65話 噂の少女《Not Available》
配膳された料理を前にジュンと夢矢は手を合わせてから食事を開始する。
「やっほ杏! どうやら練習した料理は気に入ってもらえたみたいだね!」
ヒカリが踵を返してこちらに向かって駆け寄ってきた。
杏はヘッドドレスを外してふふとはにかみながら迎える。
「急なお願いをして申し訳なかったわね。あとで埋め合わせするから私に出来ることあったら言って」
ヒカリは「いいよいいよ」やんわり両手を振った。
「でもいきなり食堂に飛び込んできたときはびっくりしちゃったよ。しかも太らせたいヤツがいるから料理を教えてくれって凄まれたときはさすがに耳を疑っちゃったし」
エプロンと三角巾を外し畳んでから卓の上にかける。
昼の名残だった人々はすでに会計を済ませて店外に出てしまっていた。食堂にはジュンと夢矢がいるだけで食器の音も静かなもの。
身にまとうパラダイムシフトスーツには多くのデザイン性がある。しかしそのどれもが身体の線を浮かす。そのためエプロンを脱いだヒカリの線の細さも浮き彫りとなった。
杏は幅の広い腰に手を添えミナトを睨みつける。
「これってば好き嫌いないくせにまったく食事しようとしないから色々大変なのよね」
「うっぷ……ごちそうさま」
「しかもコッペパン1個も食べられないほど少食って……どういうことよ」
いっぽうでミナトは彼女特性の煮こごりをようやくたいらげ終えたところ。
せっかく手料理を残すのは作り手にも食材にも申し訳が立たない。食事の後半はずっとそのもったいない精神のみを支えに戦い抜いた。
ミナトは空いた皿に平伏するようにしてぐったりと突っ伏す。
「……ぐぇっぷ。もうなにも食べたくない……」
満たされた胃に感謝しながらもしキッチン杏があったとしたらリピートはないだろうと心に誓う。
杏は、はふ、と困ったような安堵したような表情で卓から皿を回収した。
「放っておくと1日おきペースでしか食事しないのよ? いくらアザーが貧困だからって信じられなくない?」
「うへぇ……だから手料理で釣るってことになったわけかぁ。噂には聞いてたけど彼って本当に痩せっぽちなのね……」
これにはヒカリもげんなりと微笑みを曇らせた。
同情めいた哀れみの視線が杏とミナトの後頭部をいったりきたりする。
貧困の星で生まれ育った者に日々食事をするというリッチな週間はない。そのため全身の骨が浮くほど痩せ細り常に栄養失調を患う始末。
それを案じた杏はチームメイトということもあって毎日通い妻の如くミナトの面倒を見つづけていた。
「このこのぉ~。女の子にここまで努力させるなんてやり手ですなぁ」
ヒカリはおもむろにミナトの耳元に顔を寄せる。
肘で脇腹を突くような動作をしながら声を潜めながらニヤニヤと笑う。
「こう見えて杏ってば小さくて可愛いししっかりさんだから同年代の男女問わずなかなか高倍率なのよ。そんな子から手料理を振る舞われるなんてVIP待遇なんだからね」
調理師ということもあって香水の類いはつけていないらしい。
頬横に接近したヒカリからシャンプーなどの優しくナチュラルな香り漂いミナトの鼻腔をくすぐった。
「よっ、リベレイター少年!」
「リベレイターじゃなくてミナトな。前に会ったときも自己紹介しただろ」
「おっとごめんごめん! よっ、ミナト少年!」
そう言ってヒカリは満足したのか悪乗りを止めた。
この通り彼女は非常に人当たりが良い性格をしている。接客業を営んでいるからか関係の浅いミナト相手にだって引け目を感じさせることはない。
さらには明るく、料理が美味く、スタイルも締るところは締まりそこそこの上玉の浮きかたをしている。からかいついでに杏を持ち上げているが、ヒカリだってかなりの倍率とやらを誇るはず。
皿を厨房に下げにいった杏がこちらへと戻ってくる。
「それでさっき都市伝説がうんぬんって話してたわよね?」
「そうそうそれ! 私ついに見ちゃったのよ例の裸んぼの蒼い光をまとった女の子のこと!」
ぐる、と。ヒカリは音が出るかと思うくらいの速さで素早く振り返った。
凄まじい食いつきだった。話が振られた直後鼻息をふんふん荒げて目を輝かす。
もし彼女の尾てい骨辺りに尾っぽが生えてたら千切れるくらい振っていたかもしれない。
「見ちゃったって……ヒカリまでなに言ってるのよ。あの話を信じて一喜一憂してるのエロバカ男子だけよ……」
杏の反応は対照的だった。
噛み飽きたガムを吐き捨てるかのように若干辟易としている感じをまとっていた。
裸の少女が闊歩しているなんて根も葉もない噂だ。信じるほうがどうかしている。
もし本当に実在するのであれば変態、または露出狂。あるいはそのどちらも……
「でも私昨日の夜にアカデミーへいったとき見ちゃったのよ!」
しかしヒカリは引き下がろうとしない。
「そうしたら廊下の奥にぼんやりした蒼い光が唐突に現れてそのまますすすーって浮遊するように移動してから壁のなかに消えたのよ!」
大袈裟な身振り手振りを加えながら忙しなく説明していく。
ぴょこんと跳ねた後部の結い髪が彼女の動きに合わせてちろちろ踊った。
「でもそれって普通にフレックスを使ってた一般人とかじゃないの?」
「違うのよぉ! 私も第1世代能力で視覚強化しながらよーく見てたんだけどなんかこうすららーっとしてて人間に似た別のなにかだったの!」
どれほど熱意ある説明をしても杏にはなかなか刺さらない。
どころか彼女の視線はどんどん熱を失い冷めていくいっぽうだった。
「……ふぅん」
ミナトは、そんな2人のやりとりを別の視点で眺めている。
空中浮遊、蒼い光、すららー――人に似た人成らざるモノ。
この3点だけでもヒカリの語るモノはミナトの記憶のなかにいるモノとよく似ていた。
そうしてもう1度ミナトは信のほうをチラリと見る。
「…………」
こちらに向けられていた視線がふいに逸らされた。
やはりというか、会話に参加するつもりは微塵もないらしい。信は椅子にふんぞり返りながら長い足を組んでくつろいでいる。
あれはあれで居心地が良くなければあのように留まったりしない性格だ。つまりああ見えてなんだかんだと現環境に満足している。
「ねー杏信じてよー! 私昨日の夜蒼く発光する女の子が壁のなかに入っていくのを見たのよー!」
「ああもう鬱陶しいわね! ちょっ、どさくさに紛れてなにやってんのよ!」
ヒカリはすでにふざけはじめていた。
杏に両手を回しながら頬や首に鼻をぐりぐりと押しつける。
「ふんふん……いつもよりやや汗の香りがしますなぁ? 制汗剤の香りでごまかしているみたいだけどこの私の嗅覚からは逃げられませんぞぉ?」
「やめなさいっての! 任務帰りなんだから汗くらいかいてるしそれをわざわざ嗅ぎにくるんじゃないわよ!」
じたばた暴れるも頭ひとつ分ほどもある身長差はなかなかに顕著だった。
杏は顔を真っ赤にして振り払おうとするも、ヒカリはそんな彼女を豊かな双房に抱きすくめて離そうとしない。
「うぇへへぇ~! 杏ってばちんまくて抱き心地最高よねぇ! 持ち帰って抱き枕代わりにしたら絶対いい夢見られるぅ!」
「むぐぐ――ぷはっ! アンタいい加減にしないと地べたに貼りつけるわよ!」
「今この状態で能力を使えば私が杏を押し倒す体勢になる! つまり受けてたつわ!」
「たつなああ!! かぐなーはなせー!!」
さすがの杏とて人間相手に本気で能力を使ったりはしない。
そうやってヒカリとじゃれ合っている姿は、年相応。いっぱしの女子といった感じで微笑ましささえあった。
「おおーい。そろそろ午後の予定決めようぜ」
と、じゃれ合ってる最中ジュンが食事を終えた。
たいらげた皿は厨房のほうに下げて、こちらにのしのし歩いてくる。
「もしチームで午後の予定がないってんなら俺は東の任務に同行しようと思ってんだけどよ」
「あ、それ僕もアカデミーに行った後に参加しようと思ってるやつだ」
そのすぐ後ろでジュンの影を追うみたいに夢矢が追う。
満足と幸福を混ぜたようなほんわか顔で満たされた胃の腑の辺りを撫でさする。
2人が近づいてきたことで杏もようやく組んずほぐれつから解放された。
「なによ? 東のヤツまた私たちに任務を押しつけてきてるわけ?」
チームの面倒事の名が出た途端だった。
杏は露骨なまでに眉尻を吊り上げ不満を顕にした。
するとジュンはとんとん、と己の頭を指先で叩く。
「俺はアレクの自由募集の項目を見て勝手に参加を決めたってだけだ。別に直接頼まれたわけじゃねぇし行きたくねーなら行かなくていいやつだろ」
体内の《ALECナノマシン》を経由して掲示板の読んだらしい。
体内にナノマシンが入っていれば常にネットの海に繋がっていられる。
あの管理棟立て籠もり事案以降、《ALECナノマシン》は正式な評価をされるようになっていた。プログラムを書き換えてしまう《フレイムウォール》さえなければ《ALECナノマシン》はもう人を殺すキラーマシンではない。
「俺は暇だしいってみようかなと思ってる。いざAZ-GLOWなんかが沸いたら慣れてるやつは多い方がいい」
「さすがの東さんも連チャンの任務は控えてくれているみたい。夕方からの任務は僕らに頼むのを自重している感じかな」
ジュンと夢矢は任務への参加を前向きに同行を検討している。
しかし杏はそれが気に食わないのか、への字口を崩さない。
「なんかあわよくばっていう思惑が見えてて気に食わないわね。ジュンと夢矢もあんまりいいように使われてるんじゃないわよ」
「へーいへい。つってもアイツからの依頼ってそこそこ金になっから悪いことばっかじゃねーんだけどな。風の噂では報酬にポケットマネーで色つけてくれてるらしいぜ」
「あはは。それにノアの通貨エルはいくらあっても困らないからね。正直持て余し気味なのは否定出来ないけど」
話題の中心となっているのは、東光輝だった。
ノアで新たに導入されたチームシステムは軍という指揮系統を撤廃している。そのため東含む大人たちが総合チーム補佐という位置づけとなっている。
そのなかでも彼率いる盾の五芒、《マテリアル》は、エースチームとも呼ばれていた。
優秀な天才科学者、天性の体力男、重力を操る強力な第2世代、影となって行動する心読みの少女。そして無能なれど未開惑星のプロで構成されている。そのため死の星を開拓するにはこれ以上ない人選でもあった。
ゆえにチーム《マテリアル》は、常々稼働させられている状態に等しい。現在人類が必要としているのは地に足の着いた生活なのだ。
「とはいえ夕方からの募集だし俺もちっとアカデミーに顔出しすっかなー……お?」
と、頭の後ろで手を組んだジュンの視線がぴたりと1点に止まった。
見つめる先には未だ食事過多でグロッキーなミナトがダウンしている。
「なあ? そろそろミナトのことアカデミーのみんなに紹介してもいいころなんじゃねーか?」
それを聞いた夢矢は女子のような愛らしい顔をぱあ、と明るくした。
「それすごくいいかも! フレックス開発を専攻している講座を聴講すればミナトくんもフレックスが使えるようになるかも!」
「なんだかんだアカデミーの連中も会いたがってるしな。拳の怪我も完治してまともに動けるようになったし講義や実技に参加させるタイミングピッタしだろ」
無論のこと2人がお伺いを立てるのは――断じてミナト本人ではない――杏のほうだった。
杏はちらりとそちらを見てから腕を組む。細腕の上にたっぷりとした鞠が乗せられ主張を強める。
それからしばし思案する様を見せてから閉ざした瞼をゆっくり開いた。
「確かに頃合いかもしれないわね。肉体作りも大切だけどフレックスの開発もあるいていどは進めていったほうが効率的そうだわ」
親玉からの許しがでた。
杏からの承諾を得たジュンと夢矢は同時に手を打ち合う。
「…………ぐへぇぇ」
なおチーム《マテリアル》のリーダー《マテリアル1》の意思は、一切求められていない。
詰め込んだ煮こごりの消化にはもうしばしの休息が必要だった。
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