351話 ここにいる、生きてる、まだ 4《Comma》
「フレクスバリアもうもちません!! ノア貯蔵フレックス量、残0.2%!!」
刻の限りを告げる警鐘であるかのよう。
司令室にオペレーターの金切り声が反響した。
「バリア消失、いま!! バリアにとりついていた大量の敵がノア目掛けて侵攻を開始しましたッッ!!!」
そしてとうとう終焉のの時がやってきてしまった。
映しだされている画面上から蒼き壁が失われていく。歩くより緩やかに。宙間移民船を包むバリアーが削げていく。
黒き壁に迫られた白き船体は、見る影もない。一斉に異形たちが宙間移民船にまとわりついた。
爪、翅、顎。甲虫と酷似した異形たちは、惑うことなく居住区を襲いはじめる。
「敵集団が防衛を固めた居住区画を襲いはじめた!! これなら初期の作戦通りに揚陸チームを逃がすことが出来るぞ!!」
「バカをいうな!! もう宇宙に生き残ってるヤツなんて1人もいないじゃないか!!」
「バリアがなくなったのであればここも安全じゃないわ!! 全員武器を手に戦闘態勢をとって!!」
スイッチをパチンと切り替えるかのような展開の早さだった。
勇敢にも残ったエリートオペレーターたちでさえ、あまりの慌ただしさに泡立つかのよう。
冷静に傍観できる人間なんているものか。綱で括られ、もう間もなく足場がなくなろうとしているのだから。
「管制塔より通伝!! 各員は生きるために戦ってください!!」
それはオペレータからの作戦指示ではなかった。
純粋な願いが叫びとなって全人類へと放たれる。
ここでようやく全人類の目的が定まった。防衛から己の生命維持が最優先事項となる。
負けたのだ、人類は。
砂上の楼閣は、為す術なく、崩落する。
自由も、尊厳も、生まれえた命さえ落ちていく。どこまでも深く暗く、底の果てまで。
その証拠に混線する通信は、地獄そのものを描いていた。
『だ、誰かコイツをなんとか――……ひ、ヒィィィッ!?』
『イヤだァァ!!! こんな終わりかたなんてイヤァァァァァァ!!!』
『離せっつってんだよォォ!!! 俺たちの仲間をどこかへ連れていくんじゃねェェ!!!』
通信網はすでに意味を成していない。
阿鼻叫喚。悲鳴と慟哭のみを伝えつづけている。
敵は躊躇なく人を襲い、そして攫っていく。意識がなくても関係はない。必死に食い止めようとするものでさえ同じ結末を辿る。
『助け、助けてェェェ――……』
そしてまたプツン、と。悍ましい切断音だった。
あちらでも、こちらでも辿る末路は変わらない。やがて悲鳴は息を引きとるように鳴り止んでいった。
もう司令室は幾人の叫びを鼓膜に残しただろうか。連れ去られた人々の数はとうに1000を超越する。
宇宙を破砕して存在する亀裂に連れ去られたその後の行方はわからない。わかりたくもない。
『こちら……ララ。防衛機構の維持は間もなく、途絶エル……瓦解ス、ル』
それは防衛機構と同期しているララの声だった。
かすれた声に激しい吐息と疲弊が混ざっている。さらに奥では耳をつんざくほどのアラートの音がけたたましい。
宙間移民船ノアは現在、人類にとって自由に扱えない状態にある。ライフラインのみ動作可能だが、その人類が扱える機能はおよそ20%ていどだった。
敵の濁流はノアそのものを押し流さんばかりの勢いでなお進行をつづける。そこでもし防衛機構のブレインを成すララが意識を失えば、深刻な防衛力不足となってしまう。
「8代目艦長!! 早急に指示を!! このままでは――っ!?」
指示を仰ぐオペレーターの肩がひくりと上がった。
「すまない……すまないのだが……少しだけ待ってくれ、時間をくれ……!」
目は血走り、唇は乾き、歯が軋む。
数多くの悲鳴によってあらゆる感情があふれてしまいそうだった。
叩きつけた拳の皮膚が爛れるように痛い。まだ生きている。
しかしまだ生きているだけにすぎない。もう種の終わりはとっくにはじまっているのだ。
「ここから私の発する言葉にどれほどの価値がある!!!? 奇跡を請い頭を垂れれば1つでも命を救えるのか!!!? 神に傅き十字架を掲げれば聖なる炎が敵を灰燼と化してくれるのか!!!?」
なにもかもが、限界だった。
最前線で指揮をつづけた人類総督でさえ、手に負えぬ。
半年耐えつづけた。そのなかで如何な重責さえも眉ひとつ動かさず耐え抜いた。
だが、それもこれまで。しょせんこの身は、女で、1人で、生命でしかないのだ。
だからミスティは、崩落する人類の文明を前に、総督の仮面をかなぐり捨てる。
「ふ、ふふ……ふふふ……っ! ハァーハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!!」
なにもない虚空を扇ぎながらゲタゲタと喉をがなり立て、笑う。
奇妙な光景にオペレーターたちは彼女を見つめながら戦慄した。
ミスティは握った拳に閉じこめた熱を逃がすように解く。解いた手で美しい髪をかき乱しながらぐしゃぐしゃに丸めこむ。
「なにをいっているんだ、私は」
人という種族の滅亡。
敵の存在さえ解明できぬまま滅ぶ種族の名だ。
「……我々には神なんて……はじめからいなかったではないか……」
ミスティは、失意の果てに吐息で嘆いた。
どうあっても狂えない自分を悲観する。人として生きてしまう己が滑稽にさえ思えた。
もっと早く幕を閉ざしていれば。余計な足掻きをしていなければ。
倫理と秩序を捨てた獣になってしまえていれば。
「これほど辛い最後を迎えずに済んだだろうに……」
頬に伝う。あれだけ耐えて閉じこめていた涙が1筋、あふれる。
1度仮面を剥がしてしまえば、もう総督には戻れない。ミスティは、身を抱きしめ、すくみ、ただただ嗚咽に喘ぐ。
そんな彼女を見つめるオペレーターたちは、非望な瞳で、ただじっと口を閉ざすのだった。
………………
苦痛と恐怖の振動を受けて飛び交う電波が宇宙を巡る。
求め、囀り、悲観し、嘆く。無音となった司令室は、絶望のカーテンに閉ざされた。
やがてここに居座るだけの己でさえでていったオペレーターたちと同等の罪を犯していることを自覚する。
ゆっくりと1つ1つ、だが確実に、消えていく。大嵐が去って漣打つように1人また1人、と。喘ぐことも、望むことも、願うことさえ、叶わない。
もうできることはなにもない。命の明かりが、消えかけの灯火が、どうしようもない暴力によって毟られる。
1つの終焉がここにあった。
種として生まれ、存続して、滅亡する。
宇宙の辿る歴史のなかで欠伸をするような拙く儚い1頁でしかない。
………………
『お困りのようだな?』
無音に閉ざされていたはずの世界へ、声が響いた。
声。たかが振動。大気の揺らぎ。
『はっはァ。よくぞ生きながらえた、全人類頭をくまなくヨシヨシしてやろう』
司令室は総出で耳を疑う。
落ちかけた顔を上げる。モニターを見上げて目を剥くのに十二分な驚愕だった。
だが紡がれる音の刻みが、そこにはある。
『ずいぶんとはた迷惑な客をもてなしているようだ。まったくもって無礼極まりない輩もいたものだ』
「……あ、ず、ま?」
あふれかけて、啜る。
これは夢か。はたまた脳を騙そうとしているのか。
幻想だとして、ふてぶてしい声は、止まらない。
『残念だが団体客には誠意をもってご退場願おうッ!! なぜならうちの船は紳士淑女のみ搭乗が許された大舞台なのだぞッ!!』
信じ難い音にミスティは、呆け、目を丸くする。
意図せずレーダーに映されている文字列を読み上げてしまう。
「……Blue……dragoon……」
震える唇でたどたどしく読み上げる。
レーダーには確かにそう――発った船のコードネームが――映しだされていた。
きっと夢でも見ているのだと心は決めつけている。あまりに優しすぎる嘘だった。
ミスティのなかで必死に溜めていたはずの感情があふれてしまう。
「東……! 東光輝……!」
負っていた傷も、心の重責も、なにもかもが掻き消える。
ミスティの感情がしどと涙滴となって頬横のほとりに伝う。
「ッ、エネルギーがもうないんだッ!!!! バリアが張れなければこのまま全滅してしまうッ!!!!」
溜めていた感情を咽せるように叫んだ。
こんなとき他に吐きだすこともあっただろう。だが彼女の性根が報告という習慣を貫いてしまう。
夢でも現実でもどちらでも良かった。ただそこから聴こえてくる声に本能が震える。
『その声はミスティか? 相変わらず元気そうじゃないか、レディ?』
涙と唾と感情がぐちゃぐちゃになって同時に飛び散った。
ミスティは、気づいたら喉が破れそうなほど全力で怒鳴っていた。
「どこにいっていた!!!!!? 私たちを置いていったいどこに!!!!!!!!?」
心がどうしても信じ切れず否定している。
だが紛れもない、現実として軽口が返ってくる。
『まあ長くて心躍る話はこれが終わってからベッドのなかでいくらでもしてやるさ。ちょうど良くうちの船で蓄えていたフレックスがあるからな』
最新鋭の蒼き閃光が虚空を横切った。
蒼き龍を冠する機体は、異形たちの群れなす居住区画を避けて着船する。
『小鳥が親鳥に給餌するというのも乙なものだ。少々雑だがこのまま船体を通してフレックスを送りこむぞ』
機体下部から煌々とした蒼き光が放たれた。
蒼白として目が眩みそうなほど。強く優しい人の光とよく似ている。
ブルードラグーンの船体から帯のようにノアへと光が導かれていく。
「す、すごい! どんどんノアにフレックスが戻ってくる!」
「一瞬で89%だって!? どうやってこれほどの量のフレックスを!?」
『ウチの船員たちはエリートだったということさ。いまや超エリートといっても過言ではないのやも知れん』
魔法か、はたまた奇跡か。
オペレーターたちが声を裏返すほど瞬くうちだった。枯渇していたノアのフレックス量が満ちていった。
さらにはエネルギーを得た白き船体に、蒼きヘックス上の連鎖体が張り巡らされていく。
『はっはァ! やはり労して得たものに無駄がないとはまさにだ!』
パチン、と。軽率な音がスピーカーを叩いた。
しかしいまさら血を止めたところで遅い。侵入した敵の数は手に余る。バリアが回復したとして、このままでは全滅までの時間稼ぎにすらならない。
なにより戦力そのものが足りていない。すでに前線で防衛に入っていたはずの多くが連れ去られている。
「バリアが回復してもこれ以上戦えないッ!!! みんな攫われていってしまったんだッ!!! 人々が、あの亀裂のなかにッ!!!」
『フム、敵はそのような習性をもっていたのか。どうりであちらの世界でもデカいのが混ざりこんだわけだ。おそらく狭間を通過する俺たちの存在を検知し、目覚め、大陸へ降り立ったのだろう』
「世界? なにを……バカな……」
『で、あるならば幸運だ、被害規模も最小で済む。なにせ人々の連れ去られた牢獄のなかにはとてつもない獣が混ざりこんでいるからな』
そうでなくとも混乱しているというのに、滅茶苦茶だった。
情報が錯綜しつづけて頭のなかがパンクしそうだった。
そうでなくてもちゃらちゃらしている男なのだ。信頼とか信用とかそういう概念にも限度というものがある。
だが、付き合いの深いミスティは知っていた。東光輝という男は決してこのような場面であざけることをしない。
『アイツという人間は、そう簡単にめげるほど単純ではない。いや……単純すぎるからこそ俺たちはここでまた道を重ねたのやもしれん……』
そよぐような風が、ふと吹きかけられた。
嘲笑しているのか。声はおもちゃを得て弾む子供のよう。
次の瞬間だった。レーダーに異常をきたす。災害を告げる警報がビィビィと司令室に鳴り渡る。
「き、亀裂より大量の反応があふれだしています!!! て、敵の追加かもしれません!?」
「もうこれ以上俺たちになにを背負わせようっていうんだァァァ!!! もうとっくに人類は終わってるだよォォォ!!!」
オペレーターたちは一斉に総毛立つ。
情報をまとめようとコンソールを殴りつけるように叩く。
だがもうここから射てる術はないのも事実だった。亀裂のなかからでてくるソレを止める手立てはない。
人類は戦って負けたのだ。これだけは絶対に揺るがない。神でさえ覆せぬ不変不動の理にあった。
『こい、英雄。お前の願う世界のカタチを再び俺たちへ見せつけてくれ』
忘却の彼方にあった。
もしチームシグルドリーヴァの船がここにあるとすれば、不思議ではない。
ミスティは、レーダーに灯された光に、呼吸すら止めて固まる。
レーダーに映しだされているのは、Material1の生存通知だった。
「……助けてくれ……ミナト……人類を。言われたとおり耐えたんだ、ずっと……ずっと耐えて……ずっと生きた」
ミスティの口から漏れたのは、半年分の精一杯だった。
この状況を1人の少年如きになんとか出来るはずがない。
だが、それでもあのときに仰ぎ見た勇敢で優しい姿を瞼の裏に浮かべてしまう。
「アザーに降り立った巨大な敵が半年間ずっと我々を狙撃しつづけている。そのせいで船員たちは恐怖の渦中で生きつづけた。もう私たちだけで生きられる未来はない。だからいま最終作戦としてマテリアルやその他のチームが奇襲を仕掛けたんだ。だが、たぶん……あの子たちだけでは、勝てない」
耐えた……耐えた。耐えつづけた。
総人類は、光なき航路に、失意の果てでも、生きながらえた。
そして人に道を示した彼は、いま約束の地にこうして蘇る。
『当たり前だ』
「――っっ!」
ヘルメットのなかで反響するかのような、くぐもった声だった。
だが普通ではない。燃えさかる炎に蓋をしながら怒髪衝天を伝えてくる。
そして人類から発された、救援要請への、明確な回答だった。
失われた光。
周囲の星よりも小さく、か細く、弱々しい。
なのにミスティの揺らぐ瞳には、確かに見えている。
『龍族の大半はノアから虫どもを引っ剥がして人命救助を頼むッ!! 救世主組はオレとアザーヘ乗りこむぞッ!!』
こんなに綺麗に輝いていた。
小さな光は、大きな光を引き連れ、世界にまた現れる。
人類の失った最後の希望が戻ってきた。大量の光をその背に率いて。
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