76話 光《HOPE》
致命的なエラーの発生
縁
検知
血族の盟約《神羅凪》
世界
続行
「察知されたッ!? 消灯しろッ! 急げッ!」
異形の瞳開かれるとほぼ同時にライトが消灯された。
明かりが消えると船内は再び闇に包まれる。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「…………」
そして冷え切った氷の如き静寂が訪れた。
全員が息を潜めて静まりかえる。誰1人として正常な者はいない。全員がこの世のモノとは思えぬ恐怖を共有して立ちすくむ。
勝負は目に見えていた。だからこそ逃げるという決断すら下せず。
「ふぅ……! ふぅぅ……ふぅぅ!」
「…………っ!」
気づかれぬよう、この命がここで終わってしまわぬよう、願う。
祈り手を結びながらいるはずのない慈愛の神に願い、耐え忍ぶ。
――あの量が相手となればまず逃げられない……! もしこちらが動くことで刺激を与えてしまえばいっかんの終わりだ……!
東は額に脂汗を滲ませながら拳を握りしめた。
それから1秒、2秒と命の導線が繋がっていく。早鐘を打つ鼓動が生命をつづける。
船員たちは、きたる1秒後に恐怖しながら震えがおさまるのを待ちつづけた。
この審判にも等しい苦痛は時間にしてどれほどだっただろうか。10分かもしれないし、1時間かもしれない。
そうしてようやくあの異形の者たちは、まだ襲ってきていないと理解する。
窓の外を覗けば浮かんでいたはずの瞳は消失し、はじめからある闇だけとなっていた。
「ここって……どこなの? 私たちアザーに向かってたんじゃないの?」
誰かが恐怖に震える声で言った。
それが口火を切ると途端に船員たちは主張をはじめる。
「なにかの巣ってなんだよ!? あんな生き物見たことも聞いたこともないぞ!?」
「逃げよう! こんな場所にいたら殺されちゃう!」
「逃げるってどこにだよ!? どこにも逃げ場所なんかないだろ!?」
静寂が返る。現場は阿鼻叫喚と化す。
船員たちは恐怖によって気が動転していた。
そこからさらにここはどこ!? ノアは!? 悠長なこといってないで逃げなきゃ!? 閉ざされた空間は喧々囂々と、混乱の渦中へ陥っていく。
「お前ら落ち着けって!? こんな場所で言い合ったってしゃーねーだろ!?」
あわやパニックとなりかけた寸前でジュンが間に割って入った。
やや強引ではあるが興奮した船員たちを引き剥がしていく。
船内は完全に理性を失いつつある。しかも打つ手がない。まともな思考も働かなければ対策する術すらもたぬ。
1手間違えたら確実に死を呼ぶ状況は、気弱な船員から順に正気を崩していく。
「うっ、ぐすっ……! そうやって慣れてるからってみんなが同じだと思わないでよ!」
ヒカリの目がうるうると滲んで頬に涙を伝わせた。
膝がガクガクと揺れ身体はあますことなく震えている。耐えかねた結果とうとう堰を切ってしまったらしい。
しどと流れる涙を前にジュンは一瞬たじろいだようだった。だがすぐさま首を振ってもちなおす。
「見ろ」
「……え?」
そうやってジュンはヒカリの眼前に己の手をかざした。
彼女の瞬く濡れた瞳の寸前の手は、大袈裟なほど小刻みに震えている。
「俺だってビビってんだ。慣れてようが慣れてなからろうが誰だって死ぬのは怖え。だから生きるために冷静に状況を分析するんだ」
ヒカリは肩に置かれた手を横目に見て、はっ、とした。
それから恥じ入るようにうつむいてから「……ごめん」しょんぼりと謝罪した。
蚊帳の外では、夢矢がコンソールへアクセスしている。
「回線も……ダメ、繋がらない。オペレーターさんがやってる周囲見知も上手くいってないみたいだし、おそらく電波そのものが届かないか途絶えてるんだと思う」
オペレーターもコンソールを叩く手を止め、力なく頭を横に揺らす。
「どうすんのさ~。このままじゃじり貧になるだけだよ~」
「クッソ。こういうときに専門家がいねぇ。アイツがいりゃなにかわかりそうなんだがな」
珠が欠伸すると、ジュンは忌々しげに闇を睨みつけた。
そして全員が唯一いる大人の元に指示を求めるよう視線を集める。
「……っ! 少しだけ時間をくれ。なんとか、なんとかしてみせる」
不甲斐ない。握った拳は己への恥を隠すため。
東はなおも葛藤をつづけていた。
――一か八か突っ込むにしても道がない! そもそもここはいったいどこなのかを判明さねば!
なんにせよノアに帰ることだけは絶対条件だった。でなくば食料と酸素が本当の意味で生命線となる。
ここはまるで元いた世界と別の世界だ。それも反吐がでそうなほど邪悪で忌むべき世界。
今や人類にとって白翼の移民船こそが母星といえよう。母星という拠点なくして人類に生きる術はない。
「……はぇ?」
と、静まりかえった船内にふぬけた声が反響した。
目を濡らしたヒカリの瞳がきょろきょろと、しきりに周囲を見渡す。
「どうしたの? ヒカリちゃん?」
夢矢が気遣うも、彼女はきょろきょろ辺りを見渡すばかり。
そしてヒカリは両手を耳横にかざし両目を閉ざす。
「……なにか変な音しない?」
船内が再びどよめきを発す。
ヒカリは「しーっ!」といって唇の前で指を立てた。
しばらくそうやって口を閉ざし音に意識を集中させた。
すると夢矢も同じようにはたと前髪を振る。
「なんか……僕にも聞こえたかも?」
こっちかな? そう言って装甲が開いていない窓のひとつに小股気味に駆け寄っていく。
窓が地下ずくと壁に背を預けてそろり、そろり。音を殺して忍び寄る。
そして装甲がしゅっ、と開いた先の闇を恐る恐る覗き込む。
『あぁぁぁ~けぇぇぇ~てぇぇぇぇ~よぉぉぉぉ~……』
「――ヒッ!?」
夢矢の目がギョッと見開かれた。
ぬぅ、と。いるはずの無い影がすぐ目の前の窓に貼りついている。
しかも器用に全員への回線を使用して恨めしい声を送りつけてきていた。
「ヒィイイイイイイイイ!!?」
夢矢は弾かれるようにして窓から飛び退いた。
途中で尻もちをぺたんとつく。それでもとにかく逃げようとばたばた足を滑らせる。
「ミナトくんのお化けえええ!? ミナトくんがお化けぇ!?」
その意味不明な叫びに船内の全員が萎縮し短い悲鳴を漏らす。
化け物騒ぎから一転、今度は幽霊騒ぎである。たまったものではない。
そんななかジュンだけは勇敢に窓の外を確認しに向かう。
「み、みんな落ち着つけ!? これたぶん本物だぜ!?」
ほら! そう叫びながら全員のナノコンピューターへ情報を送信した。
宙域地図が開かれる、電波が役目を果たさず真っ暗な地図。そしてそこには《マテリアル1》というただ1人を示すチームコードと生存反応が点に描かれていた。
これには東でさえも心を乱しながら慌てて窓のほうへと駆ける。
「なんでお前がここにいる!? まさか本物が化けてでたパターンじゃないだろうな!?」
『おいこらまだ殺すんじゃないよ。とはいえ酸素の量的にあと15分で宇宙即身仏確定だけどさ』
声を交わしてなお信じがたい。
それでも透明な強化硝子越しには見飽きるほど見た顔があった。
窓の外側には、非フレクサー用宇宙作業装備一式を着たミナトが貼りついている。
「なんでお前がここにいるのか答えろ! 遠征には参加せずノアに残ったんじゃなかったのか!」
『理由なんてそっちと一緒だよ。掃除機に吸われたティッシュみたいにぼそっと大穴に吸いこまれたんだ』
「ならどうやってここまで生き延びた!? まさかとは思うがその旧式装備のみで酸素を吐きだしながら泳いできたとでもいうのか!?」
東には彼の生存がどうしても現実とは思えないでいた。
あれだけいた異形の者に感知されることなく、その上でこの船まで辿り着く。とてもではないが現実的ではない。
すると回線越しに『なにいってんだ?』一蹴してくる。
『今さっき船の明かりをつけただろ? あれってオレの通信を聞いて位置を知らせてくれたわけじゃないのか?』
「いや……それは偶然だ。おそらくこの空間は電波が非常に弱くなるらしい。だからお前からの音声は今に至るまで1度も届いていない」
視線を送られたオペレーターはこくこく首を縦に揺らす。
『どおりでうんともすんともいわないわけだ。あれがなかったらマジで置いていくところだったよ』
神は窮地になんて頼りのないプレゼントを送ってくるのだろう。
それなのに心の支えを失いかけたチームに僅かな希望が芽生えつつある。
東でさえもこの場に至ってはじめて「ははっ……」――乾いているが――笑えた。
とにかく中に入れてやろう。それから抱きしめてやってもいい。そんな安堵感のなかでふと気づく。
「お前……もしさっき点灯しなかったらどうするつもりだったんだ?」
加えて彼は変なことを口にしていた。
孤立無援。宇宙で漂流した状況のミナトだったはず。
なのに彼は『置いていくころだった』なんて、余裕すらあった。
ミナトは、宇宙をたゆたいながらにへらと苦笑する。
『ああ? そんなの決まってるだろ?』
アザー生まれだからか宇宙遊泳がかなり下手だ。
ノアでは必修科目で年少でさえ普通にこなせる技術をもちあわせていない。
そのため窓をいったりきたりと忙しい。ブーツから酸素を吐いて体勢を維持する動きすらぎこちない。
そうしてミナトはようやく体勢を固定させると、闇を指さす。
『この船もあっちに見える出口を目指していたんじゃないのか?』
「出口……だと?」
船内が再びざわめきを再発させた。
顔を見合わせ「出口?」「どこ?」一同一様に瞬くばかり。
光さえなく闇のみに支配された世界では当然そんなものないし、見えるはずもない。
「まさかもう本当に死んでて天国を目指してたんじゃないのか?」
『なんでお前らは生還してるオレを率先して殺したがるんだよ……。向こうのほうにずーっと白い光が見えてるじゃないか』
なおもミナトは同じ方角を指さしつづけている。
東には、ヘルメットの少年が嘘を言っているようには思えなかった。
だいいち彼はノアの民たちを救った英雄という経歴をもつ。ここで安易な嘘をついて友人もろとも自殺するようなことをする理由がない。
船員たちもまた彼の活躍は知るところ。だからといって手放しに信用するのではなく声を潜めて会議をはじめる。
「どうする? ミナトを信じて一か八か突っ込んでみっか?」
「もしかしたら外からだと光が見えるのかも? それにミナトくんがこんなピンチに嘘をつくとは思えないよ?」
まずはジュンと夢矢は信じる側につく。
というより打つ手がない以上は信じるしかない。
それを理解しているからかヒカリを含む他船員からも否定の声はない。
「だいいちここにいたくない! あの気持ち悪い生物がいつ襲ってくるかわかんないんだもん!」
「このままここにいたらあの虫みたいなヤツに気づかれて食べられちゃうかもぉ?」
「珠オマエ嫌なこというなよ!」
喧々囂々。唐突に現れた希望に縋ろうと必死だった。
そして会議は着実に一方向へと収束する。
「ミナト……その光はどの向きにある?」
『このまま真っ直ぐだ。船が向いてる方角ジャストちょうどって感じだな』
「……そうか」
東にとってこれは苦渋の決断だった。
それから「すぅぅ……ふぅぅ……」脳に酸素を送りこむ。覚悟を決める。
ここから先の発言はこの場にいる20名+1名の命を左右する。それでも――
「全員配置に着き今すぐエンジンを再起動しろ! エンジンが再点火ししだいミナトが見えるという光を目指し最大出力だ!」
東は、「闇を突っ切るぞ!」世界に光をもたらしてくれた少年を信じた。
この命は1度賭け捨てたはずの命。
それならばもう1度彼に賭けてみる。決断を下す。
………………
上下すら定かではない闇に閃が描かれる。
飛び立った蒼き鳥は開いた翼を可変させながら闇のプールを音速で泳ぐ。
タービンから噴きだす炎を尾のように引きながらキィィンという高音域を吐いて1発の弾丸と化す。
そして蒼き船体が通り過ぎると闇のなかに幾千もの赤き毒々しい瞳が開眼していく。
もう止まることも戻ることもでない。親元から飛び立った雛鳥は生が尽き果てるまで空に在りつづけると決めたのだ。
「ン”ッッッ――ニ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”!!!!」
死ぬ。あるいは死んだほうがマシ。どっちも同じ。
気分はシェイカーのなか。あるいは起動中のフードプロセッサーの内側。
この命を繋ぐのはたった1本の蒼いワイヤーのみ。まさに命綱だった。
『東!? ミナトくん乗ってないよぉ!?』
『しまった!? 回収するのを完全に忘れていた!?』
回収し忘れ。
無責任な東の指示によってすでに船は航行を開始していた。
まだミナトが乗っていないにもかかわらず、船が全速力でブースターから火を噴いている。
『いいか!? 意識だけは絶対に飛ばすんじゃないぞ!! 意識さえ保っていればフレックスが途絶えることはない!!』
さすがの東もこれには慌てた。
内側の窓に貼りつきながら普段では絶対にださないような焦り声で通信を送ってくる。
なのだがミナトの耳にはまともに届いていない。
「ゴォ”ォ”ォ”ォ”ゴッ、ッオ”!!!? んがあ”あ”あ”あ”あ”あ”がっが、がががあ”!!!?」
『や、やべぇ……! ミナトのヤツ奇声上げながら白目剥いてんぞ!?』
『ミナトくんしっかりしてぇ! ミナトくーん!』
仲間たちの悲鳴が辛うじて聞こえてきた。
だがヘルメット内に木霊する自身の悲鳴のほうが大きい。
なんとか発進直前に可変翼にワイヤーを射出した。だがこのままではそれほどもちそうにない。
ミナトは薄れゆく意識のなかに美しい花畑を思い描く。
「――ハッ! セクシーランジェリー姿の夢矢が河の向こうでおいでおいでしてる!」
『僕生きてるからたぶんそれ僕じゃない別のなにかだよ!? あとなんでランジェリー姿!? 普段僕のことどんな目で見てるの!?』
そうやっている間も飛び立ったブルードラグンーンはさらに速度を増していく。
腕がキリキリと痛む。フレクスバッテリーだって軋みを上げて悲鳴を上げている。
大気がないためか空気抵抗はないためなんとかしがみつけていた。これで空気の壁があったら今ごろ腕が千切れ飛んでいたかもしれない。
――あっ……これはさすがにヤバいか?
ミナトは限界を迎えつつあった。
意識下にモノクロの映像が次々流れていく。
――ディゲル、チャチャさん……。
それがすぐ走馬灯であるということがわかった。
出会った家族や友、それからチームの面々の顔が浮かんでは消えていく。杏をはじめとした友の顔が鮮烈なフラッシュバックとなって横切っていく。
――杏、ウィロメナ、信、愛……あとチャチャさんと……チャチャさん?
走馬灯の間に同居人だったチャチャの恥ずかしい姿が挟まる。
1人の友が流れるたび、ミナトからイタズラを食らった際の愛らしい表情が流れた。
いつだって新鮮な反応を返してくれた人がいる。痩せた身体のくせに女性的な部分はしっかり柔和で色気を孕む。
ミナトは、そんな愛する家族の姿を思いだして、再び意識を持ち直す。
「チャチャさんのパンツがちら、ちら――ハッ!? まさかこれが本当のパンチラってやつか!?」
途端に仲間たち含め船内から覗く視線が細くなる。
『お? わりと元気そうじゃね?』
『……健康的な元気ではないと思うけどね』
周囲を取り巻く瞳の数はすでに数えきれぬほどだった。
ブルードラグーンが炎を吹いて横切ると闇のなかに赤々とした瞳が増えていく。
「――――――――――」
目で追う。
どの瞳も人の放つ輝きに魅せられるようにぎょろりと向きを変えた。
どれほどの数がいるのだろう。なにもなかったはずの暗黒に大壁の如く赤が灯っていく。
『ミナト! 光はどこだ! このまま真っ直ぐでいいのか!』
「もうすぐだ! どんどんデカくなっていってる! 目を開けていられないくらい大きな光がすぐそこにある!」
同時に眩い光がもう目の前まで迫っていた。
だが、ミナトは下になにかがあることに気づいてしまう。
「……16?」
周囲の目とは威圧感がまったくといっていいほど異なっていた。
16のおぞましいほど巨大な瞳が、ずっとこちらの下にあるのだ。
「この船を追ってきてる!? 他とは違う!? なにかしてくる!?」
次の瞬間16の光が生まれた。
希望なんてものではない。赤くどす黒い絶望の光。
闇に浮かぶ16の瞳が同時に瞬く。中央に赤い光球が生まれ、みるみる形を巨大に変化させる。
そして光の球から一直線に極太のレーザーのようなものが吐き出された。
吐かれた赤い直線は真っ直ぐブルードラグーンへと向かってくる。
『――くッ、翼の操作が効かない!? 左翼が喪失しただと!?』
赤き光線は蒼き鳥に直撃した。
辛うじて回避行動が間に合っていたため片翼のみで済んでいる。
とはいえかすめた翼は蕩けるようにして半ばから先端を失ってしまう。
『コントロール不可! このままだと落ちます!』
『マジかよ!? つーか今のはいったいなんだ!? 下になんかいやがんのか!?』
『光は!? ねぇ、出口はいったいどこにあるの!? ミナト……く、ん?』
仲間たちの悲痛な声が聞こえた。
先の攻撃を受けてブルードラグーンはゆっくりと降下を開始している。
『――み――!!!』
もう声はミナトの耳に届かない。
ぷつん、と。夢矢の声が途切れた。
電波が届く範囲からでてしまった。
「……こんな、ところで……」
ミナトは遠ざかる蒼き船を絶望的な視線を送りながら落ちていく。
ワイヤーをひっつけていた左翼が消えてしまった。この身を繋ぐものはもうどこにもない。
保っていたはずの意識がもうだいぶ遠くにある。光のなかへと消えていく仲間たちを乗せた船ももう遙か彼方だ。
「……見つけてやれなくて、ごめんな……」
闇の向こう側にある光に向かって手を伸ばすも、届くことはない。
そんなミナトが最後に見た顔は、最初に見た顔だった。
彼女とは、この生に意味が生まれたばかりに出会った。変にクールぶってるくせに隙があってあまり笑わない女性がいた。
「イーーーージスゥゥゥゥゥゥ!!!」
彼女の名は、イージス・ティール。
この身に意味と記憶を与えてくれたただ1人の女性だった。
掛け替えのない家族だった。それなのになにもいわず消えてしまった。
それがどれほど悲しかったか。せめてさよならのひと言くらい残せばいいものを目覚めたらいなくなっていた。
身体が光の帯びに呑まれていく。ミナトは影すら消すほどの大きな大きな光に身を委ねる。
「――うッ! 風が!」
次の瞬間途絶えかけていた意識が再覚醒した。
衝撃が全身を叩く。落ちていただけの身体が大きく吹き上げられる。
その衝撃でヘルメットと宇宙装備一式が剥がれ飛ぶ。
「空が見える!? 大地まで!?」
剥かれた黒い瞳は、世界を映していた。
闇を抜けでた先には、どこまでも澄んだ見たこともないような世界が広がっている。
下には地平線の彼方まで青々と萌ゆる若葉茂る大地があり、上にはどこまでもつづく広大で雄大な空が広がっていた。
そして遠間には点のようになったブルードラグーンが黒煙を上げながら大地に向かって落ちていく。
「うわああああああああああああああああああああああ!!?」
人の身は重力に従うのみ。
雲ひとつない空へと悲鳴を上げるも、打ち上がったまま返ってくることはない。
ミナトの身体もまた遙か上空より超高速での落下を開始した。
ここは学んだ景色と類似している。人を育んだ青き星。母なる地球。
ただ1つ異なる点があるとするならば、月が2つあることくらい。
「せっかく生き延びたのにまた即行で終わるうううううううううう!!? もう嫌だあああああああああああああああ!!?」
ミナトは大地に吸い込まれながら青き空に吠えた。
まさか1日に2度も死を覚悟するとは。そんな死の淵でさすがにもう本当にダメかもしれないと嘆く。
闇を抜けた先には、空のある世界、緑の世界があった。
幕間 【NOAH ―フレクサー―】 END




