『※新イラスト有り』63話【VS.】禍ツ繭 黒ノ使者 U黒NKO族WN 5
夜がすぐ背後にまで迫っていた。
人工建造物がないこのアザーという星で夜を迎えるのは、およそ無謀でしかない。光なき1夜は恐怖をもたらすことになる。
それぞれ疲労、消耗しつつあった。だから集う者たちはここが生死の境であると予測したはず。
「これ以上はもうフレックスがもたねぇ! わりいけど俺はここでいったん後退させてもらう!」
ジュンを覆うフレックスの蒼がちらちらと瞬いた。
すでに顔中にしどと滝の如き汗がまぶされている。蒼白な顔色で膝も笑う。
長時間に及ぶ能力の展開で精神は疲弊しおそらくもう立っていることすらやっとだろう。
そして張り巡らされた《不敵》の壁がとうとう砕かれた。ソレと同時に巨大な拳が大穴を抜いて振りかざされる。
「クッ、想像以上に使い切ったか!?」
ジュンは撤退間際で体勢を崩してしまう。
信がすかさず彼の腕を肩に回した。
「良くやった! 退くぞ!」
「すまん! ありがてえ!」
2人が走り去ると大食らいな拳が大地を貫いた。
ジュンはフレックスを使い切ってしまった。信は最後に撤退の余力を残していたが似たようなものだろう。
壁役が撤退したことにより甲殻の化け物と面々を隔てる壁は消滅した。六角形の連鎖体は幾千の破片となって灰の大地に還っていく。
隔てるもののなくなった大鎧は、境界を容易く越えてこちら側の領域へと踏み入ってくる。
「敵の攻撃は中距離の光線と近距離の拳! その2つに注意しつつ敵の気を引くよ!」
「ジュンくんが耐えてくれたおかげでフレックスもあるていど回復した! ここからは僕たちががんばる番だ!」
「おーし目も覚めてきたし踏ん張るぞー! 私は支援に注力するけどデカいの貼るの苦手だから強固な壁を期待しないでねー!」
敵の接近とともに第1迎撃線が行動を開始した。
愛が雷球を投げつつ牽制し、夢矢の蒼い矢が敵の巨躯を鎧ごと貫いていく。
だが敵の動きが鈍ることはない。あまりに巨大なため2人の放つ1撃はそれほど大きなダメージになり得ていない。
反撃とばかりに鎧の至る箇所から瞳がぎょろりと剥かれて光線を放ってくる。
「視線の先にビームが跳んでくるなら予測は容易ってやつよ!」
愛と夢矢に向かう光線を円形状の盾が受け止める。
珠は姿勢低くちょろちょろと動きながら敵の攻撃を躱しつつ的確な援護をこなしていく。
それぞれが己のもつ能力の最大限を弁えていた。しかし圧倒的な暴力の前には抗う術がない。
「うわわ!? 敵の拳がくるよお!?」
「うっ、フレックスの矢を番える暇がない! 反撃する隙が敵の攻撃で塗りつぶされる!」
光線の連続に加えて両の拳による乱打が加わった。
まるで愛と夢矢が攻撃役と理解しているかのよう。敵は中距離を得意とする2人を集中的に狙いはじめる。
珠は縦横無尽に駆けながらも、表情に僅かな焦りを浮かべていた。
「さすがにこれはちょっといっぱいいっぱいかもね!? 第2迎撃線の稼働まだかい!?」
彼女は支援であり全体の把握に努めている。
だからこそこの状況は不利であると読んだのだ。
まともに反撃出来ず。愛と夢矢の両名がこのまま攻められつづければいずれ回避の足は止まる。
しかし前衛の2人はそれでもなお敵の攻撃を掻い潜りながら反撃を行おうとしていた。
「もうちょっとだけがんばってみよう! 僕らの役目は1秒を繋ぐことだよ!」
まさに電光石火。愛は巧みに敵の攻撃を躱していく。
1歩大地を蹴るたび雷撃が発生する。そして発生した雷撃が手の上に集い大玉の雷球と化す。
いっぽうで夢矢も空中で舞うような姿勢から細やかな射撃を返していく。
「今日を乗り越えた僕らならまだやれるはず! そしてこのまますべてを上手くやり遂げてノアに帰ってみせる!」
ちらり、と。後方の闇を見つめてから番えた矢を空から放った。
その奥には死に別れたはずの父がバギーから彼を見守っている。
「ったく、今日は散々だねぇ。こんな過酷な任務なんだから報酬ははずんでもらわないとねぇ」
珠は結い髪のお下げがなびかせながらやれやれと首を振った。
同時に紐で繋いだ円刃を頭上で激しく回す。
「仲間がご所望とあれば最後まで駆け抜けるとしようかねぇ!」
空を裂く音を奏でながらニヤリと獣の如き笑みが浮かんだ。
回した円刃が高貴な蒼を輝かせる。
やがて重なるように円を描いた蒼はもっと巨大な円となって光る輪が完成する。
「私こう見えてけっこうスロースターターだから火が着くと止まらないんだよねぇ!」
敵は空中の夢矢に拳を振るう。
小柄な身体にするり、と躱され外し、腕関節が伸びきる。
そこを狙い定めた珠は、蒼の円月輪を投射した。
「その腕もらっていくよ!! 《不敵・マルチプル・θ》ァァ!!」
そして幾重にも重ね重ねた蒼の円環が咆哮とともに放たれる。
蒼の残光が通り抜けると瞬く間に強健な腕を肘関節部分を切り離した。音さえなければヒットする感触すらもなく分断してしまう。
繋ぎを失った巨大な腕部はずずんと砂塵と地響きをあげて大地に横たわる。
「やった! ナイス珠ちゃん!」
これには夢矢も手放しに歓声を送った。
「ま、今ので私のフレックスほぼ使い切ったけどねぇ。体力バカのジュンと違ってテクニシャンタイプだから強いの使うとこうなるよねぇ」
「えええ!? スロースターターで早退するならほぼ欠席と同じだよう!?」
とはいえなんだかんだ珠はがんばっていた。
洞窟でも細々と壁を作って仲間を守っていたし、ここに至っても縁の下でみなを支えつづけていた。
足を止めた珠はぐったり腰からへし折れて半目をぐいぐい擦る。
「ほんじゃがんばりまくってたから私は撤退するからぁ~」
あとがんばってぇ。そう言い残して牛歩の如く後退していく。
残された愛と夢矢はもはや回避に徹するしかない。
腕の1本が砕けたとはいえ光線の雨あられは常時こちらを仕留めるつもりで飛来している。
「ほんっとにもうもうだね! 能力はともかく僕自身はデスクワーク向きなのにぃ!」
愛は雷撃の足跡を残しながら地上をちょろまかと独楽鼠のように素早く移動し、躱す。
反撃は出来ぬ代わりに周囲には雷球がついて回っている。それらが彼女を狙う光線の盾を担っていた。
夢矢も必死に逃げながら目を細める。反撃の糸口を模索する。
「不甲斐ない! 僕だってもっとやれるはずなのに!」
矢を番えようとするたび光線の雨が降り注ぐ。
足を止めれば蜂の巣となり、かといって走っていては集中が削がれ矢が生み出せない。
敵の攻撃は苛烈さを増していく。こちらも夜を迎えながらかなり視界が悪くなっている。
2人の動きはだんだんと遅くなっていきついには光線をかすめて被弾しはじめてしまう。
「あつっ!? このままじゃ撤退すら難しいかも!」
「はぁはぁ、っまだ! あと少しだけでも!」
このままでは夜を踊り明かすことさえ難しい。
するとそこへ夜闇を駆って影が横切る。
「《記憶――》」
僅かに力を残した信が敵の真正面を陣取った。
しかしジュンほど消耗していないとはいえ彼もかなりのもの。当然真っ当に戦えるはずもない。
それでも信は大鎧の化け物をものともせず、腰に履いた鞘から長刀を抜き放つ。
「《賦物ノ太刀》ッ!!」
細い光の帯が夜を刈った。
彼を押し潰さんと猛進する1本の腕を銀閃が迎え撃つ。
だが顕界する1閃は1撃にあらず。
「俺は絶対にアイツのように間違えたりはしない。この命ある限り守るべきモノはもう……見誤らない」
刀が鞘へ戻されると同時に拳が無数の刃によって細断された。
乱れる散る桜の如く斬り結ばれる。黒い殻の拳が不定形な物体とかして細断された。
「てったいてったーい! もうこれ以上は無理だから夢矢くんも撤退するよ!」
「わ、わかった! 第1迎撃線は下がるよ!」
これで大鎧の化け物は両手を失った。
信の活躍によって出来た隙を塗って愛と夢矢も即座に後退する。
と、ここであふれるほど乱射していた敵の攻撃が止む。
「ライ……ツ……ツライクライコワイ……イタイヤメテ……」
胸甲部分から露出した女形の半身がなにかをしきりに口ずさむ。
鎧の損害が自信の痛みでもあるか。彼女は辛そうに青ざめた顔を歪ませていた。
しかも自棄でも起こしたかと思うほどに紡がれる言葉はすべて哀感を示している。
「ヤメテヤメテヤメテ!! イヤダイヤダイヤダイヤダ!! A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”!!」
一体化していた腕を大鎧から引き抜く。
先のない腕で頭部を抑えながら髪をかき乱す。
「先に手を出しておきながら今さらヒスられてももう止まらないわよ」
第1迎撃線撤退により、第2迎撃線が稼働を開始する。
そしてこれが最終迎撃線でもあった。後を担うは、杏と久須美の2人のみ。
なおも女形の錯乱は止まらない。
「クライクライクライ!! イタイイタイイタイイタイ!! ツライヤメテクライイタイシニタクナイ!!」
許しを請うというよりひたすら負の単語を羅列していく。
そこへ辛辣に冷淡な判決が下される。
「もう黙りなさい――《強重芯・翡翠大翼》」
上空を指していた細白い指が勢いよく大地を差す。
先ほどは己に対してかけていた技。それが対象を変えて敵そのものを狙う。
杏が《重芯》を発動すると、指の動きと同期するように化け物がまるごと大地にひれ伏した。
「A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”!!」
大鎧ごと貼り付けになった女形はかすれ声で喘ぎ呻く。
強力な重力に押さえつけられることで手のない腕さえ動かせず。大鎧の化け物はさながら針で刺された甲虫の如く蹲う。
使命を終えた杏は、颯爽と踵を返した。
「アンタの力を見せてやりなさい。遅咲きほど咲き誇るという真の美学をね」
彼女が手を掲げると、もう1人はその手を打って歩みでる。
「鳳龍院の家名に恥じはいりませんわ。僭越ながらその挑戦を堂々の活力をもってしてお受け致しましょう」
その手に宿す蒼き光沢は太陽の如く限度を超えていた。
さながら鵬の翼。さらに光は円転し、彼女の拳を軸として大火の如き羽が広げていく。
結末を予期しながらミナトはごくりと喉を鳴らした。
「フレックスという同じ能力のはずなのにそれぞれが個性をもって得意なことをこなしている……! なのにそれだけでこんなにも個の色が際立つなんて……!」
仲間たちの奮戦をしかとその目で捉えきった。
そして内から震えるほど、心の底から嫉妬している。
稼いだ時間はすべてただ1人のために。たった1人が蒼き力の濃縮する間、他は身を粉にしてまで信頼という意思を繋ぎきる。
杏の力によって拘束された敵はもう為す術はない。久須美の踊る舞台がそれぞれの尽力によって完成した。
双剣を両手にぶら下げたウィロメナは、前のめりになったミナトを見て目を細める。
「ミナトさんはくっすん、久須美ちゃんのことあまりよく知らないですよね?」
「身長が高くて美人でスタイルが良くて無駄に声がデカくて意外と情に厚くて花が好きな高飛車ぶってる優しい子ってくらいしかわかってないな」
「だ、だいたい網羅してる!? ちょっと引くくらい観察力が鋭い!?」
なお彼女はミナトの護衛役を杏に押しつけられていた。
そのため戦闘に参加せず。いざというときの補佐として待機している。
「実は久須美ちゃんってフレックスに目覚めたのはつい最近なんです。私たちと同年代の子たちは平均10才くらいでフレックスに目覚めているんですけど、久須美ちゃんだけは15才、5年も遅れてるんですよね」
「使えるようになって1年しか経ってないってことか!? とてもじゃないが……そうは見えないけど」
そうですよねぇ。ウィロメナはまったりと口元を緩ませた。
「久須美ちゃん自分のことをすごく責めてたんです、なんで自分だけがーって。そうやって置いていかれちゃうことに感情だけが先走っちゃって。鬱屈して、ひがんで、堪えて、食いしばって……」
ミナトにとって他人事ではなかった。
「……そう、なのか……」
それでいてウィロメナが自分の話をしているような気がして萎縮してしまう。
先ほど杏に怒られたのだって、フレックスが使えないからだった。もし使えていたらあのような事態にさえならなかっただろう。
そしておそらくウィロメナは意識的にミナトへ久須美の話をしようとしていた。
「はじめてフレックスが使えたときの久須美ちゃんはそれはもう大喜びでした。周りの人たち全員と握手してまわるくらいはしゃぎきってましたからね」
「それはなんというか迷惑なお裾分けかな」
光景が目に浮かぶとはまさにこのこと。
でもミナトだって同じことをやりかねなかった。
それくらい久須美も能力の開花を焦がれていたのだろう。
「でももっと周りのみんなが驚いたのは久須美ちゃんがフレックスに目覚めたその後だったんです」
「……その後? 使えるようになったのになにか問題でもあったのか?」
久須美の扱う蒼は彼女の姿すら薄明とするまでに膨張をつづけている。
素人のミナトから見ても尋常ではないほどに膨大なフレックスだった。1年足らずでその域に至ったという事実を安易に受け止めきれるものではない。
「がんばりすぎちゃったんです」
「がんばりすぎる?」
「はい。久須美ちゃん今までため込んでいたフラストレーションを発散させるくらい毎日フレックスの鍛錬をがんばりすぎちゃったんです」
ミナトは疑心暗鬼だったが、ウィロメナが嘘を言っているとも思えなかった。
だいいちこの場で彼女が嘘をつく理由がない。少なくとも彼女はこの場面でミナトになにかを伝えようとしている。
「毎日気絶するまでフレックスを使い込んで、しかも日に3回救護室に運び込まれるほどがんばっちゃったんですよ。最終的に救護担当の人が鍛錬所に久須美ちゃんから目を離すなって張り紙を貼るくらいでした」
「それは確かに病的だな……」
「そんな久須美ちゃんをいつも救護室に運び込んでいたのが杏ちゃんだったんです。2人とも努力家で鍛錬所には必ずどちらかがいるほどでしたから」
ウィロメナは思い出したかのようにくすくす肩を揺らす。
そうやって年の差はあれど努力家2人は出会った。そして互いを認め合い高め合う。
ともすればああやって互いをライバル視しているのも頷ける。あの2人に限っては健康的にいがみ合っていた。
ウィロメナの手が物憂げに思い込むミナトの肩にそっと添えられる。
「だから使えないことはハンデでもなければ弱点でもありません。むしろ挫折を経ているぶん誰よりもフレックスを大切に出来ると思うんです」
ぐっ、と。力一杯なガッツポースをすると大鞠の房がたわんだ。
「慌てなくてもいいんです。ミナトさんはミナトさんのペースで進んでいけばいいんです。それでもし使えるようになったら私も杏ちゃんももちろんジュンだって思いっきりお祝いして上げちゃいます」
先ほど怒られた傷に染みてくるような優しい言葉だった。
当然そのていどで満たされるほど心の乾きは甘いものではない。
「そっか……ありがとうウィロメナ。もしオレも使える時がきたら使いかたを教えてもらってもいいかな?」
「はいっ! もちろん手取り足取りお教えしちゃいますよ!」
それでも友に励ましてもらえるのは、なにより嬉しいことだった。
なにより僻み、妬み、嫉み。そんな悩み抱えているのが己1人だけではないと知る。
たとえ下がっても1歩づつ進んでいけば必ず足跡は残る。進むことさえ止めなければいつかは叶う。きっとウィロメナはそう言いたいのだ。
そうこうしている間にあちら側では終盤を迎えつつある。
「帰ったら鍛錬所で今日の反省会をするわよ! だからそんなやつさっさとやっちゃいなさい!」
杏の目は信頼に満たされていた。
それを受ける久須美も蒼による拳で応えようとしている。
「チャージ100%!! おおおおおおお!! 《ブリリアント・亜轟》ォ!!」
1撃必殺の拳が振るわれた。
周囲一帯に光が爆ぜて景色に白光があふれる。
それはもはや打撃という概念すら覆す。強力で圧倒的な破壊の衝撃が大地を揺らした。
久須美の拳から発された蒼き閃光は、巨大だった大鎧の化け物を瞬く間に消し飛ばしてみせた。
「やり、ました、わよ……!」
役目を終えた久須美の身体がぐらりと傾く。
それを当然のように待機していた杏がひょいと支える。
「お疲れさま。なかなか良いフレックスだったわ」
「チャージさえもっと、早ければ、第2世代に届くはずですわ……! すぐに追いついて見せますから、覚悟なさってくださいまし……!」
久須美はかなり消耗していた。
それでも己を支える杏に挑戦的な笑みを送る。
「こっちだってそう簡単に追いつかせるモノですかっての。でも……追いていったりなんかしないから安心してついてきなさいよね」
そんな2人のやりとりにミナトは目の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
あの2人の背中を見ていると羨ましくもある。切磋琢磨しながら支え合う姿がなにより尊かった。
それだけではなく歓声を上げながら2人の元に集っていく面々まで互いを理解し合っている。
もしかしたらミナトと出会う前からずっとそうだったのかもしれない。ノアの民たちは全員が苦境のなかでも潰れぬよう支え合っていた。
「……?」
ごろり、と。ミナトの足下になにかが転げた。
日が落ちきって帳が降りているためソレがなにかをすぐに判断するのは難しかった。
「…………」
女形をした上半身部分が灰かむりの大地に横たわっている。
すでに黒紅い眼からは精気は感じられず。さらには手首から先だけではなく、大鎧と一体化していた下半身までもが失われてしまっていた。
なのにかけた彫刻のような腕が彷徨う。なにかを求めるかの如く灰を掻くようにして惑っている。
「そういえば……この子の部屋にあったんだよな」
ミナトはふと思い立ってジャケットのポケットを探った。
青空に満ちた部屋で見つけた貝殻を取り出す。
唐突に襲ってきたAZ-GLOWから逃げるとき慌ててポケットに押し込んでしまっていた。
そして僅かに躊躇いながら少女の隣へ膝をつく。
「お前らはどこからきてどこに行くんだい。そんでいったいオレたち人類はどこに向かっているっていうんだ」
虫のように這いずる女形の頬横に貝殻を置いてやった。
人類は暗い宇宙にぽつりと浮かびながら大いなる方舟で彷徨いつづける。
未来さえなく、希望さえ見えない。そんな先の見えぬ旅の途中だった。
だからミナトはせめて果て征く彼女が迷わぬよう心ばかりの祈りを捧げる。
「……と……と……と……」
「お、お前ッ!? まだ喋れるのかッ!?」
少女の瞳が徐々に色を失っていく。
それどころか硬質化した傷口から血流の如く黒い霧があふれだしていた。
「みな……と……みな、と……みな……と」
「どうしてオレの名を知ってる!? しかも人類に属さないはずのお前がなんで共用語を理解してるんだ!?」
しかしそれも長くはなかった。
もうもうとした霧の噴出が薄くなると、女形は事切れるようにして動かなくなった。
だが彼女は命尽きるまでずっと呼びつづけていた。ミナトが恩人から与えてもらった大切な己の名を。
「なあ? ごめんなさいってどういう意味だよ?」
「……………………」
ミナトはもう動かない骸となった彼女にかしずきながら真意を問う。
しかし黒き瞳の少女はもうなにも語ってはくれなかった。どこからきて、どこへ帰っていくのかさえも、もはや尋ねようがなかった。
これにてチームに課せられた虎龍院剛山の捜索任務は無事成功と相成った。多くの想定外はあったものの誰1人として命を失わずに済んだのだった。
そして面々はヘトヘトな身体を引きずるようにしながらバギーに乗り込みキャンプへの帰路につく。
「ハァーハッハッハ! 見事任務遂行を果たしたのは褒めてやりたいところだが遅すぎるぞ! 危うく待ち合わせなのに迎えに行くなどという無粋なマネをするところだったじゃないか!」
無事キャンプに到着すると東が相変わらずなテンションで出迎えてきた。
「こっちはこっちで大忙しだったのよ! こんなところで案山子になってるアンタにそんな文句言われる筋合いはないっての!」
対して杏が眉を吊り上げながら反抗するというお約束の流れだった。
そして仲間たちの語らいから外れたミナトは、深刻な顔で夜の空を見上げている。
――どうやら裏でこそこそやるのが好きなやつがいるらしいな。
ただ1人、少なくともミナト・ティールだけは踊らない。
起点となったのは今作戦で明らかとなった情報の錯綜だった。
ノアの民たちはAZ-GLOWどころかアザーへの理解が浅すぎる。原生生物の生体だけならともかく地理や旧文明さえまともに知らぬというのは看過出来るものではない。
そして時折発生する通信妨害があまりにも露骨すぎた。
虎龍院剛山が救難信号を送れなかったことも作為的で、容易に腑に落ちるものではない。
――必ずこの茶番を仕組んでる元凶が船のどこかにいるはず。ならこっちから仕掛けてみるとしようかね。
平穏の裏にもっと巨大な影がある。
ミナトには、このアザーから見上げる空よりも黒ずんでいるような気がしてならなかった。
重なり合う数々の思惑が運命という歯車を回しはじめる。
人類の時が動き出すとき、やがて世界はより大きな変革を求めて動き始めようとしていた。




