77話 英雄のいた世界《NEVER END》
おー、我が祖父ルスラウスよ。友よ住まいし天空に。
あー、我が祖母ラグシャモナよ。友よ備えし冥界に。
翼をわけた偉大な天使よ。種は祈る、其の幸を。
故に友よ祈りたもう、必ずや我らはいずれ其の地に至ろう。
大陸よ永遠なれ。主よ永久に謳え。ああ運命よ。
ルスラウス賛美歌 第1節 福音
○○○○○
音色が託された風が緩やかな音の裾を伸ばして運んでいく。
巨大トロルの頭骨を削って磨いたオカリナが神を讃える譜面をなぞる。
神聖なる曲を聴いた稲穂がさらさらと頭を垂らして平穏の世を讃えた。
「……火薬の爆ぜる音? いやこれは花火?」
はたと歌口に吹かれる息が止められ音色が引いて静寂を呼ぶ。
少女は、しなやかな動作でそっと立ち上がる。黒い瞳が真っ直ぐ北西の空を見つめた。
美しき金色の実を蓄える金色の丘にただひとり。孤独な風が燕尾風ののマントをさらった。
森の葉がそよぐたび犬尾の如き長い花穂が機嫌良く尾先をひねる。
「そういえば今日だった。こんな辺境の地に居座っているとどうにも時間の感覚が鈍ってくるねぇ」
少女はやれやれ肩をすくませ、オカリナをポーチに仕舞い入れた。
肩と腰に革で固定する――容量は少ないが――戦闘時にばたつかぬ冒険者用のポーチである。街で婦人や童が野菜やら教本をおさめるものとは粗野だが丈夫。
なにより彼女のポーチは革なめしから編み上げまですべて自分で行った手製の一品だ。
留め具しているハートのアクセントは邪を払うといわれる真鍮製。髪にもつけたヘアピンとお揃いになっている。
「エーテル国女王の聖誕祭があるんだったかな? 100年近く空席だった王の座にはやっぱり聖女様が座るのかな?」
かなかな? 手を打って記憶を呼び起こす。
だが正直興味はそれほどない。
そうやっている間にも遠くからはどぉん、どぉんという火薬の爆ぜる音が飛びこんでくる。幾重にも木霊した低い音程が太鼓のように拍子を刻む。
「どうせ他種族事だしどうでも良いや。お国の心配事はちゃんと学校をでてる頭のいい連中に任せればいいもんね」
機械油に汚れた指をぱちんと鳴らす。
すると草原に散らかしていた鍛冶道具が弾け消え、跡形もなく消滅した。
片付け完了。マナで構成していた魔法炉や金床にマナの供給を絶てば、この通り。残されたのは潰された雑草の痛ましい姿のみである。
先ほどまでオカリナを吹いていたのは、単なる暇つぶし。ついうっかり作業の熱が冷めて時間を持て余していただけだ。
生涯この道しか知らないで生きていた。だから学もなく、金槌を握り鉄を打ち魔法を注ぎつづける。
「ん”ぅ”~! マナもたいぶん使い切ったし今日はこの辺であがろうかなぁぁ!」
両手を掲げて胸を反らす。むっちり肉の厚い太ももをピンと伸ばす。
全員をふるふる震わせながら両腕を高く伸ばし、伸び上がった。
血を巡らせたら作業で蒸した服の中へぱたぱた空気を送る。
膨らみの肌の合わさる間あたりが特に蒸してたまらない。そうやって新鮮な空気を送ってやると浮いた汗をヒヤリとさせて心地よい冷をくれた。
「先代女王を務めた先代聖女様は優秀だったって聞くけど、今回の聖女様はどうなんだろうね。正直なところ悪い噂がちらほら囁かれて国境の外まで漏れてるしさ」
心無い言葉に含みもなければ考えすらもない。
とにかく興味がないのだ。なにせ今生をもってして治世というややこしいものに触れたことすらない。
治世や政なんて知ったものか。信じられるのは己の生みだす作品のみだ。
この身は俗世に魅入られることなく魔機の腕のみを磨き上げた。ゆえに契りの儀式という男女の睦言すら知らぬ存ぜぬを貫き通す。
「でもいいなぁ~……今ごろ聖都では美味しいお料理とかお酒のお屋台とかでてるんだろうなぁ~」
少女は、締まりの悪い口元から垂れたよだれをじゅるりと拭った。
綿飴、チョコレートアイス、醤油たっぷりの焼きトウモロコシ、照り焼きピザ、小倉トースト、あんころ餅ぃ~。とりあえず絵に描く餅に味はしない。
「あとはきっつーい蒸留酒があればいうことなしだねぇ~」
物欲しげな貪欲の眼差しで、遠くの空に思いを投げる。
決して叶わぬ空想とはいえ思い描くだけなら1ラウスもかからない。つまり無料。
そしてもう1度ぽっかり口を開けて「ふぁっ……」と、だらしない吐息を漏らす。
時間と労力は売れるのに、暇は売れない。なんて世知辛い世の中であろうか。
「熱燗飲みたぁ」
金色のベッドにばったり横たえた少女は、今日も今日とて暇を持て余した。
そんな彼女を嘲笑うかの如く余所の祭りの音が鳴る。
およそ3~40kmほど離れたエーテル国首都エーデレフェウス方面から祝い事の華が上がる。
「見えないけど聞こえる、平和の音。本物の英雄が築き上げた安寧。そんな英雄の顔を僕は……知らない」
少女は陽光を嫌がって手でひさしを作り目を細めた。
その昔、このルスラウス大陸世界には英雄がいた。という伝説が残されている。
大陸世界に生ける者であれば知らぬ者はいない。有名な伝説があった。
「冥府より来たれり絶望と厄災が大陸世界を覆い尽くすとき英雄は現れる。鉄の巨大を操り、世界を巡りて、種を繋ぐ。縁をもって平和をもたらす繁栄を築きし伝説の種族」
少女は空を映す瞳をぼう、とゆるやかに滲ませた。
夢うつつをたゆたうみたいな朧の囁きで、記憶の頁を虚ろに詠む。
飽きず憧れ、飽きるほどに読んだ。それは物語ではない。過去に存在する英雄譚の一節だった。
世界には類い希なる才をもって英雄と名高く認められる者たちがいる。だが、そのなかでも語り継がれる彼の英雄こそ正真正銘の本物の伝説だった。
「はぁ……もう150年早く生まれていれば良かったのに」
桃色の唇からはふぅ、とアンニュイなため息が漏れた。
腕で日を遮りながら見つめる先は、空よりももっと遠いところ。
「……早くこないとすべてが手遅れになっちゃう。みんな君の帰りをずっと待ちつづけているんだから」
待てども、待てども、待ち人帰らず。
旅だった背は、遙か彼方。手の届かぬ遠いところにいってしまった。
「安否も行方も知れず。生死すら確認する術はなし。こんな宙ぶらりんな状態で待たされる身にもなって欲しいよ」
まったくもう。少女は可愛く口を尖らせた。
文句なんていってみたがどうにも胸のもやもやは晴れない。やはり心配のほうが勝っている。
そうやって全身に日を浴びながら憂いていると、不意に気配を悟った。
それほど高くない位置から唐突に不自然な光がはらはらと舞っている。
「ん、ようやくお出ましだね」
来訪者に気づいた少女は、上体を起こす。
それから失礼のないよう襟を正し身だしなみを整え、服に貼りついた雑草のカスをぽんぽんと払った。
降り注ぐ光の粒子が螺旋を描き少しずつ形を変えていく。
そうやって光が集まると、ひとりの少女が唐突に現れた。
「ずいぶん暇そうにしてるじゃねーです?」
背に絹を編んだような白翼を生やす。
大きな翼をゆるやかに羽ばたかせながらこちらへと降下してくる。
風を巻いたブロンドの麗しい長髪が扇状に開き毛先が遊ぶ。それと一緒にベル状に開いた丈の短なワンピーススカートが左右に揺れた。
目はぱっちり大きく、身は小柄。顔立ちは幼げながら美という位置づけといえるくらい整いきっている。
しかし表情は怒っているやら威嚇しているやら。とにかく彼女のそれは笑みであって笑みではない。もっと別のもの。
「天界は大火事かってくらい忙しくてたまったもんじゃねーってのにいい御身分です」
「それはそうでしょうね。こっちが平和なのは天使様たちががんばってくれているおかげなんですから」
「わかってんならいいです。これからもこのがんばりを認めつづけろです」
黄金色の丘に降臨したのは、紛れもない天使だった。
見た目だけならヒューム換算でいうところの15か6ほど。しかして実態は100や200で数えたほうが早い。
しかもただの天使ではない。上位天使。
彼女は、断罪の天使と呼ばれ、通常の天使はもたない高名の役職を担う。いわゆる傑物という位の高い崇高な天使である。
「確かに絶賛暇を持て余していたのは認めます。でもこの地上に上位天使様より高い身分は存在しないと思いますけどね」
少女はひらひらと手を払いながら肩をすくめた。
「そういうこといってんじゃねーです。もっと相応の迎えかたというか礼を尽くすとかしろってんです。こちとらのんびり湯浴みをする時間もないくらいあくせく必死にがんばってんです」
天使ならぬ烏の行水です。冗句をいうときも眉ひとつ動かさない。
どうやらこの愛くるしい天使は、少々ご機嫌斜めらしい。
あたりどころない怒りを早口でまくし立て、仮面のように冷え固まった顔をくったり横に寝かせる。
だからといってこちらの対応が変わったらもっと不機嫌になるのだから面倒くさい。
それを知っているからこそ少女は、やれやれとした心情で「あはは」軽く笑っていなす。
「で、それだけ暇そうにしているってことはあれの修繕もばっち終わってるってことでいいです?」
「その件に関してなら問題ないですよ。なにせ請け負った仕事をとりこぼしたことは生涯1度もないですから」
唇に指添えふふ、と魔性の弧を描く。
少女の解答を聞いた天使の首が、ぎぎ、ぎぎぎ、と。軋みながら元の位置に戻る。
「天の遺物さえも創製するとは、さすがヨルナ・L・スミス・ベレサ・ロガーってとこです。ルスラウス大陸史上最高峰の鍛冶師――神域のヨルナと謳われるだけのことはあるってもんです」
(区切りなし)




