75話 世界の狭間、真実の闇《World × World》
「クッ……あんなモノが現実に起こりえてたまるかよ!? 全員怪我はないか!?」
パンチドランカーのようになった頭が覚醒に向かうと、急激に焦りが滲みはじめる。
どうやらあまりの衝撃を受けて一瞬だけ気が飛んだらしい。コンソールを支えにぐらつく視界に渇を入れて立ち上がる。
船のエンジンが停止していた。バッテリーからの電気のみを供給している。そのため管制室内部には最低限しか灯っていない。
「エンジンはストール状態か。しかし痛む節々に生の実感を貰う日がくるとはな」
東光輝は船内をぐるりと見渡し目を細めた。
徐々に目が慣れてくると暗闇に数人ほど。もぞもぞと鈍重に動く者たちいる。
「状況報告だ。起きがけで悪いが周囲のチームメンバーの面倒を見てやれ」
色々考えることは山のように多い。
だがとりあえず仲間たちの安否が最優先とする。
見たところ管制室内で大怪我をした者はいないらしい。1人、また1人と目覚めていく。
「つつ、あー……なにが起こりやがったぁ? 夢矢無事か?」
「あいたたたぁ……お尻ぶつけたぁ。咄嗟にジュンくんが支えてくれたおかげでなんとかだよぉ」
「んぇあ~……暗? ってことはまだ夜じゃん?」
ジュン、夢矢、珠、と。比較的タフな面々からむくむく起き上がる。
他のアザー派遣チームの全員も無事。動けぬほどの怪我を負っている様子はない。不幸中の幸い。
オペレーター含む総勢20人ほどのチーム構成だ。しかも全員が第1世代以上の能力を秘めているため一般人より遙かに頑丈である。
東はメンバーの無事にひとまず愁眉を開く。
「突如宇宙空間に現れた大穴に呑まれてからの記憶が曖昧だ。誰か詳しい情報をもっているヤツはいるか」
目下最優先のチームの無事は確認できた。
ならば迅速に次工程に入る。知見を持ち寄り情報の整理を窺う。
とにかく右も左も分からないのでは行動のしようがない。
夢矢は白い膝を叩きながら立ち上がる。
「大穴に吸われた直後なにか赤黒いモノがすれ違うように船のすぐ横を通った気が……」
それからむぅ、と愛らしい顔を歪ませ眉間にしわを寄せた。
すかさずジュンが「それなら俺も見たぜ」肩を回し調子を整える。
「バカでけぇなにかが船の横を通り過ぎたんだ。んですぐそのあとにドカーンだぜ」
「そうなるとぉ……たぶん隕石かなにかが船をかすめたのかなぁ?」
「どうだかな。隕石にしては妙な軌道してた気がすんぜ」
2人とも意見は一致しているのだが、やはり東と同じで曖昧だった。
しかし衝撃の大きさからしてなんらかの物体と接触したという線は濃い。
東はすかさずオペレーターへ指示を飛ばす。
「すまないが早急に船体被害状況の確認を頼めるか?」
と、オペレーターの女性は頭を抑えながら「しばし、お待ちを」虚ろげに応じた。
もし船体のどこかに穴でも空いていたら酸素が抜けてしまう。それに翼が折れでもしたらこの船はただの火を噴く文鎮でしかない。
――この状況でもっとも恐れるべきは漂流だな。酸素と食料のどちらを欠いても長くは保たない。
東は無精髭をさすり、さすり状況の整理を図る。
口にはださずとも最悪の想定こそが指示する側の基本だった。それでいて若者たちに不安を与えぬよう己で完結させる。
こちらが思考している間にもオペレーターは手慣れた動作でコンソールに映像を表示する。
「チェック。船体状況でました」
「どうだ? もし致命的な箇所があれば即刻隔壁の封鎖を行ってくれ」
「いえ、損害は表面装甲のみで軽微と思われます。このていどであれば宙間航行に支障ありませんね」
そうか。東はひとまずの安心を得て軽い吐息を漏らす。
船体状況を見る限りでは表面装甲の一部が凹むていど。最悪の事態だけは回避できた。
さすがは最新型といったところか。こればかりはこの船の設計を進めた長岡晴紀に感謝せねばなるまい。
「次は周辺宙域の確認を頼む。ノアかアザーのどちらかを見つけられさえすれば現在地はおのずとわかるはずだ」
すぐさま「了解」という美しい声がテンポ良く返ってきた。
危険極まりない任務では彼女のように1を聞いて10を行動で示す手練れのオペレーターが特に重宝される。
そうでなくともこの船は死の星行きの直行便なのだ。そのため揃えたメンツはほぼ精鋭で構築されている。
――実力は申し分ない。足りないコトといえば経験と年輪くらいだな。
東はオペレーターを待つ間に管制室内をぐるりと観察した。
緊急事態に及んでもっとも忌避すべきは、パニック。ひとたび癇癪を起こせばそれは一気に伝搬する。伝搬すれば冷静に事が運べるようになるまで膨大な時間を費やすこととなる。
「……ほう?」
しかし不安は杞憂だったらしい。
「ふぁぁ~。こう暗いと眠くなっちゃうねぇ」
「いっても俺ら今日2度目のアザー任務だしな。今のうちにのんびりしとこうぜ」
「すぴゃー……すぴゃー……」
「あらら、珠ちゃんってば器用に立ったまま寝ちゃってるねぇ。私も初アザーで緊張してるのが馬鹿らしくなってきちゃいますよー」
船内に多少の不安はあれど、十分にリラックスしていた。
なかでも夢矢、ジュン、珠、ヒカリ、辺りが中心となってムードメーカーを務めている。
前者3名はアザー行きの熟練。ヒカリは持ち前の明るさが後押ししているのだろう。
おかげで他の面々も冷静さを失わず。感化されるようにして混乱の歯止めとなっていた。
なかでももっとも気楽なジュンが窓のほうへと近づいていく。
「とりま窓に掛かった装甲くらい開いて周囲を見てみようぜ。こんな暗いままだと気が滅入っちまうしな」
伸ばした手で窓横の開閉スイッチを押す。
窓を覗くジュンの口から素っ頓狂な音が漏れた。
「ハァ? なんだこりゃ?」
夢矢もちょこちょこ独楽鼠のように小股で窓際へ駆け寄っていく。
「どうしたの? まさか目と鼻の先にノアがあったり?」
「どうしたっていうか……なんも見えねぇんだよ? なにもかもが消えっちまってんぜ?」
ジュンのひとことで船内が僅かにざわめいた。
みなが一様になってそれぞれ閉じた窓に駆け寄り外を覗く。
東もジュンを訝みながら窓の1つから外の様子を確かめる。
「こ、これはいったいどういうことだ? ノアやアザー見つけるどころか宇宙に散らばる無数の星々すら消失している? そんなことががありえるはずが……」
あまり感情を乗せぬよう務めているが、内心では驚愕だった。
窓の外は、まるで世界そのものが果ててしまっているかのような異質さ。星明かりひとつない虚無のみが広がっている。
帳が降りたかの如く黒一色のみで構成されている。これでは瞼を閉じているのと違いがない。
しかも外部から装甲で保護されていたのだから窓が汚れているわけではない。なのにもかかわらず外には光源となる明かりひとつ存在していないのだ。
「お、おい! このままじゃ埒があかねぇし外照明をオンにしてみようぜ!」
「ジュン待て! 勝手な行動は控えろ!」
東が静止するもジュンはそれを聞かず。
ひょいと手柵を乗り越えて管制室内にあるコンソールのひとつにアクセスする。
「せめて周辺宙域の確認が終わるまで大人しくしていろ! これは命令だぞ!」
「んな悠長なことしてる場合じゃねーだろ! もしかすっとどっかに墜落して土の中に埋まっちまってんのかもしれねぇんだぞ!」
「――くっ!?」
ジュンの突飛な考えにも一理あった。
どこか見知らぬ砂の星に墜落からの埋没となれば、それこそ漂流より最悪の事態である。
救助を呼ぶ以外船からの脱出する手段はない。そうなると早急に救助を呼ばねば酸素と食料が尽きるまでの命となってしまう。
東に彼を止める術はなかった。もし闇雲に静止すれば船内に満ちた不安に混乱の火が引火しかねない。
「よぉし点くぜ! 全員目ぇ凝らして外を見てろ!」
ジュンの合図を聞いて船員たちが一斉に窓の外を覗く。
そして照らされた外を見て各々が感情を乱す。
外を覗く夢矢の中性的な顔がさぁと青ざめていく。
「な、なにかなあれ? く、黒い……壁があるよ?」
震える唇が吐息を刻む。
1歩2歩と呼吸を乱しながら窓から離れた。
「うそ、しかも1匹じゃなくてもっと動いて――きゃっ!?」
隣のヒカリもと窓から離れる途中でバランスを崩し尻もちをついてしまう。
白灯が照らしだしたのはおぞましく蠢く無数の異形だった。
幾重にも重なり1枚の壁のようになって至る箇所にへばりついている。
黒く巨大なモノが大量に世界そのものを覆い尽くし、構築していた。
「人より巨大かつ節足動物と類似した化け物の群れだと……! いったいコイツらはどこから沸いてきたんだ……!」
東でさえ終末を装う光景に恐怖した。
声が絶望を覚えて震える。人の本能が細胞レベルで危機を発す。
「そうではない……きっとそうじゃない! クッ、俺たちがコイツらの巣に迷いこんだんだ……!」
直後。闇が紅の斑点を一斉に浮かべた。
こちら目掛けて数万を超過するであろう血色をした瞳が仕向けられる。
「察知されたッ!? 消灯しろッ! 急げッ!」




