348話 ここにいる、生きてる、まだ《Still Alive》
仲間を守るため全員が咄嗟に動いていた。
はじめから予期していたわけではない。本能的に友を守らねばならぬと、考えるより早く行動している。
杏は、尻餅をついて呆ける久須美の手を無理矢理に引く。
「バカぼーっとしてないで早く立ち上がりなさい! 誰か1人でも欠ければ除算除法で戦力が減るのよ!」
「っ。いわれずとも!」
久須美も反発するように眉尻を吊り上げながら立ち上がった。
他の場所でも星の海で命の瞬きが明滅しつづける。仲間たちの展開した船が異形たちの嵐のなかで戦闘しながら飛び交う。
なによりこの船上では己と友どちらの命も均等で平等。1人でも敵にやられればその時点でチームそのものが瓦解しかねない。
これは果たして作戦と呼べるのかさえ危うい。まさに薄氷を渡るかのように脆弱さ。しかも常に死が頬横に突きつけられているような感覚だった。
轟々と渦巻く異形種に溺れながら喧々囂々と言葉を交わす。
「ちょっと愛! 防衛チームとの連携ってどうなってるのよ! 敵の数がまったく減ってないじゃないの!」
「ノア防衛と強襲チームで敵を2分する作戦自体は上手くいってるんだよ! でもそれ以上に敵が亀裂から這いだしてきてるの!」
愛の甲高い声に心まで毟られるような気分だった。
杏は、恐る恐る宙域を見上げる。
「う、そでしょ!? まだ増えつづけてるってこと!?」
「防衛側もバリアを張り直して内部の敵を必死に駆除してるらしいよ! こっちほどじゃないけどかなり苦しい状態だって!」
友の声を耳に見上げた先で悍ましい亀裂が発生していた。
宇宙の中央に大口を開いた割れ目は、化け物の顎であるかのよう。枠は千の断片に砕け、亀裂は宇宙よりも黒く光すら呑みこむ。
亀裂からは際限なく漆黒の霧の如き異形たちが吐瀉されていた。とてもではないが人類の討伐可能な対数を超越している。
『全員油断せず体勢を立て直して! 揚陸船の尾翼から50体規模の団体が高速で迫ってる!』
ウィロメナが叫んだ。
彼女の手元にはALECナノマシンによるコンソールが浮いている。
おそらくはレーダーで得た敵反応をいち早く捕らえたのだ。それを的確に味方へと通信した。
杏は冷えた珠の汗を宙域に投げだす。
「っ! なんでノアのほうじゃなくてこっち側に群れてくるのよ! 突入前の説明ではあっちがデコイ役を買うって話だったでしょ!」
作戦が開始されてからというもの、すべてが異常だった。
敵の行動が一貫しすぎている。敵は巨大な移民船には目もくれない。強襲揚陸部隊を的確に付け狙っていく。
すでに他のチームも去来する異形の襲撃によってとり囲まれている。
『船底にとりつかれたァ! 近辺に援護可能なチームはいないのかァ!』
『こんな数の敵がいるなんて聞いてないわ! 死の星に向かうより先に全滅しちゃう!』
Alecナノマシンの通信は混濁していた。
マテリアルの周囲に位置している船が次々に黒い巨体へと飲まれていく。
敵の数に対して人類の手が圧倒的に足りないため各個撃破を避けられない状態だった。さらに敵の異形たちは着実に人類を1つ1つ仕留めにかかっている。
「僕の憶測に過ぎないけど。たぶん……アイツらの狙いって僕らだったんじゃないかな」
吹けば消えてしまいそうな呟きだった。
愛の両手には強化電磁投射砲がぶら下げられている。
構えもせずただ漠然、と。武器を震わせながら蒼白の表情で戦場を見上げていた。
「ずっとバリア越しに僕らのことを見ていたんだよ……。ノアを守るバリアの向こう側から僕ら人類を、その時がくるまで、じっ、と……」
なにをばかな。言いかけて杏は唇を噛み締めた。
決して否定のできない背へ昇る悍ましさを覚えてしまう。
なにもかもが規格外。人類史上もっともデータのない戦いだった。
亀裂初顕現時のときも、そう。瞬間的に宙間移民船が起動した理由さえ解明に至らなかった。
まるで現状を示唆しているかのよう。星間で雷鳴轟く暑い暗雲のなか、闇へ飛びこみ彷徨うか如し。
1つ、また1つと宇宙に浮かぶF.L.E.X.の光が異形のなかへと消えていく。
横にあったはずの温もりが。未来を願う若い輝きが。あまりにも粗末で呆気なく、瞬き、消滅する。
「こんなの……私たち人間がどうこうできるわけない。天変地異や超常現象を相手にどうやって生き残れっていうのよ……」
あれだけ備えていたのにもかかわらず、揺らいでしまう。
震える唇が言葉という形を吐きだす。そして初めて全身にとある感覚が過る。
杏は、いまこの刹那に、はじめて死の味を噛み締めたのだった。
――ミナト……。
未だ遠い。手を延ばそうとしても諦めてしまうほど、遠い。
少女は、死の星の影へとそこにあったはずの光を辿る。
敗色濃厚というより、はじめから勝ち目なんてなかったと、悟った。
足掻いていた。フリをしていた。半年前のあの日から人類は絶望の未来に漠然と向かっていただけに過ぎないのだ。
烈破、衰退。人々は文明の破壊される光とともに後退という敗北を余儀なくされる。
仲間たちの破砕とともに杏のなかで振りほどきたいほどの感情が膨れ上がっていた。恐怖、絶望、怖気、とにかく冷たくどす黒い感情たち。
「後方から敵の一団!! 間もなく接敵!!」
ウィロメナからの悲鳴じみた報告が一同の鼓膜を叩いた。
チームマテリアルは即座に振り向き、各々の武器を構える。
しかしすでに彼女たちを包む蒼き光は揺らいでいた。消えずとも揺らいで意思の力を弱めていた。
「秘我ノ太刀」
誰もが絶望と辛酸を噛み締める。
しかしたった1本から生みだされる無数の銀閃が宙間を滑り踊った。
銀閃は背後から迫っていた羽虫どもを次々に薙ぐ。切断された巨体は幾百の破片となって掻き消える。
まさに千刀細断。刃の嵐に刻まれた敵の群れは刹那に塵となって霧散した。
「諦めの感情は捨てて前のみを見てろ。人の目がなぜ正面についているのか忘れるな」
身の丈ほどのある片刃がびょう、と振られる。
銀の刃は虚空に残光を生む。
「お前らの心がどうなってもやることは変わらない俺たちの目的はたかが仇討ちだ。失ったものの精算を果たすまで頭蓋だけでも敵に食らいつけ」
チームどころか人類そのものが絶望し、団結を欠く。
そんななかでも彼だけは威風堂々と星の海に在りつづける。
暁月信だけは刀身の如く揺らがず佇む。
「アンタのそれって私たちを励ましてるわけ?」
ヒドくぶっきらぼうで、思いやりの欠片すらない。
だが、その背は少なからず折れかけたチームメンバーの視線を集めていた。
「もうとうにこの神無き世界から希望も光も消滅した。なら俺たちにできるのは1体でも多くの敵を友の手向けに添えるのみ」
勇壮な口調で、怜悧な瞳は誰よりも実直だった。
信は、真っ直ぐに目的地である死の星を見据えつづけている。
素っ気ない、粗暴といってもいい。だがそれこそが彼なりの激励だったのかもしれない。
杏は、呆れ気味に首を横に振ってから漏らす。
「半年一緒にいたけど……アンタって本当に不器用よね。もっと勇気づける言葉とか選べないわけ」
「俺は俺なりに生きてミナトの仇討ちを果たす。そのためにはお前らの協力が必要というだけだ」
死に瀕してなお無頼。あるいは無骨。
顔立ちの整いもあってか、その横顔は生けるモノノフといった形相だった。
だが離しかけたていた幅広の柄を握り直すには十分な気概だった。
杏は、いかんせん身長の足りない肩を彼の横に揃える。
「いいわよ、一緒に死んであげる」
なんて不器用で儚いのか。
たった1人で佇む青年を見捨てられるほど、関係は浅くはない。
すると信は鋭利な横目でじろりと杏を見下げる。
「絶対に死ぬな。お前らが死ぬとお前らを守ったミナトが悲しむ」
「なんなのよアンタは……。そこは普通付き合ってくれって同調するところでしょ」
「…………」
すでに口は真一文字に紡がれて無言だった。
彼の視界に杏は入っておらず。どうやらもう語る口はもたないようだった。
信の生き様は愚直そのもの。後につづいたところで未来に希望も光もなにも見えてこない。
しかしいまはその無謀で浅はかな信念に準ずる背が偉大だった。
「必要としてくれてるのならちゃんと期待に応えないとだねっ!」
ウィロメナは、まとっていたローブを勢いよく脱ぎ捨てた。
起伏際立つ身にはパラダイムシフトスーツが張りついている。手には双剣の片割れと遠距離用のカービン銃が握られている。
「そもそもひと言協力してくれっていってくれればチームメイトとして協力してあげるのに」
頬横に漂うウィロメナのローブの見過ごした。
愛もまた重たげに強化電磁投射砲の銃口を引き上げる。
「それがいえないから不器用なのですわ。ほどほどに長い時を共有しておりますがいっこうに心を開いてくださらないんですもの」
「あるいはいまのアレが心開いてる状態なのかもしれないわね」
久須美と杏は、背と背を預け直す。
盾の五芒の腕章を腕に全員が迎撃態勢を再度固める。
折れかけた心に楔を打ちながら迎え撃つ用意を整える。
「背後の上方より敵集団が高速接近中! 数は30と少し!」
渦のような群れのなかからこちらへ接近する一団があった。
ウィロメナは前髪をはためかせると、それをメンバーたちに訴える。
「懲りずにまたきましたわね! 半年間のハードな修行の成果をご覧あそばせ!」
「お前らは自分の身を守ることを最優先にしろ。船の防衛は俺の技でどうとでもなる」
しかしそれでも先の見えない。
戦いは、この宇宙のように暗く険しい。
まるでいま滅びようとしている人類の未来と同じかのよう。
「フレックスの使い過ぎに注意だよ! 当たり前のように呼吸しているけど宇宙空間で切れれば命に関わるんだから!」
「適材適所よ適材適所! 自分がいまやれる1番得意なことだけをやりなさい!」
それでも蒼き命たちは輝くことを諦めようとはしなかった。
宇宙という途方もない莫大さのなかで彼彼女らは、確かに存在している。
はじめよりも強く。
「俺から家族を奪った報いを受けろォォ!!!」
折れかけていたときより鮮明で。
「ジュン! 私はいまここにいるよ! まだみんなと一緒に戦えてるよ!」
儚くとも、英傑で。
「僕らから光を奪えたと思わないで! もっと、もっと、もっと未来へ向かって生きつづけてやるんだから!」
生きようと、生きようと、生きようと。
「夢矢! 珠! アナタたちのいなくなってしまった世界でもワタクシは気高き一輪の花として咲き誇っておりますわ!」
足掻き、足掻き、足掻き。
「アンタなんかを生涯父親と認めることはなかったでしょうねッ!! でも母さんに償わずに死ぬなんてもっとクソ喰らえだわッ!!」
瞬いていく。
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