352話 ここにいる、生きてる、まだ 5《Aeternam》
手立てはなかった。
それでもブザマに生きているのは、きっと死を否定したかったから。
5体が千切れてしまいそうなほど、逼迫していた。いつ武器と生を手放してもオカシクはない、惨状だった。
「戦える人間は怪我人を守れ!! だが決して己を捨てるんじゃない!!」
明光が重力で圧した敵の眼窩を貫く。
動ける人間たちは、焔源馬を中心に陣形を固めている。
「だれか携行フレクスバリアを余らせてる人はいる!? このままだと防衛網がもたない!?」
「小型のフレクスバリアはもう品切れだァ!! ノアにフレックスを注ぐので手一杯だったせいだァ!! そもそも自体がカッスカスで生産が間に合ってねェ!!」
四柱祭司はなおも健在だった。
紗由とクラリッサは、懸命に援護と迎撃をこなしている。
ひしゃげた爆撃機がもうもうと黒煙を間断なく吐きつづけていた。強引な不時着の跡が雪車跡の如く大地に尾を引く。
ここが瀬戸際、最終防衛ライン。落ちた爆撃機を中央に構え、怪我人たちを囲うように、戦士たちが大地で舞う。
そしてまた異音によって環境が微振動する。
「 R O R O R O R O R O R O R O R O R O R O R O R O ―― 」
ビリビリという大気が震える。
光が集約するように黒き巨塔の頂上にある瞳へと集っていく。
大山遠く、大地を踏みしめてなお、人類の手に届くことはなかった。
シックスティーンアイズは、灰色の空を扇ぐ。その巨大な16の眼が蓄光を開始する。
だが誰も化け物の暴虐を止めるべく動ける者はいない。暴風の如き大混戦に身を置き己の命を守ることすら難しい。
このままではじりじりと真綿で首を絞められるようなもの。1人、また1人と戦力が欠けやがて地に立つ人間はゼロとなる。
誰もが心の奥底で理解していた。これは勝ち目のない、負けるだけの戦い。それでも人として生きたいと願って人として死ぬ道を選ぶ。
「進め進め進めェェ!! 足を止めては世界に置いていかれてしまうぞッッ!! 我らは未来を紡ぐ者たちだァァ!!」
源馬の威勢に鼓舞されながら戦士たちはなおも征く。
すでに戦闘可能な人間の数は半数を切っていた。
降り立つことに成功した少年少女たちだってとうに朦朧としている。
「ノアは沈ませない!! あそこには家族と守るべき人々が俺たちの勝利を願って待っているんだ!!」
「私だってまだ戦える!! 私を守って沈んだ船の子たちのために、まだ、まだアアアアアアアア!!!」
しかし命が灰になるまで完遂する。
壊滅の調べに身を焼かれる思いを募らせながら猛進する。
降りしきる火の粉を前に勇猛に、勇敢に生きている。もう、それだけ。
そんななかまた1人が戦闘のさなかに膝を屈して倒れ伏す。
「はぁ……はぁ……くっ!」
ウィロメナは上体を支えながら胸を押さえた。
膝が笑えるほど震えている。呼吸すらまともに出来ないくらい疲弊していた。
そこへ杏は、急ぎ戦闘を切り上げ滑りこむ。
「あんた、その腕折れてるんじゃないの!? まさかずっとそんな状態で戦ってたってわけ!?」
「だい、じょうぶ……パラスーツで固定してるから。うっ……これ以上ひどくはならないよ」
「っ!!」
いつからだったのだろうか。
もしかしたら着陸の衝撃ですでに折れていたのかもしれない。
ウィロメナの左腕は糸が切れたようにだらりと垂れていた。スーツの装甲越しで視認はできないがどう見ても異常を意味している。
「バカじゃないの!? スーツで固定しても痛いものは痛いでしょ!?」
「つっ!? いまようやく痛みが感じられるようになってきたくらいだよ、本当だよ」
それでもウィロメナはなおも立ち上がろうと藻掻く。
片腕だけとなっても武器だけは決して手放していない。
おびただしい汗が長い前髪をまとめてしまっている。身体だってろくに動かせず、ほぼ気力のみが生きているような悲惨さ。
このまま彼女を戦わせれば間違いなく、終わってしまう。杏はそんな惨劇を脳裏に映し、ぞっと寒気を覚える。
「脳内アドレナリンで痛みをごまかしてるだけよ!? こんなヒドい身体で戦ってたら命がいくつあっても足りないわ!?」
死に向かう彼女を止める義務があった。
なによりこの半年互いを支え合ってきた友として見過ごせるわけがない。
「でも、もう……この世界にはジュンも、ミナトくんもいないから……」
まったく呼吸が整っていなかった。
フレックスも切れかけ寸前の症状を示す。彼女の身体にまとう蒼も微光を瞬かせていた。
「いないからって……いないからってアナタが死んでいい理由にはならないわ!!」
「じゃあもし生きたとしてなにがあるっていうの!? なにももたない私たちがこれから歩む未来に本当に希望はあるの!?」
それはまるで涙ごと投げ捨てるかのようだった。
だから杏はなにも言い返せなかった。前進に衝撃という雷撃を巡らせて閉口するしかない。
きっとずっとウィロメナが底に隠しつづけていた心の悲鳴だったから。
「泣くな喚くな戦って死ねや!! これが最後のバリアだぜ!!」
クラリッサの手から携行バリアが投じられる。
するとヘックス状の半休体が敵と人類の敷居となって壁を構築した。
死ぬ間際を些か延長する、本当の最後の手段だった。
「源馬下がって!! 最後にもう1回態勢を立て直しましょう!!」
「ダメだ!! ここから下がれば勝利を目指す心が屈してしまう!! もう俺たちに進む以外の道は残されていない!!」
なにより。つづく源馬の声をこの場の全員が幻聴として聞いたはず。
彼の視線の先には、1匹の背が映しだされている。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
1匹の獰猛な獣のみ戦闘を継続していた。
諦めを知らぬ、猛攻。他の力を頼らず一気呵成に邁進す。
暁月信は、如何様としても譲らない。蒼き力を身に従えて長刀の重みで敵を撫で斬っている。
ときとして受け、躱し。返す刃で黒き甲の四肢を削ぐ。ノアのものではない長刀だが硬い鎧をものともせず。それだけで業物であることは一目瞭然だった。
なにより戦うという意志のなかに彼の技、能力がそのまま同期している。信の戦いには、重芯や雷伝や不敵を使用した戦闘に迷いがない。
「信……」
杏は、信の孤軍奮闘ぶりに、感嘆する思いだった。
だが残酷にも潮流は1人の藻掻きで方角を変えることはない。
これだけ戦ったのに、敵の数はなおも甚大だった。
「KI――KI――KI――!!!」
「SI――SI――SI――!!!」
紅の眼差しが群れとなって無力な人々を見つづけている。
外殻は分厚く堅牢であり神妙。翅が瞬くたび咆吼の如き奇っ怪な音が大気を打つ。さらに両腕には返しのついた鋸刃の鎌を備えもっている。
集団での行動に躊躇はなく、統制された蜂であるかのよう。1体ですら脅威になり得る。にもかかわらず、その数万を上回っていた。
生理的嫌悪をもよおす、畏怖。言語を介さず。ひれ伏し嘆いても訊き入れられることはない。
「間もなくバリアが切れるわ!! 正真正銘本当にこれが最後の刻よ!!」
「自分たちの死に場所は自分たちで選ぶんだ!! 誰かに自分の終わりかたを決めさせるな!!」
それが大人たちからの最終通達だった。
紗由と源馬は、声を張り上げてアザーの英傑たちに武器をとるよう進言する。
「私、最後まで自害するつもりはありませんわ。せめて朽ち征くなら華々しく散るのみですもの」
久須美は、構えてから杏へと視線を送った。
拳同士を打ち合わせ、肘の辺りから杭が引き絞られていく。
砂にまみれても孤高の花だった。ライバルである杏でさえ誇らしく思えるほど。
そんな彼女に同調し、怪我に伏していた者も武器を握って立ち上がる。
「私もいくよ。ここで戦うためにアザーヘやってきたんだから」
「僕は……まだちょっと怖いかな。でもみんなに置いて行かれるほうが、もっと怖い」
ウィロメナと愛も愛武器を手に心を据えた。
酷く抗うも、醜く足掻くも、同じこと。失楽園に等しいこの砂の星に至ってなお前のめりだった。
杏は、友の折れぬ高潔さを前に、眼の奥を滲ませる。
「バリアが割れるぞォォォ!!!」
舌っ足らずなクラリッサの声が響き渡った。
同時にバリア内にいる生存者たち全員が身を引き締める。
もう幾ばくとせぬうちに人々の鼓動はとまる。その身は秒針を刻むことさえ忘れるのだろう。
最後の刻。
もし生まれ変わりがあるとするならば。そう、願うのは強欲だろうか。
同じ学び舎で知識を蓄え、下校中に少し頬をほころばせる。そんな当たり前を願う。
ここにいるのは全員普通の人間で、少年少女の域を未だ抜けていない。
「くるぞオオオオオオオオオオオオ!!!」
最後のバリアが破砕する。
エネルギーの供給を失った装置が輝きを止める。刹那に人々を覆っていた蒼き皮膜が幾1000もの断片となって降りしきった。
戦闘が再び動きだす時の動作は、なぜか緩やかだった。美しいとさえ思えるほどにすがすがしく、命が煌々と輝いているかのようだった。
そして敵の大群が人々に襲いかからんと迫ったとき――……
「……え?」
その時知覚不能な現象が起こった。
杏の走りだしかけていた足が砂の上を滑る。
起こったというのは些か優しい表現かもしれない。なぜならそれは暴虐的なほど突発的に顕現した。
ひとことでいうならば、世界から色が消失した。この場に生ける者たち全員が不可解な現象を共有している。
なんらかの巨大で、膨大で、理解不能なナニカだった。それが急に直上から降りてきたのだ。
冗談じゃない、冗談なものか。振ってきたのだ。ソレは地響きもなく、さも当然といわんばかりにそこに在る。
まるで大地にするりと挟まるようにソレは、威風堂々と、顕在していた。
本当にそれは壁だっただろうか。見上げるほどに巨大な、鈍色をした、鉄壁。
「巨大な、つるぎ……?」
(区切りなし)
 




