355話 覚醒の別れ《Overture》
刹那に身体を覆う鎖が四散した。
「なんだこの全身に漲る生きる力は! これが人が新たに目覚めた生命の、蒼なのか!」
全身に余すことなく、滾る。
戸惑いと高揚を覚え、全身の毛穴が震え開く。
それはまるで血のよう。鼓動とともに巡る。漲るとでもいうべきか。
ある者は戦の手を止める。ある者は垣間見る。1人から発生する煌々と滾り輝く蒼き目覚めに息を呑む。
「や、べぇ! なんだよあのフレックスの濃度は! 俺らのとまったくの別物じゃねぇか!」
「私たちのフレックスよりも白い! なんて綺麗な空色の蒼なの!」
ジュンは刮目し、ウィロメナでさえ口角を痙攣さた。
生みだされる光が間断なく空色の円輪を発しつづけている。
面々は触れられぬ強烈な光を全身に浴び、武器を片手に立ち尽くす。
「フレックスの数値がオーバーフローしてるよ!? 私たちのナノマシンじゃ計れない科学の町歌領域!?」
「まさかいま生まれた……の?」
「いま生まれたんじゃない、これは再誕だ! なぜならミナトはずっとこの忌まわしき星で必死に生きつづけていたんだからな!」
生まれたばかりの蒼は、もっとも薄かった。
誰よりも薄く、なのに強く、だからこそもっとも光り輝いていた。
爆ぜた呪いの枷は、キラキラとした燐光を放ち世界から消滅していく。
「そうだ、それがテメェのもつ本来のカタチだァ! テメェは穴の開いた不良品のバケツじゃねェ! あふれこぼれて底に広がっている大海原が真の本体だァ!」
レティレシアは狂気じみた笑みの影を深く刻む。
戸惑うミナトを睨むように血色の眼光を細める。
「さあ、ここまでのお膳立てはしてやった。あとはテメェが見せつける番だぜ」
はらはら、と。散りつつあった。
彼女は足下から細氷の如き燐光をまぶしつつある。
ヨルナは、ひと仕事終えたようにホッと吐息を漏らす。
「こっちのほうはだいたいカタがついたね。あのデカいのもなんとかしてあげたかったけどさすがに時間が足りなかったか」
役目を終えた双剣を消滅させ、透ける腕で額を拭った。
すでに敵の中型の多くは龍と救世主たちの猛襲によって討伐されている。
「ぜんぶ面倒みてやっちゃためになんねーかんな。最後の締めくらいそっちの力でバシッと決めろな」
「とはいえちくとギリギリじゃったのう。狭間の雑魚散らしと救助で時間をかけすぎちまったからなぁ」
巨漢の老父と幼子の対比が著しい。
アクセナとゼトの身体もすでに消えかけて薄くなっていた。
白き一陣の風が舞い戻る。炎色の三つ編みが着地と同時に尾の如く揺らぐ。
「空のほうも焔龍や海龍たちが直に殲滅を終えるはずです。巣のほうに攫われていた人種族たちに重症者はおらず救助は完遂ですね」
リリティアの身体も白いスカートの裾辺りから消えかけていた。
他の面々も集まりつつある。一騎当千の強者たちの全員が消滅しつつある。
「あんだけ啖呵切ったんだから簡単にくたばんじゃねぇぞ。テメェはこの俺、西方の勇者の名に泥を塗りたくったんだからなぁ」
「モチ羅ちゃんも最後の瞬間に立ち会いたかっただろうねぇ。でもお母さんと一緒にいくっていったのも彼女自身だから本当に強くなったよ」
そこにはここ半年分の生きたという思い出が立っていた。
どいつもこいつも口汚く、だらしない。反面教師にするならばベストみたいな無頼の集団だった。
なのにいまとなっては愛おしい。空色の光に照らされながら無頼たちの存在が薄らいでいく。
いなくなってしまう。その事実が胸のなかいっぱいに思いをこみ上げさせる。
「必ず……会いにいくから」
「あん?」
ミナトは顔を上げた。
訝しがるレティレシアを見つめ、フチにこみ上げる涙を鼻を啜って留める。
「必ず……イージスを連れて大陸世界へ感謝を伝えにいくから」
別れに涙はいらない。再会したときのためにとっておく。
そう、ミナトは歪んで噛み締めた。下手くそな笑みを必死に作った。
すると救世主たちは一瞬ぽかんと呆ける。だがすぐに破顔して身体を震わせ大笑いする。
「世界を違えてもずっと待ってますから」
テレノアとザナリアは賑やかしを背景に祈り手を結ぶ。
薄明の荒野で鎧をまとった女王2人が静かに見守ってくれていた。
さらには戦闘の余韻で肩を薄く上下させ頬に朱色を広げている。
「私たちは決してアナタを忘れません。アナタの与えてくれた無償の恩情をいつか返すときまで」
ザナリアの声は震え、希望と哀愁が交錯していた。
風が冷たく彼女らの聡明な銀糸を揺らす。銀燭の瞳には涙が滲み、結ばれた手はそっと握ったまま開かれることはない。
そこからはもう多くの言葉を必要なかった。互いの心は、これが一端の最後だと理解していたからだ。
2人の聖女が祈る。
「大いなるルスラウス神よ、この勇敢で優しい種族へご加護を与えたまえ」
「そして道違える我らにまた運命が重なるよう奇跡をお恵みください」
祈りを終えてザナリアとテレノアは顔を上げた。
笑っている。泣いていた。そして2つの表情はゆっくりと光の粒となって崩れていく。
「私はアナタを心から愛しています」
「ワタクシは友であるミナト・ティールを真に愛しています」
形が失われていくたび、世界が少しずつ色を失っていくようだった。
ミナトの耳に残るのは、彼女たちの最後の吐息と、どこかで鳴り響く寂しげな風の声だけ。
「テレノア、ザナリア……」
ミナトにとっても2人は浅くない関係だった。
出会ったばかりの少女たちは、なに1つ感情を通わせる手段をもっていなかった。
だが聖誕祭を経て女王なった彼女たちは、心で繋がっている。硬く絆を結び、互いに通じて、支え合う。どちらかが聖火に飛びこみ生け贄となっていればここまで完全な王は生まれなかったのではないか
「出会ってくれて、ありがとう。次合う日までオレもふたりのことを絶対に忘れるもんか」
消えゆく彼女たちに届いたかはわからない。
しかしミナトの眼には最後に残った口元が僅かに笑っていた。気がした。
そしてレティレシアの白い手がミナトの隣にかざされる。
「いまはこっちのことよりテメェの成すべきことだけを考えてろ。それにテメェ如きになんも期待しちゃいねぇ。だが――」
そっ、と。触れるか触れないかの距離だった。
レティレシアは消えかけの手をミナトの頬に添える。
「……生きてこい。再会できるとするのならソイツが最低条件だ」
そうだろ? 誰よりも優しい顔と声だった。
悪意のない微笑がふふ、と、花開くかのよう。
しかしそれがミナトの網膜が映す彼女からの最後のメッセージだった。
「じゃあねミナトくん! キミと一緒に歩いたこの半年間は僕が生きた世界で1番愉快だったよ!」
「次あったらぜってー再戦すっからな。そっちは蒼を使ってこっちも魔法を使う。アレが俺の本気だと思うなよ」
ヨルナ、そしてルハーヴも消えていく。
そして師であり恩人であるリリティアでさえも、その限り。
「うちのバカ娘を見つけたらちゃんと手綱を握ってあげてくださいね。誰に似たのか自分の身を顧みないところがありますので」
確かに彼彼女らはそこにいた。いてくれた。
ヨルナやルハーヴ、リリティアに、レティレシア。大陸種族と救世主たちは光となって空に消えていく。
あれだけ集っていた敵さえ救世主たちの手によって殲滅されていた。おそらく宇宙のほうでも戦いは終わっているのだろう。
まるで夢の切れ端を手放すみたいな感じ。敵も仲間も一瞬で消失した。そこにははじめからなにもなかったかのような空虚のみが残されている。
「くっ……!」
否。まだだ。まだはじまってすらいない。
ミナトは、前髪の奥で落ちかけた視線を留め直す。
残すところは鎖は両手のみを縛っている。それのみが身を縛る最後の枷だった。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
いる。まるで天を衝かんばかりに超特大の巨躯がそびえ立つ。
はじめからそこにあったモニュメントのように顕在している。16の毒々しい赫赫とした瞳がぎょろぎょろと蠢く。
子分たちが殲滅されたというのに気にした素振りすらない。
どころか感情さえあるのかすら定かではなかった。
あれだけの騒ぎがあってもこちらには眼さえくれず。上体を反らすような冒涜的な形の巨大は、一心に空を見つめている。
そして次の瞬間轟音と粉塵が爆散した。
「――――――――――――――――――――――――――!!!」
閃光の炸裂だった。
大地と世界を揺らし空を2分する。
巨大な光の柱が16の瞳から発せられた。
「アイツが根源よ!! あの16の瞳がこの半年間ずっとノアを狙撃しつづけているの!!」
駆け寄ってきた杏がミナトの鎖へと組み付く。
引けども引けども鎖は音を奏でるだけ。彼女の力如きで千切れない。
すると面々はこぞってミナトの元へと急ぎ駆け寄った。
「船員たちはずっとバリアを維持するために必死に戦ったんだ!! 血液とフレックスを移民船に捧げることで今日まで首の皮一枚を保ってきたんだよ!!」
「困窮して逼迫して!! 多くの人々が心を折られかけながら勇気を絶やさず戦い抜きましたわ!!」
「でももう私たちは限界なの!! バリアを回復させることは出来ても心はすり減って戻らない!! これ以上戦いつづけることは出来ないの!!」
愛、久須美、ウィロメナは声を裏返さんばかりに叫ぶ。
そしてみなが狂ったようにミナトを縛る鎖を破壊しようとする。
きっと彼女たちに状況の把握は出来ていない。だが、ミナトの鎖を千切ればなにかが起こる確信があったのだろう。
がちゃがちゃと鎖を歪ませる音は、彼女たちの悲鳴そのものであるかのようだった。
『お願いです、助けてください!』叫ぶ。
『もうどうしていいかわからないんです』必死に。
『お願いします、なんとかしてください!』なりふり構わず。
いつしか源馬や紗由たち、イージスのメンバーも加わる。
あっという間にミナトの身体は仲間たちの人垣によって覆い尽くされていた。
『お願いです!助けてください! もうダメなんです、死にそうなんです!』
『なんでもしますから、どうか、どうか助けてください!!」
『人類を終わらせないで! 未来を私たちに与えて!』
ミナトは、目と耳に入る光景に、愕然とした。
必死の形相をして縋る仲間が、許せそうになかった。
ガシャガシャとやかましい仲間の奏でる騒音が、耳障りで仕方なかった。
嫌気が差した。失望した。失念した。
腹の底から血反吐を吐き散らしたいような、総じて最悪の気分だった。
「――ぐ、ぐぐぐ、ぐぐぐ、ぎッ!!」
まずは右手の1本が千切れた。
鎖をはずすのは紙を毟るより楽だった。
「――ぎぎ、ぎぎぎ、ががッ!!」
左手の鎖はもっと楽だった。
五臓六腑を爛れさせそうな激昂があふれそうになって、蒼を強める。
「オレの家族にッ――」
空色が、駆けだした。
世界を置いて、踏み越えた。
己の願う未来のために、疾走る。
「ナニシヤガッタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
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