79話 空から人が落ちてくる《In His Sky》
闇を抜けだした先には、世界があった。
「こちらミナト! ブルードラグーン聞こえてるか!?」
通信を送るも返答はない。
仲間たちの搭乗する蒼き機体が遠間に黒煙を上げて高度を下げていく。
すでに片翼の半分を失った期待は失速状態となって地上に吸い込まれていた。
「東! ジュン! 夢矢! ヒカリ!」
こちらの必死の呼びかけに微塵も応答はない。
未だ電波が悪いのか、はたまた衝撃で計器が故障しているのか。とにかく返ってくる音に声はない。砂をこするような雑音のみが戻ってくるばかり。
しかも仲間のほうばかりを心配しているわけにはいかない。この身ですらもう幾ばくの猶予もなく地上へと落下する。
「くっ、なにか対策はないのか! ALEC! このまま落ちても無事に生き残る方法を検索!」
耳に手を当て未来技術に生存法を尋ねた。
と、表示されたモニターにはひとことのみ。申し訳ありません。残酷な謝罪だった。
「使えねーな未来技術ッ!? 謝る前にもう少しがんばってみるとかしてくれよ!?」
文句を言っている間にも地上はぐんぐん迫ってきていた。
前髪がばたばたと荒れ狂う。風がごおごお耳を打つ。どれほどの速度で落下しているのか想像もできない。
「とにかくこのまま落ちたら間違いなく死ぬ! 考えろ考えろ考えろ!」
見放されたのであれば仕方がない。
真面目に考察を開始するしか生き延びる道はなかった。
凄まじい速度で迫る地上という壁に焦りながら真面目に生きる方法を模索してする。
「落ちる直前に地上にワイヤーを撃って斜めに速度を逃がすか!?」
現実的ではないと、即座に脳が選択から除外した。
「ならギリギリのところで下に見える森の木に……いや、枝が折れるに決まってる!」
後がないため思考もざっくばらんとまとりがない。
これでは上空およそ3000kmを着の身着のままパラシュートすらなく駆け下りているようなもの。
現実的に考えれば、もう打つ手なし。残すところ数秒で死へのカウントダウンは0を指し示す。0を指したと同時に衝突の衝撃で内臓はひしゃげ内側から肉体が破裂する。
「なんか、なにか生き残る策はないのか!? 将来の夢が人肉ペーストなんてごめんだぞ!?」
考察がどん詰まりとなれば次にやることは観察だった。
風に遮られながら必死に目を見開く。生命の糸をたぐり寄せる。生きるための逆転を求む。
暴風であっとう間に瞳が乾いてしまう。滲んだ涙もさらわれていってしまう。
「く、っそ! こんなとこで、なにも伝えられないまま――死んでたまるかッ!!」
まだ仲間にすべてを話せていない。
あのノアという船の奥底に眠る電子の魔女や宙間移民船の本来の目的も、そう。
だからこそ必死に生きねばならなかった。人類が向かう未来のために繋がねばならなかった。
広がる大地が近づくにつれて、ふとミナトの目が1点にとまる。
――なんだあのバカにデカい斜めった柱は?
先ほどまでの高度では気づけなかった。
落下し近づくことで地上にある異物を認知する。
落下する真下あたりに巨大なオブジェクト生え伸びていた。
それがなにかはわからない。しかし少なくとも自然的ではない人工物の類いであることは間違いなかった。
そしてもはや考えている暇すらないほど地上が近づいてきている。
「ッ、やってやる! 生き延びられるのなら藁でもなんでも掴んでやろうじゃないか!」
ミナトは落下減速姿勢から身をよじって射出の体勢へと移行した。
もう腹を括るしかない。1度きりの大博打に乗るしか生き残れる道はなかった。
「初めての宇宙遊泳の次はスカイダイビングとはな! 大気圏突入を挟まなかっただけ幸運ってことにしておいてやる!」
だが厄日であることに違いはない。
蒼い流線型の巻かれた左腕をうんと伸ばして狙いを定める。
目標と定めた箇所には高々とそそり立つ謎オブジェがそびえている。ありがたいことに狙いやすい平たさをしており、斜めに傾くような形となっていた。
勝負は一瞬で決まる。外せば負けを自覚する前に肉体がひしゃげて永遠に意識を飛ばす。
「…………――ここだァッ!!」
そしてミナト・ティールは、タイミングを見計らって射出した。
フレクスバッテリーから蒼きワイヤーがひょう、と吐きだされる。
尻を叩かれるようにして飛びだした蒼き閃光は、そのまま風の抵抗さえ無視しながら物体へ向かって飛んでいく。
そして蒼き閃光の先端が銀の平たい部分にピタリと貼りつき固着した。
「やった――うっ!? おああああああ!?」
固定されたことでミナトの身体は振り子となる。
まさにブランコの要領だった。ワイヤーによる支点が完成したことで人体が重心となり運動エネルギーが左右に振った。
こうなるとスカイダイビングは超高速の絶叫マシンへと早変わりする。
「おおおおおお!? ああああああ!? いひいいいいいいん!?」
数回の振り子運動を繰り返すたび悲鳴が上がった。
そしてようやく落下エネルギーを消耗し終えて、停止する。
「……もう2度とやらんぞ」
スカイダイビングもといバンジージャンプを終えたミナトは、真っ白にすすけた顔で放心した。
別に景色が絶景だから見とれているとかではない。本当に怖かっただけ。
この世の時間を刹那に濃縮したかの如き充実かつ幸運な地獄を体験した。
「一生……死ぬかと思った」
ようやく言葉にできたのはたったのそれだけ。
生に歓喜するでもなく世を恨むでもない。零れるのは安堵の吐息と、ごく一般的な絶望のみ。
そうしてひと心地ついたあたりから慎重に蒼き閃光を伸ばしていく。
高いところから丘と思しき景色を見渡してみると、周囲一帯がぐるりと森に囲まれていた。
下には小麦色をした美しい草原が浅い川のように風でせせらぐ。青々と茂る森はせせらぎに合わせて葉を擦らし地の木漏れ日を斑に変化させる。
「それにしてもなんだこのバカでかいオブジェは? 人間って無駄にでかい物を作るの好きだよなぁ……」
そろりそろり、と。ミナトは慎重に降下していく。
これだけ美しい自然のなかにデカデカと異物がそびえる様は異様でしかない。
間一髪のところでワイヤーを貼りつけたものの正体は依然として不明だった。
「これのおかげで助かったからあんまり悪くいおうとは思わないけど、景観が台無しだ」
十字架かね? 口にしてみるも、やはりというか自信はない。
のっぺりと幅広く、それでいて100mはあろうかという巨大さ。材質は曇って見えるが銀色をしており鉄によく似ている。それでも汚れや苔が貼りついているのに錆ひとつないためおそらくは別のもの。
さらにずっと上のほうにある先端の高いところではまさに宗教的な十字を描いてた。
「宗教的遺物ってところか? 神とかはあんまり信じないタイプではあるがなんにしてもありがとうございますかな」
そうしてようやくミナトはたどり着く。
愛する大地と足裏がようやく再会を果たす。
「ここは……地球なのか? オレたち人間を生み育んだ母なる星の……自然?」
見えるものすべてが貴重だった。
風の匂いも、空気の香りも、木々の奥ゆかしさも、草を踏む感触も、日の温もりも。
5感すべてに感じるもの全部が新鮮だった。
呆然と、それでいて圧倒される。草花の1つから空に流れる雲からでさえ生命が満ちている。
ミナトがぼんやり風景に心奪われていると、ふと音が耳に届く。
「……音? いやこれは……音楽?」
自然に似つかわしくない人為的な音を受けとった。
直接鼓膜を震わせるような高くて心地の良い音色が金色の丘に響き渡る。
ミナトは音の出所を探ろうと耳を澄ましながら周囲を見渡す。
「……ん?」
ちょうど斜め下を向いたあたりだった。
わりとすぐそばに音の主が、座ってこちらを見上げているではないか。
「こ……こんにちは?」
「…………」
いちおうミナトのほうから挨拶してみたが、少女は無言だった。
両者互いの眼を見つめ合う。気まずいなんてもんじゃない。
しかもあちらもどうやら同じタイミングでミナトの存在を感知したようだ。
地べたにぺたんと座りながらオカリナの尖った部分を咥えたまま。ピタリと止まって目だけをこちらに向けていた。
――15、6の黒い髪をした女の子。そうなると年はオレと同じくらいか少し上。変だけどオシャレな格好をしてる。
ミナトは、視界のみで得られる情報を集めていく。
チャチャという小動物系異性と同居していたため変に意識したりはしない。が、それでも女子と話すのは得意ではない。
そんななか少女のほうはといえば、イマイチ感情が読みにくい。一瞬こちらを気に掛けはしたが、すぐさま視線を戻しオカリナを持ち上げて桃色の唇を添える。
「~♪」
「おいこら。明らかな無視を決めこんで吹くのを再開するんじゃない」
さすがのミナトもこれには少々イラッとしてしまった。
初対面相手に失礼と思いながらも突っ込んでしまう。
すると少女は、また演奏を止めた。
「……? 今のって僕に言ったの?」
オカリナを白い太ももの上に置き、目を丸くし、首をきょとんとかしげる。
女性にしてはさっぱりと短い眉辺りにかかるくらいの前髪がさらりと流れた。
「この状況で他に誰がいると思うんだ?」
ミナトも一緒になって首を横にかしげた。
いちおう周囲を探ってみるも、やはりこの場には自分と彼女しかいない。
少女はいったん視線をミナトから明後日の方角へと投げた。
そしてしばし大きな目を糸のように細めながら「ううん?」整った眉をうんと寄せる。
「君、まさか僕のこと見えてるの?」
(区切りなし)




