78話 時空よりの使者《Un-residents》
ヨルナは修理を依頼されていた武器を返す。
すると天使は受けとった武器を片手間のよう軽く素振りする。
軽く振っただけにもかかわらず轟という烈風が舞う。かまいたちとなった風が金色の穂を凪ぎ払った。
「こりゃ想像以上に悪くねーです。むしろ以前よりかなり調子良いです」
表情は変わらずとも機嫌が良いのは見てとれた。
刃先が細かく分かれた弓のこ型を眺める瞳は、ワクワクと輝いている。
「これならいくらでもぶっ殺……ぶった切れそうです」
「なんでか言い直しましたけど意味はまったく変わってないですからね?」
「ぬぅ……です」
天使は、さぁ、と愛らしい表情に影作った。
丸い瞳が僅かにだが斜め下のほうを向く。
たまらずヨルナは「どうかしたんですか?」案じつつ下から彼女を覗きこむ。
「近ごろ戦闘中のワタシのことを部下が怖い怖いいってくんです。だからいちおう士気のために言葉遣いには気をつけてんです」
白い翼がぱたた、とはためき光の鱗粉を散らす。
少ししょんぼりとした情緒が窺えた。
だが落ちこむときでさえ微塵も顔色は変わらない。
――どうせ返り血を浴びながら口角ひとつ動かさないんだろうなぁ。
そりゃ怖いよ。ヨルナは呆れ笑いを浮かべながら頬を掻いた。
白い服を鮮血に染めてなお変わらず笑顔を浮かべる姿が容易に想像できてしまう。
周囲には骸を置いて狂面の少女が戦場に佇む。それはもうひどくサイケデリックかつサイコパスな光景に映るはず。部下の天使からすれば恐怖でしかないだろう。
「兎にも角にも修理は完了ってことです。こっちから文句もなにもでてこないほど完璧な修繕を見届けたです」
ありがとうです。そう言って天使は両手をお腹の辺りに合わせぺこりとつむじを見せてきた。
ヨルナはほっこりと頬を和らげる。
「礼には及びません僕ら鍛冶師は顧客の要望を超えることが目的ですから。しかも依頼主が天使様ならより気合いが入っちゃいましたしね」
元来天使は地上との接触を避けるもの。
しかし今回に至っては特例中の特例。なにせ天界を探しても天の遺物なんて修繕可能な技工士がいなかったのだとか。
そこで地上の伝説級鍛冶師の元へ白羽の矢が立てられることになった。
「とはいえ待たせてしまったのも事実ですけどね。地上のマナと天界で使われる聖マナとの違いが大きくだいぶ苦戦させられましたよ」
気恥ずかしいやら悔いが残るやら。熟練者としては面目無い気持ちでいっぱいだった。
なにせ唐突に上位天使が現れて直談判となったのだ。しかも修繕するのは神より賜りし宝物級の超レア物の特級品である。
イロハのイの字もない品を前にさすがの伝説級鍛冶師とてどうしたものかと混迷したものだ。
「けっきょくなかにある特殊な聖マナを僕の創造した器に入れ替える方法で再生させてもらいました。これはもう修繕というより首をすげ替えるような行為に等しいかもしれません」
結果的になんとかなったが、そうそうやりたい仕事ではない。
そんな申し訳なさげなヨルナを、丸い瞳がじぃ、と見つめつづけている。
「ヨルナ。そろそろ天界にこねーです?」
天使は、後ろ手に身体をちょんと傾けた。
踵で浮かせては落とし、素足で草を均しながら上下に揺れる。
そうやって立っているだけなのに寝室へ飾るブロンド模型のように愛らしい。天使とはなかなかに絵になる存在だ。
「その鍛冶師としての腕前は天界でも広く名が知れ渡ってんです。もしヨルナが来る意思を示すってんなら選定様も諸手を挙げて天界に迎えるっていってんです」
「ううん……お褒めいただけるのは非常に嬉しいですけど、そうはいわれましてもねぇ……」
対してヨルナは曖昧に言葉を濁す。
天使からのあまりある賞賛にくすぐったさを感じながらも愁いを帯びる。
「それに天界へきたほうがヨルナは幸せになれると思うですし、天界もヨルナがくるのを待ってんです。その力はこれから先の戦で奮われるべき才能ってやつです」
崇め奉るべき天使から直接の勧誘だった。
そしてそれは罪なく生き世界から認められた者のみが与えられる栄誉ある称号でもあるもの。これが光栄でないはずがない。
しかしヨルナから天使に返す答えは常に同じ。
「ごめんなさい。今回も謹んでお断りさせていただきます」
身分の差すら感じさせぬ堂々とした立ち振る舞いで誘いを断った。
なにもこれが唐突なブッキングというわけではない。もう幾度目かの誘いだったし、そのすべてをこうして断っている。
ヨルナは、少し悩む素振りを見せながら腕を組んで空を仰ぐ。
「僕は神域の名を捨てた身です。そんな僕が今さら天界に昇るのは世界の道理に反すると思うんです」
「だからといってこんな場所に宙ぶらりんをつづけるのははっきりいって蛇足です。時間の無駄です」
天使になにをいわれようが揺るがない。
ヨルナとて信仰を捨て神の意志に背こうとしているわけではなかった。
しかしこれが己の信ずる道だと決めているからこそ揺らがぬ。
「今の僕は、冥府の巫女によって誘われし、棺の間の救世主なんです。そう、だから今はヨルナ・E・スミス・ベレサ・ロガーです」
ヨルナは凜と佇みながらはっきりと天界に昇らぬ意思を伝えた。
なぜならこの身はすでに生涯を終え肉体を捨てている。あるのは魂と、生きたという経験のみ。
もう依り代に縋らねばこうして大陸世界に現界することさえ叶わなぬ亡霊の身だった。
そんなヨルナの決断を前にして、断罪の天使は、ふっ、と筋の通った小さな鼻を鳴らす。
「予想はしていただけに残念です。ワタシがいくら望んだところでヨルナの意思が固まってるならどうしようもねーです。なにより天使は種族を愛しているからこそ強要できねー立場です」
ふわり、と。風が舞いこんで白く広いスカートが鈴のように揺れた。
表情は変わらぬのに声には僅かな哀愁が籠められていた。
「じゃあそろそろ帰っとくです。いつ時の軍勢がまたばたばた突っこんでくるかわかったもんじゃねーです」
そう言って天使はくるり、と踵を返した。
天へ戻ってまた戦へと繰りだす。幾千万の敵を千切り損耗した武器は修繕されて、もうその手のなかにある。
天界は来るべき日に向けて敵の軍勢を1つでも多く潰しておきたいのだろう。あるいは、これ以上進行をを許して犠牲がでぬよう前線を維持しつづけている。
「あーあー、です」
しかし彼女はそのまま立ち去らず。
わざとらしい伸びとため息を吐いてからヨルナのいるほうへと首だけがだらんと振り返った。
「鍛冶に没頭しすぎていつの間にか伝説となったけど処女のまま寿命を迎えておっ死んだ可哀想な魂を救ってやりたかったです」
「最後の処女の下りだけ余計なお世話過ぎるんですけど!?」
表情が変わらずともわかる。
上手い具合に丸めこめず嫌みをいっているのだ。
天使の言葉を理解すると、即座にヨルナの頬がかぁっ、と桃色に染まった。
「ぼ、僕は作り手としてプライドを持って生きたんです! だからそういう恋愛事とかにうつつを抜かしたりしません!」
「口ではそんなことをいいながら実はちょっと後悔してたりすんじゃないです? 天界にくればこんな寂れたところよりハリのある生活を送れるはずです?」
その通り。この丘に同種がくることはほぼあり得ない。
なにせここは大陸の最果てと呼ばれる、誘いの森。魂の浄化を行う冥府との境に存在する濃密な森であるため、あふれた負の力により魔物が異常強化されている。
そのため華のあるボーイミーツガールなんて、もってのほか。ときおり無謀な冒険者の悲鳴くらいなら聞くことは可能だが、生きたまま会えることはまずあり得ない。
からかわれたヨルナはふんすこ頭から湯気を立てる。
「そんなこといって天使様たちは例外を除いて両性じゃないですか! もし僕が万が一に――いや、億が一にでも望むのであれば普通の男性がいいです!」
「天界にくれば浄化されず選定された優秀な男もいっぱいいんです。そんな連中ときゃっきゃうふふな逆ハーレム生活を送れば夢が奏生です」
「ぎゃ、ぎゃくはーれむ!? そ、そんな不埒ではしたないこと願ったことあるみたいないいかた止めてくださいよ!?」
こちらからぐうの音もでぬほど、天使は真実を語っていた。
技術を磨くことのみに生を費やす。それのなにがわるいのか。
そんな後悔を色々と自覚しているからこそヨルナは全身に恥辱を滾らせる。
「確かに彼氏やら旦那やら……い、いい、いくとこまでいって子供やらとか考えなかったわけじゃないですけども!? でも剣やら槍やらは作れてもそういう色恋沙汰は作り慣れてなかったんですもん!?」
もじもじ、と。ショートパンツから伸びる白い太ももをすりあわせた。
常に命を焼べて鉄を打ち革を編みつづける。ゆえに己が女であると思いだしたのは、金床に突っ伏した死ぬ直前のこと。
そういう一生もありえたのかな、なんて。異性と手とかを繋いでみたかったな、なんて。キスって鼻と鼻がぶつかったりしないのかな、なんて。身は死しても未だ純情は死せず。
しかし生の済んだ今さら考えても後悔しか沸いてこないし……――終わっちゃったんだからしょうがないもん!
「婚約者 なんていなくてもけっこう充実した一生だったって思ってますよこっちとしては!?」
悲しき独り身の強がりが鬱蒼と茂る木々の隙間を縫う。
しかしこれほどヨルナが本音をさらけだしているというのに、天使のほうからはなんの反応も返ってこなかった。
それどころかどこぞ明後日の方角を扇いでいる。
「そんな……! そんなバカなことあってたまるかです……!」
瑠璃色をしたガラス玉の如き眼が空を映して揺らいだ。
握った弓のこが微かにかたかたと震え、握り手に力が籠められていく。
「あ、あれはもう200年前に全滅させたはずです!? 創造主の愛する大陸種族たちが多くの命を賭してまでやり遂げたってんです!? なのになぜこのタイミングでアイツらがまたでてくんです!?」
風が踊り、羽が舞う。
天使は中空を扇いだまま畳んでいた背の翼をわあ、と洗い立てのシーツのように広げた。
ヨルナはハッ、と異常を察し、目元を引き締める。
「タストニア様? どうかしたんですか?」
「どうもこうもねーです、最悪です! もうどうしようもないくらいクソ食らえです!」
空のどこかを見つめながらすでに声さえも震えていた。
ここまで慌てふためく天使を見たことがない。
ゆえに先ほど天使の武器を握ったときのよう な に も な い から武器を引きだす。
ヨルナは、鍔のなき短刀と花を模した細剣が構えた。
「――ッッッ、グゥ!!?」
それもそのはず。
ここまで強烈で身すら強張る悪意を感じたことはない。
天使から遅れて存在を知覚した直後、瞬間で全身が震え慄き、極寒を覚える。
「なっ――これはいったい!?」
弾かれるようにしてヨルナも天使と同じ方角を睨んだ。
肌に感じたのは猛烈な悪意の塊だった。あるいは幾数億に濃縮された殺気。とにかく一瞬で根源が敵であることを教えられた。
しかもこれほど膨大な悪意が1点のみにおさまるはずがない。上空から降り注がれる途轍もない気配は、今現在大陸全体へと伝わっているはず。
「に、200年前の時とまったく同じです……! また時空の亀裂が開こうとしてやがんです¥!」
「時空の亀裂ってまさか!? これほど強烈な悪意が今大陸全土に広がるなんてまた漆黒の異形がこの大陸に降り立つということですか!?」
「そのまさかです! こうしちゃいられねーです!」
冷や汗を額にびっしりと浮かべた断罪の天使は、振り返る暇すらなく飛び立つ。
「早く天界へ戻って対策を講じねーと――大陸どころか世界が喰われかねねーです!」
翼に押された大気が暴風を生んで金色の草原に竜巻を作った。
そうして天使はあっという間に空に開いた光輪のなかへと消え去ってしまう。
おそらくは今現在大陸どころか天界までもがこの膨大な悪意を察知して浮き足立っていることだろう。
しかもこの異常現象がルスラウス世界に訪れたのは、1度目ではない。
「ここまですべてが英雄譚の終幕通り……! だということは16の瞳と大船の化け物が現れようとしている……!」
世界と世界の狭間に巣くう闇の話ならばヨルナも聞いたことあった。
その昔、世界の狭間より異形が襲来したという記述がある。大陸世界に住まう者なら知らぬ者はいないほど有名な逸話でもある。
そして来たりし異形は大陸に死をもたらし破壊の限りを尽くす。
そうして結集した大陸種族たちの決死の努力によって、討伐された。
しかし戦いの出血は大きく、犠牲は数多。大陸種族たちは暗黒との戦いで多くの命を失いながらも、この地を守るために戦い抜いたのだ。
そんな英傑揃いの種族たちは討伐してなお伝え残す。闇を世界に存在してはならぬ非住民――アンレジデントと呼称し、恐怖しつづけた。
ただその厄災の話には、つづきが存在している。
「もしこれがあの話と同じなら……この地に伝説の種族が現れるはず。その蒼き力を携えた人という種族が世界を越えてやってくる」
悪意の去った空は、透き通るほど青く澄み渡っていた。
ヨルナは視線を落とした手をぎゅっ、と握って額に当てがう。
「……導きたまえ……そして光無き世界に抗いたまえ……」
静かに祈りを捧げつづけた。
過去に見送った背は、遠く。未だこの地を踏まずにいる。
金色の園には、人という唯一種の墓標たる剣がそびえ立つ。
銀閃は、荘厳な眼差しで、滅ぶ寸前の世界を見守りつづけていた。
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