『※新イラスト有り』71話 強がりに黙す声《No Signal》
外にでてみれば空は本日も晴れ模様だ。
ここ1層の空も映像表現であって現実ではない。透明な半球状の裏側には立体的な雲と偽りの青空がどこまでもつづいていた。
紅茶色の夕暮れの後にのみ外側のプレーンの宇宙空間を透かし本物の夜がやってくる。
聞くところによれば天候によって気圧まで調整しているのだとか。母なる星を真似た船は、人の創造する初めての世界工作だったのかもしれない。
そんな澄み渡る作品を見ず、落ちた影へ吐息を零す。
「わかってたけどなー、わかってたことなんだけどなぁ……こうまざまざ見せつけられるとさすがにオチるなぁ……」
ため息の数だけドラマがあった。
アカデミーでの測定を終えたミナトは、次なる目的地を目指す。
足どりはとぼとぼと塩辛い。どうしようもなく落ちこんでいる。変に期待を膨らませたことがコトの敗因だ。
力ない指で耳の軟骨に触れる。すると呼ばれたナノコンピューターがモニターを表示する。
「……要再検査、か」
送られてきた測定結果は、未知数。つまりよくわからないということだ。
アカデミーでの判定は先送りとなってしまった。第2世代能力と体内フレックスともに前例がないのだとか。
今後アカデミーの講師全体で緊急の会議を行うと源馬から伝えられている。
「生命の根幹と思われていたフレックスをもたない。ハズレクジ人間第1号」
ははは。これには嘲笑する笑いも乾いてしまう。
「いやハズレクジなら大量にあるか。ならこれはアタリクジを引いたってことなのかね」
……嬉しくねぇ。ひねて曲がった背を強引に伸ばす。
腰をとんとん、と叩いてから気分を新たに歩き始める。
石くらい蹴りながら歩けば暇も潰せようもの。なのに埃ひとつ落ちていない。融通の利かない船だ。
偶然に縋ることと他力本願は止めるべきと学ぶ良い機会だった。
「ま、いっか! 信のヤツは上々な結果だったわけだし少しは前向きにいこう!」
両手で頬を張って心機一転を図る。
己のみでいえばマイナス、あるいはプラマイゼロ。
しかし友を加えた客観的な視点で見れば、ノアにとって大きなプラスとなり得た。
若くして第一線に並ぶ男がアカデミーで見事な結果を残したのだ。これを喜ばずしてなんとしよう。
――…………。
なんとしたものか。再び歩きだした足が止まった。
1文字に引き締められた唇がふるふると震える。
骨の浮いた手はとうに拳を握りしめ、ひらに爪が食いこんだ。
「……痛ぇな」
本当は悔しい。声と心が別々の感情を発している。
目の奥がただれるくらい熱をもつ。鼻の奥も火箸を突っ込んだみたいに熱い。
じわりと浮いてくる怒りと悔しさのスープを、せめて零さぬよう顎を上げて目元に留める。
なによりあの測定員たちの奇異なる者を見る目が忘れられない。
「クソ――ッッッ!!」
悔しくないわけがない。こんなことなら凡人のレッテルを貼られたほうがまだマシだ。
騙しきれない感情の大波が胸の中央でおどろおどろしい渦を巻いていた。
「はぁ……いくか。止まってることはただの停滞であり時を無駄にする行為に他ならねぇ、ってディゲルがいつもいってたしな」
落ちこんでいても足くらいは前にださねばならない。
人生とはおおよそそんなもの。悔しさだって喉元過ぎれば熱さを忘れる。
今現在ミナトの近くに並ぶ背はなく、ただ1人ぽっち。
信は1人アカデミーに残った。というより置いて行かれたというべきか。
当然の如く彼はミナトを引き留めたが、こちらに留まる理由はない。
最後のほうの信は捨てられた野良犬のような眼差しをしていた。だがたまには甘やかさず放流するのも友の務めだろう。
なにより源馬に伝えるべきことがあるといっていたため盗み聞くのも気が引けたというだけ。
そして現在チーム《マテリアル》のメンバーもまたまちまちに散らばっている。
今は1人で良かった。無理に笑う必要はないから。
「えっと4層から居住区から人運搬用の昇降機で1層まで昇ってきたから……この辺がショッピングモールになるのか?」
現在ミナトは迷子をしていた。
杏の助言通りに《ALECナノコンピューター》の地図を見ながらあえて迷子をしている。
せっかく暇な時間ができたのだからたまには遠回り、なんて。未知なる船でたった1人の漫遊を楽しむ。
「この路地を抜けてー……ここのフードコートを右手に真っ直ぐー……」
未開人にとって文明の森は新鮮な刺激剤だった。
落ちこんでいるときこそ気晴らしも寛容に行わねば息が詰まってしまう。木々や葉のせせらぎでリラックスするなら都会の喧噪だって捨てたものではない。
居住地区の街並みは再建を猛スピードで進めている。
路地を封鎖する柵の向こう側をひょいと覗けば4つ足が。人の乗った巨大な重機が2本腕と蜘蛛足でせかせか街を組み立てていく。
まだまだ黎明の夜明け前。とはいえ至る所に残された革命の傷跡は近く補修され過去の話となっていくのだ。
「武器屋なんてものまであるのか!? まさか杏たちのもってる武器って支給品じゃない!?」
人垣を越え街並みを掻い潜る。
忙しない日常を置いてたった1人の快適な物見遊山だった。
アザー生まれ――記憶喪失――の眼には見るものすべてが真新しく見えている。踏むアスファルトも、大通りを満ちに沿って抜ける浮いたバスも、空を走るバイクなんてものまで少年心をくすぐって止まない。
「パラスーツデザイナーズラボ……ここでプロがデザインしてくれるのか? んであっちの店は私服を売ってる?」
未来の船は常識がない、人も科学も常識外。
「アンドロイドメイドに……アンドロイドペット……アンドロイドフレンドズ……空撮用飛行アンドロイド……アンドロイド作業員……大特価1台35万エル……高ぇ」
ここにこれからの日常が置き換わる。そう思うとだいぶささくれていた心が少し弾む。
命を賭し、引き換えに勝ち得たのは文化的生活。危険の及ばぬ守られた世界。
目の前に広がるのは強制されない未来だ。死を目指すのではなく生きるために生きる世界だった。
そうやってミナトが大袈裟に街を楽しんでいると、ときおり周囲の視線が向くことがある。
「ねぇ、あれって件の……?」
「おい止めとけ……いきなり話しかけていいコトなんてないぜ」
この現象は1度や2度で済まなかった。
ときおりああやって足を止めこちらを注視してはひそひそと声を潜める者がいる。
しかしノアの民はミナトに気さくに話しかけてくるようなことはしない。扱いに困っているのか、あるいは……怯えているのか。
「……。そろそろ3時だし管理棟に向かうか」
そんなノアの民たちにミナトは決まって背を向ける。
普段はチームメンバーがとり巻いてくれているため気にならないが、今は違う。
余計ないざこざは、余計なのだ。もう少しこの人としての生活を楽しみたい。死神ではなく、人としての。
それからは定期便のリニアバスに乗って、浮遊感と流れる景色をぼんやり眺めていれば、半自動。あっという間に目的地へと到着してしまう。
そして思い切って見上げれば艦橋地区の管理棟がそびえ立つ。中空の傾きつつある日を背負い高々と生え伸びている。
「あっ」
ふと階段を昇る軽い足どりが中途半端に止まった。
――先に連絡とか入れたほうがよかったかな?
ま、いっか。よくよく考えれば相手の連絡先さえ知らないのだ。
ミナトは「なんとかなるだろ」持ち前の前向きさを発揮しながらラスボスの居城――管理棟へと入っていく。
「資材発注でお越しのかたお待たせ致しました! 5番カウンターにて確認及び認証をお願いします!」
「ずいぶんと待たせてくれるもんだねぇ。にしてもずいぶんとごった返してるじゃないのさ」
「申し訳ございません! 現在かなりの数の職務が並行して動きだしているため手が足りなくて!」
両開きのガラスが中央からわあ、と開けばなかから様々な音が噴きだす。
あちらでは管理棟専用の制服をきた受付の女性が、気っ風のよさげな女性の応対についている。
「アザー行きのクエストはすでに打ち切りました! 実働をご希望のかたは是非復興側の受注をお願いしまーす!」
「クッ! またアザー行きの任務にハズレたか! アカデミーで鍛えた俺のフレックスを試してみたかったんだけどな……」
「お兄様またなのですか! あのような物騒な任務につく必要はありません! そもそも土というのはとても雑菌が多く不浄なのです!」
あちらの兄妹はどうやらアザー行きの特等席を外したようだ。
感じの良い兄を身なり慎ましやかな妹が叱りつけている。
それ以外にも多くの人々がバタバタと足繁く通うのがここ管理棟の常なのだ。
街とはまた違った喧々諤々とした喧噪が止むことはない。まるでここだけ時間の流れが大幅に早まっているかのよう。まさに時に追われる状態だ。
「抜き足、差し足、忍び足、っと」
そんななかミナトは壁に貼りついて忍ぶ。
だいぶん面が割れている。なるべく騒ぎに紛れるよう壁のほうを向いて顔を隠す。
そのままカニ歩きでエレベーターににじり寄っていく。
「ふぅ、ミッションコンプリート。これが有名税ってやつか」
ボタンを押して開いた箱の中に滑り込めば、一安心。
あとは数字をタッチさえすれば箱が勝手に運んでくれる。文明の利器万々歳。
ミナトだって2度目ともなれば慣れたもの。しかも今回は下でなく上に昇っていく。
目指しているのは管理棟最上階に位置する執務室だった。
そこはただ執務を執り行う部屋というわけではない。人々を導き正す人類にっての地下水風に等しい人類総督がおわす王の執務室である。
「くっくっく……返さないでいて良かった特別直通パスポート! コイツのおかげでだいたいのところがフリーパスだぜぇ!」
室内で1人、高々と掲げたるは革命のときに使用した特別パスポートだった。
借りパク。これによってミナトでは入りこめないセキュリティをすり抜けることが可能となっている。
「はっはっはァ、東の阿呆めぇ! この魔法のカードをオレに渡したままにしておくとは馬鹿なヤツだぁ! とはいえ使い道はここくらいしかないけどなぁ!」
密室で人の目もないため自然とテンションがから回っていた。
とりあえずこれで人類総督への関門は余裕の通過だった。
ほどなくしてコミカルな音とともにエレベーターは最上階へと到着する。
「お、おぉ……」
扉が開いて広がった光景に、思わず感嘆の吐息が漏れでてしまう。
エレベーターを降りると世界が変わった。
まさに逆びっくり箱。箱に入って出ると喧噪としたロビーが様変わり。英国式チックなゴージャスがふんだんに散りばめられている。
「な、成金? しかも床が全部絨毯かよ金かかってんなぁ」
勇気をだして恐る恐るエレベーターから踏みだす。
と、1歩目からふかふかとした感触を足裏に覚えた。
「靴で毛を踏むとなんだか罪悪感があるなぁ」
「おや? 君は――ミナト・ティールくん?」
「――い”ッ!?」
ミナトは突如自分の名前を呼ばれ伸び上がった。
絨毯に落としていた視線をそろりそろり上げると、どうにも記憶にない顔があるではないか。
「ああやっぱりそうだ! ははっ、映像で何度も拝見させてもらっているからすぐにわかったよ!」
青年はミナトを見つけるなりぱぁ、と表情を明るく咲かせた。
見た目はざっと長身痩せの体型をしている。身には管理棟職員とは異なった身だしなみのよい服をまとう。
年齢を想像しにくい若々しい尊坊をしている。が、ひとまずミナトより年上であることだけは確かだった。
「どちらかでお会いしたことのある……どちらさまでしたっけ?」
声は震え、戦々恐々の心もちだ。
なにせここまで忍びこんだのだからしょっ引かれても文句はいえまい。
ミナトはがぼやりと観察していると、青年はハッ、として手を打つ。
「おっとごめんよ。僕は革命傍観勢だったからこっちが君のことを一方的に知っているだけだったね」
にっこにこの笑顔を向けられても、「はぁ……」気のない返事をするしかない。
とりあえず敵意はなさそう、か? ジュンの人の良い風体より、この青年は若干ほどミステリアスな雰囲気を醸しだしている。
心が読めぬというより、感情を笑みで覆い包めているかのようなどことなく不思議といった感じの青年だ。
すると青年は己の歩いてきたであろう1本道の側を指し示す。
「ミスティさんに会いにきたのならこの廊下を真っ直ぐ進んだ扉の奥にいるよ。そこが艦長の執務室だから覚えておくといい」
それから「あ、そうだそれとお願いが」ミナトを置いて話がどんどん進んでいく。
青年は《ALECナノマシン》のモニターを展開し素早く操作を行う。
と、ミナトの《ALECナノコンピューター》のモニターが勝手に開いて文字を映し出す。
「と、友だち? ふ、フレンド申請?」
「そう! その通りさ! 是非僕とALEC繋がりのフレンド関係になって欲しいんだ!」
モニターに表示されているのは、フレンド申請を受諾しますか。
さらには彼の名と思われる藪畑笹音とも書かれていた。
「なぁにそれほど警戒するものでもないよ! ただ友人関係を築いた、あるいは互いの存在を認知しているという証明にすぎない行為だからね!」
「ああ出会い! 素晴らしき出会い!」そう歌いながら藪畑は、くるくると小躍りをはじめてしまう。
ここで断ることが可能なのは鋼の心臓を有しているものくらいだろう。晴れやかな笑顔の向こう側に微妙な圧もある、ような気がする。
「う、うんまあ……別に嫌というわけではないですけどねぇ……」
――絶・望・的にイヤだッ! しかもよりにもよってなんでチームメンバー以外の友だち第1号がこの見ず知らずの男なんだよッ!
しかしミナトに考える余地はなくYESのボタンを押すしかない。
そして次の画面にはフレンド登録が完了しました、という負債が表示されたのだった。
「ありがとう! これから密に連絡を送っていくからよろしく頼むよ!」
すかさず青年はミナトの手をぎゅう、と握って上下に振り回す。
「適度な距離感を大切にする方向でお願いしていいですかね!? なんでいきなりマブダチスタート!?」
「ははは! じゃあ僕はこの辺で失礼させて頂くとするよ!」
「あ、もしかしてアンタ最初からオレの話ひとっつも聞いてないな!?」
とにもかくにもこれで一難は――小躍りしながら――去っていく。
なぜか藪畑は止めないどころかウェルカムな対応をしてくれている。
しかも彼のおかげで虱潰しに扉を開けながら進まなくて良くなった。
「君の勇敢な行動に敬意と敬愛を」
ミナトが歩き出すとの同時だった。
振り返ると、藪畑がこちらも向いて立っている。
姿勢を正し左肩の腕章に右手を添えてたまま佇んでいる。
その姿こそ、敬礼。東考案によるノア式の新たな敬う作法だった。
「ノアの民を代表し僕から1輪の感謝を送らせてもらうよ。だがそれはいつしか君と僕らにとってとても大きな花束になっていくもののはずさ」
声も、表情も、藪畑の在り方は疑いようのないほどに真剣そのもの。
口元はキリリと引き結ばれ、背にも1本の通しが入っているかのように佇ずむ。見る者に1流と錯覚させるほど整った所作だった。
そして再びにんまりと表情が崩れて元に戻る。
「それじゃあごゆっくり。彼女は休憩中だからきっと歓迎してくれるはずさ。とはいえ君相手なら……と、わざわざ口にするのも無粋だね」
そう言って藪畑は颯爽とエレベーターのなかに消えていってしまう。
まるで暴風雨さながら。最初から最後までとことん人の話を聞こうとはしなかった。
「……よくわからない人だったなぁ」
ともあれミナトに良くわからない友だちが増えた。
名は藪畑笹音。ノアに上がってはじめてまともに交わしたチームメンバー以外の友だち契約。
なら名前と顔くらい覚えておくのも……悪くないかもしれない。
…… …… ♪ …… …… ??????




