80話 剣の丘《The Dreaming Tales》
「見えるもなにもそこにいるじゃないか。オカリナを膝の上に置いてツヤツヤの髪には可愛いハートのヘアピンをつけた女の子が……」
ミナトは、なに言ってんだ、とばかりに眉根にシワを寄せた。
見えるもなにもそこにいる。このひとことがすべてだった。
少女は己が立体映像であるとでも言いたいのか。しかし立体映像に影はないし風で毛先が踊ることもない。
「え、あ……ほ、本当に見えてるの?」
「だから見えているし会話だって成立してるだろ。それにほら――」
と、片膝を草の上に落として少女の白い肩に触れた。
なんてことはないスキンシップを試みる。
軽く触れると手のひらに体温を感じ、艶やかな肌の感触が伝わってきた。
途端に少女はぼっ、という音がしそうなくらい顔を紅潮させる。
「しかも触れてる!? うそっ、どうして!?」
そして弾かれるような速さで飛び退きミナトから距離を離す。
まるでたった今ミナトという人物の存在をはじめて認識したかのような反応だった。
少女は飛び退いてからも胸に手を添えて荒くなった呼吸を抑える。
「し、しかもお、おと、おとこの、おとこ、男ォ!?」
「そのぉ……いい加減本題に入りたいんだけどさ」
ミナトがうんざりしながら手を伸ばした。
すると少女はますます顔を赤らめる。わたわた手を踊らせながら如実に接触を拒否した。
「無理無理無理!? そんないきなりじゃなくてまずは文通とかからはじめるんでしょこういうのって!?」
「……対面して文通ってどんだけ回りくどいんだよ」
そろそろミナトにも察しがついてくる頃合いだった。
なにせ男性恐怖症の同居人と暮らしたという経験がある。
――はぁん。さてはこの子中2男子並みに異性を意識しまくってるタイプだな。
少女はずっと挙動不審だった。
目を合わせたり逸らしたりと、忙しない。とにかく異性というものを意識しまくっている様子だ。
少女は、髪がめくれて額が見えるくらい勢いよく頭を下げる。
「と、とと、とにかく僕は――ごめんなさい!」
「おいこらなにがごめんなさいだ。告ってもいないのにいきなり振られた相手はただ傷つくだけだぞ」
ミナトはちょっとだけ傷ついた。
このままでは埒があかないし、刻一刻と時間を無駄にするだけ。
だからといって地理に疎いミナトは、この子に頼るしか――2つの意味で――道がない。
「とにかくオレは道を尋ねつつちょっとした情報収集がしたいだけなんだ。だからいったん落ち着いた場所で話でもしないかって誘ってるんだ」
「僕の情報を欲しがっている!? つまりこれが噂に聞くナンパってやつ!?」
「違うわバカかオマエ!? なんで出会ったばっかりの相手を情報収集しなきゃならないんだよ!?」
ミナトが声を荒げると、少女は「ひっ!?」短い悲鳴を上げた。
そしてついに緊張が頂点に達した少女は身を翻し、逃げだしてしまう。
「ごめんなさーい! 僕そういう軟派な出会いかたって好きじゃないですう!」
「あ、待ってく――あの子めっちゃ足はええ!?」
このまま指をくわえて見てい手は見失ってしまう。
こうなったらミナトも追うしかない。半泣きで逃げる少女を負けじと全力疾走で追いかける。
しかし本気をだしても差は縮まらず。一定の距離を保ちながら巨大オブジェの周りぐるぐると回りつづけた。
「ひぇっ――追ってくる!? 追ってこないでよう!?」
「ちょっと話があるだけだから! 少し話を聞いてくれるだけでいいから! 壁のシミとか数えてたらすぐにすむから!」
「追いかけてくる上にまだナンパしてくるよお!? しかもナンパした先のことまで考えてる!?」
少女はこちらを振り返りながらも凄まじい速度を維持して逃げ回る。
姿勢を低くとり長い足で地を滑るように駆っていく。燕尾になるよう切れ目の入ったマントをなびかせながら脱兎の如く疾走した。
対してミナトはもうすでに息が上がってしまっている。
「そういうことしない安全なタイプのヤツだからさ! 頼むから人助けと思って協力してくれないかな!」
「安全とかいうってコトは絶対に危ないタイプだ!? 同情とかを誘ってあれよあれよという間に肩を抱いて路地裏とかに連れこんじゃうヤツ!?」
「いいから待てつってんだろオオオ!!」
「ひぃぃん!? 本性をだしてきたあ!? やっぱり俗に言うヤリモクナンパ男だったんだあ!?」
そしてちょうど巨大オブジェを5周したところだった。
少女の身体がオブジェの折り返しとなる曲がり角を曲がった直後だった。
「あれ? 消えた?」
ミナトが曲がったが、もう彼女の背を視認することはなかった。
本当に忽然と、だった。さっきまでひんひん言いながら逃げていたはずの少女が影すら残さず喪失している。
「もういない!? いったいどこにいったんだ!?」
辺りを見渡して見るも、少女の姿はどこにもなかった。
金色の丘にただ1人だけとり残されてしまう。あるのは巨大な宗教的建造物と、見慣れぬ自然のみ。
ふとミナトは足下のちょうどつま先のところになにかがあることに気づく。
「これは……文字が書かれている? 石碑か?」
両手で穂をわけ地面を日の下に晒す。
そこには石版のようなものが埋められていた。
表面に細やかな文字が掘られた形跡がある。しかしだいぶ風化が進んでいるためところどころに欠けやら汚れが多い。
「これって共通語だよな? ってことはここは本当に地球なのか?」
石版には地球人しか知らぬ文字が書かれていた。
ミナトは頭を回し、消えてしまった少女の姿を探す。
いないことを確認し、それからしゃがんで石版の文字を指でなぞっていく。
「この数字は8と……1文字かすれてて見えないけど、次の文字は0だな」
風化が激しく文字をすべて解読することは難しい。
それでも眼を凝らして読んでいくと、とある言葉に繋がった。
「人……ここに眠る」
読み上げて理解し、背筋がぞくりと震え上がった。
宗教的建造物と決まった文言からすべてを察す。
十中八九この石碑は、墓標だ。それも人間が生きたという証。
「…………」
とりあえずミナトは黙祷のため両手を合わせた。
そうしてしばしの慰霊を済ませ立ち上がると、出迎えるように風が頬を撫でていく。
草原のざわめきが急に煩わしいと思った。金色の穂たちが1人佇む姿を嘲笑っているかのような疎外感があった。
「そっか。オレもう1人ぼっちなんだな」
ミナトは落ち着いてみてはじめて己が世界で孤独であるという空虚さを実感する。
なにより先ほど追った少女の影がこの墓標と関連ある気がして寒くなった。
「うん、きっと最近疲れてるんだ。色々なことがあったし頭のなかから幻聴とか聞こえたりするし、過労だな」
わっしわっし、と。黒い頭に手を突っ込んで掻き乱す。
情報収集には失敗したが目下やるべきコトは変わらない。
「そろそろ東たちが落ちた方角に向かうか。墜落現場はほぼ真北とはいえ10kmくらいは離れているはず。なら急がないと日が暮れちまう」
墜落した仲間たちの安否を確認することが最優先事項だった。
喪失した少女に人を慰霊する石碑。なによりこの死を思わせる場から一刻でも早く離れたいという気持ちが大きかった。
ミナトは太陽の位置を確認して方角を定めてから森のほうへと歩きはじめる。
「熊とか猪とかでてきたらどうしようかなぁ。密林だし蚊とか蛇とか蛭とかの害虫もでそうだなぁ。でもこのままここで日が暮れたらもっと面倒なことになりそうだ」
鬱蒼と茂る緑の壁に向かう足どりは、決して爽快なものではなかった。
銃もなければ刃物さえもっていない。あるとすれば非攻撃性のワイヤー射出装置くらいなものだ。
もし手ぶら状態で野生生物にでもでくわしたら……一巻の終わりとなることが容易に想像できた。
だからといってこのままこの場に居残り救助を待つという考えはない。
ミナトは、墜落して苦しむ友の姿を網膜に思い描く。
「よっし! 過酷なサバイバルだろうがなんだろうがやってやらぁ!」
おそらく墜落した仲間たちも助けを求めているはず。
苦しみ喘ぎ助けを求める友がいるならば、5体満足の自分が助けに行く救助者の側ということになる。
ミナトは思い切り両頬をぴしゃりと打って活力を籠め、草原と森の境界を跨いだ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
その刹那。絹を裂くが如き騒音が木々の狭間を縫って届く。
柔らかな土の上に寝た枝が踏まれ折れる音さえかき消えるほどの絶叫、悲鳴。
「ッ!? これは若い女の悲鳴!?」
ミナトは迷いも恐怖も忘れて駆けだしている。
女性と思わしき悲鳴に誘われるようにして、森の奥底へと踏み入っていく。
………………
黒炭の如き黒く澄んだ瞳が墓剣の麓から見下ろしている。
「まさか君も出会いの糸を紡いでいくのかい?」
その去り行く背が見られつづけていることさえ、彼は知らない。
★ ★ ★ ★ ★




