347話 前略15:28《Die In Obscurity》
静寂。冷気孕んだ緊張感が肌の表面にまとわりついている。
漆黒。狭い船内は呼吸さえ息苦しい。まるで火の落ちた炉のなかを揺蕩うかのよう。
胸の中央で刻まれる鼓動が鮮明になっていく。いつ止まるかもわからない生を懸命に延命しようとしていた。
『各員は指定された区画にて集結し総指揮役の指示に従ってください。繰り返しますLanding on the Planet of Death開始まで残り――』
バリア内部で待機している揚陸艦に定時連絡が入る。
淡々、と。あらかじめ用意されていたであろう事務的な機械音声だった。
幾度聞いても慣れることはない音色だった。その都度、鼓膜が揺れるたび心の臓が収縮を跳ね上げてくる。
闇の淵に蒼き意志が並ぶ。闘志のみで構成された精鋭たちは刻一刻と迫る時を待つ。
そして機械的に繰り返されていた音声が途絶え、肉声が耳を打つ。
『この日を迎えるに当たってみなを代表し礼をいわせてくれ。極めて困難な状況にもかかわらず半年という長い時間良く耐え抜いてくれた』
船内回線に届いたのは、人類総指揮からのメッセージだった。
電波の向こう側で8代目艦長ミスティ・ルートヴィッヒは粛然とつづける。
『1530より我ら人類は圧縮型惑星間投射亜空砲シックスティーンアイズ討伐を開始する』
各々がその言葉に武器を握る指へ生命を籠めた。
改めてみなが心へ刻む。本日が人類種の分岐路であるという事実を。
この半年間は筆舌に尽くしがたい凄惨な日々だった。瞳を閉じれば数多くの困難と苦難が煮こごりのように蘇るほど。
後半になるほど人々は人としての道理を背こうとした。降り注ぐ敵からの攻撃と逃れられぬ檻のなか日々精神を危ぶまれ狂う。
暴徒、鎮圧、狂乱、鎮静。追いこまれ繰り返される悲劇のなか、だがそれでも抜本的な根底には生きたいと願う。
『作戦の概要は死の星アザーへのランディングとシックスティーンアイズの討伐だ』
宙間移民船を守護する壁は、尽きかけている。
船員たちが注ぎこんできた血も蒼も極少量を残すのみ。毎時打ちこまれる亜空砲によって限界を迎えようとしていた。
あらゆる意味で頃合いなのだろう。宙間移民船に閉じこめられた人間の精神も、取り巻く環境のすべてが。
『そしてここからは私個人の願いであり命令ではない』
抑揚のない声色に僅かな揺らぎと溜めがあった。
半年もの間感情に蓋をし鉄皮を貫きつづけた彼女にしては稀といえる。
ゆえに船員たちは黒い闇をまといながら口をつぐむ。重責に苛まれる彼女の言葉を一欠片として聞き逃すまい。静寂を呼ぶ。
この半年もの間人々から人の理性を守りつづけたのは彼女の功績だった。彼女の辣腕によって人は人たらしむる終末を迎えられる。
人は彼女を敬愛している。敬服といってもいい。宙間移民船の船員たちは彼女の命ならば生命さえうち捨てられる。
『頼む……っ! 願わくば未来を担う生存者を1人でも多く残してくれっ……!』
それは指示だったのか。
はたまた席次を開けたまま不在の神への願いだったのか。
連なる命運に終止符を打つ。闇を彷徨い武器を携え座する人々の心に死への恐怖は消えていた。
そして間もなく――……
『開戦ッッ!!!』
四柱祭司リーダーの撃鉄が全チームに行き渡った。
ひしめく闇の天上へと亀裂が走る。船の上部が左右へと開いて展開していく。
壁1枚を隔てた向こう側には、宙間移民船と星の海が広がっている。さらには広大な宇宙を背景に500を超える同型船が整列し、フォーメーションを組む。
大地を捨てた人類は蒼をまとう。戦闘形態へと変貌した船の甲板に佇む。絶対零度の漆黒のなか、勇猛な戦士たちが展開する。
『これよりLanding on the Planet of Deathを強行する!! 無数の敵をもろともせずアザーヘと突入せん!!』
開始の合図とともにノアを囲う巨大バリアが消滅した。
さらに陣形を組んでいた強襲揚陸戦が一斉に航行を開始する。
対して阻む壁を失ったと同時に大量の異形がこちらへと雪崩れこむ。
人類存続を賭けた空前絶後策。その戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
● ◎ ◎ ● ◎
「次きますわよッ!」
硝子を裂くが如き鯨波の威勢だった。
すでに宙域には敵とされる大型の異形が尋常ではない数飛来している。
バリア外にでた強制揚陸チームを待ち受けていたのは、まるで壁。壁の如き大群の列挙だった。
しかも敵異業種は人間よりも遙かに恵まれた形態をもっており、強靱。身が堅固な殻によって守られており高速で動く鎧であるかのよう。
そんな巨大な甲虫たちは、さながら火に集る虫。人の乗った強襲揚陸船に無限と群がってくる。
「くっ! わかっちゃいたけどバリアの外は地獄そのものね!」
「弱音を吐いている場合ではありませんわ! 数を減らすより向かってくる障害のみを蹴散らしますわよ!」
船上甲板は大混戦だった。
大群は大波の如き。人如き一瞬でも気を抜けばあっという間に散り散りとなってしまう。
そんななか国京杏と鳳龍院久須美は、互いをカバーし合う。
互いの背を守り合うように陣形をとりつつ死角を埋める。
「この数が相手だとスコアを競うのが馬鹿らしくなってくるわ! アザーへ降下する前に全滅しかねない!」
紅の剣閃が去来する敵を分断した。
これでもう何体目の撃退か。あまりの敵の数に数えることさえ歯がゆい。
宇宙空間を円転描く軌道で蒼が翻る。
「亜轟ッッ!!!」
敵頭上に拳と杭が振り抜かれた。
能力によって許可された蒼によって殻が割れ、奥底を引き絞った槍が射貫く。
華麗に着地を決めた久須美は、すかさず杏と背を合わせる。
「ハァ、ハァ、ハァ! この黒い渦の向こう側で戦っているお仲間を忘れるべからずですわ!」
「わかってる、わかってるわよ! もう一体何機沈んだのかなんて蚊帳の外だもの!」
すでに戦闘開始から100以上の接敵を越えていた。
間断のない敵の猛攻に肺が冷え、汗が滲む。久須美の額にだって流麗なブロンドが張りつている。
まさに息つく暇もない状態だった。絶海の孤島に迷いこみ吹きすさぶ嵐に身を千切られるかのような錯覚さえあった。
「それにしても戦闘用装備の更新が間に合って良かったですわ! フレックスの強化も相乗することでようやくまともに戦えております!」
「いまのこの状況をまともっているほど楽観視できてないわよ! こんなの自殺となにも変わらないじゃない!」
蒼をまとう皮膚から離れた汗が玉のようになって宇宙空間に揺らいだ。
なお2名は生命を巡らす、命を繋ぐ。腰に拙く繋がれた1本のフレックスラインに願いを託す。
これは死の星への片道切符だった。オートパイロットの揚陸船は感情をもたずただ宙空を横切るのみ。
成して去れ。強行するチームメンバー全員が一丸となって標的へと向かう。
「分断策はいったいどうなったんですの!? バリアを再起動することで攻勢と防衛側で敵を2分できたんですの!?」
「確認のしようがないことを聞くのはナンセンスだわ! 私たちじゃ到底捌ききれない敵が襲ってきてることが現実よ!」
喧々囂々としている間に敵が再び去来した。
甲板上に降り立った巨体によって船が刹那ほど横に傾く。
「しまっ――!?」
「まずっ!?」
その衝撃で2人は足下を掬われてしまう。
敵の存在を目の前にしながら同時に身体のバランスを崩した。
奇形、鋭い爪、眼はない。甲殻の奥から硬い歯をこすり合わせるような奇声が漏れでる。
「Kilililililililililili!!」
節足ににた脚部が甲板を穿つ。
鉤爪状の腕を振り上げて命を狩らんと振り下ろす。
とっさに杏は手をかざして能力を発動させる。
「《重芯・岩翼》!」
「《不敵・ヘヴィ・α》ぁ!」
直撃の寸前。気迫と気迫が重なった。
杏の重芯の発動によって敵の腕がずん、と甲板に食いこむ。
さらにウィロメナ・カルヴェロによるヘックス状の壁が仕切りとなった。
あわや直撃といったところで仲間たちの連携が久須美の生命を繋ぐ。
するとそこへ蒼き閃光が敵の質量目掛けて弾ける。
「《雷伝の回路》ゥゥゥ!!」
1人1人ほどもある大型砲身が落雷を吐きだす。
美菜愛の両手には長身の砲がぶら下げられている。
そこからフレックス能力を利用した強化電磁投射砲から弾体が飛びだす。
超音速の弾体は音さえ置き去りにする。直撃した容易に敵の存在そのものを消滅させる。残された節足部分のみが黒き霞となって塵となった。
(区切りなし)




