68話 刻限時計《Quest》
「データパスの確認が取れました。依頼ナンバー13の受注を承認していきます」
事務の1人がカウンター越しから折り目正しい礼する。
腰低く、玲瓏なる声が耳心地良い。身にはノアのなかでも高位となる専用ならぬ専門職員の制服をまとっていた。
実働班は主にフレックスの扱いや現場判断能力が多く求められる。そのぶん後者の事務班には明晰な頭脳と客観性が求められていた。
事務の女性は専用端末を凄まじ速さで叩いていく。
「現在アザー派遣任務の席は埋まっておりますが貴方様は特別枠として認可するよう依頼主から追記されておりますす。出発地点は甲板上のC-13の飛行場、出発時刻は15時からとなっており時刻を過ぎしだい待機時間なしでの出発となります。遅れませんよう迅速な行動をお願いします」
別のモニターで依頼内容を確認しつつ、手では必要事項を追記している。
まるで奏者の如き美しい指1本1本に脳でも詰まっているかのよう。熟練した身のこなしだった。
「認識コード220476、ジュン・ギンガー様。アザー派遣任務のお手続きのほうは問題なく完了致しました」
「おうすまねぇな。いっちょやってくっから期待して報告を待っててくれ」
ご武運を。そう言って女性は事務的な表情を崩しニコリと笑った。
任務や依頼の届け先はアカデミーのカウンターでなくても構わない。街中に設置されている専用端末を使用すればそれだけですむ。
なのだが、こうして人と人でなくては得られぬものもある。
ご多分に漏れずジュンも彼女からのいってらっしゃいを受け取るためにここにきていた。
危険な任務の前に願掛けをするようなもの、あるはゲン担ぎというやつ。気だるい面倒な任務もこのひとことを頂ければがんばれた。
「ジュンお前帰還したばっかなのにまたアザーに行くのか?」
ジュンは聞こえてきた声をひとまず置いて事務の女性に会釈する。
と、あちらも目を猫のように細めてから愛らしい一礼を返す。
それから声を掛けてきた古い付き合いの友のほうに応じる。
「まあな。それに暇してたら時間が腐っちまうぜ」
「腐っちまうってお前……平和になってからずっと働き詰めだろ」
友はサーバーから注いだばかりのボトルを拾い上げ投げてくる。
それをジュンは片手で受け取った。
飲み口を開封して喉を潤す。香ばしい香りからてっきり焦げ色の液体かと思えば砂糖とミルクの大盛りである。
「ノアの解放以降どたばたで急を要する期間ってヤツだ。それに一生ずっと忙しいわけでもねーだろ」
「そうはいってもその稼働率は異常だぜ? たまにはしっかり身体を休めてやらんといつか急にばったりいくから気をつけろよな?」
友の声に耳を傾けながら濃密なコクと甘さに戸惑いながらぐい、と飲み干す。
喉にガツンと響く砂糖の甘み、豆の風味と乳のまろやかさが鼻腔を内側から撫でていく。
「うちのリーダーがあれだけやらかしてくれたってんだ。さっさと地盤を均して安定した生活を整えてやらねぇとな」
ジュンはにかりと歯を見せ笑う。
ついでとばかりに空になったボトルを投げ返す。
ボトルは放物線を描いて友の手におさまる。
「なるほど、そういうことかい。じゃあ、まっ、せめて無事に帰ってこられるよう影ながら祈ってるぜ」
「おうさんきゅうな。今度また一段落したら一緒に別個の依頼でもやろうぜ」
「期待しないで待っててやるよ」
友は吐息まじりに言って柱に立てかけてあった剣を背負い直す。
そして渡りに渡ったボトルはリサイクルボックスへと投下される。
「それと幼馴染みのこともちっとは気に掛けてやれよな。あんなに甲斐甲斐しい子いつ誰に取られるかわかったもんじゃないぞ」
「……んあ? ああ、まあ、ぼちぼち?」
「へっ。助言のしがいがねぇや」
友は後ろ手に手を振ってジュンの元から離れていく。
冷たい言い方だがあれはあれでこちらの身体を本気で心配してくれているのだ。
彼もたまたまここにいたというわけではない。きっとノア内部での仕事を請け負ったついでで話しかけてきたといったところか。
現在ノアでは引く手数多と言ってもいい。革命の矢によって解放された世界は地平線の如く遙か彼方まで澄み渡っているのだ。
人類は進むべき道を見いだしつつある。鬱屈した宇宙の檻から解放されて新たなる旅路へと舵を切ろうと躍起になっている。
「ふむ……暇になっちまったな」
ウィロメナと杏はすでにアカデミーの訓練施設へ向かってしまった。
《ALECナノマシン》で時刻を確認しても依頼までまだ幾分かの余裕がある。
食事も終え喉も潤した。近ごろは仕事ばかりで時間を潰す趣味の持ち合わせもない。
「もう少し足止めしとけば良かったかな、と」
手持ち無沙汰となったジュンはアカデミーロビーをぐるぅり見渡してみた。
あちらでは研究職の白衣が凪いで、あちらでもパラダイムシフトスーツの男女混合チームが右往左往している。
自分を残し世の中はみな忙しそうに己の役割をこなしていた。
『清掃中デス、清掃中デス』
相手にしてくれるのはバケツを巨大にした見た目のロボくらいなもの。
棒立ちのジュンの足にこつん、こつんとまとわりついている。
「おっとと、お前さん生き残りの旧型か。邪魔しねーからよろしく頼むぜ」
どうやら暇しているのは1人くらいらしい。
足を上げて道を譲ってやると清掃用ロボもまた己の仕事に戻ってしまう。
いよいよやることがない。ジュンはしばしロビーの天井を睨みながら午後の予定を脳に巡らせた。
「おや、ジュンじゃないか? こんなところで清掃用機器と逢い引きとは健康的じゃないな?」
不意に声かけられ振り向いて見れば、ちょうど到着したばかりのエレベーターから女性が1人降りてこようとしていた。
ミスティ・ルートヴィッヒが白裾を波立たせながらジュンの前に現れる。
目の覚めるような美人とは彼女の為にあるような言葉だ。それが唐突に現れるならなおのこと。
「おっ! ミスティー8代目人類総督様じゃねーっすか!」
ジュンは調子づいて絡みに行く。
人懐こい屈託ない笑みで彼女を迎えた。
「なにを今さら馬鹿なこと言っているんだ……君がまだ年少であるころからの顔見知りだろう」
「そうは言っても俺が餓鬼んちょのころは人類総督様じゃなかったはずだぜ」
「はは……よくもまあすらすら減らず口が飛び出すものだ」
からかう相手をみつけたのなら水を得た魚同然。
幼きころからの付き合いで彼女とは顔見知り以上の仲である。暇をしていたところに現れてくれるなら本当の意味で丁度良い。
ミスティはある意味でジュンどころか船内の若者にとって姉のような存在だった。
「それにしても君は1人でなにをやっている? チーム《マテリアル》の手が空いているとは考えがたいな?」
「俺は東の任務に同行するまでの隙間時間ってやつっすね。周りの連中がみんな忙しそうだから暇を持て余してたとこっす」
だからこうしてジュンも年上相手のミスティ相手に甘える。
彼女はどれだけ偉くなっても変わらない。心優しい女性と熟知しているからこそだ。
「そういうミスティさんだってなんだってアカデミーなんかにきてるんすか? 総督として管理棟に缶詰でしょうよ?」
「今日は大切な会議があったからな。専門職の大人は管理棟よりこちらのほうに多いため私が出向いただけのことだ」
「そりゃご苦労さんで」
とはいえこうして同じ空間で談笑するのもいつ以来だったか。
革命派と穏健派という仕切りが生まれてからというもの疎遠となっていた。
現にこうして楽しく会話できるのも革命が成功したからといえる。
「……ふぅん」
ジュンは改まってミスティの足先からてっぺんまでをしげしげと観察した。
凜々しく美しい大人びた顔立ち。引けをとらぬ慈愛に満ちた優しさ。それでいて人としての強かさももっている。
彼女が人類総督に抜擢されるのはなにもおかしいはなしではなかった。どころか民意を重視した人類総督はミスティ以外いなかっただろう。
「む、そんなにじろじろと見てどうかしたのか?」
ジュンの不穏な視線に違和感を覚えらしい。
ミスティは服装の乱れを正しながら目を瞬かす。
「……んにゃ。ミスティさんもマジで大出世したなぁと思っただけっすよ」
「私だって未だ自覚が芽生えていないようなものなのだから言ってくれるな。正直人類総督の身分をおこがましいとさえ思う夜も多い」
困り眉で頬をほころばす顔に僅かな疲労が滲んでいた。
現状彼女を中心として火の車なのだ。人類の総指揮となれば楽な仕事のはずがない。
ミスティはきょろきょろと周囲を見渡す。
「任務を受けているといったがチームメンバーのほうはどうした? 付き添いのウィロメナまで一緒じゃないというのは珍しいな?」
「午後の任務を受けてるのは俺だけ。杏とウィロは早朝の任務でうんざりらしくサボりっすね」
ジュンは冗談めかして肩をすくませた。
あの2人にサボりという単語は縁遠い。というより第2世代に至る連中は鍛え方が尋常ではないのだ。過酷な環境を生き抜いたぶん多少の困難で折れることはない。
ミスティもそれがわかってるから上品な笑みで流す。
「ふふっ。日に2度もアザーに降りる君のほうががんばりすぎだろう。彼女たちを見習うべきは君のほうではないのか」
「あーミスティさんまで俺を体力馬鹿っていうんじゃねーでしょうね? こう見えて若者らしく意外と繊細……でもねーか?」
「最後まで言い切っておけ。自他ともに認める馬鹿になったら本物の馬鹿になってしまうぞ」
そうやって2人は声を合わせて笑う。
その声に周囲の視線が引かれて足を止める者たちがいた。だがすぐいつものことか、と労働に戻っていく。
自分たちの力で取り戻した安寧なのだ。これを価値ある時間と呼ばすしてなんと呼ぶのか。
「っとと。そういや足を止めさせた俺がいうのもなんですけど、こんなとこで油売ってていいんすか?」
ふと我に返ったジュンは彼女が人類総督であることを思い出す。
なによりその華奢な肩に乗った白羽織は重みあるもの。軍が解体されて以降重責を負う者のみが着用を義務づけられている。
そのため彼女の時間は一般人と比べ平等とはいえない。さしものジュンとて気を遣う。
「今日の仕事はこれで終いだから心配には及ばないさ。私はこれから管理棟でひと息入れようかと考えているところだ」
しかしどうやら杞憂だったらしい。
ミスティは長い髪に指を通しながら首を横に振った。
ハリツヤのある髪が糸状にさらさらと落ちレースのように奥の景色を透かす。
「つまりいつものあそこに行くってことっすか。ミスティさんもあの場所好きっすよねぇ」
「時間が空いて暇ならジュンもついてくるかい? なんならそこそこ良いコーヒーでも淹れてやるぞ?」
唐突なデートのお誘いだった。
ノアには本気で彼女を好いている者たちも多くいる。そんな連中からすればこれ以上ない最高の誘いだっただろう。
しかし彼女にとって魅力的なところも、ジュンにとってはただ退屈な時間でしかない。
「もうさっきコーヒーはいただいたんで遠慮しときますわ。たまにはお互い1人であくびする時間も大切にしましょうや」
「おや振られてしまったな。いわれてみれば1人の時間を大切にするのも悪くはないか」
しっし、と。ジュンは手を振ってデートのお誘いをあっさり断ってしまう。
どちらにせよお互い色濃い沙汰に発展するような仲ではない。もっと気楽で顔を合わせれば自然と頬が緩むような相手である。
だから振られたミスティも一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐさま元の美貌を取り戻す。
ここでジュンは頃合いとみて彼女に背を向けた。
「ま、そういうことなんで俺はこの辺でおいとまさせていただくとしますわ。あんまり無理をするなってんならミスティさんもしっかり休んでくれねーと説得力ないっすからね」
暇を潰すにしてもここらが潮時だろう。なにより彼女は疲れている。
ジュンは後ろ手を振りながら颯爽と外に向かって踏み出す。
「ジュン」
ミスティが彼の背を控え目に呼んだ。
ジュンは頭だけを回して彼女のいるほうへと振り向く。
「なんすか?」
再び視界に入ったミスティは白羽織を羽織っていなかった。
彼女は白く裾の長い羽織は腕へ掛けて佇んでいる。
「君は今……満たされているか?」
唇が小さく刻むように言葉を連ねた。
まるで目の前にいるジュンだけに問いかけるくらいの囁きに似た静けさだった。
なんとなく。ただなんとなくジュンはそれが人類総督ではないミスティ自身の問いのように思う。
そうなればこちらから伝えるべき音は1つきりしかない。
「あったり前じゃないっすか。なんなら明日はもっと幸せになってやるっての」
ジュンは銃口を模した指で彼女の額を撃ち抜くフリをした。
くしゃりと顔を中央に寄せる。白い歯を思い切り見せてやりながら嘘偽りのない笑顔を作ってやった。
約束の時間まではあと約1時間ほど余裕がある。
アカデミーをでたジュンは、鼻歌を歌いながら飛行甲板へ向かう。
「今ごろミナトのヤツ源馬にしばき倒されてんだろうなぁ」
…… …… …… …… ……
PM13:53
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