358話【人類VS.】圧縮型惑星間投射亜空砲 シックスティーンアイズ 3
――狙うのは、あそこしかないか。
滑走しながらちら、と睨む。
血走った朱眼の視線から逃れるられるものはいない。
それは、まるで悪夢が実体化したかのよう。人はおろか小型艇よりも巨大な目玉群が見る者の精神を貪るかのようにじっとこちらを見つめていた。
眼球の周囲にはかさぶたのような硬化した組織が瘤のように広がっている。細部が不気味なリズムで脈動し怖気と吐き気を同時にもよおす。
「こちらマテリアル1、愛は応答できるか」
『回線はオープンになってるから全部聴こえているよ! それでいったいどうしたの!』
反応は強かで甘く、迅速だった。
些か高揚しているのが彼女の声から伝わってくる。暴風のなかでそんな鈴を振るような音が耳元をくすぐってくる。
「1から16までで1番好きな数字ってなんだい?」
『え、なにそれ唐突だね? いち、からじゅうろく? んー、そうだねぇ……やっぱり7のラッキーセブンとかかな?』
了解。標的は決まった。
次の瞬間には轟音が大地を揺らす。裂かれた空気が悲鳴をあげる。
一瞬の静寂ののち、ミナトは稲妻のように天へ向かって跳ね、駆け上がっていく。体は重力を嘲笑うかのように垂直へと加速し、蒼き軌跡を空に刻む。
『なにするつもりぃ!? ま、まさかさっきの1から16ってどの目玉を狙うのかってことぉ!?』
『ちょっと!? そんなテキトーな方法じゃなくてもっと科学とか使いなさいよ!?』
驚愕する愛の通信に杏と思わしき悲鳴が割りこんだ。
しかしもう相談する暇はない。ミナトは放たれる光線の時雨を潜って頂点に到達している。
「《亜轟》」
『なにをする気なの!? 正面から戦って勝てるような相手じゃないわ!?』
緩急してから拳を握りこむ。
蒼を籠めると全身の筋肉が軋みを上げる。全身の五感が研ぎ澄まされて精神に静寂がもたらされる。
籠めた思いには、怒りと覚悟を。そしてすべてを終わらせるべく、意がこめられていた。
ミナトは7つ目に狙い定めながら深く息を吸い、体内の力を1点に集約する。
「《武神》ッ!!!」
拳が振り抜かれる刹那、世界が割れる音がした。
金剛力士。現象の後に耳を裂くような轟音が空間を引き裂き、鼓膜を蹂躙する。
まるで山が爆ぜたような重低音が地を這い、荒野の土を総毛立たせた。あらゆる思考を白く塗り潰す。
《亜轟・武神》。亜轟系の第2世代能力は、蒼による身体の巨大化と想像の具現化。
「――――――――――――――――――――――――!!?!?」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
5mはあろうかという膨れ上がった蒼き拳が、16眼の7つ目の1つを貫いた。
巨大な瞳が鈍い感触とともに破裂する。裂け目からは腐臭を放つ汚泥の如きぬらりとした赤い体液がぐじゅりとあふれだす。
体液のなかには断片的な甲殻や溶けかけた器官の素が混ざっている。それらが滝の如くぶくぶくと不気味な泡を立てながら荒野を染め上げていく。
血涙というより吐瀉。幻影の拳によって赫赫とした瞳が爆ぜて流れだす。
『バカな!? ノアのトップに君臨する俺でさえ武神の使用で膨張できる拳の質量はひと回りほどだぞ!?』
『あれが2世代能力の真価ですの! 威力を増すだけの私の第1世代能力とは桁どころかそのものが違いますわ!』
通信機から引きつったような声が漏れ聴こえた。
成果は重畳。目論見通りに16ある瞳の1つを、もらう。
しかし決して手放しで喜べるような事態でもない。
――っ。
身に過ったはじめての感覚に戸惑いを余儀なくされる。
武神の消失とともにミナトをまとう蒼きオーラが僅かに瞬く。
「まるで命が減っていくような不快感。出血もしていないのに体温がどんどん外に向かって失われていく」
まるで生命そのものを削りとられるような感覚が全身を苛む。
ミナトははじめての未知に戸惑いを隠せない。
『そりゃフレックスが減ってるっつー兆候だぜ! あれだけデカいものを作りゃそれだけキャパから漏れでるオーバーフローもヤバい量になっちまうから注意しろ!』
ジュンからの適切な現状報告だった。
先輩からのアドバイスが理解と後悔を同時に呼び起こす。
『だってはじめて使うのよ、ミナトは! そんなものいちいち測れるわけがないでしょ!』
『っ、ああそうさ。普通俺らフレクサーは目覚めたとき全員1から学んで育つ。だからミナトみたいに100から1をはじめるヤツなんていねーんだよ』
食ってかかる杏。ジュンは噛み締めるように声を沈めた。
クソッ。使用という単語を失念していた不備はこちらにある。
フレックスの蒼は有限であり、すべてを失えば生死にすら及ぶ。
「1つ壊すだけでこれだけの消費なのか……! しかもまだ15もあるんだぞ……!」
そしてもしこのまま同じことを繰り返せば、多くてあと2回ほどか。
はじめからとくに優位というわけではなかった。それは戦闘しているミナトが身を切るほど理解している。
能力に開花してもいまひとつ押しに欠ける。有効打を稼ぐ方法はあるが、差しだすモノが大きすぎた。
『なるべくなかに閉じこめるような使いかたをすれば消耗は抑えられる! もし先のような使用法を望むのであれば力を薄く伸ばす感覚を優先するといい!』
思慮するさなか力強い男の声が脳を揺らした。
最強の一角四柱祭司である源馬は、アカデミーでフレックスの講師を担うほどの実力者。
はた、と。ミナトは、そんな有能な源馬の指示に、微かな疑問を覚える。
「薄く、伸ばす? 能力を?」
思わず脳で考える間もなく、口にだしていた。
『そうだ! フレックスは流動体であり形は多種多様に変化する! フレクスバッテリー内部にフレックスを圧縮し貯めこめる理屈もフレックスの自在性によるものだ!』
「……自在性、か」
『加えてフレックスは我々の命そのものだと思ってくれて構わない! ゆえに使用するさいには細心の注意を払い限界を見極めることが重要になる!』
「…………」
後半のほうは良く聞こえていたなかった。
空に佇むミナトは、複雑な感情で、手のひらを見つめている。
「…………」
なにか、なにかが手のひらのなかに握られそうだった。
まだ形も重さもわからないそれは、確かにそこに現れかけている。指先がそっとその不明瞭な存在を確かめようとしていた。
『ミナトくん!!』
突然、悲鳴めいた叫びが耳をつんざく。
それは通信越しでもわかるほど。恐怖と絶望が混ざったウィロメナの声だった。
ミナトは瞬時に移ろっていた意識を現実へと引き戻す。
「――――――――――――――――――――――」
瞳1つを穿たれてなお健在だった。
それは、ただそこに在るだけで世界すら変えかねない。
巨大にして静謐。厳かなる沈黙のなか時の流れさえ彼の者を揺るがさず。
「なんだ? なにか様子が?」
小さな異変を覚えたのは聴覚だった。
もし蒼をまとって精錬されていなければ聞こえないほど小ささ。
パリ、パリ、パリ。ピキッ、ミシッ、ミシシ。グリャ。バリバリバリバリ。
「GGGGGGGGGGGGGGGGG」
「こ、コイツ!? まさかまだ先が!?」
次の瞬間世界が一変した。
「 V O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O !!!!」
巨大な異形がその静寂を破った。
咆哮。否、それはもはや音ではなかった。空間そのものが歪み、空が震え、大地が呻く。
世界がその存在を拒絶するように揺れる。異形はただ厳かに、そして絶望の象徴のように吠えたのだ。
「 G E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E !!!!!」
15個の瞳からミナト目掛けて光線が空気を裂いて次々と放たれる。
連続する閃光は、まるで稲妻の嵐だった。
「速度が変わっ――ッ!?」
ミナトの蒼き眼に明確な死が見えた。
空を駆ける足元に、次々と閃光が突き抜けていく。背後から唸りを上げて襲いくる光を、紙一重でかわしつづける。
息を吐く暇があるものか。視界を斜めに裂く閃光を掻い潜る。ミナトはただ生きるという目的のために必死で疾走した。
「超速度での進化!? ルスラウス大陸に現れた個体と同じで戦いから学んでいるのか!?」
「 H O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O !!!!!」
瞳の下にばっくりと開いた横割れから咆吼が発せられた。
生臭く形容しがたい腐臭が鼻をつく。それからまつげが凍りそうなほどの冷気が入り交じっている。
「音圧が壁の如く襲いかかってくる!? 集中がかき乱されて思考がまともに働かない!?」
恐い。手足が震えているのが自分でもわかった。
だけど足を止めたら終わりだ。必死に、決死で走った。
死線を、生をたぐり寄せるように、薄氷を踏む。迫る死を背負いながら駆けつづける。
背後から迫る轟音がいままさにこの身体を呑みこもうとしている。
1歩。もう1歩。それだけでいい。それのみでじゅうぶん。ミナトは限りなく細い生を渇望した。
『見ろ!! 潰れた瞳の様子が変だぞ!!』
風切る音のなかにジュンの声が混ざった。
もうなにが起こっても驚きたくなかった。
潰れた瞳ぶぶんがまるで凝固するように固着している。そして奥のほうで肉の種が泡立つように黒い蒸気を沸騰させている。
「……はは、終わってんな」
誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりと零れた。
文句を語る気力すら、もう尽きかけている。
残されたのは、底のない失意と、微かにある諦めだけだった。
潰れたはずの瞳にあったのは、明らかな再起の気配だった。
「……? 胴体と違って瞳だけ復活がり遅い?」
「 V E R O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O !!!!!!!!」
「くっ!?」
駆け抜けるさなか強まる感覚があった。
それは人ならば必ず備えているもの。
――急に、足が重い!? 肺が張り裂けそうなほど空気を欲してる!?
疲労。尽きかけ。
過度な運動によって身体のパフォーマンスが低下しつつあった。
――フレックスによって消されていた必然が消耗により戻りつつあるのか!?
そして後悔は勢いをつけて突如襲いかかる。
踏もうとした不敵の足場から踏みだす足がすり抜けた。
「まず――っ!?」
まるで羽の折れた鳥のように身体が空中に放りだされてしまう。
そこへシックスティーンアイズの胴体から生える無数の触腕が襲いかかる。
束になった極大の黒い鞭が、蚊のように小さなミナトを暴風をまとい殴りつけた。
「ッッッ、ガッ!!?」
肺が潰れるような声が喉元から漏れた。
尋常でなはい衝撃を全身に巡らせながら強かに吹っ飛ぶ。
大地は抱擁してくれるほど優しくはない。撃ち落とされた肉体はもんどり打つように地べた転げ回った。
さらにミナトの残した砂塵の形跡を負うかの如く死の閃光が乱れ、収束する。
「 V O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O !!!!!!!!」
一切の手心も容赦さえなかった。
まるで人という種に呪いでも籠めているようなほど、無慈悲。
ずおん、ずおん、ずずずずず。這う腹部で大地を耕しながら乱れ撃つ。
「《亜轟》」
濃い砂煙のなか、灯る。
ミナトは疾風の如く被弾地点から飛翔し、抜けでた。
そしてもう1度、見舞う。
「《武神》ッ!!!」
衝撃の波が再度世界に爆ぜた。
着弾する拳の音は、まるで怒りそのもの。鋼鉄の鎚が大気を殴りつけるような衝撃で大地を軋ませる。
音は鼓膜を震わせ、魂を揺らし、敵の瞳の奥に深く突き刺さった。
「――――――――――――――――――――――!!?!?」
「やっぱりそうなんだなッ!! お前はそういう歪な生き物だったんだッ!!」
「――――――――――――――――――――――!!!」
ぬかせ小僧。
矮小な存在者如きが。
「 H E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E E !!!!!!」
その刹那に発せられたのは、もっとも巨大で膨大な光の柱だった。
14の瞳からなる亜空砲は、人を肉の欠片すら残さず呑みこんでしまう。
『ミナト!? ねえミナト!? 応答して!?』
より大きく暴力的で、致命的なほど、強力な光だった。
小さな空色の光は、闇色の光によって灯火を失う。
『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
通信を通して杏の悲鳴が全人類に絶望を届けた。
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