダメっていう常識。あと倫理観」
返答を聞いた少女は、小さく「うわぁ……」と言った。
○ ○ ○ ○ ○




