『※新イラスト有り』81話 救いなき絶命の終点《Encounter》
乱立する木立の間を避けながら疾走する。
土の下に隠れた木の根で躓きそうになり、乾ききっていない泥で滑り、濡れた落ち葉が体力を奪う。
風の通りが悪いからか100歩も走らぬうちに額には玉のような汗が滲んだ。蒸された全身の毛穴が開いて体内の水分を吐きだしていく。
「誰か! 誰か助けてえええ!」
また木々の作る影の奥で悲鳴が反響した。
ミナトは脚に力を籠めて声のする方角へと急ぐ。
「はっ、はっ、はっ! さすがにこれは幻聴じゃない!」
この声の主は救助にきた仲間かもしれない。
もしそうでなくてもあえて聞き逃すという選択肢はなかった。
誰かが助けを求めている。ならば脚を進める理由は十分にあるだろう。
それに現地の人間ならば森を抜ける術とこの地の情報くらい知っているはず。
「あとはなにに襲われているかだな! 不意打ちにビビって逃げてくれるヤツなら嬉しいんだが!」
ミナトは頼りのワイヤー射出装置を横目にちらと見た。
野生動物というのは危機察知能力を本能的に備えている。己が過酷な自然で死なぬよう備えた防衛能力。
悲鳴の元気さから察するにまだ声の主は襲われていない。ならば今現在威嚇されている段階と考えるのが妥当だった。
「はぁはぁ……み、見つけた」
異物の影を視界に入れたミナトは、ゆっくりと歩幅を短く刻む。
荒くなった呼吸を沈める。中腰になって茂みに身を隠しながら隠密の体勢で進んでいく。
こちらのアドバンテージは獣に見つかっていないこと。そこからワイヤーで奇襲を仕掛ければ驚かすくらいはできる。
そしてミナトは背の高い草に紛れながら目を細めてあちらの様子を窺う。
「な、なんだあれ――ッ?!」
あまりの驚愕にでかけた声を慌てて塞ぐ。
ハンマーで側頭部を殴られたみたいに脳が揺らいだ。口から心臓を吐きだしそうなくらいの衝撃だった。
茂みの向こう側に広がる光景はそれほど予想だにしていないもの。なおも全身の毛穴がぶつぶつと膨れていくのがわかる。
「Gbe! Gbe! GuuuuuBeeeeeeee!」
「い、いや! いやこないで! こっちにこないでえ!」
知らない。
学習端末で読み漁ったどの地球のデータとも異なっていた。
あれはなにかなんてわかるものか。想像するにも限度というものがある。
「Geeebe!! GeeeeeeGuuuuuuu!!」
知覚してからものの一瞬で人としての本能がアレを拒絶した。
脳が、あの醜悪で邪悪で生物かすら未知のモノを、受け入れたくないと結論づけた。
「こないで! 私のほうに近づいてこないで!」
「Gerrrr!! Gageeeeeeeeeeeeee!!」
草葉の奥ではすでに勝負が決している。
女の子は腰が砕けるようへたり込み青ざめ、それを化け物がゆっくりと追い詰めている場面だった。
「だ、だれか、だれか!! 私はここにいます!! 魔物に襲われています!!」
涙をまぶしたか弱き悲鳴は儚く森を抜けていく。
応えが返ってくる気配は微塵もなかった。
そうやって少女が悲鳴を上げるたび化け物は巨大な顎から腐汁の如き粘液をしどと垂らす。
「……Grrrrrrr」
1つ限りの眼球が少女の足先から頭までじっくり値踏みしていく。
顔の半分ほどもある大口をねろりと舌舐めずって喉をごろろと鳴らした。
離れたところに折れた細剣が突き立っている。それはおそらくは少女の武器だったもの。
化け物はガラス玉の如き人頭1つ分はゆうに越すであろう眼球を細ませる。
「Guuuuuu」
スケールの巨大な腕を伸ばし4指を開いた。
そうして必死に後ずさり距離を離そうとする少女の足を掴もうと試みる。
「さ、触らないでください!! お願いですからあっちにいってください!!」
少女は血色の失せた唇を小刻みに震わせながら訴えた。
白いスカートが汚れることさえいとわず土の上を張って逃げる。そのつど伸びてくる巨大な手を蹴るようにして振りほどく。
しかし化け物もさらに少女のほうへと詰めて何度も腕を伸ばす。
「いや、いや! 掴もうとしないで! 誰か助けて!」
「Rrrrrrrrra……」
一進一退とは言い難い光景だった。
化け物はとうに少女の命を絶つコトが可能なはず。
それなのになにか別の目的があって行動している。
「……あれはいったいなにをしているんだ?」
「あのオーガは彼女を巣に持ち帰ろうとしているんだよ」
「ン”っ!!?」
ミナトはおそらく今日いちで驚いた。
呑みこんだはずの心臓が再び喉元まで上がってくるような錯覚さえ覚えた。しかしまた口を塞ぐことで最低限の発声で留めた。
いつからそうしていたのか。すぐ隣の肩が触れるほどの距離に先ほど消えたはずの少女がいた。
ミナトは文句のひとつでも言ってやろうかと口を開く。
「お、おま、君はさっきオレから逃げ――むっ!?」
「しっ。お静かに」
が、白い指が立てられ文句の出口が塞がれてしまう。
少女はミナトのほうを見向きもしない。
黒曜石のように澄んだ瞳は化け物と少女がいるあちらを睨みつづけている。
「あれは多分オーガの変異種だ。オーガってだけでもやばいのにその変異種ビッグヘッドとなれば大陸でもトップレベルでヤバい魔物だよ」
声を潜めながら「チッ」と小さく舌を打つ。
「おーが、へんいしゅ、びっぐへっど、まもの。よくわからない単語が少なくとも4つあるから説明を頼む」
「トップレベルでヤバいが伝わってるのなら十分理解できてるね。つまりそういうこと」
ミナトが質問をしても端的かつ淡々とした語りだけが返ってきた。
しかし現地民がいるというのは心強くもある。このよくわからないを濃縮させた状況で味方がいるのは大きい。
「それよりさっき言ってた持ち帰りうんぬんの意味を教えてくれ。あの子は、まだ化け物に殺されないってコトでいいんだな」
おかげでミナトは、あるていど恐怖をおさめることに成功する。
先にした少女の発言を掘り下げることにした。
「魔物にとって女性を捕獲すれば種の母胎となる。だからこそここで捕食せず生かしたまま巣に持ち帰って苗床にするんだ」
死ぬほうがマシかもね。と、彼女は最後にそう付け加えた。
ミナトは目を丸く見開きながら「苗床……?」と忌々しい単語を繰り返す。
すると彼女はこくりと首を浅く縦に揺らした。
「冒険者にとって呼び名は様々さ。孕み袋、子産み袋、ハイブ、敗者、母胎などなど。強力すぎる魔物に捕縛された場合は討伐が難しいから寿命を待つ死待ちなんて呼ばれかたもするかな」
聞かなければ良かったと後悔することもそうありはしないだろう。
それが己の求めた質問への答えならなおさらだ。
つまりあの醜悪な化け物は目の前の戦利品を己の巣へ持ち帰ろうとしている。そして少女はその未来をわかっていて青ざめ涙目になって助けを請う。
しかし少女が決死で行っている逃亡は、あまりにあっけなかった。
そしてついに少女の細く白い足は化け物の巨大な手に捕まってしまう。
「やっ、やだっ! 止めて、引っ張らない――で」
ぱちん、と。絶望の弾ける音が森に木霊した。
それはあまりに軽すぎる音。そう、まるでペンを折るかのような軽さ。
化け物は握った少女の白い脚を樹木の如き親指でぱちん、とへし折ったのだ。
少女もはじめは己のへし曲がった脚をただ愕然と見つめているだけだった。
「が、ァ――いギゃッ!?」
だが、現実が僅かに間を開けてから襲いかかる。
衝撃、激痛、絶望。段階を経て可憐な尊顔が苦痛に歪む。
脛から折られた脚は、決して曲がらぬ方角を向く。折られた脚の太ももの辺りがガクガクと痙攣を繰り返す。
銀色の目は脚に固定されたまま剥かれ、唇の端から短な悲鳴と泡を吹く。白いスカートが徐々にじわり、と水気を帯びる。液体が漏れだして土をぬるい泥へと変えた。
「Geebe!! GbeGbe!! Geraaaaaaaaa!!」
「ぎ、かフッ――い”あ”あ”あ”あ”あ”!! や”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」
「GEBEEEEEEEEEEE!! GBBEGEBBEEE!!」
少女がガラスを裂くような悲鳴をあげる。
すると化け物は嬉々として踊りながら醜悪な顔を愉悦へ浮かべた。
狂喜しながら踊りだし、したたる涎が糸を引いて舞う。喉がごろろと音を発するたび飛沫が少女の顔に降りかかる。
化け物の顔半分は目が1つ。もう下半分は口だ。
身体は頭と同じほどの大きさで小さいが屈強な猿であるかのよう。少女が苦しみ喘ぐたび股ぐらから垂れる赤い肉腫がひくひく先端を揺らす。
さらには離れた場所にさえ酸い腐り肉の如き臭いが漂ってきていた。
「――ヤロウッ!!」
余韻を経て感情が滾りの限界を超過する。
ミナトのなかで、火山から噴きでる岩漿の如き怒りが、爆発した。
「本当にでていく気なの? 君にあれが倒せるのかい? 僕はそう上手くいくとは思わないけどね?」
それでもなお少女はとり乱すことさえしなかった。
どころかはじめからそうであってように化け物のほうへ視線を固定しつづけている。
「じゃああのまま見過ごせっていうのか!?」
「見過ごされているのは君のほうだよ。あの魔物はもう君がここにいるってとっくに気づいている。それでも襲ってこないのはあの魔物にとって彼女のほうが優先度が高いってだけ。もしあの子がいなければ君はとっくにヤツの獲物になっていただろうね」
惨劇を前にしてなお少女は氷のように冷たい眼をしていた。
「だからって――ッ! あんなに手を伸ばして希望に縋ろうとしてる子を指咥えて見捨てろっていうのか!?」
「その決定権を所持しているのは誰でもない、君。ここであの子を放置するのも、君。でていって死に様を晒すのも、君。その命の責任は誰もが生まれもっているものだ」
ここでようやく彼女はミナトのほうを見た。
少女の瞳は実直でいて真剣だった。
声も淡々としていたが、単純に感情を暴走させるだけの少年を叱りつけるような気迫があった。
「……でも……だからといって……」
「止めておくのも手のひとつだよ。ここでなにもみていなかったということにしたとして誰も責めたりはしない」
ミナトには、この少女が嘘を言っているように思えなかった。
あの子はこれから化け物の巣に連れて行かれ絶望と肌を重ねる。
笑うことも泣くことも意味は成さず、それでも心と体は苦痛を覚え与えられるのだ。
そしてそれを止めようとこちらがでていけば殺される。
――だからなんだ。
それ以上の思考を挟む余地は必要なかった。
ミナトは静かに立ち上がると、脚を高く上げて茂みを踏みつける。
「ここまで関わったのなら見過ごせってのはあり得ない。見たのならもうそれはオレの世界だ」
少女は、ミナトの震える拳をちらりと見た。
それから見上げて「君の世界って?」目を丸く瞬かせる。
「オレの世界の外でなら誰が餓死しようがどう惨たらしく死のうが関係はない。だけどここはもうオレの世界で、あの子は死にかけてる。だったらもう無関係はあり得ない」
なにより死の星で重ねた罪を繰り返さないために成さねばならなかった。
死神と呼ばれていたころは、己の世界に2人しか許容していなかっただけにすぎない。
ゆえに生きかたは常に変わっていない。死の星でビーコン係をしていたあの頃とまったく同じ理由だった。
ミナトは、葉を退けながら茂みを割って歩みだす。
「償うんだ。これまでやってきた愚行のすべてを精算する。1人でも多くの人々を助けて禊ぎを済ませる。でないと……オレを受け入れてくれたノアのみんなに顔向けができなくなる」
アザーでビーコン係をしていた頃ならこんな考えかたは出来なかった。
その蒼の宿らぬ瞳が見るのは、ミスティ・ルートヴィッヒという女性の横顔である。
彼女はこの穢れた身さえも許容する色鮮やかな世界を見せてくれた。あまつさえそここそが自分の居場所だと言ってくれた。
ゆえにミナトはあの船へ帰らねばならない。一生涯の今日、死神は生まれ変わろうとしている。
「へえ、すごい考えかたするんだね。最高に自己中心的なのに身の安全を一切優先しないんだ」
残された少女はとん、とつま先で叩くように軽く地を蹴った。
すると細身がふわりと宙へ浮く。そのままもっとも地上に近い木の枝の1つに降り立つ。
ミナトは、彼女を見上げながら人と思えぬ芸当に唖然とする。
「……は? どういう跳躍力してるんだよ?」
少女は木を蹴り上がるのでもない一足で3mほど飛んでみせた。
しかも一切の予備動作なし。走り高跳びの選手なんて比べものにならぬ異常な身体能力だった。
少女は枝の上に佇み――いつの間にかもっている――2本の剣を同時に順手から逆手に持ち替える。
「じゃあ君の勇敢さに免じて1つだけ勝ち筋を用意して上げるよ。でないと公平じゃないもんねっ」
そう言って桃色の唇が優雅な弧を描く。
愛らしさを隠せぬ所作で片目をパチリと閉じた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《Change Mission》
Chapter.3 Sky,Clear Sky
importance:PURPLECLASS『No Saint』
Called the Grim Reaper
Beyond that
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Defeat and Redemption
To return
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【MISSIONCOLOR:DUEL】
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※※※Classの詳細※※※
※別に見なくて良いよという人のための目隠し用ふわふわ夢矢くん
BlueClass=楽しめ
GreenClass=まあ安全
YellowClass=死の危険性有り
……………危機レベル……………
PurpleClass=未来になんらかの障害が及ぶほどの危機
OrangeClass=未完遂で人類そのものへ大きな打撃が起こりうる危機
……………滅亡級……………
RedClass=人類終焉級非常事態シナリオ
……………??????……………
BlackClass=########




