62話【VS.】禍ツ繭 黒ノ使者 U黒NKO族WN 4
走馬灯を見る余裕すらなさそうにない。走り寄る死に恐怖することさえ許されなかった。
灰の下には硬くゴツゴツとした乾燥赤土が広がっている。人間が80kmもの速度で落下すれば砂はヤスリとなって肉を削ぐ。大地は凶器と化し全身の骨を砕く。
「ミナト!!」
バギーから落下したミナトの元へ杏が駆け寄ろうとした。
しかしあまりにも距離が遠すぎる。フレックスの能力をもってしても間に合う距離ではなかった。
しかしミナトは全員の無事を横目に確認して安堵する。
「……もう終わりか……」
大切な仲間を、友を、守れて嬉しかった。
心残りがあるとするなら1つきり。
杏が涙を受けべていることくらいか。
「ダメ!! 大丈夫すぐ助けるから!!」
――止めとけって。そっちまで巻き込まれるぞ。
武器を投げ捨て蒼の光沢を強める。
絶対に間に合う距離ではない。それでもミナトを見捨てようとせず大地を駆ける。
大鎧の化け物はすでに腕を振り下ろそうとしていた。
もうすでにミナトの死は確定している。たとえ落下のダメージが軽症であっても大腕に潰される末路しかない。
猛烈に流れる大地は鼻先にあるし、轟々たる音とともに落ちてくる質量が背後にまで迫っていた。
「……畜生」
ミナトはただひとこと恨み事を最後に口にしてから瞼とともに世界を閉ざす。
遺恨があるとするなら能力が1度も芽生えなかったことか。こうなってしまったのは救えるはずの命を救えなかった報い。
蒼き力さえ身に宿ればあの時も、あの時も、あの時だって。もっとたくさんの人々のために立ち回れたかもしれない。
「……なんで……オレには……使えないんだ……」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ――っ!」
暗く閉じゆく世界に死神の足音を聞いた。
追われつづけることに疲れたミナトは四肢を投げ出し、断罪の時を受け入れる。
そのはずなのに痛みは訪れなかった。くるはずの痛みもなければ死の足音さえ遠のいている、鼓動がつづく。
どころかうつ伏せの姿で落ちたミナトの顔になにか柔らかいモノ当たっていた。
「ふぅぅ……間に合いましたぁ……」
聞き覚えのあるほんわか声が聞こえてミナトはようやく気づく。
横たわるような体勢になったウィロメナの胸のなかに抱かれている。
「ウィロメナ!?」
「ごめんなさいちょっと遅れちゃいましたけど、ギリギリセーフってことで許してください」
ウィロメナは、砂塵に汚れた頬をふわりと和らげるよう微笑む。
彼女は身体能力向上と防衛力を発揮し潜り込んだ。そうやって全速力の状態からスライディングをすることにより落ちる直前のミナトをぎりぎりでキャッチしていた。
「バカ! ここにいたらお前まで化け物に潰される!」
ミナトは甘い香りに包まれながらも慌てふためいた。
この身が落下から助かったところで大腕の到来が待っている。
「オレのことなんか放っておいて早く逃げるんだ! じゃないとウィロメナまで大腕に――」
唇にそっと人差し指が添えられた。
ウィロメナはその指を自分の唇の前に立てる。
そしてあちらを指さす。
「オオオオオオオオオオオオオオ!!」
「ハアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ジュンと信が蒼き壁を巡らせ大腕を防ぐ。
「ヘヘッ! 合流するなりずいぶん面白ぇことになってるじゃねぇか!」
「だが見た限り救助も間に合っているらしい! 遅延はあったが作戦そのものは円滑に進んでいたようだ!」
どれほど過酷な状態から帰還したのかでさえ定かではない。
しかももう2人の身体はボロボロだった。
「ここが天王山ってやつだ! チームの1人も欠けず任務達成するために踏ん張れよォ!」
「言われずともミナトを死なせるつもりは毛頭ない! 回復したフレックスを無駄に消耗しすぎて気絶してくれるな!」
身体をまとう蒼が消えかかっているし、いつ膝が砕けてもおかしくない。
それでも2人は歯を食いしばって《不敵》を保持しつづける。
そして杏は到着するなりミナトの襟元を強引に捻りあげた。
「バカ、もうこの世界一のバカッ!! なんであんな敵の気を引くような無茶をしたのよッ!!」
「だ、だって……あのままだったら杏たちに攻撃が向くと思って、だから……つい身体が勝手に動いて……」
ミナトが言うと、杏は一瞬だけくしゃりと表情を歪ませた。
捻るあげる手へさらにぎゅうう、とより力が籠められる。
「アンタは能力が使えないの!! 私たちなら大丈夫なことでもアンタは1回のミスで終わっちゃうの!!」
目端を吊り上げ凄まじい剣幕でまくし立てていく。
その間でも怒りに紅潮した頬を涙が伝ってはしどと流れていく。
「アンタは他人のことじゃなくてアンタ自身のことも考えてあげなきゃダメなの!! しかもその自分を蔑ろにした結果死にかけるだなんてふざけないで!!」
ぐさり、ときた。言い返す気さえ起きぬほど。
杏の怒りにはそれほどの威力があったし、彼女を泣かせてしまったという罪悪感も凄まじかった。
「アンタがいなくなるんだったらもういっそ私が死んだほうがマシなのよ……!」
しゃくりを上げながら鼻をすする。
その声にミナトは側頭部を殴られたかのような目眩を覚えた。
なによりそれは鏡だった。自身が杏たちに望んでいたことが、杏たちから自分への望みでもあった。
「……ごめん」
「もう2度とやらないで! 次やったらこっちだって2度と口きいてやらないんだから!」
「……本当にごめん」
掴まれていた襟が突き放すようにして解放される。
そしてミナトは去って行く杏の背を見つめながら激しく後悔した。
「…………」
彼女の言葉は重かった、それでいてあまりにもショックだった。
虚脱した身体からすべての力が抜けきってしまう。
実際、チームメンバーをもっと良く見てさえいれば気づけたことだった。
否、この事態に及んでようやく曇りが晴れる。死に甘んじていたのは己だけだったと自覚する。
仲間たちは誰かを守るために死という敵に抗いつづけていた。
「さすがの俺でも連戦はきっちーな! でも死地を超えたことで俺らも結束してきたよな! これでようやくダチになれそうだぜ!」
「…………」
「って、おい!? さっきまでのいい感じにテンション合わせてたのに急に黙り込むなよ!? さすがの俺だってそろそろめげるぞ!?」
ジュンも、信だって、そう。
今もこうして1人を死なせぬため全員で結束している。誰かの死なんてものは、誰も望んでいない。
なのにミナトだけは違う。自分でも気づかぬうちに己の死のみを許容してしまっていた。
誰かに己の死を押しつけようとしていた。己が死ぬことで守れればソレで良いとしていた。ゆえにすべての行動が死に甘えきっていたということになる。
「よっ、と。虎龍院さんはバギーで待機しててね」
停車させたバギーの助手席側から扉をひょいと跳んで降り立つ。
「ありゃさすがの大物だぜ? たった2部隊で大丈夫かい?」
「後はもう僕らでなんとかするよ。夜が近いしサンプルも持って帰りたいからちゃちゃっと片付けないとね」
愛は案ずる剛山にしっしと手を振った。
膝を曲げぬ飄々とした歩みで仲間たちの元へと合流する。
「あーあーあんなに優しい杏ちゃんをあそこまで怒らせちゃうなんてすごいね」
「助けてもらったし申し訳ないとは思う。……でも杏って普段から怒ってないか?」
「ふむふむ。普段のあれが怒ってるように見えるのならキミはかなりの鈍感さんだねぇ」
頬横辺りで両手を皿に、やれやれと眉をしかめて大袈裟なため息を漏らした。
と、ウィロメナは「ふふっ」堪えきれぬといった感じで吹きだす。
「杏ちゃんって認めた相手には当たりが強くなっちゃうんです。それになにより今だって怒ってる対象はミナトさんじゃありません」
「しかも認めた相手より認められたい相手がいるとまっしぐらな性格なんだよ。神妙な猪突猛進が杏ちゃんのチャームポイントだよね」
2人は並びながら団らんした。
しかも杏を手伝う素振りすら見せず、ただ暖かな眼差しで見守るだけ。
日はとうに沈む。空の茜色はトワイライトの黄昏を残すのみとなっている。ほどなく撤退を開始せねば危険な夜のアザーを練り歩くことになりかねない。
しかし敵は未だ健在。信とジュンの2人態勢でようやく防いでいるが、命のやりとりを欲しつづけている。
「……ライ……ライ……ク……ク……ライ……」
口元ではなにかを延々と呟きながら蒼の壁を幾度となく殴りつづけた。
本日の任務は困難を極めて仲間たちはもう疲弊しつつある。補佐を務める愛以外の全員が全身に疲労と砂土まみれだった。
そんななか彼女は大型の化け物を前に凜と佇んでいる。
「な、なあ? ウィロも愛も手伝ったりとかはしないのか?」
先ほど怒られたため萎縮しているが気が気ではない。
そうやってミナトが1人慌てていると、愛はふふんと指を振った。
「言っておくけど僕らってミナトくんの思っているよりちょっとだけ強いからね」
得意げにふんぞり返って平坦な胸を押し出す。
「それにあの努力家2人が組むのなら向かうところ敵なしです。東さんもソレを知っていてあの2人を組ませたんじゃないかな」
ウィロメナも腰の双剣を抜かず静観に徹した。
そしていつしか夢矢と珠もこちら側に合流している。
「ふぁぁ……あの2人が組むと超危ないからもう近づきたくないよねぇ……」
「ミナトさんミナトさん! 先ほどはどうもありがとうございました!」
ミナトは子犬がじゃれついてくるような礼に「お……おう」心無い返答を返す。
もはや面々は結束や手伝うどころの話ではない。むしろもう済んだと言わんばかりの空気だった。
「……ふぅ。情報収集ために手を抜いていたからとはいえそこそこ応えるわ。消耗の具合から言っていいとこあと1回、か」
なのに杏は武器さえ持たずに対峙している。
己の10倍はあるであろう質量を前に怖じ気づくことさえなく、憮然と睨んだ
身には蒼が滾る。普段の揺らぎはなく定着し、僅かに白光が入り交じる。
「久須美」
「はい、ですわ」
名を呼ばれた久須美は、すでにそこにいた。
まるで杏に呼ばれることを始めから知っていたかのよう。付き従うナイトの如く立っている。
久須美もだいぶ砂を被っているが、彼女もまた清楚な佇まいを乱すことはない。耽美な微笑を貼りつけながら拳の調子を確かめていた。
「あれがなんだか知らないけれど、私たちの前に立ちはだかるというなら敵でしかないわ」
「あらあらずいぶんとお怖いお顔をなさいますのね。まあワタクシとしても夢矢を危険にさらした制裁を受けていただくつもりではありますが」
そう久須美の余裕めいた表情で答えた。
杏は男勝りな動作で頬を強引に拭う。
「あのふざけたヤツにあれをぶち込むから準備なさい」
「いちおう確認をしておきますけど、生き物のようですがよろしいので?」
「おあいにく様。私は殺そうとしてくる相手に説教垂れて更生してもらおうなんて白々しい正義をかざすほど余裕のある生き方してないの」
言い終わる前に横で蒼が放出されている。
ボックスを作った久須美の拳から闇を消すほどの輝きがあふれた。
「これはこれは奇遇ですわね。実はワタクシもですの」
夜を背負う彼女たちは鬼気とした笑を浮かべる。
蒼い瞳が4つ仄めく。怯えは微塵もありはしない。象徴するようにまとう蒼が鮮明に浮かび上がった。
「私言ったわよね?」
ミナトは、振り帰った彼女の瞳から目を離せなくなる。
灯った蒼き瞳は精錬で、勇敢で。それでいて艷やかでいて。
「もし私たちの身勝手に付き合ってくれるのなら私はアナタに心ごとすべてを捧げてもいい、って」
なにより僅かに頬を染めた彼女の表情は、誰よりも優しかった。
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